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 放課後――。

 リリアとルシアンは、帰寮のため並んで廊下を歩いていた。

 リリアは心なしかげっそりとした表情をしている。


「お前、そんなんでこれから先やっていけるのか?」


 隣を歩くルシアンが呆れたように言った。

 確かに、今日の授業は座学ばかりだった。

 しかも新学期初日だからなのか、教師たちは復習がてら学年首席であるセレナを何度も指名する。

 つまり、その度にリリアが答えなければならないということだ。

 どうにか事故による記憶障害を理由に誤魔化したものの、これが毎日続くとなれば堪ったものではない。

 しかし。

 そんなことは、もうどうでもよかった。

 終わったことより、これからのことだ。

 この後に待ち受けているものを思えば、今日一日の授業など可愛いものに思えてくる。


「勉強……って、なんであるのかしら」


 ついには訳の分からないことを口走り始めた。

 ルシアンは憐れむような目を向ける。


「こりゃ重症だな」


 そして、ふと思い出したように尋ねた。


「で、ノアからは了承を貰えたんだろ?」

「…………」


 リリアの足が止まった。

 ゆっくりと顔だけをルシアンへ向ける。

 その紅い瞳が、ぎろりと彼を睨みつけた。


「な、なんだよ」

「その名を今、私の前で口に出さないで!」

「何でだよ!」

「やっと授業が終わったのよ!?」


 リリアは声を荒らげる。


「これからまた、あの男に勉強を教わらなければならないのよ!」


 ぎりぎりと歯を食いしばる。


「…………」


 ルシアンはようやく合点がいった。

 授業についていけなかったから落ち込んでいたわけではない。

 これから始まる勉強会に絶望していたのだ。


「でも、お前から頼んだんだろ?」

「そうよ!」

「じゃあ仕方ないだろ」

「分かってるわよ!」


 逆ギレだった。


「それにノアは教えるの上手いじゃないか」

「だから嫌なのよ」

「どういう理屈だ」

「あの男、一度教えたことは二度目から『教えたよね?』で済ませるのよ」

「ああ……」

「三度間違えれば笑顔になるわ」

「元から笑ってるだろ」

「笑顔の種類が違うのよ!」


 力説するリリアに、ルシアンは思わず吹き出した。


「笑わないで!」

「いや、だって……お前がそこまで嫌がる相手なんて滅多にいないから」

「嫌がってないわ。鬱陶しいだけよ」

「同じようなものだろ」

「違う」


 即答だった。

 リリアは再び歩き出す。


「入院してたときだってそうだったわ。もう無理だと言っているのに、『大丈夫、あと十問だけだから』って笑って――」

「十問なら大したことないじゃないか」

「十問終わったら次の十問が出てくるのよ」

「…………」

「その十問が終わったら?」

「『よくできました。じゃあ忘れないうちに復習しようか』」

「…………」

「寝ようとしたら?」

「『眠いなら立ってやろうか』」

「…………」

「逃げたら?」

「先回りしてるわ」

「怖いな」

「でしょう!?」


 ようやく理解者を得たとばかりにリリアが振り返った。

 だが、ルシアンはすぐに首を傾げる。


「でも、効果はあっただろ?」

「…………」

「今回も丁度いいじゃないか。六年分、全部叩き込んでもらえば」


 リリアの顔から表情が消えた。


「ルシアン」

「何だ?」

「今から模擬戦しない?」

「八つ当たりだろ。絶対嫌だ」


 即座に拒否される。

 リリアは舌打ちした。

 そんな話をしているうちに、二人は寮へと続く廊下へ差しかかる。

 すると。


「楽しそうだね」

「…………」


 穏やかな声が聞こえた。

 リリアの足がぴたりと止まった。

 ルシアンも止まる。

 二人揃って声のした方を見る。

 廊下の先。

 壁に背を預け、腕を組んで待っている男がいた。

 ノアだ。

 いつからそこにいたのか。

 いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべている。


「迎えに来たよ、リリア」

「…………」

「約束しただろう?」


 リリアは無言で踵を返した。


「じゃあ、ルシアン様。私はこれで」

「待て待て待て」


 ルシアンが即座に肩を掴む。


「離しなさい」

「どこ行く気だよ」

