『恋エグ3』第十七話 波乱の予感!? 生徒会合宿開幕!
十月。
暑さも幾分和らぎ、秋の気配が少しずつ深まり始めた頃。
生徒会の一行を乗せたワゴン車は、海を望む山あいにある老舗の温泉旅館へと向かい、緩やかな山道を走っていた。
目的地が近づくにつれ、車内は自然と高揚感に包まれていく。
「海が見えてきたでー! 絶景やん!」
助手席に座る環季が、窓の外を指さして声を上げた。
「本当ですね! キラキラしてて綺麗です!」
後部座席のヒマリも、思わず身を乗り出して目を輝かせる。
「ヒマちゃん、あんまり乗り出すと危ないよ。」
隣に座っていた良樹が、心配そうにヒマリの肩をそっと支えた。
「酔ったりしてない? はい、お茶。」
良樹はそう言って水筒を差し出す。
「ありがとう、よっちゃん!」
――その様子を、最後尾の席から見ていた凌が小さく舌打ちをする。
「……大嶌。あんまりヒマリを甘やかすなよ。」
すると、その隣でカメラを弄っていた斗真が、ふふっと穏やかに笑った。
「でも凌くん、さっきパーキングエリアでヒマリちゃんが好きそうな柑橘系のジュース、こっそり買い込んでたよね?」
「……っ!」
凌の動きが止まる。
「と、斗真! 別に、これは俺が飲む用で……」
言いながら、凌の顔が一瞬で朱に染まった。
「あら、会長。」
助手席の後ろで静かに書類を読んでいたソノが、くすりと笑みを漏らす。
「会長がジュースなんて珍しいですね。いつもミネラルウォーターしか飲まないのに。」
「ソノ!?」
「そうだったんですか?」
ヒマリが目を丸くする。
「ち、違っ……! たまには俺だってジュースくらい飲む! これは……熱中症予防の備品としてだな――」
「はいはい。そういうことにしておいてあげます。」
「だから違うっつってんだろ!」
にぎやかな会話が飛び交う車内。
やがてワゴン車は、緑に囲まれた趣ある木造旅館の敷地へと滑り込んだ。
◇
「うわぁ……!」
車から降りたヒマリは、思わず感嘆の声を上げた。
青々と茂る庭園。
年月を重ねた立派な木造の建物。
そして、どこか懐かしさを感じさせる趣ある玄関。
「すごく雰囲気のある、素敵なところですね!」
「よし。まずは荷物を部屋に運ぶぞ!」
凌が自分の荷物を抱え、先頭に立つ。
「あ、会長!」
ヒマリが慌てて後を追う。
「部屋割りって、どうなってるんですか?」
その問いに、凌はぴたりと足を止めた。
「部屋は二つだ。女子部屋はソノとヒマリ。」
「わぁ!」
ヒマリの顔がぱっと輝く。
「ソノ先輩と一緒の部屋、楽しみです!」
そう言ってソノの両手をぎゅっと握ると、ソノも嬉しそうに目元を緩めた。
「私もです。よろしくお願いしますね。」
「で、男子部屋は……俺と斗真、環季、大嶌の四人。」
その答えを聞いた瞬間、環季は凌の肩をぽんと叩いた。
「……凌。今夜は長い夜になりそうやな。」
「なんだよ、その含みのある言い方は。」
環季は意味ありげに口元を緩める。
「いや〜、熱い男同士の腹の探り合いが楽しみやなぁ思て。」
「探り合いなんかするか!」
凌の怒鳴り声に、斗真は静かに笑みを浮かべた。
(……探り合い、か)
絢との会話。そして、体育祭以降、斗真の心は驚くほど澄み渡っていた。
自分の気持ちを誤魔化さず、さらけ出すこと。
それは気恥ずかしくもあり――けれど、どこか心地良かった。
次こそは、ちゃんと伝えたい。
ヒマリを特別に愛おしく思う気持ちも。
他の誰にも渡したくないという、自分のわがままも。
「さぁ! 早く荷物を部屋に運んで、海でバーベキューするぞ!」
「「「「おー!」」」」
◇
旅館の裏手を抜けるとそこには、青く広がる海があった。
穏やかな波が白い砂浜に打ち寄せる。
潮の香りを含んだ風が、優しく頬を撫でていった。
「うわぁ……!」
ヒマリは思わず足を止める。
目の前いっぱいに広がる、青い海。
