第一話 ノートは新君が見せてくれました
血溜り。
兄貴の叫び声。
揺れるプラチナ色の髪。
崩れる世界。
歪む視界。
そして、俺は……。
――――。
―――――――――――。
「……お……彦……」
「は……る……」
「おい!治彦!」
「……あ?」
呼びかけられた声に反応し、沈んでいた意識が急浮上する。
閉じていた瞼が反射的に開き、暗かった視界が急にパッと明るくなった。太陽の光じゃなくて、なんつーの?もっと、人工的?みたいな?そんな光。
その眩しい光と一緒に、目の前に広がる机の木目だとか、開かれている真っ白いノートだとかいろんな情報が脳に伝わる。けど、先程まで停止していた思考では情報処理がなかなか進まない。そのせいで、今どういう状況かもよく分からない。
あれ……ここは……?
ぼーっとして、頭が働かない。なんだかもやもやとした感覚がまとわり付く。
脳内は今めっちゃ頑張ってるんだろうが、現状把握するだけでもてんてこ舞いだ。お世辞にも良いとは言えない俺の頭じゃ、その辺りの手際が悪い。
俺は……?あれ、俺何してた?
「何だよ寝ぼけてんのかよ」
覚醒しない頭がなんとか稼働しようと頑張っていると、目の前に迫る友人の顔。どうやらぼーっとした顔をしていたみたいで、呆れたように笑われる。
寝ぼけて……?あ、そうか。俺寝てたのか。
少し長めの前髪を横に流した男の台詞に納得した。目の前の友人……山部新から少し視線を外して周りを見てみると、白い文字の跡が残る黒板に、真っ直ぐな列とは言いがたいガタガタに並ぶ机達。それに部屋のあちこちでグループが固まっている状況、響く笑い声、楽しげにはしゃぐ高い声……と、休憩時間真っ最中なお馴染みの教室が広がっている。休み時間ということは授業は終わっている訳で……つまりは授業中に寝ていた、って事だな?ぼーっとして、頭がどうにも働かないのはそのせいか。……ノートが真っ白なのも、そのせいか……!
「うっせ、昨日ちょっと夜更かししてたんだよ」
笑われたのが少し癪だったので、口を前に突き出しムッと尖らせる。
そうだ。昨日の晩はちょっとばかし頑張っていたんだ。
何をって?ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれた。それはもちろん、大好きな家族の1人である妹のために、心を込めてタオルに刺繍を入れていたのだ!
タオルは妹の部活……バレーボール部で使う必須アイテム。汗を多くかく運動部の必需品。
ハードな練習で流した汗を、ふわふわとした感触のタオルで拭う。瞬間、鼻先を包み込む柔らかく優しい柔軟剤の香り。それにプラスして今回の愛情こもった俺の刺繍。うん、兄の愛を余すことなく受け取れるこの工夫、俺の全身全霊を込めた愛……これは活力アップ間違いないだろう。
大会も近いと言っていた。最上級生が抜けてから初めての試合だそうで、なんと妹は1年生ながらにしてレギュラーらしい。
これは兄としては全力で応援するしかない。だからこその刺繍。使うたんびにお兄ちゃんを思い出してほしいものだ。
「おい、なーにニヤニヤしてんだよ」
完全に妹へとシフトしていた思考が、再び呼び戻される。
おっといけね、と思いつつもニヤニヤしてたか?と疑問が浮かんだ。
うーむ、どうやら無意識に口角が上がってしまったらしい。妹パワー恐るべし。あの可愛さに勝てる者は絶対にいないな。
「んーいやなんでもねぇよ。ただ妹は可愛いよなってだけで」
「うわ出た、治彦のシスコン」
心の内をありのままに晒け出すと、うわーっとドン引きをくらった。
なんだよ妹可愛いだろ。世界の常識だろ。いやむしろ宇宙規模の常識だろ。
「妹なんてそんないいもんか?基本兄には対応きついだろ妹」
「あ?そこがいいんじゃねぇか、可愛いだろうが」
「うーわ理解できないわシスコン脳」
「シスコンってか……ファミコン?」
新が俺に対してドン引きという顔をみせているところへ、大きな陰が落ちる。2人して顔を上げると、俺達のすぐ横にそばかすが目立つタッパのある男……川島恵助が立っていた。見ると人からお人好しそうだと言われる顔をにこにことさせている。
「あーそうだった、こいつ妹だけじゃなかったんだった!」
恵助の言葉に反応し、新がうがーと声を上げた。
続けて、「そうだ、こいつ兄ちゃんも父ちゃんも、母ちゃんも大好きなんだった」という嘆きが飛び出す。
ちょ、おいなんだその反応は!確かに俺は家族全員愛してるけど!兄貴も父さんも最高にかっこいいし、母さんもかわ……かわ……?いや、かっこいいと思ってるけど!
「なんだよ!いいだろ家族大好きでも!」
「いやまぁいいんだけど、お前のは度合いがなー」
「なー」
新と恵助がなーと顔を見合わせる。いや、何がなーだよ。
そんな?俺そんなにひどいの?ファミコンは自分でも認めてるけど(むしろ誇らしい)そんな引くほど?
「でも、そうやって家族が好きって堂々と言えるの、俺すごくいいと思うよ」
俺が納得いかない顔をしているのを見てか、恵助がゆったりと笑った。短い前髪によってオープンとなっている、優しげなタレ目がきゅっと細められる。
「男子高校生で、ここまで友達に家族のこと自慢できるってそうそうないよ」
「まぁ確かにそうだよなー普通恥ずかしくて言えねぇわ」
続けて新も口を開く。いつも軽口をたたく口元が呆れた風に歪められた。だがそのわりに、つり目であるその目元はにやりとしている。
なんだよ2人して。落として上げる作戦か?それとももう一回落とす気?
「……本気で言ってる?」
「本気本気」
俺がじとーと見つめると、2人は真顔で顔を近づける。
一瞬の間。後に3人同時にぶっと吹き出した。