1-123.その手を取って
銀嚢は右手に握る濡焔を、グエンの持つ鞘に差し込む。
右手の甲でグエンの左頬、火焔文様を撫でると、立ち上がり、くるりと背を向けた。
着物の擦れる音と、揺れる鈴の音を残し、現れた時と同じく、壁のような境界へと姿を消す。
グエンは身じろぎもできず、銀嚢が消えた空間を見つめていた。
左頬の火焔文様は消え失せ、全身を冷たい汗が濡らしている。
――ドッドッドッドッド
エンジン音が聞こえる。グランディア特有の、低く重い鼓動音。
音が戻ってきた。
頭上を覆っていた闇に混じる焔の帯も、空中を舞っていた火球も消えている。
エリエラが床に視線を落とし、声を上げた。
「グエンさん! 下の様子が!」
水面へ向かって浮上していた山が、ゆっくりと中央から裂けた。
守護山脈を揺らす海鳴りを引き連れ、山は水底へと沈んでいく。水面であった床も、もとの橄欖石の床へ戻っていった。
同時に、林立していた巨人リクセンと大型リクセンが、前触れもなく倒れていく。例外なく、すべてのリクセンが脳天から垂直に断ち切られ、床に激突して砕けた。
橄欖石の床の中で光を放っていた泡も消える。泡から姿を変えた碧銀核もまた、床の中で断ち切られ、脈動を失っていた。
正座をしたまま、グエンは肩を上下させて大きく息を吸い、目一杯吐き出した。
「ふうぅぅぅぅぅぅっ!……本当に、死ぬかと思った……」
巨人リクセンが崩壊する轟音が、橄欖石の間を駆け巡る。
重殻機兵隊は、押し寄せる残骸の回避に翻弄されていた。
幸いグエン達のすぐ近くに巨人はいなかったが、轟音と衝撃波が容赦なく体を打つ。
デラダン機がその場で旋回し、周囲の光景を確認した。
『な、なんかリクセンどもがガンガンぶっ倒れてってますぜ。なんだあ? いきなり……電池切れっすかね……? って、アニキ、なんでそんなとこで正座なんてしてるんすか?』
『いや、ちょっとな。たまには、低い所から世界を見上げないとなと思って』
『へ? へえ』
『音がすっごくて耳が痛いよー』
キトはモービルのシートに座りながら、巨人が床へ倒れ、粉砕される音に耐え兼ね、垂れた犬耳を両手で押さえる。その肩の上で、オライオンは空気に残る懐かしい銀嚢の匂いに気づき、スンスンと鼻を鳴らした。
残骸の激突する音は、橄欖の間全体に溢れたが、インカムはグエン達の声だけを伝えている。ユイークが遠くアジトにいながら、ノイズキャンセルの度合い調整や、イオル隊とのチャンネルを断つなど、人知れずせわしなく調整をしていた。
エリエラがモービルから降りると、グエンのそばまで歩み寄ってしゃがむ。
「グエンさん、今のは何が起きたのでしょうか。それにさきほどの方はいったいどなたでしょう。別の、なにか……言葉では現わすには難しい体験でした」
「さっきの女性は……そうだな、俺が信じる神様……だな。なんで現れたのか、俺にもよくわからない。本当なら、呼び出すにはそれなりの準備とかあるんだが……いきなり来てびっくりしたよ。落ち着いたら調べたいね。ああいう感じで来られるのは、二度とごめんだからなあ」
グエンは自分の言葉を噛み締める。
巨神が善か悪かは定かではない。だが、銀嚢が善悪を量って血を断つ神ではないのは確かだ。
自身が咄嗟に口にした言葉を聞き入れ、あの気まぐれな神が何を、どれだけ断ったのか。
今となっては知る術もなかった。
問答を間違えれば、この場にいる全ての人間が死んでいた。それを避けられたことが全てだと自身に言い聞かせ、グエンは心底安堵する。
「おそらくリクセンどもはもういないだろう。そうだ。エリィ、世界樹が星を食らうとか言っていたが……う」
グエンは軍刀【濡焔】を腰に下げ、ゆっくりと立ち上がる。
途端に視界が揺れ、足元がふらついた。
炎を使い果たした感覚だ。
左頬を撫でられた感触が蘇る。グエンは、銀嚢に炎を吸い取られたことに気づいた。
力を込めれば炎の気配はある。力そのものを奪われたわけではない。
ほっと胸を撫で下ろす一方、勝手に現れ、駄賃代わりに力を吸っていった師を思い浮かべ、苦笑いを浮かべる。
(すこし炎を残しておいたのに、根こそぎもっていくとはなあ……)
よろめくグエンの体を、エリエラが抱き留める。
ふわりと甘い香りが、グエンの鼻孔を撫でた。ネモフィラとランカの香水だ。
香りに意識を向けたグエンは、ふと体が軽くなっていくのを感じる。はじめは香りのおかげで一瞬気だるさを忘れたのかと思った。だが、はっきりと炎の力が戻っていく。血が通うように、温かな流れが全身をゆっくりと巡る。
