1-8.ムロージ商会① 慧眼
外境ゲートを後にしたグエンは、広大な麦畑の中を走行していた。
陽ざしを受け、麦穂が波打つように輝いていた。
黄金の絨毯を裂くように、石畳の道路がまっすぐ伸びている。
道路脇には『六号線道路』の標識。
グエンはゆったりとスロットルを握り、風に乗って運ばれてくる穀倉地の香りを楽しんでいた。
「さっきはどうなるかと思ったなあ、いやあ、焦った」
グエンは小さく笑う。
道路は幹線道路のようで、大河へ向かうコンテナを積んだトレーラーと数度すれ違った。
畑の先には、霧に包まれた街並みがぼんやりと浮かび上がっている。
頬を撫でる風の中に、柔らかな毛並みが割り込んできた。
パニアケースから飛び出したオライオンがグエンの肩に乗り、頭をこすりつけて甘えてきたのだ。
グエンはオライオンに頬を寄せて言う。
「忙しくなるぞ。世界樹にエンブラ、まずは情報集めだ」
ふと、グエンは所持金の少なさを思い出した。
モービルの整備に装備の準備。手元に残った資金は二〇万ギン程度。
倹約に徹すれば、グエンとオライオンで、なんとかひと月は持つだろうか。
「……最優先は軍資金稼ぎか」
グエンはゆるやかにモービルを加速させ、街へ向かった。
バナーバル市街には、守護山脈から吹き降ろす濃い霧が立ち込めていた。
風に流れる霧は、山肌を撫でる雲のようにゆっくりと形を変える。
外境ゲートから続く六車線道路は、市街地に入ると商業区へと繋がっていた。
石畳の道路には車やモービルが行き交い、絶えず低い走行音が響いている。
歩道は二車線分の幅があり、露店がずらりと並び、人で溢れかえっていた。
露店からは呼び声と笑い声が重なり、肉の焼ける匂いが通り一帯に漂っている。
その香りに誘われるように、パニアケースに引っ込んでいたオライオンが顔を出した。
グエンは道路脇に小さな駐車場を見つけ、モービルを駐車する。
車体から降りると、黒いフレームに固定されていた黒拵えの軍刀を外し、ベルトのホルスターから吊り下げた。
護拳ごと柄を手のひらで包み、重みとおさまりを確かめる。
準備を整えたグエンは、傍に設置された発券機から券を取ると、サングラスを外して歩き出した。
オライオンはパニアケースの縁に登り、そこから地面へと飛び降りる。
音もなく着地した彼は、四つ足で地を掴むように伸びをし、すぐさま駆け出してグエンの肩へ飛び乗った。
「お、このうまそうな匂いに我慢できなくなったか?」
グエンは肩に乗った相棒の頭を優しく撫でる。
虎と犬の中間のような姿で、子猫のように柔らかな白い毛が指先に心地よい。
上機嫌のオライオンは、肩に立ったままグエンの頬を舐めた。
「さて、この町は世界樹に所縁があるらしいが……オライオン、なにか匂わないか?」
「オン!」
グエンの言葉を受け、オライオンは地面に飛び降りると座り、ひと吠えしてみせた。
見上げてくる白い小さな相棒に、グエンは静かにうなずく。
「よし、相棒。散歩だな。うむ、それは重要だ」
くるりと方向を変えて走り出すオライオンの後を、グエンが追うように歩き出す。
歩道の両脇には、隙間なく様々な露店が立ち並んでいた。
スパイスの効いた蒸し肉を売る店では、サンドバックほどもある吊るした肉塊を、剣のような包丁で削ぎ落としている。
「あんなデカい鳥がいるのか? このあたりは」
グエンとオライオンは肉に視線を奪われながらも店を通り過ぎる。
麺をスープごと袋に入れて売る店、爪切りばかりを並べた店、ツルハシ専門店に、全身鎧顔負けのフルプロテクターを扱う防具店。
呪いの薬草のような見た目のスパイス店や、日用品を扱う雑貨屋まで、多種多様な露店が続いていた。
店の数も多いが、それ以上に露店目当てで訪れる人の数が多い。
行き交う人々には栗毛の者が多く、そんな中でグエンの赤い髪はひときわ目立っていた。
通行人は赤い髪に気づくたび、足を止めては振り返り、物珍しげな視線を向けてくる。
注目されることには慣れているのか、グエンは気にも留めず、人混みをかき分けてズンズンと進んでいった。
その途中で、オライオンの姿が人ごみに紛れて見えなくなった。
素早い彼は、あっという間に人の波をすり抜けてしまったが、グエンは心配する素振りを見せない。
やがて、ある地点で人の流れが滞り、人だかりができているのが見えた。
