第十八話 文化祭前編〜チート能力が効きません!?
文化祭当日――。
色とりどりの装飾が廊下を彩り、手作りの看板が並ぶ。
教室からは焼きそばの香ばしい匂いや甘いお菓子の香りが漂い、あちこちから弾けるような笑い声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませー!」
「次の公演、あと十分で始まりまーす!」
「こっちの店、空いてるよー!」
非日常に浮き立つ生徒たちの声が、校内を賑やかに満たしている。
胸が高鳴る。けれど、その一方で――。
私の脳裏には、『恋エグ』で何度も見た光景が浮かんでいた。
本来のシナリオでは、生徒会は文化祭の目玉として『シンデレラ』の劇を上演するはずだった。
シンデレラ役はサクラちゃん。
王子役は、その時点で最も好感度の高い攻略対象が務めるシステム。
(サクラちゃんのシンデレラ、見たかったなぁ。)
律なら、顔を真っ赤にしながらも一生懸命なツンデレ王子。
豪なら、誰よりも真っ直ぐな爽やか王子。
絢なら、優雅で誰もが見惚れる麗しい王子。
烈なら、観客をざわつかせるくらいの色気たっぷり王子。
冴なら、洗練された所作で魅了する完璧王子。
思わず笑いそうになって、その笑みは途中で消えた。
そのイベントはもう存在しない――
今回の不審者調査のため事前の準備ができず、結局出し物は過去の展示物を掲示するだけになった。
本来存在するはずだったイベントが、静かに消えていた。
私の知っている『恋エグ』が、少しずつ形を変えている――
隣を歩く冴が、ふとこちらを見下ろした。
「……玲。」
「はい?」
「浮かない顔をしている。どうした? 退屈か?」
「あっ、違います違います!」
私は慌てて両手を振った。
「今回、例の件で忙しくて生徒会は出し物ができなかったから、ちょっと残念だなって思って。」
「……そうか。」
冴はわずかに目を伏せた。
「……ならいい。」
「?」
「……このまま、何も起こらなければいいんだがな。」
「そうですね。」
私は気持ちを切り替えるように笑った。
「とりあえず、視察を兼ねて各教室を回っていきましょう! 生徒会のみんなも、それぞれ企画に参加してるはずですし!」
「あぁ。」
冴が静かに頷く。
こうして私たちは、文化祭の賑わいの中へと足を踏み入れた。
二年生の教室では、各クラス合同で縁日を開催していた。
「いらっしゃいませー!」
「ヨーヨーすくい、まだ空いてまーす!」
「りんご飴、今できたてだよー!」
その他にも、射的、くじ引き、輪投げ――。
定番の屋台が所狭しと並び、生徒や保護者たちで賑わっている。
「……あ。」
その中で、ひときわ見慣れた姿と目が合った。
「玲!」
射的の店番をしていた律が、ぱっと表情を明るくした。
「視察お疲れさま! よかったら射的やっていかない?」
「律の方こそお疲れさま! ちゃんと店番やってるんだ! えらいね!」
「……あたりまえでしょ?」
律はむっと頬を膨らませる。
「あんまり子ども扱いしないでよね?」
「ごめんごめん!」
私は苦笑しながら財布を取り出した。
「じゃあ、せっかくだし一回やらせてもらおうかな!」
ゴム銃を受け取り、私は景品棚へ視線を向ける。
そして、一番上に飾られた小さな特賞を見つけた。
(あっ、これ! 見覚えがある。ミニゲームのデモプレイで何十回もやったやつだ。右上を狙えば簡単に落とせる仕様だったはず……楽勝、楽勝♪)
パシッ。
放たれたゴムは、景品の土台をかすめただけだった。
「……あれ?」
(おかしいな。もう一発。)
パシッ。
今度は的のすぐ横を通り過ぎる。
「えっ?」
(そんなはずない。このミニゲーム、何十回もやったのに……。それにいつものチート能力なら、簡単にできるはず……。)
「な、なんで……?」
違和感に首を傾げた、その時。
「貸してみろ。」
冴が静かに手を差し出した。
「あっ、はい。」
銃を受け取った冴は、顔の横で自然に構える。
無駄のない所作。そして――。
パシッ。
ゴムは一直線に飛び、一番上の特賞を正確に射抜いた。
カタン。景品が落ちる。
「わぁっ!!」
「すごーい!!」
周囲から歓声が上がった。
「冴先輩、一発で……!」
「大したことはない。」
当然だと言わんばかりに、涼しい顔で銃を返してくる。
「はーい。特賞はこちらでーす。」
律が景品を持ってきた。
けれど、その表情は少しだけ複雑そうだ。
「……あーあ。俺が当てて、玲と行くつもりだったのに。」
「え?」
「特賞はテーマパークのペア入場券です」
律は口をむっと尖らせながら、冴へ入場券を手渡した。
「結構頑張って用意したんだよ? 人気景品なんだから。」
冴はそれを受け取ると、しばらく眺め――そして、迷いなく私へ差し出した。
「これが欲しかったんだろう?」
「えっ!? 冴先輩、いいんですか!?」
「あぁ。」
冴先輩は淡々と答える。
「もともとお前の残り玉だったしな。それに――」
アイスブルーの瞳が、まっすぐこちらを見つめた。
「私が使うより、お前が選んで使ってほしい。お前が一緒に行きたい奴を誘え。その上で私を選ぶなら、喜んで引き受ける。」
「はい。……ありがとうございます。」
いつも通りの無表情――だがそこに優しさが滲んでいるのが分かる。
冴から受け取ったチケットを眺めながら考える――私は一体誰と行きたいんだろう?
