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世界樹の巡り人  作者: 蔵人
第1章 邂逅のバナーバル
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1-28.犬耳少年のキトと世界樹巡行記

 クエスタへの隊員登録が完了した。

 グエンはひとまず移動をしようと、クエスタ本部の正面入り口から外へ出る。

 クエスタの正面入り口は全面ガラス張りで、吹き抜けになっている入口ホールへ採光を促す役目もあった。そのため、中から外の様子がよく見える。

 ガラス扉の外側で、警備を担う隊員が、背の低い子供らしき人物を押しとどめていた。


(作業着の子供……か?)


 隊員の方は、カーキ色の厚手のジャケットを着ており、同色の制帽には帯部にオレンジ色の線が一本入っている。

 制帽は、小さな庇と、上部が膨らみ、前方へ傾斜のある鋭いデザインの帽体を持つピークドキャップだ。浅黒い肌の大柄な中年男性とピークドキャップの組み合わせは、対峙する者に威圧感を与える。

 対して、少年キトの方はくたびれた青いワークキャップと、これまたくたびれ、土と油汚れの目立つ青いツナギ姿。

 肩からは大きな肩掛けカバンを下げていた。

 キトは泣きそうな顔で、警備隊員の足にしがみついている。

 グエンは二人の押し問答を遠めに見ながら、入口へと歩いていく。

 ガラス扉を開け、外へ出る際、大柄の警備員がキトの襟首を掴み持ち上げていた。


「この犬っころ! どうやってここまで入ってきたんだ!」

「ぼ、ぼくは犬じゃないよ。仕事でお願いがあって」

「だから、外輪難民のお前がここで仕事できるわけないだろ! 入門許可が下りるはずがないのに、どっから入り込んだ!」

「そ、それは……その」

「ったく、面倒はごめんだ! 大目に見てやるからとっとと失せろ!」

「うわあっ!」


 警備隊員に荷物同然に投げ捨てられた少年キトは、数メートル先の植え込みに投げ込まれてしまった。

 そのやりとりを見ていたグエンがつぶやく。


「ん、今の少年、でかい耳があったか。前髪かと思ったが」

「ああ、あんた初めて見たのか。あれは難民の子供、しかも亜獣人のだ。ったく、厄介な問題を持ち込まないで貰いたいもんだ!」


 グエンは植え込みの中に潜り込んでしまったキトの身を案じながら、警備隊員へ訪ねる。


「それはそうと、おたく、なんであんな小さい子供をぶん投げてたんだ?」

「あいつが不法侵入したからさ。これでも優しく排除したつもりだぜ」

「ああ、確かに。不法侵入はよくない」

「そういうこった。しかも、難民問題なんてローガー会長の管轄だ。厄介極まりないぜ」

「ほう。そうか、で、ちょっとこっちを見てくれ」

「あん? なん……」


 警備隊員は右肩を叩かれ振り向くと、拳を握ったグエンが笑顔で立っていた。


「今から俺が優しく注意してやるよ。いいな? 良い大人が、あんな小さな子供をいじめるなよ? オラッ!」

「な、うごっ!……なん……」


 警備隊員のみぞおちに、グエンの右拳がめり込んだ。

 グエンの穏やかな口調と声、表情に油断したところで、警備隊員は閃光のようなボディブローに対して成す術がなかった。

 警備隊員が腹を抑えてうずくまる。


「あ、もしかして」


 グエンはふと頭上を見上げた。

 ガラス張りの壁上部に、複数の監視カメラが見える。


「ははっ、悪いな」


 一台のカメラに向かって、グエンは片手を上げた。

 グエンはうずくまっている警備隊員をそのままに、キトが投げ込まれた植え込みに駆け寄る。


「おい、大丈夫か? 少年」

「う、ううん……動けないよお……」


 枝葉を綺麗に整えられた長方形の植木の中から、キトの声が聞こえ、小さな安全靴の底が見えた。

 グエンは安全靴をたどり、キトの腰部分を両手で掴むとゆっくり引き抜いた。

 キトの体はグエンが思っていたよりもずっと小さく軽かった。

 小さな体を植木から引き抜くと、グエンはキトの体を持ち上げ、ゆっくりと下ろして地面に立たせてやる。

 体を持たれている間、キトはきょとんとした顔でグエンの目を見つめていた。

 ずれた青いワークキャップから、茶色い前髪と一緒に垂れるのは焦げ茶色いの大きな耳。

 特定の犬種に見られる、ドロップイヤーと呼ばれる形状の耳だ。