(行列って感じじゃないな。さて、何があるのか)
グエンは背伸びをし、人だかりの先にある露店を覗き込む。
人だかりの中心に立っていたのは露店の店主だ。
立派な口髭を蓄え、頭にターバンを巻いた男は、鞘入りのダガーを振りかざし、大声で口上をあげていた。
「さあさあ! バナーバルについたばかりってお客さんはいないかい! 当店の在庫限定! 良いダガーが入ったよ!」
店主は、頭上に掲げたダガーを鞘から引き抜く。
姿を現したのは刃渡り約三〇cm、反りの深い片刃で、青みがかった銀色が特徴的な一品だった。
「せっかくバナーバルに来たんだ! 鋼? チタン? そんな素材じゃつまらない!」
大仰に見せびらかされるダガーを見て、グエンは目を細めた。
(重銀製か、しかもかなりの業物だな。ダガーと言うより、刀だ。……あれなら俺の炎に耐えられるかもな……。とはいえ、懐に余裕があるわけじゃない)
武器屋を無視して先へ進もうとするグエンを、店主の次の一言が引き止めた。
「ムロージ商会の謹製! 数多とあるダガーから選りすぐった逸品を見てくれよ!」
「ムロージ?」
聞き覚えのある名に、グエンは足を止める。
人垣をかき分け、露店の前へと進み出た。
武器屋の店主は、輪切りにされた丸太の上に薪を立てる。
そして、勢いよく振り下ろしたダガーで薪を真っ二つに叩き割った。
「これは序の口さ!」
自慢げに店主は笑い、懐から別のダガーを取り出す。
長さ二〇cmほど、刃の厚みは五mmもある。
大ぶりのナイフを丸太の上に置くと、迷いなくダガーを振り下ろした。
ナイフは中央から両断され、破片が乾いた音を立てて地面に弾け落ちる。
集まった見物達から、思わず声が漏れた。
『おおおお!』
「どうだい! 鋼鉄のナイフをぶった切っても刃こぼれ一つなし! こいつは刃から柄まで一枚の重銀で拵えたフルタング構造だ! 切れ味はもちろん、ダガー自体の強度も折り紙付き! それが一本たったの十九万八千ギンだ!」
見物客たちは、がやがやと声を交わし合う。
「さすが重銀の産地は良いもん扱ってんなあ」
「にしても20万弱は高えなあ」
「まともな鍛造ダガーの十倍はするぜ」
賑やかさだけが増していくが、実際に購入を申し出る者はいなかった。
(約20万か。俺の全財産とほぼ同額だな……)
グエンは、店主の握るダガーをじっと見つめる。
ふと視線をずらすと、背後の露店には同じ意匠のダガーがずらりと並んでいた。
店主の握る一本だけが、はっきりとした青みを帯びている。
露店に並ぶものは、どれもそれより淡かった。
(形は似ているが、あの一本だけが特別かもな。……面白いな。さて)
店主はダガーを掲げ、人だかりに向けて右から左へと見せつける。
その動きが終わるより早く、グエンが人垣から一歩踏み出した。
店主はそれを見ると、にんまりと口角を上げる。
丸太にダガーを突き立て、並んだ商品の中から同形状の一本を手に取った。
「おっと! 兄さん! 第一号だ! お、その腰の軍刀、拵えも護拳も立派だねえ。こりゃ慧眼だ! 新品を出すよ!」
「いや、その前に」
グエンは首を振り、丸太に刺さったダガーを指差した。
「まだ買うとは言ってないよ。これ、ほんとに重銀製かい?」
「ははは、お兄さんまだ来たばかりだね? バナーバルでそんなこと疑う奴はまずいないよ。青みがかった白銀の光沢、これが高純度の重銀である何よりの証拠だよ! しかもだ! あの反帝国の英雄、戦姫殺しも愛用していた刀を模しているんだ。この深い反りがわかるだろう? こりゃあ買うしかないねえ」
店主は肩をすくめ、楽しげに笑った。
グエンは苦笑しながら頭を掻き、小さくうなずく。
「戦姫殺しのはまあ置いといて……。その重銀の強度とやら、実際に試してみたい。気に入ったら買うよ」
「そりゃ売ったも同然だ! 思いっきり、派手にやってくれよ!」
「なら、思いっきりやらせてもらうよ」
口髭を撫でながら、店主は丸太からダガーを引き抜き、グエンに差し出した。
グエンは右手でそれを受け取り、左手を自然に刀の柄へ添える。
そのまま武器屋の主の脇をすり抜け、露店の前へ歩いていった。
自慢の口髭を撫でていた店主は、わずかに眉をひそめる。
「兄さん、助走つけて土台の丸太を割るのかい?」
見物客から笑い声があがった。
しかし、グエンの視線は丸太には向いていなかった。




