第八話・最終回「四日目、帰り道と、始まった何か」
引き継ぎお楽しみください
【ナレーション】
林間学校、四日目。最終日。
朝から荷物をまとめて、施設を掃除して、昼前にバスで帰る。
シンプルなスケジュールだ。
しかし——
人間関係というものは、シンプルなスケジュールの隙間で、静かに動く。
気づいたときには、すでに動いていた——ということが、ある。
佐藤太郎は、この日の朝まで、そのことに全く気づいていなかった。
◆ 四日目・午前七時。食堂。
朝食。
太郎と木村が隣に座って食べていた。
「今日帰るのか。早いな」
「三泊四日なので」
「あっという間だったな」
「そうですね」
木村がパンをちぎりながら言った。
「昨日の迷子、全員無事でよかったよな」
「うん」
「あの六人、今日どんな顔するかな」
「普通にしてると思いますよ」
「佐藤はあっさりしてるな」
「何か特別なことはしてないので」
「してるだろ、普通に」
木村がスープを飲んだ。
「なあ、昨日足くじいた子、覚えてるか」
「二組の——」
「宮本さん。宮本さくらさん」
太郎が少し止まった。
「さくら?」
「同じ名前だな、お前の妹と」
「そうですね」
「あの子、お前に何か言いたそうにしてたけど、気づかなかった?」
「……気づいてなかったです」
木村がにやっとした。
「そうか」
「どういう意味ですか、その顔は」
「なんでもない」
「なんでもないじゃない顔ですよ」
「なんでもないって」
木村がスープを飲み終えた。
「まあ、今日帰る前に話しかけられるかもな」
「……なんで」
「なんとなく」
太郎は木村の横顔を見た。
何かを知っていそうな顔だった。
しかし木村はそれ以上何も言わなかった。
【ナレーション】
宮本さくら。
一年三組。
肩まである茶色い髪。
背はそれほど高くないが、姿勢がいい。
クラスの中心にいるタイプで、誰とでも話せて、いつも誰かに囲まれている。
そういう生徒だ。
林間学校の前から、太郎は彼女の存在を知っていた。
廊下ですれ違うと、なんとなく人が集まっている。
そういう人が、どのクラスにも一人はいる。
宮本さくらは、その一人だった。
太郎が彼女と言葉を交わしたのは——
昨日のハイキングで、足首にテーピングを巻いたとき。
それだけだった。
◆ 午前八時。掃除の時間。
班ごとに施設を掃除する。
太郎は廊下の担当になった。
モップを持って拭いていると——
「あの」
声がした。
振り返ると、宮本さくらが立っていた。
後ろに、女子が二人いる。
太郎が少し戸惑った。
「……なんですか」
「昨日、テーピングありがとうございました」
「あ——大丈夫でしたか、足首」
「全然大丈夫です。おかげで最後まで歩けました」
「よかった」
太郎がモップを持ち直した。
「えっと、それだけで——」
「あの」
宮本さくらが続けた。
「昨日の夜も、ありがとうございました」
「昨日の夜?」
「迷子の子たちが見つかったの、佐藤くんのおかげって、田村先生が言ってたので」
「……先生が言ってたんですか」
「はい。川沿いの道を教えたって」
「たまたまです、地図を見てたので」
宮本さくらが首をかしげた。
「たまたまって言うけど——誰でもできることじゃないと思います」
「そんなことは」
「そんなことある、と思います」
真っ直ぐ言われた。
太郎が少し黙った。
「……怪我、本当に大丈夫ならよかったです」
「大丈夫です。それより——」
宮本さくらが、少し間を置いた。
「テーピング、どこで覚えたんですか」
「……居候の人に教わりました」
「居候?」
「ちょっと特殊な家庭で」
宮本さくらが少し笑った。
「そうなんですね」
「それだけです。掃除があるので」
太郎がモップを動かし始めた。
宮本さくらが「失礼しました」と言って、後ろの二人と歩いていった。
廊下の角を曲がったところで。
「ねえ、佐藤くんってどんな人?」
宮本さくらの友達が聞いた。
「……わからない。でも——」
宮本さくらが少し考えた。
「なんか、落ち着いてる人だなって思った」
「格好よくはないよね、別に」
「そうかな」
「え?」
宮本さくらが前を向いた。
「……格好いいと思うけど」
「え!!さくらがそういうこと言うの珍しい!!」
「言ってない、独り言」
「言ってたよ絶対!!」
【ナレーション】
太郎はその会話を、聞いていなかった。
モップを動かしながら、帰ったら信玄にテーピングの話をしようと思っていた。
役に立ったと、伝えたかった。
