幕間:太陽くんと、朝みたいな子
過去の話です
堂条太陽という名前を聞いた時、結城和叶は素直に思った。
すごい名前だ、と。
だって太陽である。
空に浮かんでいる、あの太陽だ。
朝になれば勝手に出てきて、昼には世界を明るくして、夕方には少し寂しそうに沈んでいく。
そんなものを名前にしてしまうなんて、堂条家の人たちはずいぶん思い切ったことをする。
和叶はそう思った。
だから、本人に会った時も、最初にそう言った。
「太陽くんって、名前すごいね」
白い病室のベッドの上で、少年は少しだけ困ったように和叶を見た。
細い腕。
薄い色の肌。
窓際に置かれた小さな花瓶。
そこに差した花の方が、まだ健康そうに見えた。
「……そうかな」
「そうだよ。だって太陽だよ? いるだけで朝みたいじゃん」
少年は、ほんの少しだけ目を伏せた。
「僕、そんなに明るくないよ」
「じゃあ、これから明るくなればいいじゃん」
「簡単に言うね」
「うん。難しく言うと、できない気がするから」
和叶がそう言うと、太陽は少しだけ笑った。
それは本当に少しだけの笑顔だった。
けれど和叶は、その笑顔を見て、あ、勝った、と思った。
何に勝ったのかは分からない。
病気か。
退屈か。
この白すぎる部屋か。
それとも、太陽くんの中にある、よく分からない諦めみたいなものか。
分からないけれど、和叶はとにかく勝った気がした。
「ねえ、太陽くん」
「なに?」
「歌、好き?」
「……聞くのは、少し」
「じゃあ歌ってあげる」
「え?」
「今、歌ってあげる」
太陽は目を丸くした。
和叶は椅子に座ったまま、背筋を伸ばした。
病室で大きな声を出してはいけないことくらい、和叶も知っている。
だから小さく歌った。
誰かに聞かせるための歌ではなくて。
遠くまで届かせるための歌でもなくて。
白い病室の中で、ベッドの上の少年ひとりにだけ届けばいい歌だった。
太陽は何も言わずに聞いていた。
途中で窓の外を見た。
それから、もう一度、和叶を見た。
歌が終わると、病室はまた静かになった。
「……朝みたいだね」
太陽がぽつりと言った。
「え?」
「和叶ちゃんの歌」
「私?」
「うん」
太陽は窓の外を見たまま、続けた。
「眩しいっていうより、朝みたい。まだ全部明るくなってないけど、もう暗くはない感じ」
和叶は一瞬だけ黙った。
それから、にへっと笑った。
「じゃあ、太陽くんと一緒だ」
「僕?」
「うん。太陽くんもまだ朝だから」
「……朝?」
「まだ昼じゃないだけ。だからこれから明るくなる」
太陽は何かを言いかけて、やめた。
その代わりに、少しだけ笑った。
和叶はその笑顔を見て、また勝ったと思った。
やっぱり何に勝ったのかは分からなかった。
けれど、たぶん、それでよかった。
その日の帰り際、太陽は和叶に聞いた。
「また来る?」
「来るよ」
「本当に?」
「うん。歌の続き、まだあるから」
「続きがあるんだ」
「あるよ。歌っていうのはね、だいたい続くんだよ」
和叶が得意げにそう言うと、太陽は小さく頷いた。
「じゃあ、待ってる」
「うん。待ってて」
和叶は手を振って病室を出た。
廊下には、堂条家の大人たちがいた。
難しい顔をした人たちだった。
和叶には、その人たちが何を考えているのかは分からなかった。
ただ、太陽くんの病室の前に立つ大人たちは、みんな少しだけ影みたいに見えた。
だから和叶は思った。
あの部屋には、また行こう。
歌の続きを持っていこう。
太陽くんは、まだ朝だから。
まだ、明るくなる途中だから。
その時の和叶は、知らなかった。
朝が必ず昼になるとは限らないことを。
太陽という名前を持つ子が、必ず長く空にいられるわけではないことを。
そして、自分自身もまた、誰かにとっての朝みたいな子だったことを。
ただ、その日。
白い病室の中で。
堂条太陽は、少しだけ笑った。
結城和叶は、それを見て笑った。
それだけの、短い記録。
まだ誰も、終わり方を知らなかった頃の話。




