1-45.橄欖の間
――橄欖の間。
オリーブ色に輝く半透明の壁が向かい合い、冷たい闇の中で聳え立つ。
壁の間には五メートル幅の通路。
この空間は床も壁も、ペリドット、つまり橄欖石でできていた。
エリエラは一人、橄欖石の間で途方に暮れていた。手にした重銀ランタンでは向かい合わせの壁の上部にも、通路の奥にも光が届かない。
壁に手を添え、橄欖石の壁内部へ灯りを向けた。
「まさか、この壁も床も、全て橄欖石……? 全てが宝石でできた場所なんて、信じられません。ですが、わたくしを呼ぶかすかな声は、確かにこの壁の中から……」
内部が透けたオリーブ色の壁。その奥には、碧銀の光沢を放つ拳大の塊が、星屑のように無数に埋まっているのが見えた。
「声は……この塊から……いえ、足元……からも? いえ……」
ライトの明かりを足元に落とす。
彼女の立つ床も、橄欖石で固められている。透けており内部まで肉眼で確認できるが、床も壁も厚く、その奥は濃いオリーブ色に遮られ、光は届かず闇に飲まれていた。
壁の中、浅い地点にある碧銀の塊が光を反射し怪しく輝く。
ふと、壁が小さく鳴った。
ガラスに亀裂が走るような音が、数度響いた。
「……迎えに? わたくしをですか? 貴方たちは一体……」
驚き、壁から手を離した瞬間、壁に異変が起きる。
すぐ傍の壁に表面を露出して埋まっていた碧銀の塊が、塊を包む周辺の橄欖石ごと地面にどろりと零れ落ちた。
「え?」
エリエラは目の前の光景に身を強張らせる。
冷たく硬質な壁が、湿った音を立てて崩れた。
床に落ちた塊は碧銀の塊を核に盛り上がり、何者かに成ろうと蠢いていた。
――鉱石生命体、リクセンだ。
ベルトのダガーに手を添え、エリエラは一歩退く。
「宝石が生きて、どうして」
スライムのように蠢くオリーブ色のリクセンは、やがて彼女の背丈を超えた。
波打つリクセンが象ったのは、全身鎧に身を包んだ騎士の姿。
兜の後頭部から伸びた大きな飾り羽は、本物の羽のようにしなやかに揺れている。
鎧騎士の造形は緻密に再現されているが、半透明のまま、碧銀の核が透けて見えた。
「異形の騎士……。私をどうしようというのです。お下がりなさい!」
エリエラはダガーを引き抜き構えた。
リクセンの波打っていた体表面が静まり、透き通ったオリーブ色に落ち着くと、リクセンナイトはゆっくりと右腕を上げ、彼女に向かって篭手に覆われた手を伸ばす。
――ぽとり。
リクセンナイトの背後、通路の奥側、何かが落ちる音がした。
さらに、壁からリクセンが生まれた。そう頭で理解するエリエラだったが、恐怖に押さえつけられ、自分の目で確認することができなかった。
増殖したリクセンとは反対側、エリエラの背後から二つの靴音が響く。
音はあっという間に接近すると、一つはエリエラを追い越した。
軍刀【濡焔】を抜いたグエンだ。
もう一つの靴音はキト。わずかに遅れて到着すると、エリエラの横で立ち止まり、手にしたハンドライトで通路奥に立つリクセンナイトを照らした。
「貴方がたは――」
「地下ダンジョンの奥に宝石モンスターか! キト! こいつがリクセンか!」
「そ、そう! えと、えと、黄緑色っぽいから……ペリドットのリクセン!」
「宝石の塊とは景気がいいな! 二人とも! 近寄るなよ!」
駆け抜けたグエンは勢いそのまま、肩に担いだ抜き身の軍刀を振り下ろした。
両腕をかかげて盾にするリクセンナイト。
大上段からの一太刀が、橄欖石の両腕を砕く。
破片を散らし、クリアブルーの刀身が肩口へ深々とめり込んだ。
「ちっ! 硬いな! 両断するつもりだったが!」
「わわ、ペ、ペリドットを切っちゃった」
「オラッ!」
グエンは軍刀がめり込んだリクセンの胸を強引に蹴り抜く。
斬られた肩口から、右肩ごと腕が脱落し床に激突すると粉々に砕けた。
グエンは軍刀を引き、腰だめに構える。
「止めだ!」
一閃。
胴を薙ぎ、リクセンナイトの胴を真っ二つにした。
切断された上半身が地面に落下する。
「……妙な手ごたえだな。それに」
上半身は切断され、橄欖石の床に落下したが、一切砕けていない。
それどころか、上半身は手探りで地面を這いずりはじめ、残った左手で立ったままの下半身の足首を掴んだ。
橄欖石の間には、キトがかざしたハンドライトと、エリエラのもつランタンしか光源がない。
深い暗闇。
ポツンと浮いた頼りない光の中で、グエンは警戒を強めた。
「キト! もっと入口の方へ下がれ!」
「あ、あわわ」
キトの照らす先では、リクセンが自分の下半身によじ登っている。
橄欖石の床と壁の間で、同じ材質のペリドットリクセンがもがく姿は、動く者も背景も同じ色で目がおかしくなりそうだった。
恐ろしい光景を前に、キトは震えて動けない。
「さあ、こちらへ。わたくしと共に」
エリエラの柔らかな声がキトを導く。
ダガーを手にした彼女がキトの手を引き、最前線に立つグエンとの距離を広げた。
グエンは横目で二人の姿を見届ける。
「頼んだぞ!」
軍刀を振りかざして踏み込む。
その瞬間、奥からひときわ大きな人型リクセンが現れた。
二mを超えた巨躯のリクセンは、巨大な拳をグエンに向かって振り下ろす。
グエンは半身で躱しざま、濡焔で繰り出された拳を切り上げた。
わずかに軌道のずれた拳が、轟音と共に橄欖石の床を粉砕する。
(腰の引けた一撃じゃ、傷もつかねえってか。さっすが宝石だ)
オリーブ色の破片が散る中、リクセンは床から腕を抜き、そのままグエンに掴みかかる。
見越していたグエンは軽やかに跳びあがり、迫りくる丸太のように太い二の腕を足場に、後方へ飛び退いた。
壁際に着地し、スキンヘッドのように丸いリクセンの頭部を睨みつける。
「ふう、ペリドットってのは宝石だろ。硬さで言えば鋼鉄以上のはずだ。なのに、なんでそんな柔軟に動けるんだ? ったく、非常識なオリーブマンどもが」
間合いを開けて、一息つく。
(今日は戦い続きだ。エンブラの白騎士に、さっきのゴロツキ。まだまだガス欠とまではいかないが、思いのほか炎を使いすぎたな……が)
大型リクセンの背後で、下半身をよじ登っていた上半身が合体し、隻腕のリクセンナイトが復活している。失われた腕の断面が蠢き、徐々に再生している。
グエンは大きくため息をついた。
「火力は節約しときたいんだが、そうも言ってられないな」




