第36話 大会当日
大会当日の朝、ヒジリはいつもより早く目が覚めた。
「ん~~!目が覚めちゃった。
まだ暗いなぁ~……」
窓の外はまだ夜明け前。
リーネの街の空は群青色で、星がいくつも瞬いている。
宿屋の静かな廊下には、まだ誰の気配もない。
昨日の疲れが残っているはずなのに、体は妙に軽かった。
「よし!今日はもう起きて体を動かしておこうかな」
ベッドから勢いよく飛び起き、軽く伸びをしながら着替える。
昨日は久しぶりにぐっすり眠れた気がする。
それなのに、胸の奥が妙にそわそわしていた。
部屋の外に出て、浮遊石の前で足を止める。
「……あ」
下に行く為の羊皮紙が無い。
「そっか……あの紙無いと下に行けないんだ。
あ~あ、走り込みしようと思ったのに」
少し肩を落とす。
大会当日。
身体は軽い。調子も悪くない。
でも、気持ちだけはどうにも落ち着かなかった。
王様。
あの人の顔が、ふと頭をよぎる。
「……めんどくさ」
小さく呟いて、くるっと方向転換。
「ま、いっか。お風呂入って体温めるだけでいいや」
浴場に入り、湯船に身体を沈めると、じんわりと全身が温まる。
銀髪が湯の上に広がり、白い湯気に溶けていく。
「……なんかイヤだな」
ぽつり、と声が漏れた。
「あの人が来るのか……。
めんどくさいし、絶対また何か言われるし……
それに今日、何回戦わされるんだろ」
ぶくぶくと泡を立てながら、顔を湯船に沈める。
水音だけが響く。
王様の笑顔。
観客の歓声。
バーサーカー、という呼び名。
「……あたし、あれ嫌いなんだよね」
バーサーカー。
暴れる怪物。理性の無い化け物。
確かに強い。
でもそれだけで呼ばれるのは、嫌だった。
全部、嫌いじゃない。
でも――
「……ハツキが見てるんだよなぁ」
顔を上げる。
「それだけで、なんかもう、変な感じ」
外から、鳥の鳴き声が聞こえ始めた。
夜明けが近い。
「……そろそろ、みんなの朝ご飯作ろうかな♪」
ヒジリはそう言って湯船から上がり、
いつものエプロンを着けてキッチンに立った。
「みんな起きて~~!
元気が出るご飯できたわよ~~!!!」
その声で目が覚めた。
「……うわ、ヒジリ早起きだな……」
まだ半分寝ぼけながらリビングに行くと、
テーブルの上には、明らかに“朝”の量じゃない料理が並んでいた。
焼き魚、スープ、パン、卵料理、果物、肉料理。
ほぼ宴会。
「なにこれ……宿の朝食じゃないよね?」
「全部あたし♪」
ヒジリが胸を張る。
「おぉぉ……朝から豪華だね。必勝祈願?」
「そうだよ~♪どうせ賞金はあたしの物だし、豪勢にパァ~っとね♪」
「それって普通、終わった後じゃない?」
「ん?終わった後もやるよ♪」
その瞬間。
「うわぁぁぁ!?なにこの量!!?」
リーネが目を輝かせて叫んだ。
「これ全部!?ほんとに!?
こんなに食べていいのか!?」
「もちろん♪今日はお祭りだもん」
「最高だ……リーネの街最高だ……」
すでに皿を三枚抱えている。
「……リーネ、まだ始まってもいないんだけど」
「いやこれは戦いだ。胃袋の戦いだ」
そこにキューブが小さく浮かびながら言った。
「ヒジリ様、明らかに作りすぎです。
人間の摂取カロリーを大きく超過しています」
「大丈夫大丈夫!リーネが全部食べるから!」
「任せろ!!!」
「違う、そういう意味では……」
ヒジリは少し驚いた顔をしてから、にこっと笑った。
「ありがと。さすがハツキ♪」
その笑顔で、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「そういえば、ボクまだ対戦表見てないんだけど」
「あ!見てなかったの?初戦は……たしか~……」
ヒジリが一瞬、間を作ってから言った。
「あたし♪」
「辞退します……」
「え~~~!?ちょっとくらい戦おうよ~!!!」
「ヤダ!ムリ!!まだ死にたくない!!!」
ヒジリはぷーっと頬を膨らませる。
「ひどい!恋人なのに!」
「その“恋人”って言い方やめて!」
リーネがくすっと笑う。
「ヒジリの一勝は確定だな」
「うん、ヒジリの体力を温存する為にもボクは辞退する!」
ヒジリは一瞬だけ、少し寂しそうな顔をしてから、
「……まあ、ハツキが怪我したら意味ないしね」
と、いつもの調子で笑った。
準備を終え、全員が装備を確認する。
ヒジリは新品の闘いの正装に身を包み、
軽くジャンプして、着心地を確かめる。
「ん~……悪くない♪」
リーネとキューブは皮袋いっぱいのお菓子。
「よし!出発だ~!!!」
手を重ねて、いつもの願掛け。
「お~!」
リーネの魔法陣で、王都ブリエヴィルへ。
昨日も人は多かったが、今日は完全に“祭り”だった。
露店、旗、音楽、叫び声。
「すご……人多すぎない?」
「毎月こんな感じなのか?」
「いえ、今日は特別です」
キューブが言う。
「銀髪の参加が告知されてから、観客数は通常の三倍です」
「ヒジリが出るからかな?」
「それしかないだろうな」
パーン!パーン!!