そういう男である。
◆ 午前九時。荷物まとめ・チェックアウト準備。
部屋で荷物をまとめていると、木村がにやにやしながら戻ってきた。
「宮本さんと話してたろ」
「どこで見てたんですか」
「廊下の掃除エリアが隣だったんで」
「……そうか」
「なんの話だった?」
「テーピングのお礼と、昨日の迷子のこと」
「それだけ?」
「それだけです」
木村がため息をついた。
「お前、鈍いな」
「何が」
「宮本さん、お前のこと気になってるぞ」
太郎が少し止まった。
「……なんで」
「女子の話を総合すると」
「総合するな」
「昨日から、宮本さんがちょくちょくお前のこと見てたって、女子から情報が来た」
「情報網が早い」
「まあ俺、コミュ力それなりにあるから」
「秀吉さんみたいなこと言わないでください」
「秀吉さんって居候の人?」
「そうです」
木村が笑った。
「まあ、嬉しくないのか? 宮本さんといえば学年でも目立つ人じゃないか」
「別に」
「別に、ね」
「……どういう意味ですか」
「どういう意味もない。ただ——お前、女子と話すの慣れてるな」
「そうですか」
「クレオパトラさんの影響?」
太郎が少し考えた。
「……かもしれない」
「どんな人なの、クレオパトラさんって」
「まっすぐ言う人です。褒めるときも、注意するときも、ちゃんと目を見て言う」
「それが女子との話し方に影響してるのか」
「……そういう意識はないですけど」
「無意識に出てるんだよ、きっと」
◆ 午前十時三十分。出発準備。バス乗り場。
施設の前に、バスが二台止まっている。
生徒たちがリュックを持って集まってくる。
田村先生が点呼を取っている。
太郎がリュックを持ってバスに向かおうとしたとき。
「佐藤くん」
また声がした。
宮本さくらだった。
今度は一人だった。
「……なんですか」
「一個聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「昨日の暗闇、怖くなかったですか」
太郎が少し考えた。
「怖かったです」
「でも落ち着いてたって、木村くんが言ってた」
「……焦っても、暗くなるだけなので」
宮本さくらが少し目を丸くした。
「焦っても暗くなるだけ、ですか」
「懐中電灯が消えたら、焦っても明るくならない。一歩ずつ歩くしかないので」
「……かっこいいこと言いますね」
「かっこよくないですよ」
「かっこいいと思います」
またまっすぐ言われた。
太郎が黙った。
宮本さくらが続けた。
「わたし、昨日肝試しで懐中電灯消えた組だったんです」
「……え?」
「道に迷った六人のうちの一人」
太郎が少し驚いた。
「そうだったんですか」
「はい。めちゃくちゃ怖かったです。暗くて、どっちに行けばいいかわからなくて——パニックになりかけて」
「……大変でしたね」
「でも佐藤くんが川沿いの道を教えてくれたから、先生が来てくれて」
「たまたまです」
「たまたまじゃないって言いましたよ、さっき」
「……そうでしたね」
宮本さくらが少し笑った。
「佐藤くん、たまたまって言いたがりますね」
「……謙遜の癖がある」
「居候の人に治してもらってください」
「クレオパトラさんに既に言われてます」
宮本さくらが笑った。
「クレオパトラさん?」
「……居候の人の名前です」
「ユニークな名前ですね」
「まあ、そういう家なので」
田村先生の声が響いた。
「では、バスに乗ってください!出発は十一時です!」
「行かないと」
太郎がリュックを持ち直した。
宮本さくらが言った。
「あの——」
「なんですか」
「学校に戻ってから、また話しかけてもいいですか」
太郎が少し止まった。
「……別に、いいですけど」
「ありがとうございます」
「話しかけるだけなら誰でもできますよ」
「そうですね」
宮本さくらが少し考えた顔をした。
「佐藤くんって——普通に言いますね、そういうこと」
「事実なので」
「でも——その言い方、嫌じゃないです」
「そうですか」
「うん」
宮本さくらが、前を向いた。
「じゃあ、バス乗ります。また学校で」
「はい」
二人がそれぞれバスに向かった。
木村が太郎の隣に来た。
「今度は何の話だった?」
「昨日迷子になったのが宮本さんだったと」
「へえ」
「あと——学校で話しかけていいかって」
木村が立ち止まった。
「……それ」
「なんですか」
「それ、かなりはっきりしてるぞ」
「何が」
「宮本さんが積極的だってこと」
「話しかけるだけですよ」
