1-5.外境ゲート③ 制裁
無礼な同僚の行動に驚いたイオルは、手にしていた端末を地面に落としてしまった。
硬い音が石畳に響く。
ガングーはうすら笑みを浮かべ、走り去るモービルの後ろ姿をじっと見ていた。
「……ほらな、やっぱりあいつ、俺にはびびって何も言わねえんだ」
「ふう。聞こえなかっただけですよ。……あの目つき、たぶん普通の人じゃないですよ」
「ただもんじゃねえってか? へっ」
ガングーは鼻で笑った。
イオルはずれた眼鏡を中指で押し上げ、落とした端末へと手を伸ばす。
その瞬間だった。
低く唸るようなエンジン音が、耳を打った。
続けざまに、外境ゲートの向こう側から、けたたましいスキール音が鳴り響く。
モービルが急加速し、後輪をパワースライドさせる。
タイヤと石畳が擦れ合い、白煙が一気に噴き上がった。
一瞬のうちにUターンを決めたモービルが、外境ゲートの隙間から飛び出してくる。
イオルは思わず身をすくめた。
胸をよぎった最悪の予感が、音を立てて現実へと転がり出てくる。
一方でガングーは、小馬鹿にした笑みを崩さない。
事態を楽しんでいる節すらあった。
「運転はうまいじゃねえか、グエンのやつ」
重低音を轟かせ、白煙を引きずるように突入したモービルに気づき、外境ゲートの中二階で警戒中だった隊員たちがざわめき立つ。
「おい、なんだ? あれ?」
「またガングーの悪ノリだよ。聞こえたろ、さっきの挑発」
「多少腕っぷしが強いからな、すぐ調子に乗るんだよ」
騒ぎの張本人であるガングーは、仁王立ちのままグエンを待ち構えた。
しかし、その余裕は一瞬で砕かれる。
あっという間に戻ってきたグエンは、モービルごとガングーへ突っ込んだ。
「お! おいおい! 待て待て! 待てって!」
ガングーは真横に跳び、加速したまま突進してくるモービルを紙一重でかわす。
地面に転がり、慌てて体を起こしながら怒鳴り散らした。
「あぶねえじゃねえか! 調子に乗んじゃねえぞ! グエン!」
グエンは、ガングーが立っていた場所を通過すると同時に急制動をかけた。
車体が振られ、後輪が悲鳴を上げる。
パワースライドで反転し、そのまま間を置かず再加速――再びガングーへ突っ込む。
「ふざけんなって!」
地面を這うように横っ飛びするガングー。
だが、モービルは速度を落とし、彼の目前でぴたりと停車した。
その無様な姿に、ゲート上から笑い声が弾ける。
「ぶはは! なに転がって跳ね回ってんだ!」
「元気なイモムシだな! ははは!」
「う! うるせええ! いいから黙ってろってんだよ!」
立ち上がりながら、ガングーはゲート上へ向かって怒鳴り散らす。
顔を真っ赤にし、怒りをぶちまけようと振り向いた、その瞬間。
グエンが、すでに目の前に立っていた。
サングラス越しの視線が、静かに突き刺さる。
「エンブラの犬だと? もう一度言ってみろ」
「何回でもいってやるよ! このエンブラの犬っあがぁ!」
言葉が終わる前に、
グエンの拳が、躊躇なくガングーの顎を打ち抜いた。
脳を揺さぶられ、ガングーの巨体が膝から崩れ落ちる。
だが、グエンは自慢のオールバックを鷲掴みにし、無理やり立たせた。
「あが、あががが」
脳震盪と顎の激痛、引き千切られそうな頭皮の痛み。
ガングーは言葉にならない呻き声を漏らす。
グエンは左手でその頭を支えたまま、右手で自らの身分証を取り出した。
「よく聞こえないな。こうすりゃ、ピッと音ぐらい出るのか? 俺の素性に文句があるんだろ? おい」
身分証が、顎の割れ目に押し当てられる。
「で、もう一度言ってみろ。さっきの言葉を。エンブラの犬だと?」
グエンのこめかみに血管が浮かび上がり、左の首筋から左目にかけて、燃えるような火焔紋様が滲み出す。
紅い髪が、熱に煽られた炎のように揺れた。
その異変に、イオルが蒼白になって駆け寄る。
