0-27.死別②
岩床に頬をつけたゲン爺。
黒井戸小祠へ手を伸ばし、かすれた声で乞う。
「銀嚢さまぁ……お側にお仕えしとうて……七十年普請しました。やっとそちらへ……行けますじゃ……」
ゲン爺は、カガミを抱いて泣くコテツを一瞥し、黒井戸小祠へ両手を合わせた。
「けんど……お頼み、申します。……わしゃあここで朽ちてもええで……お側へ行けんでもええで……コテツ坊を……護ってくだされ……。どうか……コテツ坊を……」
冷たい岩床に横たわり、両手を合わせたまま、ゲン爺は息絶えた。
黒井戸小祠に巻かれた紙垂が、風もなく揺れる。
カガミの肩を抱きしめ、落とした視線のさきにライトが転がっていた。
ライトの照らす先を目でたどり、手を合わせて横たわるゲン爺の亡骸に気が付く。
「ゲン爺まで……なんだよ、これ」
ゲン爺の体にもカガミの傷跡に酷似した、細い線のような傷跡があった。
「盾になれなかった……?」
ゲン爺がカガミを庇い、貫かれ、2人ともが致命傷を受けたのだとコテツは理解した。
「誰が! どこのどいつがこんなことを!」
線のように細い刺し傷は、ボルト・オン・ナイフによるものだ。
ユーゴとの死闘で、コテツの体中に同じついた創傷と全く同じ。
「なんでだよ! カガミ! ユーゴ! ゲン爺!……おやっさん……なんで、なんで」
カガミの亡骸を強く抱きしめ、コテツは強く目をつぶった。
コテツは数十秒の間、微動だにしない。
目を開け、自らの腕の中、もう二度と微笑みかけてくれないカガミの黒髪を、優しくなでた。
「夢じゃないのかよぉ……目を開けたらさぁ……何もなくてさぁ……」
もう一度目を瞑る。
溢れる涙にぬれた目を開け、カガミに口づけをする。
「愛してる。愛してるよぉ……おおおぉ……」
徐々に熱を失うカガミの体。
コテツは、彼女の体に籠った熱が消えるまで、抱きしめ続けた。
岩肌のように冷たくなったカガミの体を、そっと地面に横たわらせる。
「カガミ、また来るから。ちゃんとするから」
コテツは立ち上がり、涙を拭う。
脳裏に、ユーゴの言葉が思い浮かんだ。
――エンブラ王家の姫ってのに会ってさ
銀霧峡へ落ちていく、ユーゴの虚ろな笑顔。
「エンブラの姫がユーゴを騙して」
道路に横たわるカンカラ社長、そしてマダム。
コテツを庇った、アリスカの特攻。
「エンブラ兵が皆を殺した」
二度と見ることができないカガミの笑顔。
「カガミを殺したエンブラを、俺は、絶対に許さない!」
コテツは、洞窟の出口へゆっくりと歩き出した。
その背を呼び止めるように、洞の奥から甲高い共鳴音が鳴り響く。
音は黒井戸小祠の中からだ。
まつられている濡焔が共振し、耳を劈く音を発していた。
黒井戸小祠の紙垂が、風もなく揺れた。
扉にかけられた武骨な南京錠が、真っ二つに割れ地面に落ち、金属音が洞内を駆け巡る。
異変に気付いたコテツは、ゆっくりと開く黒井戸小祠の扉を凝視する。
「ゲン爺の言ってた……濡焔、ギンノウ様の」
呼ばれるように黒井戸小祠へ歩み寄り、コテツは太刀を取った。
濡焔を腰に下げると、代わりに折れた自身の刀を黒井戸小祠へ置く。
「ギンノウ様、復讐を果たしたその力を貸してください。貴女が敵を皆殺し、焼き殺したように、紅蓮の怨嗟を……エンブラの奴らに! この怨みを! 奴らの内臓ににねじ込んでやる! カガミの受けた痛みを! 苦しみを! 絶望を! 苦痛に変えて! エンブラのやつらに味わわせてやる! どんなことをしても!」
コテツの瞳、そして涙が赤く染まり、左頬に火焔紋様が浮かび上がった。
柄を握るコテツの手から滴る血を吸い、濡焔は再び劈く共鳴音を発し、沈黙する。
直後、コテツの髪がじわじわと、業火の如く紅蓮に染まっていった。
「紅蓮の怨嗟を……俺は、紅蓮の怨嗟そのものになる。【紅怨の銀嚢】のように、仇を打ち、焼き滅ぼす! カガミの、皆の仇を! エンブラのやつらを、紅蓮の怨嗟で地獄に落とす! 必ず! エンブラは皆殺しだ! 俺は、今からグエンだ。……コテツじゃない」
グエンは社の扉を閉めると、両手を合わせて社に祈りをささげた。
「銀嚢様……その力を、分けてください。この命と引き換えに」
祠に背を向け、グエンは出口に向かう。
途中、岩床に伏した二つの遺体。
通り過ぎようとしたグエンだったが、足を止め、カガミの体をそっと抱き上げる。
「こんな冷たいところに、やっぱり放っておけないよな……」
カガミの体を大事に抱えると、グエンはゲン爺の管理小屋の中へと運び入れた。
再度洞に戻り、ゲン爺の遺体も管理小屋に運ぶと、グエンは管理小屋を後にする。




