エピローグ
「死ぬ、死んじゃう。誰か助けろ助けろ助けろ助けろたすげで」
さる小国の首都に、威風堂々と構えられた王城。その中の一室――王太子の部屋。
国の頂点に座るはずの男が住まう場所に、亡者の怨嗟の声が響いていた。
されど、城の者達は誰一人としてその声に応えることは無い。何故ならば、それは王命であり、神の意志なのだから。
「フランク様……まだ筋肉に余力がありますわ。全て出し切ってこそ、次の成長に繋がるのです!」
亡者の声の主は、この国の王太子フランク。とある夜会で確信犯的に大問題を起こし、責任問題に自発的に全力で発展させた男である。
本来、常に気品を持ち、優雅で華麗な所作を求められるはずの男は、今上半身裸でその命の灯火を消そうとしていた。生きているのでやっと……そんな状態から、更に追い詰めようとしている者がいるのだ。
言うまでも無く、フランクの婚約者にして筋肉に選ばれし令嬢、ジュリエットである。
「フランク様、このままだと死にません?」
「大丈夫です。経験上、この状態になってから後五分はいけます」
王太子と婚約者。二人っきりでいるのが自然はずの空間に、もう一人女性がいた。
彼女の名はローズマリー。かつて男爵令嬢という身分でありながら王妃の座を狙い、様々な暗躍を行った美少女である。
一人優雅に紅茶をのみながら、その視線の先には大量の書類が存在していた。本来王太子であるフランクが処理すべき事務仕事だ。
あの日――フランクが自らの地位と権力を永遠に捨てる代わりに婚約者から逃げる、という計画を立てた日。
その騒動の顛末は、王子の筋肉不足という点をついて解決した。何を言っているかわからない? それは修行が足りていない。
……解説するならば、ジュリエットにとって最も大切なのは、筋肉なのだ。
浮気だの国庫の金を使った浪費だの貴族の常識的にあり得ない侮辱だの、そんなものよりも筋肉不足の方が問題なのだ。というか、金が欲しいのならマッスルポーズ一つで(恐怖と共に)いくらでも出てくるし、侮辱なんて崇高な筋肉の美しさに対するもの以外は無に等しい……それがジュリエットの価値観である。
残る浮気も、そもそもフランクは王族であり、将来は側室や妾を持つべき立場にいる。ジュリエットは地位にも権力にも興味がなかったので、何なら自分が正妃で無くとも構わないくらいのスタンスであり、ローズマリーが好きだというのなら好きにすればいい程度にしか思わなかった。
とはいえ、もちろん仮にも自分の伴侶に近づいた女が取るに足らない雑魚ならば、筋肉で語るつもりであった。しかし、幸運というべきか不幸と言うべきか、ローズマリーはジュリエットから見ても大した女であった。
知力や礼儀作法などの、令嬢としての評価は素晴らしいの一言。更に情報操作や演技力にも長け、何よりもジュリエットを相手に真っ向から立ち会える胆力が素晴らしい。筋肉も合格点ではないにしろ令嬢という基準で見ればしっかりとついており、ジュリエット的にはローズマリーに好意こそ持てど嫌う理由などなかったのだ。
結果、ジュリエット的に不満だったのは王子の筋肉だけだった、ということである。
まだ何を言っているかわからない? ならば正常だ。
「フランク様の裁量で片付けるべき案件は処理しておきました。後はご本人のサインがあればいいです」
「では、サインする指の力だけは残しておきましょう」
「お願いします。それと、報告を幾つか照らし合わせたところ、何人かの領主の報告と実際の数字が大きくズレているところを発見しました。そちらも確認願います」
「あら? それはよろしくないですわね……ちょっと行ってきましょうか?」
「そうしていただけると助かります。ああ、それなら証拠書類を纏めますので、それを見せながらポジージングでも決めてきてください」
死にかけの王太子を放置し、何やら重大そうなことを話し合う令嬢二人。
結局、ジュリエットはフランクを罰することはしなかった。王家としては計画的にとんでもない醜聞をばらまいてくれたフランクに言いたいことはあるのだが、ジュリエットがいいというのならばそれ以上何も言うことは無かった。
そんなことよりも、ジュリエットはフランクに理想の筋肉を得るまで特訓することを求めた。ジュリエットも自分が例外的な、今でも敬愛する師の導きあってこその筋肉であることを自覚しているが、それでも男性でありながらフランクの筋肉は物足りなかったのだ。