「この感覚……まさか」
グエンはエリエラから体を離す。
途端に、体を巡る熱が穏やかになった。そっとエリエラの手を取ってみる。
彼女に触れた手のひらから、手首、前腕、二の腕へと、はっきり熱いものが伝わってくる。
これまで、ノダナ族の不思議な力で炎の力を癒してくれたと思い込んでいた。だが、体を巡る熱そのものがエリエラから注がれているのだと、グエンは確信した。
エリエラは不思議そうにグエンの目を見つめる。
「わたくしの手が、どうかしましたか?」
「ああ、いや……。俺は守る守ると言っておいて、実はここにも支えてくれていた人がいたんだなと、知ったところだ」
「そう、なんですね……」
「ああ……」
手を握ったまま、二人は固まる。
続く言葉を、お互いに探していた。
デラダン機がすーっと移動し、グエンの後ろに立つ。
フェイス装甲は外れ、ハートの入れ墨が彫られたスキンヘッドが露になった。
「そっすね! アニキのクソの世話までした姐さんに! 姐さんを追って飛び出したキト。そして背中で語る男デラダン! 仲間の絆ってやつっすよ!」
「グエンさん、謝らないとダメだよ!」
モービルのシートに座るキトの声は、いつにも増して大きかった。
キトはモービルから飛び降り、グエンとエリィの横へ駆け寄る。
グエンの目がキト、デラダンの顔を順に追い、最後にエリエラの顔へ向く。
グエンはふと目を伏せかけ、泳いだ視線を上げると、エリエラの目をしっかりと見据えた。
「エリィ、ひどいことを言ってすまなかった。遅れてしまったが、約束を果たしに来た。俺は騎士ではないが、守らせてくれ」
「……わたくしは、エンブラの姫です。それは変わらないのです」
「デラダンに怒られたよ。エリィは、エリィ。エンブラだとか関係がないと」
「それで……よいのですか? グエンさんは、許せるのですか? 王家のわたくしを」
「エンブラは許せない。が、エリィは仲間だ。今は、それでいいと思っているよ。俺は、こんなに力強く背中を押してくれる仲間達に出会ったんだ。今は、それを守りたい」
「わたくしはエンブラの姫でなど、ありたくはありません。それでも、この身には王家の血が流れ、黒薔薇姫と蔑まれるのが事実。わたくしを迎え入れれば、皆さんに迷惑がかかってしまいます。今も、わたくしを利用しようと、白鯨騎士が……ですから、わたくしは……」
エリエラは言葉を失い、俯いた。
「俺はエンブラへの復讐をやめるわけじゃない。エリィは仲間だから守るが、エンブラが向こうから来るなら好都合だ。矛盾しているだろう? けど、これが俺の答えだ。それでも良いなら、エリィ、もう一度仲間になってくれ」
グエンの言葉に、エリエラはゆっくりと顔を上げる。
赤い瞳が、まっすぐエリエラを見つめていた。
横ではキトが口をへの字に曲げてじっと見上げ、グエンの後ろでは、デラダンがデッキブラシのような髭の中から真っ白な歯を見せてニカっと笑っている。
エリエラの視線が泳ぐ。
グエンは一言加えた。
「エンブラの国ごとぶっ潰せば、エリィはエンブラ王家の姫ではなくなるだろう?」
その言葉に、エリエラは顔を上げた。
考えたこともない発想。途方もない言葉に、恐ろしくも望外の希望を垣間見る。
今こそ壮途の時なのだ。
エリエラは己を奮い立たせる。
「ああ、翼を得たような気持ちです。ふつつかな姫ですが、皆さんと一緒にいさせてください」
「ああ、俺の方こそ、よろしく頼む」
「やったー!」
「やりやしたね! アニキ! 姐さん! キト!」
キトが跳び上がって喜び、グエンとエリエラに抱き着く。そこへデラダンの操るヘビークラストの両腕が回り、三人をふわりと抱き上げた。
まるでフォークリフトにでも持ち上げられたような感覚に、グエンは苦笑しながら、その左手は軍刀の鞘に添えられている。
闇の中に潜み、こちらを窺う二つの視線を感じていたからだ。
喜びを分かち合う一行のもとへ、エンジン音が近づいてくる。
ヒッジスとユイナを乗せた軽高機動車両だ。
その後ろには、四機の黒いヘビークラストが続く。
一機のフェイス装甲が外れ、中から顔を覗かせたのはガングー。栗毛をオールバックにした、彫りの深い目鼻に薄い眉毛。がっしりした顎骨の中心には、見事に割れた顎を持つ若者だ。
ガングーは眉間に深く皺を刻み、これでもかと顔を歪ませて怒鳴る。
『おいグエン! てんめえ! なぁぁに勝った後みてえな空気出してんだ! まだ何にも解決してねえんだぜ!』