太陽の光を受けた水面が、宝石を散りばめたようにきらきらと輝いていた。
「よし! 肉焼くぞー!」
凌が張り切って、バーベキュー用の具材を網の近くに並べていく。
「待ってください、会長!」
良樹が慌てて制止した。
「まだ炭に火がついてませんから。ここは僕に任せてください!」
そう言うと、良樹は慣れた手つきで火起こしを始める。
「大嶌……手慣れてるな」
凌が感心したように尋ねた。
「よくするのか?」
「はい! 海外では、よく家族で庭先バーベキューをしてました!」
「へぇ……。」
手際よく炭に火を起こしていく良樹を見て、凌はぐうの音も出ない。
やがて火が安定すると、良樹は具材を網に並べ始めた。
「ヒマちゃん。お肉焼けたら持っていくから、ちょっと待っててね」
「えっ!? お肉!?」
ヒマリの目がきらりと輝く。
「やったーー!」
「……食い意地はってんな。」
凌が呆れたように呟いた。
その横では、ソノがみんなに飲み物を配っていた。
「はい、ヒマリさん。オレンジジュースでいいですか?」
「はい! ソノ先輩、ありがとうございます!」
「俺はスポドリにするわ!」
「じゃあ、僕は烏龍茶をもらおうかな?」
「えっと……僕はコーラをいただきます。」
環季、斗真、良樹がそれぞれ飲み物を受け取っていく。
「会長、ミネラルウォーターでいいですよね?」
ソノが凌にペットボトルを差し出した。
「ああ。サンキュー」
その様子を、ヒマリはじっと見つめていた。
(さっきの車の中でも思ったけど……)
ソノは、よく凌の好みを知っている。
飲み物の好みも。
そして――何気ない仕草や表情の変化まで。
(これって、やっぱり……)
ヒマリの脳内で、ある可能性が色濃く膨らんでいく。
「はい、ヒマちゃん。どうぞ。」
気がつけば、良樹がお皿いっぱいに肉や野菜を盛って、ヒマリのもとへやってきていた。
「よっちゃん! ありがとう!」
「どういたしまして。」
ヒマリの笑顔を、良樹は眩しそうに見つめる。
「このあとの肝試し、楽しみだね。」
「えぇっ!?」
ヒマリの顔が一瞬で引きつった。
「私はそういうの、苦手なんだけど……。」
「ふふっ。」
良樹が楽しそうに笑う。
「じゃあ、もしヒマちゃんと僕がペアになったら……ずっと手を握っててあげる。」
少しだけヒマリとの距離を縮めて、良樹が囁く。
「……っ!」
幼い頃と違う。
少し大人びた良樹の表情に、ヒマリの心臓がどきりと跳ねた。
「よっちゃん……!」
その時だった。
二人の間に割って入るように、斗真が横から姿を現す。
「海鮮も焼けたよ?」
そう言って、エビやイカをヒマリの皿へと盛っていく。
「わっ! 海鮮も美味しそう! 水川先輩、ありがとうございます!」
「どういたしまして。」
斗真はにこりと笑ったあと、良樹へ視線を向けた。
「大嶌くん、ちょっと火が弱まってるみたいなんだ。焼き場の様子を見てきてもらってもいい?」
「あ……はい。分かりました。」
良樹は一瞬ヒマリを見つめたあと、名残惜しそうにその場を離れていった。
斗真は改めて、ヒマリに向き直る。
「ヒマリちゃん。合宿、楽しい?」
「はいっ! とっても!」
その答えに、斗真はふっと目尻を下げた。
「……良かった。」
優しく、温かい眼差し。
以前とはどこか違う斗真の笑顔に、ヒマリは首を傾げる。
「水川先輩……なんだか雰囲気が変わりましたね?」
「そう?」
「はい。笑い方が違うというか……。今はなんだか、とても楽しそうです!」
斗真は一瞬、目を見開いた。
けれどすぐに、以前よりも自然な笑みを浮かべる。
「これからは僕も……自分を誤魔化さないで、本気で向き合おうって思えたんだ。」
「水川先輩……。」
「はいはーい。」
二人の会話を遮るように、今度は環季が現れた。
「お二人さん。お話の途中、お邪魔するで〜。」
「滝沢先輩!」