城の方から花火が上がる。
「まもなく闘技大会が開催されます――」
闘技場は巨大な円形の建物。
古く、重厚で、歴史そのものみたいだった。
中に入ると、柱には神々の彫刻。
壁には英雄譚の絵。
天井には天使のレリーフ。
圧倒されて立ち止まっていると、後ろから押される。
「邪魔だガキ」
慌てて端に避ける。
「……すみません」
リーネが睨みかけたが、手で制した。
登録を終えたヒジリが戻ってくる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。ボクの辞退もしてきてくれた?」
「やっておいたよ。
あたしハツキの前に立ったら、恥ずかしくなってギブアップしそうだし♪」
奥で別れ道。
「あたしはこっち~♪
ハツキとリーネとキューブは観客席ね。
一番前、取っておいたから」
「ガンバれよ~!」
ヒジリは振り向かず、手だけ上げて。
「まっかせて~~♪」
観客席はほぼ満席だった。
席には紙が貼ってある。
【ハツキ】
【リーネ】
【キューブ】
「……いつの間にこんなの」
「ヒジリらしいな」
「すごい人だね」
「うむ、すごいな」
「人間は本当に騒がしい種族ですね」
そこに隣の年配の紳士が話しかけてくる。
「そりゃ銀髪が出るからな」
「そんなに人気なんですか?」
「王様が何度も嫁にしようとしてるくらいだ」
胸の奥が、きゅっと締まる。
「……」
「プロポーズ、毎回優勝の度にな」
「……で、なんて答えてるんですか?」
「何も言わず去っていく」
なぜか、少しだけ安心した自分がいた。
会場がざわつき始める。
「あ、来るぞ……」
「ゼロちゃんだ!」
「今日も生で見れるのかよ!」
次の瞬間、闘技場中央の床に大きな魔法陣が展開され、
ぽんっ、と軽い音と共に一人の少女が現れた。
頭にはふわふわのウサギの耳。
派手で露出の多い衣装。
手にはキラキラしたマイク。
「会場のみなさ~ん!お待たせしました~!
そろそろ闘技大会、はっじまっるよ~~~♪」
歓声が爆発する。
ゼロ。
闘技大会専属の進行役。
戦闘能力は皆無だが、魔力制御と演出能力だけは国家級。
彼女がいないと大会そのものが成立しないと言われている。
「それじゃあまずは、
我がブリエヴィルの王様からご挨拶で~す♪」
観客席正面に巨大な魔法鏡が展開される。
その周囲には三重の防護結界。
王を守る為だけに用意された、国家最高位の防護魔法。
映し出されたのは、若く、長身で、金髪。
整った顔立ちに、王族特有の品格。
ヴェリエ=フォン。
ブリエヴィル王国現国王。
「皆の者、よく集まってくれた」
穏やかな声。だが、目は完全にヒジリを追っている。
「今回は久しぶりに、
ヒジリ=ブラン=エールが参戦してくれた。
余は実に嬉しいぞ」
会場が湧く。
「そしてそろそろ、
我が妃になりたくなってきたか?」
「ハツキよ……敵は強いぞ……」
リーネが肩をポンと叩く。
ふとヒジリの方を見てみると、
王様の話なんてほとんど聞いていないらしく、
ずっとこっちを見て、ぶんぶんと手を振っている。
……なんであの状況で、そんな余裕あるんだよ。
でも、その姿を見た瞬間、
胸の奥に溜まっていた緊張が、すっと抜けた。
ボクも思わず、小さく手を振り返す。
「ハツキよ。良かったな」
リーネが肩をぽんと叩く。
「……うん」
ヒジリを眺めていると、
マイクを持ったゼロが、もう一度前に出てきた。
ふわふわのウサギ耳が揺れて、
相変わらず、会場の視線を一瞬でさらっていく。
「さ~!王様のお話も終わったから、そろそろ始めるよ~!