「急用を思い出したの」

「何の」

「……世界を救いに」

「勉強から逃げたいだけだろ」

「世界の危機よ」

「お前の成績の危機だろ」

「ルシアン皇子」


 ノアが笑顔で呼ぶ。


「そのまま捕まえておいてください」

「了解」

「裏切り者!」


 リリアが睨みつけるが、ルシアンは楽しそうに笑うだけだった。

 ノアはそんな二人の元まで歩いてくる。


「安心して。入院中に基礎は一通り終わっているから、同じことをやり直すつもりはないよ」


 リリアの抵抗が僅かに弱まった。


「……本当でしょうね」

「もちろん」

「なら、今日は何をするの?」

「今日の授業で答えられなかった問題を全部やり直そうか」

「…………」


 リリアの顔から表情が消えた。


「何で知ってるのよ」

「私は、ここの教員だよ?」


 にこり。


「…………」

「先生方に聞けば、セレナ嬢が今日どんな様子だったかくらい分かるよ」


 リリアは思わず舌打ちした。

 完全に監視されている。


「それに、基礎を覚えただけでは駄目だからね」


 ノアは続ける。


「今の君は、教本を読めばある程度理解できる。簡単な問題なら解ける。だけど、少し捻られると途端に分からなくなる」

「…………」

「今日もそうだったでしょう?」


 図星だった。


「それの何が悪いのよ。普通はそんなものでしょう」

「普通の生徒ならね」


 ノアは笑顔のまま言った。


「でも君は今、誰?」

「…………」


 嫌な質問だった。


「セレナよ」

「そう。学年首席のセレナ・フォン・アウレリア」


 逃げ道が一つ潰された。


「先生に突然指名されても答えられる。初めて見る応用問題でも解ける。術式を見れば、どこがおかしいのかすぐ分かる」


 ノアは指を一つずつ立てていく。


「それが今までのセレナ嬢だよ」

「…………」

「だから今日からは、覚える勉強じゃない」


 にこりと笑った。


「セレナ嬢と同じ速度で考えられるようになる練習をしようか」

「嫌よ」


 即答だった。


「大丈夫。できるようになるまでやるから」

「それのどこが大丈夫なのよ!」


 ルシアンが横で吹き出した。

 リリアが睨みつける。


「笑わないで!」

「いや、でもノアの言う通りだろ」

「貴方もやる?」

「俺は関係ない」

「いいね」


 ノアが即座に乗った。

 ルシアンの笑みが消えた。


「……は?」

「一人で問題を解くだけだと実戦的じゃないからね。ルシアン皇子にも参加してもらいましょう」

「待て。何で俺まで」

「リリアの比較対象がいた方が教えやすいので」

「俺は留学生なんだが」

「だからなんです?」

「…………」


 今度はリリアの口角が上がった。


「あら、よかったわね。ルシアン様」

「お前……」

「幼馴染ですもの。一緒に頑張りましょう?」


 先ほどまで死んだような顔をしていた女とは思えないほど、晴れやかな笑顔だった。


「道連れができた途端に元気になるな!」

「何のことかしら」

「じゃあ決まりだね」


 ノアがパン、と軽く手を叩く。


「今日は応用問題を中心にしよう。僕が問題を出すから、二人で同時に答えて」

「競争?」


 リリアが反応する。


「そう。正解するだけじゃ駄目。正確さと速さ、両方を見る」


 先ほどまで嫌がっていたリリアの目が僅かに変わる。

 ノアはそれを見逃さなかった。


「負けた方は追加問題ね」

「は?」

「いいわ」

「おい!」


 ルシアンがリリアを見る。

 だが既に遅い。

 リリアは完全に乗せられていた。


「皇子だろうが何だろうが、負けるつもりはないわ」

「いや、待て。俺は参加するなんて一言も――」

「それじゃあ行こうか」


 ノアは笑顔で歩き出した。


「今日の授業内容に加えて、明日の授業範囲も先取りしておこう。明日指名されても困らないようにね」

「ええ」

「待てって!」


 三人が歩き出す。

 その途中。

 リリアは、はたと足を止めた。


「……ノア」

「何?」

「負けた方は追加問題と言ったわね」

「言ったね」

「勝った方は?」

「次の問題に進めるよ」

「…………」

「…………」

「結局どっちも勉強じゃない!」


 廊下にリリアの怒声が響いた。

 ノアは相変わらず笑顔だった。

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