「話しかけたい相手には、わざわざ許可取らないだろ、普通」
太郎が少し黙った。
「……そうですか」
「鈍い!!」
木村が叫んだ。
「声が大きいですよ」
「鈍い!!」
「わかりました、鈍いでいいです、行きますよ」
「待て待て——嬉しくないの?」
太郎は少し考えた。
「……嬉しいかどうか、まだわかりません」
「まだ?」
「会って三日なので」
「そんな計算するやつか」
「計算じゃないですけど」
太郎がバスに乗り込んだ。
木村がついてきた。
「でも嫌じゃないんだろ?」
「嫌ではないです」
「それで十分だ」
「何が十分なんですか」
「人間関係の第一歩」
「秀吉さんみたいなことまた言いますね」
「だから誰だよ秀吉さんって」
◆ バス車内。帰り道。
バスが山を下り始めた。
窓の外に、来たときと同じ景色が流れる。
でも——来たときと、何かが違う気がした。
木村が隣で眠り始めた。
太郎は窓の外を見た。
山が遠ざかっていく。
施設が、木々の間に消えていく。
三泊四日。
たくさんのことがあった。
信玄の行動食。
信長の護符。
テーピング。
火起こし。
川遊び。
キャンプファイヤー。
暗闇。
迷子。
星。
そして——宮本さくらのこと。
太郎は少し考えた。
宮本さくらは、まっすぐな人だ。
格好いいと言うときも、ありがとうと言うときも、また話しかけていいですかと言うときも——
ためらわない。
それが——どこかクレオパトラに似ていた。
「事実を認識しなさい」
クレオパトラの声が浮かんだ。
「謙遜しなくていい」
太郎は少し笑った。
宮本さくらも同じようなことを言った。
「たまたまじゃないって言いましたよ」と。
似ている。
少し似ている。
「……まあ、話しかけてきたら、普通に話せばいい」
独り言を言った。
木村が寝ていたので、誰も聞いていなかった。
◆ 一時間後。学校着。
バスが学校に着いた。
生徒たちが降りてくる。
「お疲れさまでした!解散です!気をつけて帰ってください!」
田村先生の声。
太郎がリュックを背負って降りた。
木村が眠そうな目をこすっている。
「着いたか」
「着きました」
「疲れた」
「お疲れさまです」
木村が伸びをした。
「今日、家帰ったら何する?」
「……帰ったら、みんなに話を聞かせます」
「居候の人たちに?」
「信玄さんが行動食作ってくれたこと、役に立ったって伝えたいし、信長さんの護符も返さないといけないし」
「律儀だな」
「もらったものは、ちゃんと返す」
木村が少し笑った。
「いい奴だよ、お前」
「普通です」
「普通じゃないよ」
「普通です」
「鈍い上に頑固だな」
「そうかもしれない」
荷物をまとめて、校門を出ようとしたとき。
「佐藤くん!」
声がした。
宮本さくらだった。
友達が三人いる。
「なんですか」
「これ——」
宮本さくらが、小さな包みを差し出した。
「施設の売店で買ったんですけど、良かったら」
包みを受け取った。
「……ありがとうございます」
「お礼です。テーピングと、川の道」
「別にいいんですけど」
「いいけど、あげたいので」
またまっすぐ言われた。
太郎が少し黙った。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
宮本さくらが少し微笑んだ。
「また学校で」
「はい」
宮本さくらが友達と歩いていった。
木村が隣でにやにやしていた。
「……なんですか」
「包み、開けないのか」
「家に帰ってから」
「なんで」
「急ぐ理由がないので」
「鈍い!!」
「帰ります」
「待てって——まあ、帰りましょう」
◆ 帰り道。
木村と途中まで一緒に歩いた。
「なあ、佐藤」
「なんですか」
「今回の林間学校、お前にとってどうだった」
太郎が少し考えた。
「……いろいろありましたね」
「いろいろって?」
「信玄さんに教わったことが全部役に立ったこと。信長さんの護符を持っていたこと。お前と暗闇を歩いたこと」
「俺も入れてくれてありがとう」
「事実なので」
木村が笑った。
「それと——宮本さんのこと」
太郎が少し止まった。
「……まだわかりません」
「何が」
「自分がどう思っているか」
「正直だな」
「嘘ついても仕方ないので」
「まあ、焦らなくていいよ。お前が言ったじゃないか」
「何を」
「焦っても暗くなるだけって」
太郎が少し笑った。
「……自分で言ったことを返された」
「いい言葉だったから」
「信長さんのですけど」
