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第1話 本の中の王国

 俺は赤野(あかの)トビラ。至って平凡な高校生だ。

 ただ一つだけ、ちょっと変わった特技を持っていて――

 本の中(・)の(・)世(・)界(・)に入ることができる。


 毎日、暇ができるたびに、昼でも夜でも好きな本の中に入って過ごしている。

 俺以外の人間にとっては何の役にも立たない、自己満足の趣味にしか使えない能力だ。

 だから、こんな変な力を持ってることは、ずっと秘密にしてきたのに――


「ちょっと、聞いてるの!? あたしも連れてってー!!」

「赤野、なんとか言え。そのローブ、脱がして丸裸にしてやろうか」

「わたしもなんでもするから~っ! ご主人様、お願い~っ!!」

「や、やめろって! 君たち、くっつきすぎ……っ!」


 クラスの女子三人に揉みくちゃにされて、色々押し当てられて――

 なんで俺は、こんな状況になっているのか。

 それを説明するには、少し時間を遡る必要がある。


   *


「なんだ、もう帰るのか?」

「すまないアルドル。この後、予定があるんだ」

 ここはソムニア城の一角にある、騎士団の執務室。先日最終巻が発売された『ソムニアサーガ』というファンタジー小説の、中(・)の(・)世(・)界(・)だ。


 最近はこの作品にすっかりハマっていて、特にこのアルドルという中年騎士のファンになった。彼に会うため、たびたびこの世界に来て、同じ場面を繰り返し楽しんでいる。

 部屋の窓から覗く夕焼けは、すっかり見慣れた悲しげな色合いだった。


「ポルタよ、お前はいつも落ち着かんな。ふっと来て、ふっと帰ってしまう」

「悪いな。ゆっくりしたいのは山々なんだけど……」

 ちなみに俺は、この世界では『アルドルの友人の魔法研究者、ポルタ=リヴェラリス』という設定にしてある。別に偽名を騙(かた)る必要はないけど、本名のままでは抵抗があったので世界観に合わせたラテン語由来の名前を考えた。


「でも君だって、今は忙しいだろ? やっと騎士団に戻れたんだから」

「ハハッ、まあな! 人生、何が起こるかわからんものだ!」

「あはは……」

 何度経験したところで、笑顔を無理に作るのは胸が痛む。

 アルドルは明日、命を落とすのだ。魔族の軍勢が、王都を急襲して。

 未熟な勇者を守るため、最期まで誇り高く戦い抜いて、力尽きる。

 この世界で俺だけが、その変えられない運命を知っている。


「ところでポルタ、お前も宮仕えをする気はないか?」

「またその話か。冗談はやめてくれよ。俺はしがない魔法研究者だぞ?」

 ローブの裾をめくって細い腕を見せても、アルドルはにんまりと笑うだけ。これも俺にとっては何度も繰り返した、小芝居のようなやり取りだ。


「ハハハ、隠してもオレにはわかるぞ。お前は絶対に只者ではない。魔族との決戦も近そうだし、加勢してくれればこの上なく心強いのだが……?」

「だから、買いかぶりすぎだってば。俺、もう時間だから行かなくちゃ」

「おお、そうだった。引き止めてすまんな! とにかく、検討しておいてくれ!」

「何度聞かれても答えは同じだよ。じゃあ……またな」

「ああ、達者でな!」


 彼との再会は、決して叶わない。もちろん、本の中の世界に入り直せば、アルドルには何度でも会える。だがそのアルドルは、『今日俺と話したアルドル』ではないのだ。


   *


城門から出てすぐ、辺りは暗くなった。これもいつも通りだ。町外れまで続く静まり返った道を、今日の思い出を噛みしめるように歩いた。


 アルドルは、読者に人気のあるキャラだ。主人公の師匠的ポジションで、強くて優しい頼れる人物。豪快でさっぱりした性格だが気配りができる。見た目もいい。イケおじ好きの女性読者でなくても――男の俺から見ても、魅力的なキャラクターだった。

 そんな彼の突然の死は、多くのファンにとって大きな事件だった。反面、死によって彼の人気が確立したというのも皮肉な事実だ。主人公の成長を促すために、正しい道を示して死んでいく――その最期の勇姿によって、彼を心底好きになったという読者も多い。


 俺は彼の死を、今でも受け入れきれていない部分があるんだろう。だからこうして、彼の死の直前の心境が知りたくて、何度も会いに来てしまっているんだと思う。


「あーあ、帰りたくないな……」

 そんな想いとは裏腹に、宙空に手をかざすだけで、目の前に光のゲートが現れる。

 ゲートをくぐれば、景色は一変する。


 まず目に入るのは、背丈の三倍ほどはある巨大な本の壁。本棚に取り囲まれた、薄暗い円形の部屋。書斎と呼ぶには広すぎるが、図書館と呼ぶほどではない。

 ここは本の中と現実世界の間にある、中継地点だ。昔からの、俺だけの隠れ家――いや。正確に言えば俺以外にもう一匹、ここを知っている者はいるのだが。


「よっ、お疲れトビラ。どうだった、今回の旅は?」

 気安く話しかけてきたのが、その一名だ。俺が来るより先にここに住み着いていた、謎の存在。外見は、ふてぶてしい顔つきをした長毛種の猫。だが全く可愛くないダミ声で平然と人語を喋るので、本当に猫かどうかは怪しい。

 名前はモジャ。出会ってすぐ、当時の俺が名付けた。

 モジャモジャしてるからモジャでいいだろうという、我ながら雑なネーミングだ。


「ンだよオイ。挨拶ぐらいしろよな、ゴシュジンサマ~」

「白々しいんだよ。主人だなんて思ってないくせに」

 お喋りに付き合える心境でなかった俺は、モジャの前を素通りして、部屋の真ん中に置かれた宣誓台のような形の机へと向かった。


「ちぇっ、もう帰んのかよ。またなトビラ、元気出せよ」

 机の上には一冊のノートと、ソムニアサーガの単行本。

 ノートに手を触れると俺の身体がパッと光る。胡散臭い魔術師のローブ姿から、ノーブランドのジャージ姿へと早変わり。それから真っ直ぐ、ドアへと進む。先程通ってきた光の扉ではなく、最初からこの部屋にある唯一のドアを開けて――


「ん……――」

 意識が、現実世界に戻ってきた。俺は本の中に入った時と同じ姿勢で、自分の部屋のベッドに寝っ転がっている。胸の上には一冊の文庫本。『ソムニアサーガ』の単行本だ。

(朝か……。もう少し寝ときたいけど……)

 目覚ましが鳴り始めたので、仕方なく起き出した。


「トビラ、今日は私も父さんも何時に帰れるかわからないから。夕飯、適当に食べといてね」

「ああ、うん」

「そういえば、この間の模試のことだけど。父さんがきつく言ってたから私は控えたけど、真剣に将来のこと考えなさいよ。勉強ぐらいしか、あなたには取り柄がないんだから」

「…………」

 俺の返事を待たずに、母は玄関へと向かった。どのみちYES以外の答えを聞く気がないのなら、質問なんてしなければいいのに。


 母が無言のまま出かけていったのを見届けてから、俺はダラダラと身支度を始めた。


 今日も、普通の一日が始まる。この時はまだ、そう思っていた。


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