第八話 天地開闢
とある執務室で、1人の男が書類に目を通していた。
整った顔をした男だ。腰まで伸ばされた艶のある黒髪をハーフアップでまとめ、羽の形が彫られたバレッタでとめている。身を包む真っ黒い軍服は、詰め襟と袖口のみ深い紅色をしていた。
そして耳が、普通の人間とは違っている。いわゆるエルフ耳というものだ。横に尖ったその耳にはいくつかのピアスが並んでおり、特に右側で揺れる、大きい飾りのついた物がよく目立っていた。
男は時々スルリと零れ落ちる長い黒髪をその耳にかけながら、1枚1枚丁寧に書類を確認していく。見落としがないよう、真剣に。瞳には、文字の列が映っている。
その時、コンコンと2回。軽いノックの音がした。
「入れ」
「失礼します、コーダ長官」
コーダと呼ばれたその男が許可を出すと、執務室のアンティークな扉が開く。
入ってきたのは1人の女だった。コーダと同じデザインの黒い軍服を着ている。だが、詰め襟と袖口の色はコーダとは違って深い緑色であり、下に履いているのはピタリと体のラインに沿うタイトスカートだ。ボブカットの髪は、毛先にいくにつれて白から薄ピンク色に変化しており、綺麗なグラデーションを作っている。頭部には、人間にはありえない羊のような角が生えていた。
「なにかあったのか、リト次官」
コーダは顔を上げ、長い黒髪をさらりと揺らしながら問う。リトという女性は背筋をぴんっと伸ばしながら、静かに口を開いた。
「先程、リュカ一等兵から連絡がありました。水の鍵と、水の化身アクアンの居場所が分かったようです」
「そうか、ならすぐ手に入れるよう伝えろ」
「はい。ですが……」
リトの口が一度閉じる。
いつもはハッキリと物を言う彼女には珍しいと、コーダは瞬きをした。
「……何だ?」
言葉に少しの圧を加え、コーダは先を促す。
何か報告しにくいことでもあるのかと言いたげなその様子に、リトは観念して溜息をついた。
「捕獲しようとしたところ、一人の人間がアンロックに成功。水の力を使いこなしたとのことです。それも、断ち切る急流の拳を発動させたらしく……」
「……そうか」
リトの報告した内容に、コーダは顔色を崩さず答えた。けれども少しばかりの沈黙が、彼の動揺を表している。
それほどまでのことなのだ。今彼の中では……いや、この魔界では、とんでもない計算違いが起こってしまっていた。
コーダは溜息と共に目を閉じる。
たとえ何が起ころうとも、やり遂げなければならないことがあるのだと、コーダはずっと思っていた。そのためにはきっと、これは、乗り越えなくてはならない壁なんだろう。
「神は、どこまでも俺達の邪魔をするということなんだな」
切れ長の目がゆっくりと開く。コーダのくすんだ紅い瞳に、鋭い光が灯っていた。
――天地開闢、それは天と地が別れた、世界のはじまり――