「誰の言葉でも、今のお前の言葉だろ」
太郎が黙った。
「……そうかもしれない」
「じゃあ俺、こっちだから。また明日な」
「うん、また明日」
木村が角を曲がっていった。
◆ 佐藤家。玄関前。
一人になった。
家の前に立った。
ドアの向こうから——
「太郎殿が帰ってくるのはいつじゃ!?」
秀吉の声が聞こえた。
「まだ連絡がない」
信玄の声。
「護符を返すと言っていたな」
謙信の声。
「ランキング、ちゃんと守ったぞ」
ナポレオンの声。
「もうすぐ帰ってくるわよ」
クレオパトラの声。
「……」
信長の声はしなかったが——
きっとリビングにいる。
「お兄ちゃーん!早く帰ってこないかなー!!」
さくらの声。
太郎は玄関のドアを開けた。
「ただいま」
リビングから、顔が飛び出してきた。
「太郎殿!!おかえり!!」
秀吉が玄関まで走ってきた。
「おかえり」と信玄。
「……おかえり」と謙信。
「フン。遅かったな」とナポレオン。
「おかえりなさい」とクレオパトラ。
「おかえり太郎!!」とさくらが飛びついてきた。
信長は——リビングの入口に立っていた。
腕を組んで。
「……おかえり」
「ただいまです、信長さん」
太郎はポケットから護符を取り出した。
「護符、返します」
信長が受け取った。
「……無事だったな」
「無事でした」
「そうか」
信長がそれをポケットに入れて、リビングに戻っていった。
台所から、いい匂いがした。
「信玄さん、何作ってますか」
「ほうとうだ」
「おかえりのほうとうですか」
「帰ってくるとわかっていたから、準備してあった」
太郎が少し笑った。
「……信玄さんに、伝えたいことがあって」
「なんだ」
「行動食、すごく役に立ちました。山頂で食べたおにぎり、美味しかったです。あと——テーピング、ハイキングで使いました」
信玄が少し手を止めた。
「……そうか」
「誰かの役に立てたのは、信玄さんが教えてくれたからです。ありがとうございました」
信玄が、ゆっくりと振り返った。
太郎の顔を見た。
「……そうか」
それだけだった。
でも信玄の目が——少し、柔らかかった。
「座ってろ。すぐ出来る」
「はい」
秀吉が前のめりで聞いてきた。
「太郎殿!三日間どうじゃった!!友達は増えたか!?名前は全員覚えたか!?」
「増えました。全員は無理でしたけど、だいたい」
「だいたいで十分じゃ!で、何か面白いことはあったか!?」
「いろいろありました」
「具体的に!!」
「飯盒炊爯でカレーを作って、長距離ハイキングをして、キャンプファイヤーをして——あと、肝試しで少しアクシデントがあって」
「アクシデント!!大丈夫だったか!?」
「大丈夫でした。川沿いの道を覚えていたので、先生に伝えて解決しました」
「それはナポレオン殿の——」
「地形は頭に入れろ、の影響ですね」
ナポレオンが鼻を鳴らした。
「フン。当然だ」
「ありがとうございました、ナポレオンさん」
ナポレオンが少し黙った。
「……礼は結果で返せ」
「はい」
謙信がすっと太郎の前に来た。
「……太郎、ポンタカードはどうした」
「持って帰ってきました」
太郎がポケットから出した。
謙信が受け取った。
「……義の守り神だった」
「ポンタカードが守り神になってる」
「なってた」
「なってないですよ」
「なってた」
太郎はため息をついた。
しかし——なぜか、そのポンタカードをポケットに入れていたことを、悪くないと思っていた。
謙信の「お守りだ」という言葉が、結果的に——少し、支えになっていた気がするから。
「……まあ、ありがとうございました、謙信さん」
謙信がわずかに目を細めた。
「……そうか」
クレオパトラが太郎を見た。
「どうだった、三日間」
「いろいろ学びました」
「例えば」
「待つことの大切さ。一歩ずつ進むこと。友達に頼ること」
クレオパトラが頷いた。
「それから?」
「……自分の実力を、誰かのために使うこと」
「覚えてたのね」
「忘れないですよ」
クレオパトラが少し笑った。
「それから——」
太郎が少し間を置いた。
「女の子に、まっすぐ言われたとき、どう答えればいいかわかりませんでした」
クレオパトラの眉が少し動いた。
「……女の子?」
「林間学校で、足首を怪我した子がいて。テーピングを巻いて——それで話すようになって」
「どんな子?」
「まっすぐな人です。クレオパトラさんに少し似てる」
「わたしに?」
「思ったことをためらわずに言う」
クレオパトラが少し黙った。
