赤坂にて
4年後の春、直堅は大野藩の屋敷を出て約束通り江戸城から近い赤坂に与えられた自分の屋敷に移った。屋敷と言ってもこじんまりとした小さな屋敷である。近くには島津の殿様の大きな屋敷があるが、比べ物にならないくらい狭い。つい最近まで御家人だった長谷川様が住んでいたが、お働きが認められご加増があり、品川のもっと大きな屋敷に移られたので、そのあとに直堅が入ることが出来たのだ。まだ家族のない直堅は独り身のまま家に入ったが、長谷川様に仕えていた使用人たちが数人残ってくれたので身の回りのことで困る事はなかった。3000石は一人では使い切れない金額なのだ。
幕府では勘定方に採用され、莫大な支出の経理担当の一翼を担うことになった。仕事は難しかったが、じきに慣れていった。毎日が充実していた。
赤坂の屋敷に入って一月ほどしたころ、福井藩の松平昌親が突然訪ねて来た。当時は50万石になってはいるが越前藩の大大名が親戚筋とは言え僅か3000石の直堅の屋敷を訪ねるなどということは考えられなかった。わずかな警護の家来に守られて頭には黒い頭巾をかぶりお忍びで屋敷に入って来た昌親は表玄関で直堅を呼ぶように家人に告げると、勝手知ったる親戚の家のように奥に入っていき、客間で上座に座って直堅を待った。暫くして直堅が客間に現れると上座に座った昌親が
「久しぶりだな、直堅。お前が福井から出奔する直前に鯖江に来て以来だな。今日はお前が幕府から授かった赤坂屋敷を一度見たくてやってきた。それにしてもお前は余計な謀をしてくれたな。おかげで松岡藩の昌勝公の息子を養子にする羽目になった。俺にも正室の息子はいないが、妾には男の子がいるのだ。その子に後を継がせてもよかったのに。おかげでわしは表向きは引退したが、松岡藩から来た綱昌はまだ力量が足りないのでほとんどわしが取り仕切っておる。どうもわしのことが煙たいようだが、わしの言うとおりにしておけばよいのじゃ。」と義理の親子関係がぎくしゃくしていることを直堅に吐露した。直堅は福井藩の将来の安泰を願って松岡藩の綱昌を養子に迎えることを進言したが、現実にはうまく行っていない様子を感じて
「叔父上様、今は綱昌様が福井藩主のお立場ですので、彼のことを立てて叔父上は少しひかれた方がよろしいのではないでしょうか。」と進言した。その言葉を聞いて昌親は顔を赤らめて怒りを表し
「何を言うのだ。なぜ福井藩を継いだわしが、あのようなものを養子に迎えなければならないのだ。将軍様の御裁定なので従ったが、到底納得できかねる。あやつは今すぐにでも昌勝公の所へ送り返したいような気持だ。昌勝公も息子が福井藩主になったことで、福井城内での振る舞いが横柄になっている。兄とは言え、許しがたい。」と血相を変えている。直堅は昌親の形相を見て
『福井藩の世継ぎ争いはこれからも続きそうだ。』と感じてため息をついた。そして昌親に向かって
「叔父上、どうして福井藩は正室から男子を産ませて、静かに代送りが出来るようにならないのですかね。もしかしたら見えない力が働いて世継ぎを産ませないのですかね。」と不穏な発言をした。昌親は直堅の新しい考えに表情を変えて
「ではそなたは誰かが福井藩を弱体化させるために、何か不穏なことをしていると申すのか。」と直堅の耳元で小さな声で囁いた。直堅は
「考えてもみてください。藩祖結城秀康様の兄上、信康様は謀反の疑いをかけられ死に追いやられ、御長男の忠直様は御乱心の上、蟄居。私の父であり叔父上の兄である4代目の光通様は正室に男子が生まれなかった。そして叔父上も正室から男子は生まれておりません。この一連の出来事は偶然でしょうか。そして私が毒殺されかけた事件は闇に葬られていますが、何者かが毒を盛っています。福井藩に世継ぎが無くなって一番得をするのは誰だと思いますか。」と昌親の方を見ながらにやりと笑った。
「誰が得をするというのだ。そんな者は誰もおらんではないか。」と少し取り乱した感じで言うと落ち着いた声で直堅が
「もともと福井藩は何万石だったかご存じですよね。初代結城秀康公は徳川家康公から100万石を約束され、福井で67万石。その後長男の忠直公に67万石はお譲りするが、ご次男以降には、忠昌公の越後高田藩が25万石、直正公の大野藩が5万石、尚基公の勝山藩が3万5千石、直良公の木本藩が2万5千石、合計して100万石をわずかに超えるのですが加増分はすべて幕府から頂いているのです。しかし時代が変わり、天下泰平の世になってくると幕府も新しい領地が増えるわけではないので、分家筋や旗本御家人たちに分け与える領地に困って来るでしょう。だから不祥事があった多くの大名が改易となり、領地を減らされたりお家取りつぶしになったりしているのです。その中でも最も取りやすい藩はどこかと言うと福井藩だったのではないでしょうか。もともとは加賀百万石の前田家に対抗するために越前に結城秀康を配置したのだと思いますが、天下泰平で加賀藩が謀反を起こすことは考えられません。だったら越前にこんな大きな藩はいらないかもしれませんね。そうなると福井藩にいろいろな難癖をつけて不祥事を起こさせるにはお家騒動を起こさせ、内部分裂を起こさせるのは幕府の狙いにぴったりとあてはまると思いませんか。」直堅の話に昌親は心臓をわしづかみにされたような衝撃を受け、目が点になっていた。
「幕府の中の誰がそんな恐ろしいことを考えるというのだ。そんな馬鹿なことがあってたまるか。」と吐き捨てるように言うと直堅はさらに落ち着いた表情で
「忠直様がご乱心とされたのは福井藩に召し抱えられた幕府からの家臣たちが中心になって、江戸に直訴したというではありませんか。幕府の隠密として福井藩に入り込んでいたのでしょう。私の父、光通の正室、国姫に男の子が生まれなかったことも秘かに薬を盛られていたのかもしれません。戦国時代以来徳川家には多くの隠密がいて、忍者もたくさん抱えています。どんなことでも出来ると思いませんか。」と続けた。昌親は周りを見渡して不安げな表情で
「この話ももしかしたら天井や床下で忍者が潜んで聞いているかもしれないのだな。」と疑心暗鬼な表情で直堅に聞いた。直堅は静かにかぶりを振った。
昌親はうつむき加減に帰って行ったが、直堅の話は全て仮定の話である。もしかしたらという戯れかも知れない。しかし偶然にしては出来すぎだし、福井藩のお家騒動はこれで終わったわけではない。この直後には6代目の綱昌が御乱心で蟄居させられ、7代目には昌親が返り咲き知行半減の裁きを受けて25万石に減らされている。世継ぎには松岡藩から吉邦を迎えて8代目に就任させることになる。血塗られたお家騒動は福井藩の伝統ともいえるかもしれない。騒動は収まることを知らず、幕末には16代藩主に松平春嶽がついているが、江戸田安家からの養子である。最後の最後まで世継ぎ騒動が収まらず、江戸時代を終えてしまったのかもしれない。
権蔵はそんな福井藩の歴史の中のほんの一場面の登場人物に過ぎないかもしれないが、騒動の大きな種を残し解決方法を探った重要な人物かも知れない。
福井藩の騒動を扱った作品は「松平家の盛衰」という作品もあります。よかったら読んでみてください。評価やブックマークをよろしくお願いします。




