死体はまだ温かい
死体はまだ温かい
雨だった。
魔王城の石畳を叩く雨は黒く、鉄臭かった。
空が泣いているというより、世界そのものが腐っているような雨だ。
レインは濡れた外套の襟を引き上げ、崩れた城門をくぐった。
足元で、ぐしゃり、と何かが潰れる。
人間の手だった。
銀の籠手をはめたまま、泥に沈んでいる。
「踏むなよ。あとで数える」
後ろからガルクが言った。
大斧を肩に担ぎ、酒瓶みたいな鼻を赤くしている。
「右腕が足りねえと報告書が面倒だ」
「……了解」
レインは手を拾い、荷袋へ放り込んだ。
城の中は静かだった。
静かすぎた。
数時間前まで、ここでは世界を揺るがす戦争が起きていたはずなのに。
壁には焼け焦げた跡。
天井には巨大な爪痕。
そして、死体。
兵士。
魔物。
僧侶。
誰も彼も区別なく転がっている。
勝者も敗者も、死ねば同じ肉だった。
「勇者様御一行は?」
レインが訊く。
ガルクは鼻を鳴らした。
「さっき出た。 王都で祝賀会だとよ」
「魔王の死体は?」
「置きっぱなし」
最低だな、とセシリアが吐き捨てた。
白い法衣の裾を持ち上げながら、嫌悪を隠そうともしない。
彼女は昨日、王都から派遣されてきた監察官だった。
まだ鎧も綺麗だ。
人を殺した匂いが染みついていない。
「世界を救った英雄がやることですか?」
「英雄ってのは忙しいんだよ」
ガルクは笑った。
「喝采浴びたり、歴史に名前刻んだりな」
レインは何も言わなかった。
正面の大扉が半分吹き飛んでいる。
その先。
玉座の間。
空気が違った。
ぬるい。
生臭い。
肺の奥に、何かがへばりつく。
セシリアが顔をしかめた。
「……なんですか、この臭い」
「魔力腐敗だ」
ガルクが短く答える。
「吸いすぎると頭が割れるぞ」
玉座の間は広かった。
そして、壊れていた。
床は陥没し、巨大な裂け目が走っている。
壁一面に血。
その中央。
黒い巨人が倒れていた。
魔王。
角は折れ、胸部は抉れ、左腕が消えている。
なのに。
死体は、まだ温かそうだった。
レインは近づく。
巨大な体。
黒曜石みたいな皮膚。
だが、顔だけは妙に人間に近い。
眠っているように見えた。
「……これを運ぶのか」
セシリアの声が震える。
「正確には、解体して運ぶ」
レインは腰の解体ナイフを抜いた。
銀製。
魔力汚染を防ぐ特殊加工。
刃を入れた瞬間。
ぶち、と。
魔王の指が動いた。
セシリアが悲鳴を上げる。
「まだ生きて――!」
「死んでる」
レインは冷静だった。
「死後痙攣だ」
だが。
次の瞬間。
部屋の奥で、誰かが笑った。
かはっ。
かは、はは。
三人が振り向く。
玉座の影。
そこに男が座っていた。
勇者パーティーの魔術師だった。
名前は確か、ディオン。
金髪の秀才。
王国最年少の大賢者。
――だった男。
彼は自分の腹を裂いていた。
腸を引きずり出しながら、笑っている。
「見えるんだ……っ」
血まみれの顔が、こちらを向く。
「未来が……! 全部……!」
レインは即座に理解した。
魔王の右目。
未来視の呪い。
ディオンは“見すぎた”。
「下がれ!」
ガルクが怒鳴る。
だがディオンは笑ったまま、床を這った。
「勇者は……っ、間違えた……!」
ぐちゃ。
自分で喉を掻き切る。
血が噴いた。
セシリアが凍りつく。
ガルクは舌打ちした。
「クソが。污染が回ってやがる」
レインだけが、黙って死体を見ていた。
ディオンの目。
瞳孔が開ききっている。
恐怖。
絶望。
そして――後悔。
まるで、“世界を救った”ことを悔やむような顔だった。
その時。
どくん。
音がした。
レインは顔を上げる。
魔王の胸部。
抉れた空洞の奥。
赤黒い塊が、脈打っていた。
心臓。
生きている。
どくん。
どくん。
その音だけが、やけに鮮明だった。
ガルクが低く呟く。
「……最悪だ」
「心臓が停止してない?」
セシリアの声が掠れる。
「ありえません……」
「あるんだよ」
ガルクは棺型の封印箱を下ろした。
「だから俺らの仕事がある」
レインが心臓へ近づく。
熱があった。
生き物みたいに。
いや。
生き物だった。
彼は銀の鉤を差し込み、心臓を引きずり出す。
瞬間。
声が聞こえた。
『いた』
レインの手が止まる。
誰も喋っていない。
『やっと見つけた』
少女の声だった。
幼い。
柔らかい。
なのに、底が冷たい。
レインは周囲を見る。
ガルクもセシリアも反応していない。
聞こえていない。
『ねえ』
どくん。
『あなた、腐ってないね』
レインは心臓を見下ろした。
赤黒い肉塊が、確かに脈打っている。
そして。
それは笑った気がした。




