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「変わりはないか」

 と言いながら現れたランス隊長は、顔を見るだけではっきりと判るほどに、疲弊しきっていた。

 顔色が悪く、落ち窪んだ眼窩には濃い隈があり、頬骨が目立つほどに肉が削げている。これまでに鍛え上げた分、がっちりとした体格のほうにはそこまで露骨な変化はないが、あまり食べてもいないのではないかと思われた。

 今は気力と精神力で保たせているのだろうが、いずれ一気に総崩れになりそうな危うさを孕んでいるように見える。

 ランス隊長のこんな姿を目にするのは、もちろんはじめてだ。ティナを王宮に連れて来てから十日あまり、俺に護衛の責任者を任せたっきり、隊長はほとんど彼女の許を訪れることもなかった。それについていろいろと心の中で思うこともあったが、とりあえず表に出さずに押し込もう、と俺に決意させるほどの、消耗ぶりだった。


「今のところ、元気に過ごしているようですよ」

 閉じられた扉を目で示して、俺は隊長の問いに応じた。


 自分も同じようにそちらに視線を向けてから、隊長は小さく頷いた。何を思っているのかまでは、その無表情からは読み取れない。

「すまないな。ただでさえ人手不足で、お前たちの負担も大きいだろうとは思うんだが……これ以上、この件に巻き込む人間を増やせない」

 王女の失踪と入れ替わりの事情を知っているのは、命じた王と王妃、信頼できるごく少数の側近と、王女の周囲のこれまた少数の近衛隊員、侍女たちに限られる。王太子は自力で探り当ててしまったが、それはまた別の話だ。

 その少数でティナの護衛と身の回りの世話をしているわけだから、確かに負担は小さくない。俺は大体一日中王女の私室前に陣取っている状態だし、仮眠をとるくらいでゆっくり休むヒマもない。他の連中だってそれは似たり寄ったりで、どの顔もそろそろ疲労の色に覆われつつある。

 しかしそいつらもきっと、ランス隊長のこの様子を見たら、文句なんて口に出せないだろう。この件が起きるまで、鬼隊長として怖れられていた人が、別人のような擦り切れようだ。

「……で、そちらのほうは」

 声音を抑えて訊ねると、隊長は重苦しい顔つきで、首を横に振った。


「最初の足取りはなんとか掴めたんだが、そこからがはっきりしない。今は王都の中を隅々まで調べさせているが、もしかするとすでに王都を出ているかもしれん」


 人手不足なのは、王女捜索のほうも同様だ。なにしろ事が事だけに、大々的に調べ廻ることはおろか、住人たちに怪しまれたりすることも避けねばならない。少ない手駒を率いて指揮をする隊長の苦労は、計り知れなかった。

 それにまた、ずっと降り続いているこの雪も、捜索の障害になっているのだろう。雪はすべての足跡を隠し、手がかりを凍らせる。吹雪にでもなれば、十歩先の景色でさえも明瞭に見えなくなるのは、この「冬の国」ではごく普通のことだ。

 隊長が今までこちらに顔を見せもしなかったのは、そんな余裕がなかった、というのも事実としてあったのかもしれない。

「金銭的にはどうしてるんでしょうね」

 俺は顎に手を当て、首を捻った。

 近衛隊員のほうには多少の蓄えがあったとしても、そうそういつまでも逃避行を続けていられるような余裕はないはず。王宮での贅沢な生活に慣れきった王女に、隙間風が吹くような安宿暮らしが我慢できるとも思えない。

「王女が手持ちの装飾品をいくらか持ち出しているからな。それを金に換えているというのも考えられる。そちらのほうも調べさせてはいるが」

「ははあ……なるほど」

 王女が身につけていた豪華な耳飾りや首飾りは、上手に売ることが出来れば、そりゃ結構な資金源にはなるだろう。俺は呆れながら思った。

 ──王女はその美々しい装飾品を持ち出す時、それらのすべては、国の民の血税で賄われているものだということを、ちらりとでも考えなかったのかね。

 口を曲げて黙ると、その沈黙の隙を突くようにして、扉の向こうからネリーの声が聞こえてきた。


「ほら、また! そのようなはしたない真似をするのではありません!」

「ええー、伸びもしちゃいけないの? 毎日毎日立ったり座ったりばっかりで、あたしそろそろ身体がかちんこちんに固くなってきちゃったんだけど。こんなに運動不足な毎日で、王女さまってよく太らなかったわねえ」


 感心するようなティナの声も聞こえて、俺は思わず噴き出しかけた。

 確かにクリスティーナ王女は華奢な身体つきをしていたが、それはほとんど動くことがなく、よって食欲も湧かなくて、用意された豪勢な食膳の大部分を残してばかりいたからだ。ティナのようによく喋りよく食べる娘の場合、この状況に置いておけばすぐに太るのは必然だろう。


「んまあ、失礼な物言いはするなとあれほど……! クリスティーナさまは、お前ごとき身分の低い田舎娘が軽々しく口にしていいお方ではないと、何度言えばわかるの!」

「はいはい、申しわけございません」


 きいきい声で責められても、ティナはどこ吹く風だ。

 いい加減罵倒されるのも慣れてきたのか、受け流し方も板についている。


「なんですその態度! 大体、お前のような娘がこのお部屋にいること自体が……!」

「そうね、この部屋ムダに広いもんね。いっそここで走って運動不足を解消しようかしら。この調子で太ったら、王女さまの代役をするのも難しくなっちゃいそうだもんね、ネリーさんそう思わない?」

