1-55.菖蒲色の館に魅せられて①
グエン達は、石の天蓋を持つムロージ商会ノマドベース支部を後にした。
キトの案内で、人通りの少ない細い路地へと入る。
白を基調とした四角い建物の間を抜け、いくつか角を曲がった先。
トラック一台分ほどの幅の道に面し、その建物はひっそりと立っていた。
低い六角錐――菖蒲色の天幕に包まれた、小さな館が、路地の奥で息を潜めている。
グエンは、キトの背中越しにその店を眺めた。
「変わった建物だな。キト、ここは?」
「宝石オババの店だよ。宝石とか買ってくれるって」
「宝石オババ? 宝石商か」
グエンの左に立つエリエラが、頬にかかった髪をかきあげる。
編み込まれた髪から垂れた宝石が、シャラリと乾いた音を立てた。
台車を押したデラダンが、グエン達の最後尾につく。
「リクセンの核は、ちっとややこしいんすよ」
「何がややこし」
グエンが疑問を口にしかけた、その時。
入口の幕を乱暴に押し上げ、若い男が飛び出してきた。
上半身裸で、抜き身の剣を握っている。
「ひゅっ! ひゅっ! しゅっちにくりん! しゅっちにくりん!」
露出した上半身の筋肉には血管が浮き上がり、ところどころが不規則に痙攣していた。
血走った目が、周囲をせわしなく泳ぐ。
頭は小刻みに上下し、焦点はどこにも定まらない。
「酒池! 肉林! しゅっ! っしゅ! ひへっ!」
男はしばらく頭を振り続け、やがて体ごと前後左右へと向きを変え、空中を掻きむしる。
足取りは次第におぼつかなくなり、ついに膝から崩れ落ちた。
「ひ、ひええ……。こわい……」
「なんだ、宝石屋じゃなくて、違法薬局か」
「ややこしいってのは、こういうとこなんすけど。とりあえず、ぶっ飛ばしやすか、あれ」
「そうだな。面倒だが」
地面に倒れながら剣を振り回し、奇声を上げ続ける男。
意味不明の行動を繰り返す様子に、グエンは大きく息を吐いた。
(ま、こういうのもクエスタの仕事かね……)
その時、エリエラが一人、隊列から前へ出て、男との距離を詰めた。
予想外の行動に、グエンの喉から短い声が漏れる。
「なっ」
エリエラは、剣を持っていない左手側へ回り込み、腰をかがめる。
倒れた男の顔を覗き込み、そっと手を差し出した。
「大丈夫ですか? どうしました?」
柔らかな声に、男の動きがぴたりと止まる。
ゆっくりと首を巡らせ、声の主を見つけると、涎にまみれた顔で歪に笑った。
「しゅ? しゅお? お、おんなああああ!」
弾かれたように手を伸ばし、男はエリエラに掴みかかる。
その手には、抜き身の剣が握られていた。
「きゃあっ!」
ガギンッ!
金属が激突する甲高い音。
振り下ろされた剣が、地面に弾き落とされた。
エリエラと男の間に、右手に小太刀を握ったグエンが立っている。
「あのなあ、エリィ、常識で考えたら関わっちゃダメだろ。こういう奴は」
「す、すみません。どこか具合が悪いのかと思い、つい」
「どう見ても悪いのは頭だろ」
「このやろう! 姐さんに手ぇだしやがって!」
駆けつけたデラダンが男を殴り倒し、そのまま組み伏せた。
うつ伏せにされた背へ、巨躯の膝が容赦なく踏み込まれる。
「うしゅるるる」
か細いうめき声。
直後、硬い靴底が地面を叩く音が近づいてきた。
二つの足音。
振り向いた瞬間、声が飛ぶ。
「いましたよ! あそこです!」
「んだよ、もう捕まってんじゃねえかあいつ! 俺様が来る必要なんかねえよ!」
「ガングー、任務ですよ。言葉には気を付けてください」
現れたのは、外境ゲートでグエンの入国審査を行った二人、イオルとガングーだった。
人のよさそうな表情で、眼鏡の奥に落ち着いた視線を宿す細身の青年――イオル。
それと対照的に、割れた顎と厳つい顔立ち、撫でつけたオールバックの大柄な男――ガングー。
ともに栗毛で、オレンジ色の隊員服に身を包んでいる。
二人は地面の男へ近づきかけ、傍に立つグエンの存在に気づいた。
イオルは軽く会釈し、ガングーは喉の奥が見えるほど大口を開けて怒鳴る。
「てめえ! グエン! こんなとこで何してんだ!」
その声に、男を押さえていたデラダンが猛然と立ち上がる。
駆け寄るガングーの前に立ちはだかり、体を突き飛ばした。
「おうおうおう! アニキを呼び捨てたあ、どういうこった!」
「いてえな! 邪魔すんじゃねえよ! このハゲが!」
「んだと! このドチビが!」
仁王立ちのデラダンが、怒りの形相で見下ろす。
ガングーは、自分の体格と鍛え上げた身体に自信があった。
だが、相対するデラダンはそれを上回る筋骨と背丈を持つ。
見上げる立場に慣れておらず、ガングーは一瞬、言葉を失った。
眉間に皺を寄せ、デラダンの胸元で光るエンブレムを一瞥し、鼻で笑う。
「誰がチビだ! 正規隊員でもねえ癖に、エリート部隊の俺様に意見すんな!」
「あああ!? 舐めてんじゃねえぞ! 内輪のおぼっちゃまがよぉ!」
「はっ! 舐めてたらなんだってんだ?」
「いい加減にしてください。まったく、ランサーではない時は、本当にただの不良隊員ですよ。ほら、はやく取り押さえてください。治安維持が我々の責務なんですから」
「く、うっるせえ! 俺様のどこが不良隊員だ!」
わめくガングーの横で、イオルはデラダンが放した男を淡々と押さえつけていた。
その手際を見て、ガングーは舌を鳴らし、視線を逸らす。
「チッ。優等生め。おいグエン、てめえへの礼は次にしといてやんぜ。エリート治安維持部隊の俺様は忙しいからよ!」
「おうおう! アニキに舐めた口きいて、タダで済むと思ってんのか!」
デラダンは正面へ回り込み、顔を近づける。
鋭い目で睨みつけ、勢いのままガングーの額へ頭突きを叩き込んだ。
ゴンッ。鈍い音が空気を震わせる。
ガングーは額を突き上げ、負けじとにらみ返した。
「さっきからうるせえんだよ! ハゲ! やんのか!」
「おうおうおう! 相手になってやろうじゃねえか! アゴ割れ!」
グエンはその応酬には関わらず、イオルの側へ歩み寄る。
「イオルさんだったか。こういうやつを取り締まるのも仕事かい?」
「え、ええ、回収するようにと、こちらから通報がありましたので」
イオルは男を組み伏せたまま、菖蒲色の館へ目配せした。
グエンは視線を館へ投げ、次いで地面の男へ落とす。
「店側が通報? こいつ、ラリってるだけじゃないのか?」
「……ええ。こちらの店では、そんなものは取り扱っていませんから」




