カギを探そう
振り返ると、いろはが急な坂道を登れず手こずっていたので、手をとって引っぱりあげてやった。いろはは「ありがとぉ」なんて言って顔をあげたけど、その泣いている女の子を見て動きをぴたりと止めた。
「……わたし?」
となりでぼそっと呟いたその声は、聞き逃さなかった。
「どうしたん」
「え?あ、いや……」
なんて言葉にして良いのかわからない、そんな表情で俺の顔をみて、もう一度泣いている女の子に目を向ける。
「やっぱり、そうだ」
うわ言のように呟くから、少し恐いと思ってしまった。言葉を挟むのもなんだか憚られて様子を見ていると、まっすぐにその女の子を見据えて、一瞬たりとも視線を切らず歩み寄って、目の前でしゃがんで、微笑みかけてこう言った。
「どうしたの?こんなところで」
女の子は嗚咽を漏らしながらも、指の間からちらりといろはを見て、そして「おとしたの」と呟いた。
「おとしたの?何を?」
「かぎ」
「おうちのかぎ……じゃないよね」
女の子はこくんと頷く。
「……じゃあ、もしかして、タイムカプセルの鍵とか?」
いろはがそう尋ねると、女の子は驚いたようで涙を流しつつも顔から手を離し、目を見開いていろはを見ている。まるで「なんでわかったの?」と言いたげな表情だ。
その感想を抱いたのは俺も同じで、多分今鏡が目の前に有ったら「なんでわかったんだ?」って顔をしているのだろう。
「なんで、わかったん?」
女の子が真っ赤な目でいろはを見つめながらそう質問すると、当のいろははにっと笑ってからそっと女の子の両手を取った。
「そりゃあ、わかるよ。いろはちゃん」
「いろはのことしってるん?」
「うん、知ってる知ってる。もっとちっさい頃から知ってるで。あ、そうや!」
いろははごそごそと鞄の中を探り、包み紙に包まれたブロックチョコを取り出して女の子に差し出した。
「チョコレートはいかがでしょう。凍らしてるからちょっと硬いかもやけど、はい」
「ありがとう……」
女の子はいそいそと包み紙をあけて、チョコレートを口の中に入れた。もう涙は止まっていた。
横からそのやり取りを見ていて、そして先程までは両手で覆われていた女の子の顔が露わになった事で、俺はまさか、と2人の顔を横から見比べてみる。まさか、まさか……。そのまさか。この女の子は、どう見ても自分の子供の頃の記憶に居る、幼少時の西依いろはそのものだった。
「いろはちゃんって、まさか、マジで いろは なのか……!?一体、何が、どうなって……」
「んー、私だってよくわからんし、もしかしたらやっぱり夢なんかもしれんけど……でもうっすらと、こんな事があった気がするんよね……。夢の中に居たようなふわっとした記憶やけど……、誰かが傍に居てくれたような、キツネ様が案内してくれたような……って、前もこれ言ったっけ」
つまり。この泣いている女の子は幼少時のいろはで、どういう訳か高校生になった俺達は今、いろはが10年前に山で迷子になっているシーンに出くわしている。という事は、ここは地元の裏山の中のどこかか、そういえばタイムカプセルとか埋めた気がするな。……いや、それよりもまず、大きな、大きすぎる問題がひとつある。
「おいおい、じゃあ俺達は、えぇ……タイムスリップ……?そんな、ありえん、ありえんやろ……」
いくら映画や漫画やアニメやドラマで時を駆ける人々を見ても、それはそれ、現実にはありえないと(大抵の人はそうだと思うけど)思って生きてきたので、ますます混乱に拍車がかかってきた。ありえない、ありえないけど、この目の前の光景を否定するにはいったいどんな説明をすれば……。
「なぁ、いろはちゃん。ここに来たのってさ、タイムカプセルに入れ忘れたものがあるからやろ?」
「……うん」
「じゃあ、お姉ちゃんらと、一緒にカギ探そっか」
「ええの?」
「ええよ!任しとき」
こいつは頭が柔軟すぎる。普通はタイムスリップして目の前に子供の頃の自分が現れたらもっと驚くとか狼狽えるとか、……いや、この場合の普通ってなんだろう……この現象自体普通じゃないから、……意外とそんなものなのだろうか……。
「お、おいおい、ちょっと」
「なんよ」
不機嫌な表情でこちらを睨むいろはの耳に顔を寄せて、小声で問題を訴える。
「自分達の状況もようわからんのに、カギ探してる余裕なんかないって……!」
「……そりゃそうやけど、だからってこんなかわいい子が泣いてるのにほったらかしにしてええのっ?」
「自分で言うな……!!ほったらかしにしとくとは言ってないし、麓まで送ってあげれば……」
「いいや、そんなんじゃ、いろはちゃんは満足せえへん。私はあの時やりたいことをしっかりやったって満足感で満たされながら戻ってきたんやから!仮に今私達が過去に戻ってきているとして、この状況。いろはちゃんを助けられなかったり満足させへんと、たいむ、ぱどろっく?が起きて……」