その前にね、王様からの“命令”があるから実行しま~す♪
ヒジリちゃ~ん♪」
突然名前を呼ばれて、
ヒジリがびくっと肩を跳ねさせるのが見えた。
……あ、これ絶対嫌な流れだ。
「ヒジリちゃんに、今回の大会の心意気を聞きたいな~♪」
ゼロがにこにこしながらマイクを差し出す。
「え!? え!? ちょ、ちょっと待って!?」
意表を突かれたヒジリは、マイクを持ったまま、
周りをきょろきょろと見回し始めた。
その瞬間。
バーサーカー!バーサーカー!バーサーカー!バーサーカー!
地鳴りみたいなコールが、会場を包む。
あ。
これ、完全にダメなやつだ。
ヒジリが一番嫌う呼び方。
よりによって、ここで。
「うっさ~~~い!!!!!」
一喝。
闘技場の空気が、びしっと凍る。
「バ~サ~カ~言うな!!!!
あたし今、と~~~~っても機嫌悪いのよ!!
勝手に妃になれとかさぁ!? バ~サ~カ~とかさぁ!?
もうさぁ……」
ヒジリは一度、深く息を吸って、
「……うん!決めた!!!
ヴェリエ様、聞こえますか~~??」
完全にキレてる。
そして、ものすごく嫌な予感しかしない。
たぶん大丈夫。たぶん。
……いや、絶対大丈夫じゃない。
巨大な魔法鏡に映る、王様の姿。
「なんだ? ヒジリ=ブラン=エールよ。
妃になることを、決意したのか?」
会場が、ざわっと色めく。
「なりませんっ!!!
大体あたし、スキな人がいるし!!!」
……心臓が、一瞬止まった気がした。
歓声が、ぴたりと止まる。
あれだけ騒がしかった闘技場が、嘘みたいに静まり返る。
「うん!そう!あたしにはもう決めた人がいるので、妃にはなれません!
それからあたしからのお願いがあります!
今回、ルール変更してください!」
ヒジリは、はっきりと前を向いたまま言う。
「今回、あたし対、参加者全員でやらせてください!」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
どわあああああ!!!!!
闘技場が爆発したみたいな歓声。
「あいつ何言ってんの……
なにやってんの……」
名前を言われたわけでもないのに、
顔が熱くなって、思わず俯いてしまう。
「ヒジリはやはり面白いな♪」
「はいっ♪ヒジリ様は最高ですね!」
リーネとキューブは、完全に他人事みたいに楽しそうだ。
王様は少しだけ目を細めて、ヒジリを見る。
「ヒジリ=ブラン=エールよ。
その目、怪我をしているのではないか?
それでも勝てると?」
「ええ!構いません♪
まあハンデですよ! あたし強いですから♪」
ヒジリは、眼帯に軽く触れて、いつもの笑顔で答えた。
「……うむ、良かろう」
王様は小さく頷き、宣言する。
「今回は、
ヒジリ=ブラン=エール対、参加者全員の特別ルールとする。
もしヒジリが負けた場合、賞金は頭割り。
賞金総額は……そうだな…
金貨五百枚だ。
どちらが勝っても、賞金は五百枚!」
一気に、会場の熱が跳ね上がる。
「そして余は――諦めんぞ!!!」
その言葉に、また歓声。
ヒジリはゼロにマイクを返して、
そのまま、まっすぐこっちを見た。
親指を立てて、にこりと笑う。
……ほんと、ズルい。
パーン! パーン!
試合開始を告げる花火が、闘技場の天井に響く。
ヒジリ対、参加者全員。
その光景を前にしながら、
ボクは会場の隅で、一瞬だけ――
黒いローブの人影が、
こちらを見て、一瞬笑ったような気がしていた。
「……何事も無ければいいんだけど」
でも。
この大会が、
“何事も起きない”わけがないことだけは、
もう、最初から分かっていた。




