1-56.菖蒲色の館に魅せられて②
イオルはグエンから視線を外し、押さえつけた男の背へ向けて言った。
「さあ、立ってください」
「ぷっしゅー、っち、にっくりん。ふぇふぇふぇ、たのむよー、たのむよー。全部もらっていいって言ったろー」
上半身裸の男は、依然として錯乱したままだった。
力の入らない四肢のせいで、立ち上がることすらできない。
「ガングー。いつまでやっているんですか。手を貸してください」
「デラダン、お前もな。やめとけって」
額で押し合う格好は終わり、互いに胸倉を掴み合ったまま硬直していた。
諫める声が飛ぶと、デラダンの方があっさりと身を引く。
「うっす! アニキ! 止めやした!」
「ああ? ……けっ! うるっせえな!」
ガングーは、あまりに素直な引き際に肩透かしを食らった。
半ば呆れたまま、イオルに悪態を吐く。
「ったく、だいたい、お前の命令違反のせいで、こんな下っ端の仕事をやるはめになったんだろ! ノマドベースの奥で、宝石オババの御用聞きなんてよ! 俺様は治安維持部隊のエースだぜ!」
「何を言っているんですか。治安を守るためなんですから、私は正しいことをしたんですよ。こういうのもいいじゃないですか。これも治安維持の一環。大切なお仕事です。ほら!」
「ちっ、この自治バカが……。こんな任務で俺様の優秀さをどう見せろっつーんだ」
ガングーは文句を垂れ流しながら、イオルの抱えていた男に手をかける。
錯乱した男を軽々と持ち上げ、肩に担ぐと、グエンを睨みつけた。
「けっ! おい! グエン! てめえ、あの白い騎士団ってのとやりあったようだけどよ、俺様があいつらの武装をはぎ取ってなきゃ、てめえは今頃あの世行きだったぜ!」
「武装をはぎ取った? どういう意味だ」
「へっ! 俺様がいなきゃあの世行き。どうやったか知らねえけど、お前が正規隊員になれたのも、俺様の手柄だ。感謝しとけ!」
言いたいことだけ言い捨て、ガングーは踵を返して歩き出す。
イオルは無礼な同僚の背を見送り、小さくため息をついてからグエンへ向き直った。
「本当に申し訳ありません。失礼な言動ばかりで……」
「まあ別に、それは気にしてないが。それより、武装をはぎ取ったというのは?」
「ああ、それはガングー個人というよりも、我々外境ゲートを守る部隊の仕事ですね。白鯨騎士団の武装持ち込みを阻止したんですよ」
「つまり、おたくらが入口で、奴らの武器を取り上げたってことか?」
「平たく言えばそうですね。外部の方に詳細は言えませんが」
「それで、あいつは自分に感謝しろって言ってるのか。図々しいやつだなあ、あいつ」
「まったくです。我々は与えられた責務を、与えられた装備で全うしているだけですからね。では、私もこれで」
「あ、イオルさん。もう一つ教えてくれないか。その連れてったやばいやつ、なんでそんな状態なんだ?」
グエンは、ガングーの後ろ姿を指さした。
肩に担がれた男は、締め上げられたのか、今は大人しくなっている。
「……悪いことは言いません。この館の方とは、あまり深く関わらない方が良いですよ。ここはクエスタでも手が出せない場所ですから。それでは」
イオルは会釈し、続いてエリエラの目を見て、深く頭を下げる。
エリエラは自然と右手を胸に添え、微笑みながら応えた。
「そ、それでは、私たちはこれで失礼します」
「ああ」
「ごきげんよう」
「は、はい!」
イオルはこの場に来てから最も俊敏な動きで敬礼を返し、ガングーの元へ駆けていく。
悪態をつく同僚の横に並んだ。
「けっ、ヘビークラストがありゃ、俺様があんなやつら蹴散らしてやんのによ」
「個人相手にヘビークラストを? 冗談にもなっていませんよ。申請が通る訳ないじゃないですか。第一、治安維持に何も関係なく……」
「う、うっるせぇな! わかってて言ってんだ! これだから自治バカは!」
「はあ、まったくあなたと言う人は……はあ」
大声でわめくガングーに、イオルの大きなため息が重なる。
路地の奥で小さくなっていく背中に、デラダンが吐き捨てるように言った。
「気に食わねえやつらだぜ」
「ん、イオルってのは悪い奴じゃなさそうだろ。どうした? 突っかかるな」
「アニキ、ランサーのやろうども……あ、治安維持部隊のことっすけど、やつら内輪出身者なんすよ。内輪以外の人間を見下しやがって! 態度に出てるんっすよ!」
「ガングーってやつは、まあ、基本的に舐めたガキだと思うが……。あ、正規隊員じゃないってやつか?」
「そっすね。内輪ならすぐ正規隊員になれるんすよ。んで、入隊してすぐランサーになるのが内輪出身者の出世ルートってわけでさあ」
「上級市民ってわけか。そういや、ランサーってのは、ヘビークラスト乗りだってイオルが言ってたが。ヘビークラストに乗ってるデラダンもランサーじゃないのか?」
「あ、正確にはヘビークラスト乗りがランサーっすね。けど、ヘビークラストはバカ高えんで、乗れるのは治安維持部隊ぐれえなんすよ」
「ん、デラダンだって持ってるだろ。ヘビークラスト」
「へっへっへ、あれはちっとばかし訳がありやして」
「ふむ。その訳ってのは、また今後ゆっくり聞かせてくれ」
「うっす! 行きやすか!」
拳を握り込み、腕を曲げて隆起した上腕二頭筋を誇示するデラダン。
グエンは、その成人男性の太腿よりも太い腕を、手のひらで軽く叩いた。
「おう、行くか」




