0-3.ゴカ村市街地①
アウルカ国の最北西、ここゴカ村はアウルカ国内における重銀の採掘地に最も近い集落だ。ゴカ村はもともとリンゴと蜂蜜が名産くらいで目ぼしい名所はなかったが、、重銀の産出と、採掘中に見つかったクロイド遺構の発見ででやおら活気づいていた。
アウルカ自体は大陸性気候らしく暑い夏が常だが、山岳地帯にあり平均標高が千メートルを越えるゴカ村の様相は異なる。初夏にしては冷たい、清涼な風がゴカ村を包む。
山の斜面を削って作られた住宅街には、貨物コンテナを流用した急造の建築物が所狭しと立ち並び、もとからあった古い石造りの白い家々が点在していた。
「さて、今日も穏やかで閑静な住宅街ですよっと」
三階建て石造り住宅の屋根、整髪剤でツンツンとセットされた黒髪の青年が腰を下ろし、ポケットサイズの双眼鏡を覗いていた。
三階建ての屋根から見える夜明け前の街並み。
住宅街の中央に走る生活道路には、たまに散歩をする老人と、夜勤めの帰宅者の車両が、ぽつりぽつりと通行しているくらいだ。
屋根に居座る彼の名前はコテツ。ゴカ村の自治部隊【ユニオン】に所属してまだ一年の新米隊員だ。隊員に支給された制服であるミッドナイトのジャケットと、黒いタクティカルパンツ姿で、ヘルメットはかぶらず背中に垂らしている。腰のベルトには拳銃一丁と、私物であるひと振りの刀と、銀色のスキットルを装備していた。
コテツは腰につけたレザーポーチからスキットルを抜き、蓋を開ける。
開いた口から中身を確認すると、自分の口めがけてスキットルを振った。
スキットルの細い口から飛び出す、一枚のビーフジャーキー。
コテツはそれを器用に口で受け取と、煙草でもふかすかのように咥えた。
「スムーズに上る朝日、そしてビーフジャーキー、最高だねえ」
閑静な住宅街に響くコテツの声。
階下から、一拍おいて聞こえる中年男性の独り言。
「ん、今の声は。それに、この小型モービルは……」
同じ人物の声が続くが、今度は明らかに地面から屋根に向けて叫んでいた。
「おい! コテツ! お前また人様の家の屋根に上ってやがるな!」
馴染みのある野太い声だ。
コテツは面倒くさそうにゆっくりと屋根の下をのぞき込む。
下には、ぎょろりとした目でコテツ睨み上げるスキンヘッドの大男が一人立っていた。
隆起した筋肉の陰影が、黒い本革ジャケットの上からでもはっきり見える彼は、カンカラ社長。
コテツはビーフジャーキーを口に含みながら大声を張り上げる。
「おはようございまーす!」
コテツはわざとらしくすました声で挨拶をする。
カンカラ社長は呆れたと言わんばかりの表情を浮かべ、屋根の上のコテツに怒鳴った。
「コテツ! 挨拶はいいから、とっとと降りてこい! ったく、バカと煙は高いところが好きってのは本当だな! 人様の屋根に勝手に上るんじゃねえ!」
口の中のビーフジャーキがほどよくほぐれてきたので、コテツはそれを一飲みにすると、立ち上がり、屋根の縁伝いに真横へ歩いた。
腰の刀を引き抜くと、おもむろに飛び降りる。
「いよっと」
カンカラ社長が「あっ」と声を漏らす。
コテツは落下しながら、屋根の傍にあった木の枝に焦点を合わせ、一刀のもとに叩き斬った。
刀を手にしたまま着地したコテツの傍らに、彼の太ももほどもある枝が地面に落ちて跳ねる。
不規則に跳ねた枝は、コテツの腰あたりにぶつかってから地面を転がった。
金属の筒にでも当たったような音が聞こえ、着地の衝撃で背中にぶら下げたヘルメットが後頭部に当たる。いってぇ、と声が出そうになったコテツだが、なんとか平静を装い刀を鞘に納める。
得意満面で納刀するコテツの頭に、カンカラ社長の岩のごとき拳骨が降った。
「こぉぉぉんのっ! ドアホウがっ!」
「いってぇ!」
痛みに頭を押さえるコテツ。
カンカラ社長がふと家を見ると、吐き窓越しに家主らしき初老の男性がこちらを見つめていた。
その視線に気が付いたカンカラ社長は、窓越しに立っている家主に頭を下げ、コテツの頭も力づくで下げさせた。
コテツは丸太のような腕で頭を押さえつけられ、抵抗も空しく深々と頭を下げる。
「あ、すんません! うちの小僧がご迷惑をおかけしてます!」
謝罪するカンカラ社長に、老人は室内から笑顔で手を振った。
家主が掃き出し窓をあけて言う。
「昔からコテツ君はよく遊びに来てるから、いいのいいの」