「も! 申し訳ありません! 悪ふざけが過ぎました! これ以上は……!」
「そこまでにしておけ!」
ゲート上からも制止の声が飛ぶ。
中二階にいた四人の隊員が銃口を向け、狙いを定めた。
グエンはイオルを横目で一瞥する。
「イオルさんだったかな。あなたには怒っていない。ただ、こいつは俺を怒らせる目的でやったんだ。なあ、ケツアゴのガキンチョ」
オールバックを掴んでいた手が離れる。
支えを失ったガングーは、その場に力なくしゃがみ込んだ。
身分証を胸ポケットにしまい、グエンはゲート上の隊員たちに言う。
「売られたケンカを買っただけだ! それとも何か!? 治安維持部隊とやらは、ケツを拭いてくれるお仲間がいないとケンカ一つできないのか!」
銃のサイト越しにグエンを見据えていた四人のうち、額にシミのある男性隊員が軽く口笛を吹き、肩の力を抜くようにして狙いを外した。
ほかの隊員は、まだ銃口を覗いたままだ。
「言うねえ。確かに、外野が口出すことじゃねえや」
「いいのか? あんなに暴れさせて」
「外野に銃で撃たせるケンカなんてあるかよ。なあ?」
「……ま、日ごろの行いのせいか」
「そういうことさ」
最初に口笛を吹いた隊員が、声を張り上げる。
「剣は抜くなよ! 抜けば撃つ!」
グエンはゲート上の隊員と視線を合わせ、小さく頷いた。
それに応えるように、隊員もわずかに顎を引き、銃を下ろす。
状況を飲み込んだイオルは、息を殺すようにしてゆっくりと後退した。
へたり込むガングーを、グエンは見下ろす。
「さっきの言葉を取り消せばそれでいい。どうする?」
「わ……悪かったよ。……取り消す」
ガングーは肩を震わせ、うつむいたまま答えた。
その巨体から漏れ出た、か細い声はグエンにだけ届く。
「……ならいい」
静かに言い捨て、グエンは踵を返して歩き出す。
イオルも、ゲート上の隊員たちも、その背中を見守っていた。
――次の瞬間。
回復したガングーが、おもむろに立ち上がる。
背を向けたグエンの死角から、無言で殴りかかった。
「あ!」
思わず声を上げたイオルに、グエンが振り向く。
その顔からは、すでに火焔紋様は消えていた。
「そうだ。イオルさん、最後に頼まれてくれ」
上体を反らして迫る拳を躱す。
踏み込みと同時に、体重を乗せた掌底が、正面から顎を撃ち抜いた。
「あがっ!」
脳を揺さぶられ、ガングーはよろめき、よたよたと後退した。
千鳥足で倒れ込む体を、イオルが慌てて受け止める。
グエンは、少しずれたサングラスの位置を直した。
「そのケツアゴ君の介抱をよろしく」
意識を失い、完全に伸びきったガングーを見て、イオルは深く息をついた。
「はあ……まったく世話のやける」
脱力しきった体を地面に座らせ、イオルは顔を上げる。
「あの、このタイミングで言う事ではありませんが、クエスタへの入隊をおすすめします。今、クエスタにはエンブラの脅威が迫っているので、ぜひ」
グエンはモービルのグリップを回し、エンジンの音を確かめる。
そして、車体に固定された黒拵えの刀を、軽く叩いた。
「ちょうどいい。エンブラは見かけ次第叩き斬る。その時は、目を瞑ってくれよ」
イオルに小さく手を挙げ、クラッチをつなぐ。
スロットルを回すと、大排気量エンジンが鼓動音を弾ませた。
排気が地面の砂埃を巻き上げ、モービルはゆったりと加速する。
そのまま、グエンは外境ゲートを後にした。
「いやあ、いいもん見たぜ」
「こりゃガングーのやつ荒れるだろうな。はははっ」
「しかし、あのグエンってやつ、やるな」
ゲート上の隊員たちは、一連の見世物の出来栄えに満足し、ガングーを見下ろして笑った。
一方でイオルは、笑いものになった同僚を肩で支え、詰め所へと戻っていく。
再び回転灯が灯り、ブザー音が場を満たす。
その音に押されるように、外境ゲートは静かに閉じられた。