「……タイムパラドックス?」
「そう、それ。それが起きて、はやてが体験したみたいな私の居ない世界が出来上がっていくんやで、きっと!それでもいいの!?」
「う……、よくは、無いけど……」
昔のハリウッド映画でそういう展開を見たことがあるぞ。まさかこの二日間の妙な消失やあべこべは、日曜の時点でこいつが過去に戻っていて、その影響でいつの間にかいろはが生きていない世界が出来て(つまり俺達がいろは(小)を助けられなかった世界)、そして俺はその世界に巻き込まれて……そんな事が起こっていたっていうのか?冗談だろ?頭がこんがらがってきた。
「ほら、わかったら私の言う通りにする!」
「……わかった、わかりました。多分」
「よろしい。いろはちゃんおまたせ!さ、鍵探そうか!」
「うんっ」
こうして俺達の山中鍵捜索作戦が開始された。いろは(小)がここでそういった理由で彷徨っているということは、この森はあの神社の裏にある山に間違いないだろう。そう思ってから辺りを見れば、どことなく見覚えのある風景な気がする。目の前にはいろは(小)といろは(大)が手をつないで歩くという見覚えもくそもある筈が無いありえない光景が現実にある訳だけども。このレアショットをカメラで撮影できないだろうかと、未だに日時表示がバグっている携帯電話を取り出してカメラを起動してみる。が、カメラが起動した瞬間から液晶に映し出されるのは真っ暗な画面のみ。
「はいはい、そういうのも無理って事ね……」
「ん?なんか言った?」
「いや、何も」
携帯電話を再びポケットにしまい、鍵が落ちていないか地面を凝視しながら歩く。だんだんと、異常現象が起きても驚いたり慄いたりしなくなってきた。とりあえず今は、この山の中に落としたらしいちっぽけな鍵を探すと言う途方もない行為を続けよう。そうすればいろは(小)は満足して、俺の一番よく知っているあの現実と同じルートを辿ってくれる。と思う。
「あれ、そう言えばキツネ様、いないね」
「あ」
周囲を見回してもまた姿が無い。忘れていたつもりはないのだけど、気付けば視界から消え去っていた。神出鬼没とはまさにこの事だ。
「もしかしたら鍵を探しに行ってくれてるんかも」
「やといいけど」
「いろはちゃんは、どの辺で鍵落としたかなーとかそういうの、わからへん?」
「んー、わからへん」
「最後に鍵みたのはいつ?」
「神社にはいるまえにみたとおもう」
「そっかそっか、じゃあ山の中で間違いは無さそうやねぇ、うんうん」
せめていろは(大)が当時の事を事細かく覚えていればその手順に沿ってスムーズに話が進められるのだろうが、残念なことに当の本人はあまり覚えていないと繰り返し言っている。自分の命の危機だったっていうのに呑気なもんだなおい。
もう探し始めてどれくらい時間が経っただろうか、携帯は役に立たないし、俺もいろはも時計を持っていない為正確な現在時刻や流れた時間はわからないが、体感では1時間くらいは軽く経過している気がする。不安定な山道をずっと歩いているせいか、いろは(小)にも疲労の色が見えた。
「大丈夫か?ちょっと休む?」
見かねてそう提案すると、いろは(大)も「そやね」と同意し、いろは(小)もこくんと頷いた。適当に座りやすそうな大きめの岩を見つけていろは(小)を座らせて、その左右にそれぞれ俺といろは(大)が座る。
「お茶あるけど、飲む?」
いろは(大)はそう言ってカバンから水筒を取り出してみせた。チョコレートといい色々持ってんな、とちょっと感心した。水筒を持って歩くのはわりと前からそうだったか。いろは(小)は大人しくお茶を受け取るとごくごくと飲み干してぷはっと息を吐いた。
「おぉ、我ながら良い飲みっぷり」
「?」
「あっ、いや、ごめんね、こっちの話」
なんとなくだが、自分達が未来の自分や自分の友達だといろは(小)に悟られてはならないと、二人ともが直感していた。だから、「未来の君とはやてだよー」なんて間違っても言わない。根拠は無いけど言ったらヤバい気がする。そもそも言っても信じないような気もするし、子供特有の純粋さで信じてしまう気もするし……。現状はもう、何もかもが手探りだ。そもそもこの山から無事俺達は帰ることが出来るんだろうか。だんだんと辺りも薄暗くなってきた気がするし、それなりに良く知っている山の筈なのに何か不気味と言うか……不気味と言う言葉は少し違う気がする、少ない語彙力から絞り出すとすればこれは……厳かだ。神社の中に居るときか、またはそれ以上に心身が引き締まるように感じる。長時間ここに居るのは勘弁させてもらいたいと思う。
「そういえば、いろは……ちゃんは、タイムカプセルに何を入れ忘れたん?」
少し気になった事を尋ねてみた。