第十一話 ツンデレ妖精
「……なに? あんまりじろじろと人の顔みないでくれる?」
妖精は少し不機嫌そうにしてマナたちの前を飛んでいた。
透明感のある紅梅色の長い髪は、ゆるく編まれた三つ編み状になって顔の左右から垂れている。
ふんわりとした白いレースのワンピースが風にひらひらと靡き、透き通った羽は宝石が散りばめられたようにキラキラと色を変えて輝いていた。
「あ、ごめんなさい! 私、妖精って初めて見たから嬉しくて……! 想像以上に綺麗で見惚れちゃった!」
謝罪したマナの顔は笑みでいっぱいだった。
文献などから、なんとなく妖精のイメージは抱いていた。
だがやはり実際に目にすると、想像していた以上に小さくて可愛らしくて、そしてなんて神秘的な存在なのだろう。
マナは目を丸くしたまま、初めて見る妖精にひたすら感動をしていた。
「別に、褒めてくれたからって何も出ないんだから」
妖精はツンと顔を背けてたが、ほんのりと紅潮させている。
まがりなりにも喜んでいるのだろうか。
その仕草が微笑ましく感じたマナは、また嬉しそうに声を上げる。
「私、マナっていうの! こっちはレイ! あなたの名前、教えてほしいな!」
「……レティシア」
横目でちらりとマナに視線を向け、唇を少し尖らせながら妖精は名乗った。
拗ねているようで、照れくさそうでもある。
「ありがとうレティシア! 名前まで可愛いのね!」
マナは「よろしくね」と顔を傾ける。
そんな彼女のまっすぐな純粋さに押されたのか、レティシアの表情が少し和らいだ。
「……あなた、なんだか調子狂うわね」
レティシアは困惑気味になりながらも、わずかな笑みを浮かべている。
少しずつだが、マナに心を開き始めたのかもしれない。
「で、普段は引きこもっている妖精が何故出てきた?」
「別に好きで引きこもってるわけじゃないわ」
先ほどの仕返しと言わんばかりにぶっきらぼうに水を差してきたレイに、むっと眉根を寄せたレティシアが言い返した。
そしてレイの言葉をハッと思い返す。
確かに、妖精はあまり人前に出てこないと文献で読んだ記憶がある。
人知れず小さな集落を作って、そこでひっそりと暮らすのだと。
中には妖精と共存する国もあるようだが、まさかこの地区に妖精がいるなんて考えもしなかった。
「聖女と悪魔なんて異色の組み合わせだったから、どんなものかと思って覗いてただけ。それが急に、あんなことしだすから……」
レティシアは言葉を濁しながら口をすぼめていく。
──あんなこと……。
先ほどの出来事を思い出したマナは顔を赤らめ、両手で頬を覆う。
既のところで声をかけてくれたレティシアに、心の中で何度も「ありがとう」と叫んでいた。
「お前がいるということは、ここにはまだ他に妖精がいるんだろう?」
レイは確信しているかのような口振りで言う。
──そうだ。集落を作ってるなら、他にたくさんの妖精がいるはず……!
