4月 隣人さんとの出会い
4月XX日
高校卒業と同時に地元を出て、
アパートを借りて、
ひとり暮らしを始めた。
運よく見つかった築浅の木造アパート。
トイレ風呂が別々のワンルームだ。
生粋の現代人のボクには、この部分だけはどうしても外せなかった。
その代わり、多少は家賃が高くなってしまったけど、目をつむるしかない。
突然のひとり暮らし。
心機一転。
そういうには思い切りが良すぎたかもしれない。
夕方くらいになると、空っぽの部屋で横になって天井を見つめる。
暇な時間は外に出ることもせず、いつも天井ばかり見つめている。
ただ生きてるだけだと思うかもしれないけど、とにかく今はこういう時間が欲しかった。
そうして、
時間を潰して、
やがてうとうとしてくる。
次に目を開けるとだいたい朝。
隣人がドアを開ける音で目が覚める。
ただ、今日はまだ音がしていないので自然に目が覚めた。
朝起きたらまずコップ一杯の水を飲む。
この一杯が大事なのよと言われて育ってきた。
もはや習慣だから飲んでいるまである。
水を飲んだらまずゴミを出しに行く。
ゴミの日は水曜日と土曜日。
今日は土曜日だ。
ゴミ出しした足で、そのまま駅前のファミレスに朝ご飯を食べに行く。
トーストとゆで卵のセットを注文し、ドリンクバーで好きなジュースを入れる。
お店のラインナップにもよるけど、ボクはオレンジジュースが大好きだ。
スープも無料でついてるけど、今日はジンジャースープだったので取らなかった。
ジンジャーがあまり好きじゃないからね。
ちなみにトマトスープだったら取ってきてた。
ジュースを飲みながら座席でしばらく待つ。
待っていると猫型ロボットがモーニングセットを運んできてくれる。
最近どこのお店もこの猫がせっせと働きまわっている。
働いていないボクよりもかなり頑張っていると思う。
引っ越してきたばかりというのもあって、まだアルバイトをしていない。
というか探してすらいない。
そのうち何か見つけないとなあ、とは思っている。
けど、働かずに食べる朝ご飯はとても美味だった。
帰り道は散歩がてら目的もなく街中をさまよう。
平日の明るい時間から散歩していたからって、変な目で見られることはない。
これが地元だったら、「●●さんとこの××くん、真昼間から働かずにぶらぶらしてるわよ」なんて。
おばさんコミュニティの井戸端会議ですぐに共有されたかもしれない。
それから程よい時間になったらアパートに帰る。
ボクの部屋は二階の一番奥の部屋だ。
階段を上がり、部屋の前まで行くとそのままドアノブをひねる。
「ただいま」
カギはかかっていない。
地元が田舎であまり戸締りを徹底しない家庭だったので、その名残だ。
泥棒に入られても盗むものなんて何もないしね。
これがボクの日常。
毎日。
引っ越してきてから変わらない日常。
これからも変わらない日常。
そのはずだった。
「ん……うぅん……」
玄関のドアを開けたまま、ボクは固まってしまった。
部屋の真ん中。
女の人が大の字で眠っている。
見たところかなり美人だ。
グラビア雑誌なんかに載っていてもおかしくない。
そんな女の人が、ボクの部屋にいる。
化粧も落とさず、
お酒の匂いをさせ、
華美な服を着ていた。
ボクは、ひとり暮らしだ。
もちろん彼女もいない。
友達もいない。
なので誰かが部屋にいるなんてことはありえない。
「あの……」
恐る恐る声をかける。
けれど、呼びかけに対する反応はなく、すぅすぅ寝息だけが返ってくる。
近寄って肩をゆする。
「んぅ……好きぃ~……へへへっ」
誰と勘違いしたんだろうか。
この女性は、肩をゆするボクの手を掴み、
そしてそのまま強い力で引き寄せた。
「ちょっ、お姉さん!?」
びっくりして、今年で一番大きな声が出た。
隣人さんは肩に手を回してぎゅっとボクを抱きしめた。
香水の甘い匂いとお酒の匂いで頭痛がする。
押しのけるように離そうとするが離れない。
むしろ抵抗するたびにがっちりとホールドが硬くなっていく。
どうしてこうなったんだろう。
「…………はぁ」
諦めの境地に入り、ため息が出た。
この人はたぶん隣人さんだ。
ちゃんと顔を見たことはないけど。
隙を見て抜けられないか、改めてぐっぐっぐっと何度か試す。
それもむなしく終わる。
ボクはなんて無力なんだろう。
そう思っていると、隣人さんが肩に回した腕にさらに力を入れた。
何をされるのか。
そんなことを考える暇もなく、柔らかいものがボクの唇に接触した。
「んぶ……!?」
一瞬何が起こったのか理解できなかった。
理解して、恥ずかしくなった。
顔が熱くなるのがわかった。
酔っぱらった隣人さんは、あろうことかボクの唇にキスをしたのだ。
まさかこんなところでファーストキスを奪われると思わなかったけど、そんなことはどうでもいい。
もっと重大なトラブルに見舞われていた。
「……うぷっ」
隣人さんが嘔吐した。
盛大に。
ボクの顔に向かって。
「誰でもいいから助けてくれー……!」
視界を覆う絶望(吐瀉物)と、強烈なアルコールの匂い。
悲鳴を上げながら、ボクは強烈に予感していた。
変わらないボクの日常が、今この瞬間に変わり始めたのだと。




