1-57.宝石オババ
イオルとガングーは路地を曲がり、その姿はすぐに見えなくなった。
菖蒲色の館へ向かおうと、グエンは一拍置いてから歩き出す。
細い道路を横断し、菖蒲色の幕に覆われた館の正面で足を止めた。
デラダンが横に並び、エリエラは二人の後ろに立つ。
エリエラの背に隠れるように、キトは肩をすぼめ、おずおずと声を絞り出した。
「……あの、あのね、ここ前きたときは……ああいう人いなくて……その……」
「ん?」
グエンは足を止める。
キトはあのような変質者がいる危ない場所、という認識がないままガイドをしたことに後ろめたさを感じているようで、エリエラの後ろに隠れ、身を縮めていた。
グエンは首を伸ばしてエリエラの背を覗き込むと、キトの目を見て笑った。
「ははは、いいんじゃないか? ちょっと秘密があるって場所は、こういうこともあるもんだ。普通じゃないもんを売ろうってんだからな。買い取り先も普通じゃないってのは、ある意味普通だ。それに、売るならここが一番なんだろ、なあ、デラダン」
「うっす。ムロージ商会もここに流してるんで、間違いはねえっす」
「けど、一般人からの買取りもしてるんだろ。キトが来たことあるわけだし」
「い、一回だけ……お使いで。女の子がいたよ」
「アッシは中に入ったことねえっす。売り物になるリクセンの核なんて、おいそれと手に入るもんじゃねえんで」
「なるほどな。キトは、その女の子と話したのか?」
「う、うん。荷物を渡したら、ありがとって言われた」
「ほかに何かあったか?」
「え、えっと……渡してすぐ帰ったから……」
「届けた荷物は、やっぱり宝石か」
「うん、そう言われたよ」
「アッシが聞いた噂じゃ、宝石オババは実は若い女だっつー話っすよ。ミステリアスだとかなんとか。直接話すとさっきの奴みてえになっちまうって噂で」
「話すとああなる? ラリっちまうのか?」
「そっす。あ、あと、ボンキュッボンの、セクシーな姉ちゃんもいるって聞いたことありやすぜ!」
「ふむ、店員が何人かいるんだろ。話すとラリるってのが物騒だが、ま、入ってみりゃあわかる。行こう」
「うっす!」
「う、うん」
三人が館へ入ろうと歩き出した時、エリエラだけその場に立ったまま、グエンの背中に尋ねる。
「グエンさん、よろしいですか?」
「ん?」
「ボンキュボンとは、どういう方なのでしょうか?」
彼女の言葉に、グエンとデラダンの歩みが止まる。
突然止まったデラダンにぶつかり、キトが小さく「うわ」と声を漏らす。
ボンキュッボンが何か? それに答えるのは簡単だ。だが、品格を備えたうら若いエリエラにどう答えるべきか。
デラダンは答えに迷い、眉間に皺が寄っていく。
グエン、閃く。
グエンはエリエラの方にゆっくりと振り返り、デラダンを指さした。
「デラダンみたいなメリハリのある肉体を持つ人間を、ボンキュッボン、と称する」
「! ふんぬっ!」
促されるエリエラの視線を感じたデラダンは、両腕を挙げて力こぶを作って見せる。
ジャケットの上からでも分かる隆起した上半身に、締った腰回り、丸太のような太腿。
エリエラは、胸の前で両手の平を合わせ微笑んだ。
「まあ、素晴らしいですね。肉体美を表すのがボンキュッボンなんですね」
「へえ~」
キトも感嘆の声を漏らし、エリエラの横でデラダンを見上げる。
グエンはデラダンの側に寄り、小さく耳打ちをした。
「エリィは育ちが良すぎる。言葉には気をつけようぜ……」
「う、うっす」
「……キトの前でも、だな」
グエンはちらりとキトを見た。
キトはエリエラの所作を真似して、胸の前で手を合わせて小さく拍手している。
デラダンも意図を察し、スキンヘッドを揺らして大きく頷いた。
グエン達は菖蒲色の天幕に包まれた、六角錐の館の入口へ立った。
一歩前に歩み出たグエンが、閉じた天幕へ手を伸ばす。
菖蒲色の幕は光沢を帯び、分厚く、まるで上等な絨毯のようだ。
低い六角錐の正面、入口にあたる切れ目が、音もなく開く。
「一見さんお断りじゃなさそうだ」
グエンは開いた天幕の間に身を滑らせた。
入口の幕はグエンが通り過ぎた後も、見えない手に掴まれたかのようにめくられたまま、しかし、その裏側には誰もおらず、何もない。
開いたままの幕の隙間に、デラダン、エリエラ、キトが中へ入る。
キトは両手を胸元で畳み、きょろきょろと周囲を見回していた。
栗毛色の尻尾は力なく垂れ、黒い鼻先をくんくんと動かし、警戒を強めている。
入口の幕を抜けると、さらにもう一枚の幕があった。
床に埋め込まれた照明が、天幕の内側を淡い琥珀色の光で照らしている。
二枚目の幕は、訪問者を迎えるように音もなく開いた。
人一人がやっと通れる隙間を、彼らは順にくぐっていく。
薄暗い室内は、意外なほど簡素だった。
六角錐の壁に沿って設けられた棚が、中央へ向かって配置されている。
棚には色とりどりの宝石が立てかけられ、採掘されたばかりのクラスターから、籠に積まれた碧銀核まで並んでいた。
正面、奥の壁際には小さな座臥があり、若い女性が一人横たわっていた。彼女は自らが主であると告げるような偉容を見せ、肘を付きグエン達を眺めている。
細長い金色のパイプを咥え、燻る煙が琥珀色の光に照らされ、室内を妖しく漂っていた。
フード付きの黒いローブに身を包み、ゆったりと結った銀髪が艶のある褐色の胸元へ垂れている。
細めの長い眉の下には、目尻の少し下がった灰青色に光る切れ長の瞳が、とろんと開かれている。鼻筋は細く通り、唇は薄く、顔立ちは不自然なほど左右対称に整っている。
ローブや首元、腕、指に至るまで宝石の装飾が施されていたが、最も目を引くのは、その額に埋め込まれた蒼い宝石だった。
グエンは、その石に気づき、わずかに目を細める。
(祖人族か……。人間離れした美人っぷりにも納得だな。しかし、オババとは……?)
薄暗い室内を慎重に進み、彼らは館の主――サーラの座臥の手前で足を止めた。
怪しげな雰囲気とは裏腹に、のんびりとした声が響く。
「いらっしゃいな。珍しいのう。立て続けに客とは。退屈じゃったから、ちょうど良いわ」
「こんにちは。俺はグエン・クロイド。重銀核を買い取ってもらいたい」
グエンはその口調を聞き、宝石オババという呼び名に納得する。
声は若いが、ゆったりとした言い回しは老婆を思わせた。