一応、常識の範囲で鍛えてはいたのだが……非常識の権化がそれで納得するはずも無い。
その要望に王室が逆らうはずも無く、夜会での醜態は『ジュリエットに付き合って筋トレする』という、どんな悪魔でも納得せざるを得ない贖罪を持って許されてしまったのだった。
しかし、当たり前と言えば当たり前なのだが、王太子であるフランクには学業以外の王族としての仕事も多い。
その事務処理に関してはジュリエットでも手が出せなかったのだが、丁度いいところにその手のデスクワークと社交術の達人がいたのだ。
王太子フランク、第二の婚約者……第二夫人に内定することとなった、ローズマリーである。
彼女が幼いころに教えを受けた、師と呼ぶべき女性のうまれは貴族ということもあり、その手の仕事のやり方はマスターしていた。それこそ、フランクの数十倍の処理能力があるのだ。
更に王族としての縁つなぎや顔合わせ、外交などに関して言えば、その能力はフランクの数百倍といっても過言では無い。フランク王太子の代理として日々夜会や他国の使者との面会などを行い、その度に王家の信望者を作り出すことなどフランクには絶対に無理な仕事である。
そのおかげで、フランクは本人の意思を無視して地獄に落とされることになった。身体が動く内はジュリエットに地獄の筋トレを、肉体に一滴の力もなくなるところまで行った後は、ローズマリーによる書類仕事の仕上げと派閥に招き入れた貴族や豪商の情報記憶をやらされる。同時に、もう二度と王太子という身分から逃げないよう洗脳――もとい、教育を行うのだ。
頭も身体も一切休む事なく、超人レベルに付き合わされる……はっきり言って、廃嫡されて貧民として生きる方がまだ楽な人生を送れることだろう。
なにせ――
「ところで、マリーさん。見てくれない? 最近大腿筋のキレがいいと思わない?」
「素敵ですわ、ジュリエット様」
仲良く微笑み合う令嬢二人。この二人……意外なほどに意気投合しているのである。
数多の男を籠絡し、支配する魅惑の女王。唯一無二を求める美の探求者、絶対無敵の筋肉。
二人が求めているものは、違う。ローズマリーはより高く、より強い権力を。ジュリエットは、とにかくより逞しく強い筋肉を。
されど、そのためには必要なものがある……と言う点において、この二人の意見は一致した。
こんな小国の支配者になった程度では、ローズマリーは満足しない。
こんな小国に甘んじる程度の筋肉では、ジュリエットは満足しない。
故に、二人は固く手を組んだ。小国の女王などではなく、世界の支配者になるために。今のジュリエットの目を満足させるような、至高の筋肉を求めて。
世界に手を広げれば、きっと二人の超人を満足させるような何かがあるだろう。無いのならば、いつかは世界の外側を目指してみるのも面白い。
その存在を、ローズマリーとジュリエットは確信しているのだ。世界に限界など無く、どこまでも無限に広まっていると。
恋敵だから、敵対したから、排除して踏み潰すのでは真の勝利は手に入らない。時には相反する存在であっても協力し、同調し、進化する度量が求められるものなのだということを、二人は体現していた。
世界という至高の権力を手にするため、二人の令嬢は仲良く笑って前に進むのだ――
「……俺の、意見……は?」
一人死にかけている王太子の意見は、ただ風に流されていくのであった……。
なお、フランクの地獄のマッスル&インテリジェンストレーニングは、今後合格点を出されるまで十年かかったことをここに明記する。
その間にフランクという全てを投げ出した情けなかった男は死に、筋肉と頭脳を兼ね備えたスーパーキングへと生まれ変わった。
正妃ジュリエットが組織した剛力騎士団と、第二妃ローズマリーが組織した魅惑の親衛隊。絶対的な武力と、全てを支配する知力と魅力の精鋭達を従え、次々と領土を広げていき、やがて世界最大の国を作り上げることとなる。
その威厳と知力を持って、末永く続く大国の指導者として後世に語られることになるのだが、それはずっと先の話である。
最後に、偉大な指導者、フランクが今際の際に残した言葉を記そう。
「ジュリエット、ナイスバルク。マリー、ウツクシイ。キンニク、セイギ」
その言葉を理解できない後世の学者達が頭を悩ませることになるのは、また別の話だ……。
皆仲良く。それが幸せ。