僕は君の声に救われた(side レーゲンボーゲン)
広島の地元を離れて、大変な事もあったが、充実な生活を送っている。デビューして、七年ほど経って、女優の坂口綾香と付き合うようになった。彼女の方から誘われて付き合うようになった。少し、派手目の見た目だが、可愛い、そして、スタイルも良い。あまり、肉付きの良い女性は好まないので、好感が持てた。嘉隆よりも一つ下の二十八歳で明るい性格は周りを和ます、そんな女性だった。
以前にも恋人は居たが、仕事を優先させるためか、それほど長続きしなかった。高校時代も部活とバイトに明け暮れていたので、彼女はいない。というか、作らなかった。
今回もそうなるだろうと思っていたが、それは、違った意味で裏切られた。彼女が妊娠したというのだ。避妊はしていたはずだが、絶対でないのも知っている。
それでも、驚いたが責任を取る事を考えて彼女との結婚を決めた。電話越しの報告になったが、父には、相当怒られた。母がとりなしてくれたお陰で、勘当されることはなかったが、それだけの事をしたのだ。
その後、彼女は双子の男の子と女の子を産んだ。嬉しい気持ちよりも不安な気持ちが強かったが、妻と子供たちのために頑張ろうと思ったのだった。彼女の実家が近かったので、義母が手伝いに来てくれるのが助かった。仕事の都合もあり、家庭の事は任せっきりだったが、出産の三ヶ月後には彼女は仕事に復帰したのだ。日中のほとんどは義母が子供達を見てくれている。
更に、一年後、仕事のせいかと悔やんでみたが、そういうわけではなかったようだ。人付き合いの良い彼女の行動が目につくようになっていた。あからさまに家に帰る事が減り、子供は実家に預けたまま、出掛ける事が増えた。そして、それを嘉隆は見ない振りをしたのだった。
流石に放ってはおけない、そう思った時には、既に終わっていたのかもしれない。離婚届を残して、彼女は出て行った。その時、嘉隆は、広島弁で、怒鳴っていた。広島の言葉は、周りに恐怖感を与えるようだったが、彼女は違った。元々、気が強かったのだろう、嘉隆にくってかかると、周りに当たり散らかして、雨の中を傘も持たずに出て行った。最後に、子供の父親は嘉隆ではないと告げて。
一人になって、ようやく冷静になる。最初から上手くいくはずはなかったのだ。彼女が最後に告げた言葉にもっと早く知っていれば、気付いていれば、こんなことにはならなかっただろう。ゆるゆると立ち上がって、遥に連絡を入れる。
その頃には、完全に冷静になり、落ち着いていた。ただ、疲れた。遥に事務所への連絡を頼み、ソファに座り込んだ。
親権もすべて、引き渡すと、彼女の母親は嘉隆に向かって頭を下げた。双子の父親の件は彼女の家族は知っていたようで、自分だけ知らされていなかったのだ。怒る気も失せて、離婚届を役所に提出して、家の中の物を片付けてもらう。彼女の物と子供の物を引き取ってもらった。あれ以来、彼女とは顔を合わせてはいない。
これで、良かったのだ。そして、事務所から告げられたのは、レーゲンボーゲンの休止。デビューから十一年の月日が経っていた。彼らは一枚のベストアルバムと共に、無期限の休止となった。
「今はゆっくり、休めよ。広島出てここまで、無理してやってきたんだ。ゆっくり休んで、これからの事はその後、考えればいい。お前とまた、歌えるのを楽しみにしている。たまに来るからちゃんと、食えよ、それと、変な女には引っかかるなよ」
ぽんと嘉隆の肩を叩くと、遥はいつもの、優しい言葉を残して部屋を後にした。空虚感と、すべて終わったと言う安心感、身体は疲れていたようで、眠りを欲していた。ソファに崩れるように、座り込むと嘉隆は目を閉じた。
どれくらい、眠っただろうか。時間を見ると、深夜を回っていた。いつの深夜だろうか。喉が渇いたと、冷蔵庫の水を手に取ると一気に飲み干した。思ったほど、お腹は空いていない。熱いシャワーを浴びて、一息つくと、ベッドに転がり込んだ。ソファでは、体が痛い。
ふと、カーテンの隙間から見える、欠けた月が目に入った。そして、小さく口ずさむ。ああ、それでも、歌が好きなのだ。諦める事は出来ないと思う。でも、今は少し休ませて欲しかった。
* * *