「……それで?」
「学校に戻ってから話しかけていいかって言われました」
「あなたはなんと答えた」
「別にいいですよ、って」
クレオパトラが目を閉じた。
「……太郎」
「はい」
「それは減点よ」
「え」
「『別にいいですよ』は、ありがとうと言うべき場面だった」
「……そうですか」
「話しかけたいと思われることは、嬉しいことよ。それを『別に』で受け取るのは——相手に失礼」
太郎が少し考えた。
「……次は、ありがとうと言います」
「そうしなさい」
「はい」
「……どんな子だって言ったっけ」
「まっすぐな人です」
「名前は」
「宮本さくら」
クレオパトラが、少し、にっこりした。
「さくら」
「うちの妹と同じで、ちょっと変な感じがします」
「世界は狭いのよ」
「そうですか」
「……その子のこと、ちゃんと見なさい」
「見る、というのは」
「焦らなくていい。でも——目を背けるな」
太郎が少し黙った。
「……わかりました」
さくらが太郎の腕を引っ張った。
「お兄ちゃん、ゲームしよ!!約束だよ!!」
「するよ」
「やったー!!信長もやろ!!」
「……うむ」
信長がさくらの隣に座った。
太郎もその隣に座った。
ゲームが始まった。
三人で、画面を見ていた。
リビングに、にぎやかな声が戻ってきた。
秀吉が「拙者も混ぜろ!!」と言って入ってきた。
謙信が「義のあるゲームか」と聞いた。
ナポレオンが「戦略性が足りない」と言った。
信玄が「もうすぐ飯だ、食ったらやれ」と言った。
クレオパトラが「観戦するわ」と言った。
父が「おかえり太郎」と言いながらビールを開けた。
ほうとうの匂いが、リビングに満ちた。
【ナレーション】
林間学校、三泊四日。
太郎が得たもの——
木村健太という、本物の友達。
信玄に教わったことが、確かに役に立つという実感。
暗闇でも、一歩ずつ歩けるという自信。
そして——
宮本さくらという、名前の女の子のこと。
まだわからない。
好きかどうかも、どうしたいかも、まだ何もわからない。
でも——クレオパトラが言った。
「目を背けるな」
背けない。
ちゃんと——見る。
それだけは、決めた。
太郎がゲームをしながら、リュックの中の包みを思い出した。
宮本さくらからもらった、施設の売店の包み。
「……中身なんだろう」
「何かもらったのか太郎殿!!」
秀吉が反応した。
「……林間学校で、知り合いからお礼でもらいました」
「開けんのか!!」
「あとで」
「今開けろ!!」
「あとでいいです」
「なんで!!」
「……なんとなく」
太郎が少し赤くなった。
信長が横目で見た。
「……女か」
「言わないでください」
「……顔が赤い」
「言わないでください!!」
さくらが目を輝かせた。
「お兄ちゃん、女の子にプレゼントもらったの!?!?」
「プレゼントじゃない、お礼です」
「どんな子!?かわいい!?」
「知りません」
「嘘だー!!」
「嘘じゃない!!」
リビングが爆笑した。
ナポレオンが「フン、恋愛も戦略だ」と言った。
謙信が「義のある交際を心がけよ」と言った。
秀吉が「太郎殿に春が来た!!」と叫んだ。
信玄が台所から「飯の前に騒ぐな」と言った。
クレオパトラが「黙って見守りなさい、あなたたち」と言った。
信長が——何も言わなかった。
ただ、ゲームの手を止めて、太郎の横顔を見た。
そして——
ほんの少しだけ。
口元が、緩んだ。
「ご飯できたぞ」
信玄の声。
全員が食卓に集まった。
ほうとうが、湯気を立てていた。
「いただきます」
全員の声が揃った。
太郎はほうとうをひとくち食べた。
温かかった。
【ナレーション】
佐藤太郎の林間学校は、こうして終わった。
三泊四日で——
太郎は少しだけ、変わった。
変わったというより——
もともと持っていたものが、少し、形になった。
信玄の「温かさ」。
謙信の「芯」。
信長の「正直さ」。
秀吉の「人を大切にする心」。
ナポレオンの「諦めない力」。
クレオパトラの「目を背けない勇気」。
全部——もうとっくに、太郎の中にあった。
ただ、使い方がわかっていなかっただけだ。
山の中で、暗闇の中で、川沿いの道で——
それが、少しずつ、使えるようになった。
これが、成長というものだ。
たぶん。
そして——
宮本さくらは、その日の夜。
スマートフォンのメモに、一行書いた。
「佐藤くんのこと、もっと知りたい」
書いて、少し考えて——
消さなかった。
第八話・完
次回もお楽しみに




