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世界樹の巡り人  作者: 蔵人
第0章 ゴカ殲滅戦
31/84

0-31.慟哭の谷 【第0章 完】

 真っ暗な森の中、グエンはモービルを走らせる。

 雨に打たれ続け、大量の血を失った身体は冷え切り、指先の感覚すら曖昧だった。

 胸から背中を貫いたままの羽根を抜く気力も体力も、もう残っていない。


「カガミ……仇は取ったよ……けど……」


 口から溢れる血が言葉を詰まらせる。

 細い森の道。気を抜けば、すぐに木々へ激突する。

 暗闇と雨粒が視界を削り、ライトの輪だけが頼りだった。

 瀕死の戦士は気力を絞り、ぼやけていく視界へ必死に抗う。

 ライトに照らされては後方へ流れていく木々の影が、踊り狂う亡者の群れのように歪み、グエンは現実味を失い続けていった。


「くそったれめ」


 横目で闇に沈む木立を睨み、悪態を吐き捨てる。

 グリップを回し、モービルを加速させた。

 森にこだまする機械的な鼓動音が、まだ生きていることだけを突きつけてくる。


「俺は生き残った……けど、この勝利に何の意味があるんだ!」


 口からこぼれる血。

 せき込み、涙を流してグエンは叫ぶ。


「もう誰もいないのに! まだエンブラのやつらは、本国に大量にいるってのに!」


 雲の下を抜け、雨が止む。

 急に視界が開けた。

 森が突如として途切れ、緩やかな傾斜で登る道の向こうに夜空が覗く。

 開けた景色の中央にあるのはギンノウ山。

 その目前に、銀霧峡が横たわっていた。

 50mほど先で道が終わっている。


 グエンは銀霧峡の崖っぷちへ向け、呆然とモービルを走らせ続けた。

 血に濡れた赤い前髪が風に煽られ視界を塞ぎ、ふと我に返る。


「! くそっ! くそっ! 今俺が死んで何になるってんだ! 死んでどうなる!」


 ――ゴカ村には誰もいない。


 管理小屋に置いてきたカガミの姿が脳裏に蘇った。


「俺が……生きてどうなる。カガミがいない。おやっさんもいない、村も……ユーゴも……誰もいないのに……誰もいないのによお……」


 グエンの頭を、自身の死がよぎる。

 咄嗟に首を振り、愚かな考えだと自分自身を否定し、モービルにブレーキをかけた。

 だが、ブレーキレバーを握っても、ブレーキペダルを踏み込んでも、手ごたえが消えていた。

 故障かと思い、グエンは前輪のブレーキへ視線を落とし、息を呑む。


「!」


 前輪のプレートを挟むブレーキ部分に、肉片のついた金色の髪の毛が絡みついているではないか。

 本来は摩擦で車体を止めるはずのパーツの間に、ぬめる肉片が入り込み、摩擦を阻害している。

 モービルは速度を落とさぬまま、ただひた走る。


 慟哭の谷まで30mを切った。

 血と絶望に染まったグエンは、大きくため息をついて笑う。


「はっ! 高貴な化け物の姫が、こんな小細工してくるとは……熱烈だね……」


 自暴自棄になったグエンは、グリップを全力で回した。

 重低音のエンジンが森に叩きつけられ、木々へこだまする。

 グランディア自慢のトルクが、重い車体を軽々と崖の外へ押し出した。


 崖を跳んだモービルは、谷へ飛び込んで行く。

 グエンは落下しながら、胸ポケットに入っている一房の髪の毛に触れた。


「誰も守れなかった俺でも……カガミの……皆の所へいけるかなあ……」


 落下しながら見える夜空は、ぽっかりと口を開いた谷に切り取られ、まるで天にかかる河のようだった。

 失意と絶望に苛まれたグエンは、慟哭の谷底、マガツ淵の水面に映る星空へ、吸い込まれるように姿を消した。


 ――クトファ歴3872年、ゴカ村はエンブラ帝国の手により、地図から姿を消した。


 北の強国にして世界有数の重銀を有するエンブラ帝国は、この侵攻をきっかけにアウルカ国全土を掌握することになる。

 やがて彼らは他国への武力侵略を強め、重銀の独占と開発に全力を注ぎ始めた。

 皮肉なことに、その略奪と独占が、重銀の価値を世界へ知らしめることとなる。





 そして、50年の時が過ぎる。

 アウルカの遥か南西。

 バナーバルの地に、若々しいままのグエンが姿を現した。

第0章 完

第一章 邂逅のバナーバルへ続く

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