ニコニコと笑顔の家主は、手を振り挨拶をすると部屋に引っ込んだ。
家主の対応に、ほっと一安心したカンカラ社長は、ひとしきり頭を下げた後でコテツの頭から手を放した。コテツは、くしゃくしゃになった髪の毛を手櫛で直しながら抗議する。
「そんなに気にしなくて大丈夫だよ。あの木の枝、邪魔だって言ってたんで!」
親指を立てて笑うコテツに、カンカラ社長はため息をついた。
「あ~? 人様の屋根に上るわ庭木は切るわ、男のくせに髪ばっかり気にするわで……はあ、ったく、近いうちに手土産もって挨拶にいかにゃあなあ」
「そ、そうっすか? っていうか、髪の毛は関係ないんじゃ……」
コテツの尻はたくカンカラ社長。
「あいて!」
「ったく、こういうことをきっちりできるのが普通の大人なんだ! 図体ばっかりでかくなっても中身はガキんちょのままだ! 19歳だったか?」
「おやっさん、この前言ったのに忘れたの? 先月、20歳になったよ」
「もう20歳? ったく、成人から何年経ってるんだ。だいたい、わしのことはカンカラ社長と呼べって言ってんだろ! ユニオンの隊員とうちは取引もあるんだぞ! 社会人なら取引先とは敬語で話せ!」
黒い皮ジャケットの腕をまくり上げ、コテツに詰め寄るカンカラ社長。
隆起した上腕二頭筋と上腕三頭筋、三角筋が拳骨の重さを物語っている。
コテツは(取引先の人間をぶん殴る社会人なんているのか)と疑問に思ったが、これ以上の拳骨は御免だと、必死に苦笑いで誤魔化す。
「あはは、おやっさん固いんだか……いえ、社長!」
睨みつけられたコテツは慌てて訂正する。
その様子にため息をつくカンカラ社長。
「そういうとこだぞコテツ。少しは出世頭のユーゴを見習え、まったく」
「いやいや、ユーゴのやつは俺とはデキが違い過ぎるんですよ。天才ってやつ」
「阿呆! ちゃんと努力しろって話だ!」
カンカラ社長にひと睨みされたコテツだが、怯まず堂々と胸を張る。
「してますよ! ほら、俺の愛刀【コテツ刀】で毎日一万回は素振りしてるんだから! 皆を守るために! ユニオン隊員になったんで!」
コテツは言うが早いか、腰の刀を勢いよく引き抜くと、目の前で素振りをして見せた。
一万回とうそぶくだけあって、刀を上段に構え、振り下ろすその動作には淀みはない。
「素振りの話しじゃなくてなあ……。そもそも、ライフルや砲撃で攻撃してくる相手にどうやって刀で戦うんだお前……。もっと普通の隊員として、皆を守ればいいんだぞ?」
カンカラ社長の半ば呆れた声にも、コテツは自身満々だ。
コテツは、ホルスターに固定されている拳銃を叩き、満面の笑みで報告する。
「こっちだってめちゃくちゃ訓練してます! もちろんモービルの運転も!」
刀をモービルに見立てると、コテツは運転する仕草をして見せた。
そのまま走りだしそうな彼の勢いに、カンカラ社長は思わず頭を抱えた。
「ったく、無邪気というかなんというか……。にしても、なんだ、そのくたびれた顔は。ちゃんと飯食ってんのかお前。体を壊すような無理しとらんだろうな?」
カンカラ社長は分厚い胸の前で腕を組み、遠慮なくコテツの顔をまじまじと観察する。
うっすらと目の下にクマのできた顔でコテツは苦笑いを浮かべた。
「なんか最近、見回りの回数が増えたんですよ。それでかな。あ、ちゃんと飯は食ってますよ! ビーフジャーキーは完全栄養食なんで! おやっさんに貰ったこいつにいつもいれて持ち歩いてるし」
コテツは腰に手を回し、ベルトから銀色のスキットルを抜いてカンカラ社長に見せた。
「お前またスキットルを悪用しやがって! そいつにビーフジャーキーを入れるな! 酒を入れろ! 酒を! ったく、値の張る良いもんなんだぞ、そいつあ。……んあ!」
カンカラ社長は、スキットルの口付近についた大きなへこみ傷を見つけ思わず釘付けになる。
何を見て驚いたのかと、コテツは手にしているスキットルを持ち上げた。
真新しい金属光沢が映える銀色の表面に、大きな凹み傷が一つ。
「あちゃー……さっきの枝かな……」
コテツは恐る恐る、カンカラ社長の顔を伺いみる。
案の定、額に浮き出た血管が頭頂部まで伸びていた。
「次から次へとお前は……!」
二人の会話に、重低音のエンジン音が割り込んだ。
脊椎反射のごとく、コテツはその音に敏感に反応し飛び上がる。
「こ、この音は、まさか」