特賞を当ててくれた冴先輩?
一緒に行きたいと言ってくれた律?
それとも、他の誰か――?
(……そういえば、この特賞って本来はサクラちゃんが当てて……気になる相手を誘うイベントだっけ。……私が持ってていいのかな?)
そんなことを考えていた時、絢が教室にいる私たちを見つけて声をかけてきた。
「あっ、黒崎先輩。ちょっとよろしいですか? 確認していただきたいことがありまして……」
「絢? どうしたの?」
「すみません、玲。急ぎの用で……黒崎先輩をお借りしてもいいですか?」
「う、うん。……私は行かなくていいの?」
「はい、大丈夫ですよ。玲の手を煩わせる程ではありませんから……」
にっこりと、いつも通り美しい笑顔が返ってくる。
「玲、すまないがあとは一人で回れるか? 心配なら他の奴をつけるが……」
「大丈夫ですよ、冴先輩! あとは自分で回れますから。ありがとうございます!」
冴と絢の背中を見送って、私は一人隣の教室へ入る。
そこには縁日とはまた違った非日常――メイド&執事喫茶が広がっていた。
教室に入るや否や、私の姿を見つけたサクラが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「玲会長、いらっしゃいませ! ご注文は何になさいますかっ?」
ふわりと揺れる純白のエプロンドレスに、レースのカチューシャ。
まるで絵本から飛び出してきたような可愛らしいメイド姿で、サクラが出迎えてくれた。
(か、可愛い……!! シンデレラ衣装にも負けてない!)
「サクラちゃん、その衣装すごく似合ってるね!」
「ありがとうございますっ!」
純白のエプロンドレスの裾をふわりと揺らしながら、サクラは嬉しそうに笑った。
「せっかくだし、何かいただこうかな……おすすめは何?」
「そうですね~。ハニートーストはどうですか? 一番人気なんですっ!」
「じゃあ、それでお願い!」
「かしこまりましたっ!」
ぺこりと頭を下げると、サクラちゃんはパタパタと小走りで厨房スペースへ戻っていく。
すると、入れ替わるように一人の執事が姿を現した。
「お、如月。来てたのか」
「豪!」
黒を基調とした執事服に白い手袋。
いつものラフな雰囲気とは違い、背筋を伸ばした豪はまるで本物の執事のようだった。
「豪、かっこいいね! 似合ってる!」
「そ、そうか? ……こういうの着慣れないから戸惑うな。お前なら着こなすんだろうけど」
照れくさそうに頭をかく豪。
そこへ、サクラがハニートーストを持ってやってきた。
「お待たせしました〜。ハニートーストで……きゃっ!」
サクラが足元に躓いて転びそうになる。
「あっ、危ない!」
倒れそうになった身体を、豪がとっさに抱き止めた。
「大丈夫か?」
「は、はい……ありがとうございますっ」
サクラの細い身体を支える豪と、驚いて見上げるサクラ。
文化祭の喧騒の中――一枚のスチルのように絵になる二人。
(うわぁ~、豪サクだぁ〜)
眼前に広がる光景に、思わず頬が緩む。
でも、なぜだろう?
チリッ。
それは一瞬で消えてしまう程のほんの小さな痛み。
(あれ……? なんだろう? ……疲れてるのかな?)
自分でもよく分からない感情に首を傾げる。
私は二人にお礼を言うと、教室を後にした。
(とりあえず疲れたし、生徒会室に戻ろう!)
気持ちを切り替えるように軽く伸びをして、生徒会室へ向かう。
賑やかな喧騒が少し遠ざかる。
その背中を――。
誰かがじっと見つめていることに、私はまだ気づいていなかった。




