1-30.大衆酒場 炙り酒
バナーバルには計六本の主幹道路がある。
数えで一番から六番まである主幹道路は、それぞれ内輪と称される中央区を通り、環状擁壁を越え、外側にある商業地区や外輪地区にまで伸びていた。
そのうち三番線道路だけは他の道路とは毛色が違い、クエスタ本部と大隧道を結んでおり、バスも絶え間なく循環している。
エリエラは三番道路を走るバスに乗っていた。
三番線道路をひた走ると、高さ二〇〇mあるクエスタ本部がすっぽり入るほど巨大なトンネル、通称『大隧道』が口を開けている。
三番道路は大隧道へ入ると、大隧道路と名前を変える。ノマドベースの中央を突っ切り、そのまま最奥の重銀掘削場まで続く道だ。
バスに揺られること三十分ほどで、エリエラはノマドベースへ到着した。
親切な車掌が「食事と情報が欲しいなら、炙り酒さ。建物の色が違うし、白い大鷲の像が目印ですぐわかるよ」と教えてくれたので、エリエラは炙り酒を目指すことにする。
バスを降り、周囲を見渡す。
ノマドベース内の建物は、ほぼ白一色で統一されていた。統一規格のセラミックパネルを組み合わせた、組立式建築物が主な建物だからだ。
白一色の街並みの中で、一軒だけ焦げ茶色の建物が目に留まる。
炙り酒だ。
焦げ茶色の太い木材で骨格を組み、屋根を葺き、その間を白漆喰の壁で埋めている。
車掌の言葉通り、店の前には大鷲がいた。
歩道のど真ん中に立つ白い石柱。その天辺には、羽根を畳んだ純白の大鷲像が立っている。猛禽類特有の眼光で周囲を睨み、大きなかぎ爪を石柱へ食い込ませた姿は、今にも翼を広げて飛び立ちそうだった。
エリエラは石柱と大鷲の場違いな立派さに見惚れる。
白いブラウスに、原色豊かな色鮮やかなスカートを履いた、どこか異国を思わせる彼女の姿は、はたから見ると石像の意匠と相まって、遠い国のワンシーンを切り抜いたようだ。
ゆったりとした柔らかな声で彼女は言う。
「なんて荘厳な大鷲でしょうか。本当に大きいですね」
石柱の太さはドラム缶ほどもあり、高さは大鷲を入れて五m以上もあった。
表面には植物のツタに似た装飾がほどこされ、神殿の柱を思わせる威厳がありつつ、どこか瀟洒な印象もある。
そこから右手へ目を向けると、様相が一変した。
入口に建てられた松明のかがり火。煙のヤニで濃い焦げ茶色にくすんだ木造の店構え。煙が溜まる庇から吊るされた、干し肉のカーテン。
無骨な顔で腹をすかせた客を迎える、大衆酒場『炙り酒』だ。
パチパチと薪の爆ぜる音。炎に照らされ、吊るされた干し肉の影がゆらゆらと揺れている。
その光景に、エリエラは二の足を踏む。
「少し怖いですね。……どういたしましょう」
エリエラは大鷲の石像をちらりと見上げる。
艶やかな長い黒髪に編み込まれたジュエルチェーンが揺れ、シャラシャラと小気味いい音を立てた。
エンブラ本国では虐げられ、辺境の地で隔離された生活をしていたとはいえ、彼女は王族として育った。
そんな彼女の目には、炙り酒の佇まいが、繊細さとは真逆の粗暴さを寄せ集めて形にしたように映る。
「……こんなことで立ち止まっていてはいけないわ、エリィ。前へ進みましょう。あの大鷲の力強さを見習って」
エリエラは柔らかな声で呟いてうなずくと、スカートの上から太ももをパンパンと叩き、自らを奮い立たせる。
意を決して、干し肉のカーテンの間をすり抜け、店内へ入った。
炙り酒の中央には厨房があり、それを取り囲むようにカウンター席が設けられていた。
長方形の店内には百席ほどあるが、食事時ではない今は、客の姿もまばらだ。
淡いオレンジ色の間接照明が店内を照らす。
塩気と香辛料の効いたソースが焼ける芳ばしい匂いと、長い年月をかけて店に染みついた肉の香りが鼻を満たした。
「ん、なんて強い香りなんでしょう……」
馴染みのない強い刺激に、エリエラは反射的に鼻を手で覆った。
だが、失礼にあたるかもしれないと思い、すぐに手を離す。
店内では、白髪に白い口髭を蓄えたマスターが、頭に白いバンダナを巻いてテーブルを拭いていた。
エリエラに気づいたマスターの手が、一瞬止まる。
黒真珠のような瞳が映える美貌と、たおやかな立ち姿。煙と油の匂いが染みついた店内へ、可憐な花が一輪迷い込んできたようだった。
すぐに我に返ったマスターは、いつもの客を迎えるように声をかける。
「いらっしゃい。お嬢さん、お食事ですか? お好きな席にどうぞ」
「ありがとう。お食事と、こちらは初めてですので、お話を伺えたらと」
微笑んで会釈するエリエラに、マスターも笑顔で会釈を返した。
掃除の手を止め、バンダナを外しながらカウンターの内側へ移動する。
白髪を後頭部で短く纏めると、手早く手を洗った。
エリエラはマスターの前のカウンター席へ腰を下ろす。
マスターが水の入ったグラスを置くと、エリエラは小さく会釈した。
「メニューをどうぞ。初めてなら、まずはバナーチがおすすめですよ」
「バナーチというのはなんでしょう? 食べ物かしら」
「バナーチはバナーバルの名物だよ。あらびきソーセージと塩漬け肉のスライスを、豆にトマトとひき肉の辛~いソースをたっぷりつけて、甘みのある小麦と玉子の生地で巻いて食べる!」
マスターは棒状のものを掴み、豪快に噛みちぎる仕草をして見せた。
エリエラは口元に手を当て、目を丸くする。
「まあ、それは面白そう。辛いのは少し怖いですが……せっかくですので、一つお願いしますね」
「はい、かしこましました。勇気あるお嬢さんに、丹精込めたバナーチをお出ししましょう」
白い髭を蓄えた口元を綻ばせ、マスターは意気揚々と答える。
厨房スタッフへ注文を伝え、エリエラの前へブラックコーヒーの入ったカップを置いた。
食事を終えたエリエラは、カップから立ち上る香りを楽しみながらコーヒーを口にする。
温かな苦みを味わい、ほっと一息ついた。
「ありがとう。良い香り」
「気に入ってもらえたようで何よりだよ。それで、エリエラさんは何か目的があってここへ来たのかな。いやなに、貴方のような品の良い方が、現場仕事の多い隊員志望というのは珍しくて」
マスターの視線が、エリエラの襟元で光る銀のエンブレムへ向く。
エリエラが答えるより早く、マスターは片手を上げて言葉を付け加えた。
「もちろん、言いたくないことは言わなくて結構。皆それぞれ、事情はあるから。むしろ、私に聞きたいことがあればなんでも聞いておくれ」
コーヒーカップを両手で包み、エリエラはマスターの目をじっと見つめる。
これから話すことを信じてもらえるとは思えない。
それでも、自身に目覚めたばかりの力と、その意味をどうしても解き明かしたかった。
掌へ伝わるカップの温もりを頼りに、エリエラは言葉を吐き出す。
「こんな話を……信じていただけるかはわかりませんが、わたくしは、人には聞こえない声が聞こえます。正体はわかりませんし、なぜわたくしに聞こえるのかもわかりません。大隧道の奥から聞こえる声に呼ばれて、わたくしはここへ来ました」