環季の手には、香ばしく焼き上がったとうもろこし。
「わぁ! 焼きとうもろこし!」
「美味そうやろ?」
環季が得意げに笑う。
「俺が焼いたんやで?」
「本当に、滝沢先輩は何でも器用ですよね!」
ヒマリが無邪気に褒めると、環季は少し照れたように笑った。
「そんなことあらへんよ〜。」
そう言いながら、環季はちらりと斗真を見る。
その視線を受けて、斗真は苦笑した。
「じゃあ、ヒマリちゃん。」
斗真はゆっくりと立ち上がる。
「……また後でね。」
「はい!」
斗真がその場を離れると、環季は空いた場所に腰を下ろした。
「ヒマリ、美味いか?」
「はい、とっても!」
嬉しそうにとうもろこしを頬張るヒマリ。
そんな彼女を見て、環季は思わず笑みを浮かべた。
――その時。
ヒマリが、何かを思い出したように顔を上げた。
「あの……滝沢先輩。」
「ん?」
「滝沢先輩は、ソノ先輩と凌会長のこと……どう思いますか?」
「……へ?」
思ってもみなかった話題に、環季は目を丸くする。
「凌とソノ先輩?」
「はい!」
ヒマリは真剣な顔で頷いた。
「私……ソノ先輩って、凌会長のこと好きなんじゃないかって思うんですよね。」
「……。」
「凌会長も、まんざらじゃないっていうか……。一緒に話してる時、すごく楽しそうですし……。」
「……。」
確かに、ソノは凌のことを気にかけている。
けれど、それが恋心なのかと言われれば――正直、環季にも分からない。
一方、凌に関しては。
(……いや、あいつはどう見ても。)
間違いなくヒマリを異性として意識している。
けれど――。
(そんな敵に塩を送るようなこと、俺がする必要あらへんよな?)
環季は、にっこりと笑った。
「うーん……俺もよう分からへんけど。」
わざとらしく首を傾げる。
「確かに、仲良さそうには見えるなぁ。」
「ですよね!?」
ヒマリの目が輝いた。
「ひょっとしたら、ヒマリの勘、当たっとるかもしれへんで?」
「やっぱり!」
ヒマリはぱっと顔を明るくした。
「じゃあ私、ソノ先輩のこと応援しなくちゃ!」
「……。」
環季は、少しだけ目を細める。
(凌……堪忍な?)
心の中で、そっと謝った。
(こーいうのも、戦略っちゅーやつやから)
「おい、ヒマリ!」
その時、少し離れた場所から凌の声が飛んできた。
「何でお前、食ってばっかなんだよ! こっちも手伝え!」
「はいっ! すみません!」
ヒマリは慌てて立ち上がる。
「じゃあ、滝沢先輩! 行ってきますね!」
「ああ。」
ヒマリは少しだけ声を潜めた。
「それと……今の話は、私たちだけの秘密ですよ?」
「ああ。分かっとる。」
環季は口元を緩める。
「俺らだけの秘密な。」
「すみません、凌会長! 私は何をしたらいいですか?」
「一通り全部焼き終わったから、片付けを手伝ってくれ」
「了解です!」
そこへ、ゴミ袋を持ったソノがやってきた。
「会長。こちらはあらかた片付きました。」
「ああ。ありがとな!」
「いえ。」
ソノはふと、凌の顔を見つめる。
「あ……会長。顔に煤が……。」
「ん?」
凌が首を傾げた、その瞬間。
ソノがそっと手を伸ばし、親指で凌の頬についた煤をぬぐった。
「……取れました。」
「……ああ。」
ほんの一瞬。
二人の間に、静かな空気が流れる。
背景には、青い海と澄み渡る空。
そして、秋の日差しにきらめく水面。
その光景が、ヒマリにはまるで一枚のイラストのように見えた。
(うわぁ……この二人……お似合いだぁ。)
ヒマリは、思わず拳を握る。
胸の奥が、なぜか少しだけ苦しかった。
(あれ? 私……二人のこと、応援したいんだよね……?)
ヒマリは首を傾げる。
目の前の二人を見つめながら、胸の奥に引っかかった何かを、ヒマリはまだ言葉にできずにいた。
――それぞれの想いを胸に。
生徒会の合宿は、静かに幕を開けた。