ラジオ番組のMCが静かな声で、曲の説明をしている。説明の前は聞き流しているので、内容は分からない。新曲発売、そんな言葉が聞こえた。続いてゆっくりとしたバラードが流れる。落ち着いた柔らかなハスキーボイスに、何故か涙が止まらなくなった。海のように穏やかで、柔らかな月の光、それでいて、存在感のある、優しいそんな声だった。「‥川村麻衣さんで『虹』お送りしました‥」MCが最後にそう締めくくって、番組は終わってしまった。
ああ、もう一度、聞きたい。そして、癒されたい。心の内を洗い流すような、そんな優しい曲だった。
力の入らない手で、スマホから、彼女の曲をダウンロードしていた。聞いたのはあの一曲のみだったが、他にも聞いてみたかったのだ。耳に心地よい、曲の数々が嘉隆の心を癒して行く。バラードに限らず彼女の声量は、心地良く、引き込まれるような歌詞が、彼を救った。
地元にいる頃から、聞いたビートルズの曲のように、心のどこかにそっと寄り添ってくれる。
ジャケットの彼女の表情に惹かれた。真っ直ぐに見つめる何かに、感情を揺さぶられたのだった。
* * *
その日、心配してやってきた、遥が、コンビニ袋を持ってやって来た。食べる量は減って、酒の量やたばこの量は増えたが、それでも、遥の忠告を聞いて、食べてはいる。そして、あの日から、彼女、川村麻衣の歌を繰り返し聞くようになった。
「何聞いてんだ?」
「助けられた、この曲に。いま、曲を作ってる。曲を作って歌っている限り、もしかしたら、近づく事が出来るかもしれないって気付いたから」
偶然、ラジオから流れて来て、出会ったあの曲に励まされ、癒されて、そして、彼女の見つめる先にあるものがどうしても、見たいと思った。
川村麻衣の初めて聞いた『虹』は、遙も気に入ってくれた。ヘッドフォンから流れる未来を歌った優しい歌詞は、虹が架かる情景を思い起こさせる。偶然現るからこそ、虹は人を惹きつけるのだ。
あの日、ストリートでライブをしていた時に、降り出した夕立、その後に二人で見た虹の美しさ。あの日の虹が脳裏に浮かんだ。虹に惹かれた、希望を連想させるあの時の虹を。虹という言葉で、彼女と繋がっているような気がする。
「これ、いいな、曲も歌詞も良いが、この声が良い。頭に響く低い声は、嫌じゃない。この声に癒されたのか?」
「ああ、どうしても彼女に近付きたい。同じ歌を歌う者同士として、彼女の歌に追いつきたい」
「歌ってるの女か」
「大丈夫、遥の考えているような、関係になりたいとは思っていない、神聖視しているわけじゃないけど、彼女の様な人を癒される曲を作りたい。純粋にそう思うんだ。まずは、好きにさせてくれないかな。遥には本当に悪いと思っている」
「今更だろう? 気にしていない。ああ、分かったよ。約束だ、嘉の作る曲を一緒に歌えるのを楽しみにしている。この曲、俺も気に入った、これからの曲作りの参考になるかもしれないから、ダウンロードする」
その後、嘉隆は、住んでいたマンションを引き払って、前よりは小さなマンションに移り住んだ。マスコミが押し寄せるのを避けるためでもあった。
そして、心機一転して、復活を遂げた、嘉隆は、その約一年後、ソロデビューを果たしたのだった。その頃には、前妻は双子の父親であった、ベテラン俳優と結婚した。責任をとった形で、双子の父親だという事を公に認知して、嘉隆に頭を下げたのだ。
周りの誹謗中傷からは一転して、悲劇の主人公に祭り上げられてしまった。それが、良かったのかは分からない。嘉隆のデビューアルバムは、記録的なヒットを記録した。
それから、嘉隆は、一枚のアルバムを出して、活動を終了した。少しでも、彼女の歌う歌に近付けているのかは分からない、それでも、これが一つの形なのだ。そして、嘉隆は、待っている遥のために何かしたかった。それは、レーゲンボーゲンとして、再出発したい。相棒と一緒だからこそ、これまで、音楽活動を続けてこれたのだ。
「これで、いいのか」
「お前と一緒だから、ここまでやって来れた」
「おう、良い顔になったな」
にやりと、嬉しそうな笑みで、肩を抱く。事務所からも、活動再開しても構わないという、返事をもらった。二人で曲作りを初めて、更に数年後、本格的に二人は再始動を始めたのだった。それは、デビューから十五年後の事だった。それは、待ち望んだファンを喜ばせた。
彼女にこの歌が届く日を夢見て、これからも歌い続ける。