 他に人と違う部位は、鼻だった。

 肌色とは違い、黒い皮膚で、ここも犬の鼻同様の形状をしていた。


「ケガはないか?」

「あ、は、はい。えっと……あの……」


 キトが何を言おうかと悩んだ時、クエスタ本部の方で人の声が聞こえた。


「おい! 大丈夫か! 何があった!」


 キトの耳がピクリと動く。

 背後の声に、グエンは振り返らず言葉を続けた。


「キト、見つかると面倒だ。逃げるぞ」

「え……あ、うん!」


 キトはグエンの体越しに正面入り口の様子を見ると、すぐに頷き、いち早く駆け出した。

 グエンもすぐに彼の後についていく。

 キトは植木の間に設けられた細い通路を真っ先に通り、正面入り口の死角に入りこんだ。

 そのまま警備隊員側の視線を切りながら走り、すぐ横にいるグエンの顔を見上げる。


「あの、えっと、だ、誰ですか?」

「俺はグエンだ。グエン・クロイド。君は?」

「あ、ぼ、ぼくはキト・キニック。えっと……」

「よし、キト。まずは安全な所へ案内してくれ。あいつら追ってくるぞ」

「え、こ、こわい。あ、あっち!」


 そう言うと、キトは前方を指さし走る速度を上げた。



 クエスタ本部から少し離れた遊歩道の一角、休憩用に並んだベンチにグエンとキトは腰掛けた。

 グエンはキトが息を整えるのを待ちながら、彼が持つ肩掛けカバンに目をやる。

 キトは120cm程の小さな背丈で、彼が持つカバンは体の割にはとても大きかった。

 そのカバンの表面に、一冊の分厚い本が括り付けられている。


「キト、そのでかい本はなんだ?」

「はあ、ふう……。えっと、あの、ぼくの宝物」


 呼吸が落ち着くと、キトは本をくくりつけていたバンドを外すと、グエンに表紙が見えるように両手で抱えた。

 グエンは、本のかすれかけた表紙を読み上げる。その本は摩擦や経年劣化などで、表紙のかすれや角のほつれなどはあるが、重厚な装丁が施されており高価な書籍に見えた。


「世界樹……巡り……記……世界樹巡行記Ⅰか。へえ、すごい本もってるな」

「えへへへ。ぼく、世界樹大好きだから」

「そうか、大事な物なんだな、その本は」

「うん、宝物」


 小さな体にしっかりと抱きしめられた本に、キトの想いが込められていた。

 グエンは、本の表紙についた傷を見て逡巡する。


(こんな小さなキトが作業着姿で……。外輪と、難民か)


 グエンはキトの顔に視線を移す。


「さっき、キトを放り投げたやつをぶん殴ってきたが、何があったんだ?」

「え、あ、あの、殴っちゃダメだよ……?」

「え、ダメだったのか」

「う、うん、良くないと思う」


 おずおずと答えるキトに、グエンは頭を掻いた。


(そういえば、ユイナさんに乱暴だって注意されたなあ……加減が難しいぜ)


 腕を組み悩むグエンに、キトが言葉を続けた。


「あの、でも……も、もしかして……ぼくを助けて……?」

「ああ、いじめられてるのかと思ってな。……余計なことだったか?」

「え、あの、う、嬉しい。優しくしてくれる人、あんまいないから」


 キトは伏し目がちに言うと、胸に抱いた本を強く抱きしめた。


「ウォン! ウォンウォン!」


 突如、聞きなれた鳴き声が響いた。

 グエンは声の主を探してあたりを見ます。

 すると、キトの座っているベンチの下からオライオンが飛び出してきた。


「わっ。な、なになに」

「ウォン!」


 キトは突然足元から現れた小さな白い獣に驚いた。

 しかし、当のオライオンは、そんなことはおかまいなしにキトの膝の上に飛び乗った。


「わわわ」

「オライオン、どこにいたんだお前」

「ウォン!」


 オライオンはグエンにひと吠えして答えると、本を抱くキトの腕に前足をかけ、キトの頬をなめ始めた。


「え、えへへ、くすぐったいよ。きみは誰? えっと、犬?」

「そいつはオライオンだ。犬でも、猫でもなく、俺の相棒だよ」

「相棒?」

「そう。俺の相棒は、人の絶望を嗅ぎ取れるんだ」

「え、えっと、絶望って……?」

「悲しくてつらくて、我慢できないってことだよ」

「わぁ……そんなのわかるんだ。オライオン、すごいね」


 オライオンはしきりに、まるで涙の痕跡を消すように、キトの両目の下を舐め続けた。

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