0-26.死別①
強まる雷雨の中、コテツのモービルは銀霧峡大橋を渡り、ギンノウ山裏手の登坂路へ進入する。
しかし、登坂を進んですぐ、横倒しになった車両で完全に道がふさがれていた。
大型のグランディアでは通過できず、コテツはモービルを乗り捨て、走った。
肺が悲鳴を上げても、コテツは止まらない。
ブレードが刺さった右胸が、呼吸のたびに灼けるように痛む。
それでも、カガミの名だけを胸に、雷雨の暗がりをひたすらに駆けた。
コテツは護国王広場へ飛び込んだ。
闇夜の中、無数の火が点在している。
かがり火のような明かりの正体を確かめようと目を凝らし、コテツは思わず声を失った。
早鐘のように打つ鼓動に呼吸を急かされながら、それを必死で抑え、言葉が零れる。
「ひ、ひと……」
祭り用のやぐらや露天の残骸が燃え、火の粉を散らしている。
その周囲には、横たわり、折り重なる人影。
恐る恐る火に近づくが、微動だにしない人々の群れに、足がすくんだ。
ほとんどが祭りに参加していた観光客だった。
子供も多い。
カガミに似た背丈の少女を見つけるたび、顔を確かめていく。
「カガミじゃない……。……違う! 何をほっとしているんだ俺は!」
護国王広場を埋め尽くす人々、そのすべてを探している時間はない。
「そうだ、ゲン爺のところへ……」
呟くと、よろめく足を叱咤し、全力で走り出す。
崖側に沿って広場を駆け抜け、蛻の殻だったゲン爺の管理小屋を後にする。
洞の入口で、二つに割れた飴色の竹杖が目に入った。
「はあ、はあ、はあ……ゲン爺の、杖……」
荒れる呼吸を無理やり整え、恐る恐る洞へ足を踏み入れる。
暗い。
明かりは一つもなく、洞は闇に閉ざされていた。
ベルトからライトを取り出し、奥を照らすが、入口からでは何も見えない。
岩壁から染み出した雨水で濡れた岩肌。
手彫りの跡は雨水を含み、大蛇のうろこのように、ぬめりを帯びて不気味にうねって見えた。
「カガミ! カガミー! 生きてるだろ! 返事してくれ!」
不安を振り払うように声を張り上げるが、返事はない。
水のたまる石の地面を速足で進む。
祠まで、あとわずかというところで、ゲン爺が崩れた正座のまま岩壁にもたれ、うなだれていた。
「ゲン爺!」
呼びかけに、ゲン爺はゆっくりと顔を上げる。
「お……おう、コテツや。……すまんのう、老いぼれ1人じゃ、盾にもなれんで」
口から溢れた血が、顎から胸元を真っ赤に染めている。
コテツは呆気にとられ、言葉を失った。
「ゲン爺……」
「わしはええ、カガミを」
腹部を両手で押さえたまま、ゲン爺はわずかに顔を動かし、自身の背後を示す。
崩れ落ちるその姿を追っていたコテツは、背後の光景に絶句した。
濡れた地面に腰を下ろし、天井から滴る水に打たれるカガミ。
白いワンピースの胸元は黒く染まり、その染みはスカートの先端まで達している。
「カガミ!」
コテツはライトを放り出し、濡れた岩床に足を取られながら駆け寄った。
両肩を掴み、何度も名を呼ぶ。
「カガミ! カガミ! カガミ! カガミ!」
転がったライトが、濡れた石床を冷たく照らす。
ただひたすら、彼女の名を呼び続けた。
どれほど叫んだだろうか。
やがて、カガミの目がゆっくりと開く。
青ざめた薄い唇が、かすかに動いた。
「あ……良かったぁ……会えた…………ね」
消え入る声。
洞に滴る水音に、今にもかき消されそうなほど、か細い。
コテツの頬を、涙が伝う。
意志とは無関係に溢れる涙が、視界を歪ませた。
「カガミ、嘘……だ。いや嘘だろ。こんなのは嘘だから、大丈夫だから」
涙声を頼りに、カガミの目がわずかに動く。
吐血の跡が唇に残り、生気のない瞳は闇に沈んでいた。
愛する人の声を求め、カガミの手が宙を彷徨う。
「最後に……触れたい……よ……手……手……」
弱々しく伸ばされたその手を、コテツは両手で包み込んだ。
氷のように冷たい。
もう助からない――そう悟ってしまう。
最後の力を振り絞ったカガミは、コテツの頬に触れた。
彼女の視線が、もう自分を捉えていないことを知りながら、コテツは勇気を振り絞り、抱きしめる。
これが最後の別れだ。
そう認めなければ、今抱き留めなければ、彼女は孤独の中で死んでしまう。
声を押し殺し、コテツは泣いた。
「あぁ……コテツだぁ……幸せに、なって……お願いだから、お願い……だか……ら……」
腕の中で、カガミは静かに、ゆっくりと大きく息を吸い。
そして、息を引き取った。
二度と動かない体。
コテツはそっと、その顔を覗き込む。
「ダメだ、目を……息を吸って、目を開けてくれ。お願いだから……」
頬には、涙の痕が残っていた。
泣き崩れるコテツは、カガミに頬を寄せ、声を押し殺し、また泣いた。