マナの目が再度キラキラと輝く。
「……まあ、そうね。聖女が妖精狩りなんてしないだろうし、悪魔だって何かしでかすつもりでもなさそうだし……」
「ねえレティシア! 私、レティシア以外の妖精にも会ってみたい! あなたたちのこと、もっと知りたい!」
腕を組んで「うーん」と考えているレティシアを遮るように、マナは高揚感に溢れた明るい声を出す。
その瞳がレティシアの心をまた少し開かせた。
「あなた……マナだったかしら。本当、調子が狂うわね」
レティシアは根負けしたように全身の力を抜いた。
「……いい? ここは『妖精の聖樹地』。この大樹の中にもう一つ空間があって、私たちはその中で暮らしているわ。でも、中では外の様子がわからないから、誰かしらが外に出て見回りをするのよ」
レティシアの視線がふと大樹へと向かった。
安らいだ瞳からは、この場所に対する敬意と愛着を感じる。
「あと、果物を取ったり蜜を集めたりもするわね。で、ちょうど私が外に出たタイミングであなたたちがやってきたってわけ」
「そうなんだ。全然知らなかった」
マナは感心するように大きく息を吐き、目を見開いた。
文献だけでは全てを知ることはできない。
実際に見て、聞いて、触れてみないとわからないことが、まだまだたくさんあるんだろう。
「まあ知らない人間の方が圧倒的に多いでしょうね。そのくらい私たちの存在は秘密裏なのよ。マナも多言無用でね」
「うん、わかった。でも、どうしてそんなに秘密にするの? こんなに綺麗なんだもの、みんな妖精を大事にしてくれるって思うんだけど……」
マナの何気ない問いに、レティシアは答えを詰まらせた。
その表情が徐々に青ざめていくのが見て取れる。
代わりに答えたのは、レイ。
「綺麗だから搾取される。お前は知らないだろうが、妖精は裏社会で高く取引されている。生身で引き渡されるなら、まだマシな方だな。一番価値があるのは、その羽」
レイは淡々と話し、レティシアの羽を一瞥する。
「生きているうちに羽をもげば、それは朽ちることなく、一生輝き続ける。そして羽をもがれた妖精は、どうすることもできずに死んでいく。なんとも悪魔的な所業じゃないか」
そう言った彼は、小気味よさそうに笑っていた。
──そんなことが。
どうしようもない不快感が襲ってきたが、レティシアが何も言わずに顔をうつむかせていることが何よりも堪えた。
「ごめんなさい。私、何も知らずに無神経なこと聞いちゃった」
マナは腰を折り、地面の方へと視線を落とす。
弱冠十五歳の、のどかな田舎の環境で育ってきたマナがそれを知る由もない。
それでもマナは無知を恥じ、レティシアを傷つけてしまったことを申し訳なく思った。
「いいの。マナが悪いわけじゃないから。……まあ、だから人間たちにはバレないように引きこもってるってわけ」
大きくため息を吐いて、マナの頭を撫でる。
「みんながマナみたいに思ってくれれば良いんだけどね。でもありがとう、マナの気持ちはすごく嬉しいから」
「レティシア……」
マナが顔を上げると、彼女は「もう大丈夫」と笑っていた。
そしてそのまま悪戯そうに、マナの頬を小さな指で軽くつつく。
「じゃあ、辛気臭いのはもうおしまい! あっちの木で仲間が果物を取ってると思うから紹介するわ」
レティシアは出会った時のような、強気でハキハキしたとした女の子に戻っていた。
なら自分だって、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
「……うん、ありがとう! レイも行こう」
「俺はいい。お前たちだけで行ってこい」
そう言い放つと、止める間もなくすぐに背を向けてどこかへ立ち去った。
あまりの他人行儀感に、つい「もう……」と息が漏れる。
「……相変わらず無愛想なんだから」
「ねえ。マナとあの悪魔って、どういう関係なの?」
間髪を入れず、レティシアがにやけ顔で単刀直入に聞いてきた。
その質問に、思わず硬直してしまう。
「キスしようとするんだもん、やっぱり恋人?」
「そんなんじゃないから……! あ、他に妖精がいるの、あっちって言ってたよね!」
顔を真っ赤にしたマナは、その質問から逃げるよう足速にレティシアの言っていた木の方へと向かう。
──どういう関係?
力を貸してもらう代わりに、大聖女になったら心臓をあげると契約を交わしただけ。
それ以上でもそれ以下でもない、はず。
なのにどうしてか、胸の隅が熱い気がする。
──なんで……?
歩みは自然と速度を落とし、頭の中で答えの出ない自問自答を繰り返す。
しかし、それもすぐに止まってしまう。
「……いやあ‼︎」
後ろからレティシアの叫び声が聞こえ、マナは勢いよく振り返った。