1-6.外境ゲート④ 黒薔薇姫
イオルはガングーを運び終えると、乱れた呼吸を整えながら持ち場へと戻った。
「まったく、ガングーには困ったものです。ランサーとしては優れているのに……。大抵は、こういうときに限って」
イオルが言いかけた時、スピーカーが湿ったノイズを噛み、アナウンスが流れた。
『定期バスが一台、接近中。まもなく外境ゲートへ到着します』
「……こういうときに限って、忙しくなるんですから」
外境ゲート上部のスピーカーを見つめたまま、イオルは腕時計の文字盤へ視線を落とす。
「予定より10分も早いじゃないですか。早すぎるのも異常なんですからね」
イオルは外境ゲート上にある中二階の連絡通路へ向けて声をあげる。
「定期バスの対応に、一人応援をお願いします!」
連絡通路上にいる四人の隊員が振り向いた。
隊員たちは互いに目を合わせ、肩をすくませる。
そのうち額に小さなシミのある隊員が手を上げ、イオルに応える。
「ガングーのアホが、世話焼かせやがるぜ。待ってろ、すぐ行く」
「助かります」
応えた隊員はすぐに階段を降りると、イオルを一瞥してから、詰め所に入って行く。
イオルはなぜ詰め所に行くのかと思ったが、黙って待っていた。
数秒後、額に指先ほどのシミがある隊員は、口元にたばこを咥えたまま、詰め所から出てきた。
「ガングーの奢りで一服するぜ」
「それは、ガングーのタバコじゃあ」
「手間賃にひと箱貰っといたぜ。ほら、来たぞ」
隊員が火をつけ、先端が赤く瞬いた。
大型バスが一台、橋を渡り外境ゲートへと接近してきていた。
大型バスは外境ゲートの前で停車すると、入口を開け、一人ずつ乗客を降ろした。
イオルが身分証との照合、入国申請を行い、もう一人の隊員は銃を構え警戒している。
ゲート上部の連絡通路に配備された三人の隊員たちも、銃を構え、有事の際に備え警戒を怠らない。
イオルは簡単な聞き取りと、端末を使用した身元照合を行い、入国許可と滞在申請を進めていく。
機械の電子音が淡々と鳴り、紙と端末が行き来する。
40名ほどの対応が終わり、許可の下りた者から順にゲートを通過していった。
「はい、次で最後ですね」
バスから最後に降りてきたのは若い女性だった。
白いブラウスに色彩豊かなスカート姿。
紅色と白、紺色や青に山吹色などが折り重なり、生命力に溢れた印象を受ける。
ルビーやサファイアといった宝石が数珠つなぎにあしらわれた豪奢な髪飾りが、黒メノウのような深い黒髪を飾っていた。
大きな瞳の垂れた目じりが、彼女の優し気なほほ笑みに、より柔和な印象を与えていた。
イオルは、視線を外すタイミングを失った。
そこだけ空気が澄み、喧騒の温度がわずかに下がった気がした。
「ごきげんよう。どういたしましょう?」
イオルはほんの束の間、自身が呆けていたことに気づき、慌てて端末を握る。
掌にじんわりと汗が滲み、指先が滑りそうになる。
「で、では、身分証の提示をお願いします。入国審査のために照合しますので」
「はい、こちらです」
「はい、エリエラさんですね。え、あの、エリエラ……ロ、ロインセリア……さん?」
「ええ」
身分証を手にしたイオルの手が震えた。
差込口へ向けたカードが、微妙に角度を外す。
「ロ、ロインセリアと言うのは、あの」
「はい、貴方のご想像通りでしょう」
「エ、エンブラの王族……」
イオルは震える手をなんとか抑え、やっとカードが差し込まれる。
エリエラは柔和な表情のまま、ほほ笑んでいた。
その微笑みが、かえって逃げ場のない現実味を帯びさせる。
イオルのインカムから電子音が鳴った。
照合中の端末を見つめ、半ば呆けていたイオルは慌てて通話を受ける。
「あ、はい、イオルです。本部? はい、はい。そうです、いま照合をかけました。は? すでに審査が完了しているというのはどういう? ……ローガー会長の? はい、わかりました。では、そのようにいたします。では」
イオルはインカムを切ると、端末から身分証を引き抜く。
端末を脇に挟み、身分証を両手で持つと、エリエラに身分証を手渡した。
指先を揃えて差し出す自分の手が、妙にぎこちなく感じられる。
「クエスタ本部より、入国処理と特別滞在許可が下りています。クエスタ本部へお送りいたしますので、あちらのゲート内にお進みください」
「ありがとうございます。それでは、ごきげんよう」
エリエラは会釈すると、通過用に開かれたゲートの隙間へ歩いて行った。
足取りは急がず、音も立てない。
それでも迷いはなく、ただ静かに前へ進んでいく。
イオルは、しばしエリエラの後ろ姿を見送った。
バスはクラクションを鳴らし、入口ドアを閉め、外境ゲートから離れていく。
「エンブラ王家には驚きましたが、あんなに綺麗な人、現実にいるんですね。こんなとき、ガングーがいなくて良かったですよ。……それにしても、なぜエンブラ王族が個人でこんな所へ」
イオルが業務を終え、詰め所へ戻ろうとした瞬間。
けたたましいサイレンが鳴り響いた。
鼓膜を叩く高音に、背筋が反射的に硬直する。
すかさずインカムを起動し、状況を探る。
「戦闘態勢とはなにごとですか!」
外境ゲートの隊員たちは慌ただしく動き回っていた。
防壁の最上部では、ヘビークラストの背部から隊員が乗り込み、システムを起動。
外境ゲート上の隊員たちはアサルトライフルのセーフティーを解除し、橋を凝視している。
金属音、ブーツの足音、インカムのノイズが重なり、橋の一点へ視線が吸い寄せられていく。
イオルはインカムからの報告を受け、言葉を詰まらせた。
「エンブラの一団? そんな連絡は……いや、待ってください。これは」
慌てて端末を操作し、表面を叩くようにタップしていく。
次々にポップしていくテキストが視界を埋め、行間が急に狭く感じられた。
目を走らせるほどに、喉の奥が乾いていく。
「エンブラの中隊を受け入れろとはどういうことですか!」
「来たぞ! こっちはランサーで出るぜ!」
「頼みます! ……こんな後手後手の情報でどうしろと! まったく、上はどういうつもりですか」
インカムの通話は切られていた。