「人の話を聞きなさい!!」


 たまらずに、俺は噴き出してしまった。

 つい、ブクブクに太ったティナ、というものを頭に描いてしまう。今が痩せすぎなくらいなので、それも悪くはないかもしれないが、部屋の中をドタドタ走り回る王女というのもまずいだろ。

 ランス隊長は、肩を揺らして笑う俺を見てから、閉じてある扉のほうを見た。

「……あちらはあちらで、苦労しているらしいな」

「どっちがです? ティナのほうか、ネリーのほうか」

 隊長の目が、俺を窺うように素早く動いた。俺がうっかり、「ティナ」と口にしてしまったせいだと気づいたが、もう遅い。

 少し考えるような顔をして、隊長は唐突なことを言いだした。

「そうだな……彼女の言うとおり、体型が変わるほど太ってしまっては意味がない。それに、ずっとこの部屋に閉じ込められて怒られ続けていたのでは、精神的にも良くないだろう。気分転換に、少しだけ外に連れ出してやるといい、ロイド」

「──は?」

 俺は戸惑った。外に連れ出す、という部分もそうだが、ランス隊長の言い方が、俺に対する「勧告」という形になっていたからだ。

「外って」

「さすがに王宮の外は無理だが、バルコニーに出るくらいなら大丈夫だ。ここからいちばん近いのは二階東のバルコニーだな。そこまでの道中、人と行き会わないように手配しておく」

「ちょっと、隊長……」

「ネリーにもあまりきつく当たらないように俺から言っておこう。あんなにも上から押さえ込んで、潰れてしまっては困る。この計画には、彼女の協力が必要不可欠だ」

「……それで俺に、懐柔役をやれと?」

 俺が低い声で言うと、ランス隊長は視線を落とした。


 ティナを上手く手懐けて、餌だけ与えて、間違っても逃げださないよう、手の中に囲っておけと?


 やろうと思えば簡単だ。ティナは素直で単純で、他人のことを慮る性質がある。弟に対する言葉からして、情に厚いところもあるのだろう。優しい言葉で慰め、労わり、今の自分たちにとって彼女の存在がどれほど重要なのかを切々と訴えてやればいい。

 ──だけど。

「俺はそんなイヤな役目は御免蒙ります」

「……お前がいちばん、適任だ」

 目線を合わせないままそう言う隊長に、かっとなった。冷静で客観的、などと言われる俺だって、感情を抑えられないこともある。

「俺はこんな計画、最初から反対してたんだ! これ以上、あの王女のために」

 その時、扉がカチャリと音を立てて開いた。急いで言葉を喉の奥へと引っ込める。


「あ、ランスさん。久しぶり!」

 開いた扉から顔を覗かせたティナが、ランス隊長を見つけて口許を綻ばせた。


「ああ、元気そうでなにより」

 隊長もすぐさま表情を取り繕い、何気ない声で挨拶をした。似合わない微笑を顔に貼り付けようとして、それは見事に失敗していたが。

 ……そう、隊長はこういうことに向いていない。他にその役目を任せることになったら、俺くらいしかいないだろう。

 判っているけど、でも。

「なんだか顔色が悪いみたい。大丈夫?」

 気遣うように言われて、「いや、いつも通りだ」とぎくしゃくとした口調でヘタクソな返事をしている。まったくこの人は……と、俺はため息をつきそうになった。

「忙しいんだね。そういう時には、お茶にたくさん砂糖を入れて飲むといいよ。あたしがいた村では、カントの実を潰してお湯に混ぜて飲むといいって言われていてね、それはちょっと苦いんだけど身体があったまってホッとするの。エディはそれ、あんまり好きじゃないんだけどね、あたしはよくその実を取りに行って……」

 そこまで言いかけ、ティナは珍しく言葉を途切らせた。少しの間を置いてから、今度はもじもじと言いにくそうに、隊長の顔を上目遣いに覗きこむ。

「……あの、ランスさん、エディに手紙を書いちゃだめ? このことは誰にも話したらいけないって言われてたでしょ、だからあたし、エディにもあやふやな説明しかしてこなかったのよね。すぐに帰れると思ってたけど、なんだか思ったよりも長引きそうだし、あの子も心配してると思うんだ。あ、もちろん、詳しいことは書かないから。あたしが元気に過ごしてるってことを伝えたいだけ。それにちゃんと食べてるのか、具合はどうなのか、知りたいし……」

 お伺いを立てるようにして聞いてくるティナを、隊長は直視できないようだった。彼女と身長差があることを、この時ほど感謝したことはないだろう。正面から見返されたら、隊長の目の中にいろんなものが浮かんでいることに、ティナも気づいたかもしれない。

「……承知した。手紙は俺から届けさせる。書いたら渡してもらえるか」

「うん。ありがとう、ランスさん!」

 ティナは嬉しそうに頷いた。

 隊長の手が拳になって握られているのを、俺は見た。



          ***



 バルコニーの上には屋根があるとはいえ、それでも風が吹きさらしで非常に寒い。

 横向きに吹き込んでくる雪で、石の床も白くなっている。上を見上げたところで、そこには鉛色の空が広がっているだけだ。このキルヒリアでは、青い色の空なんて、滅多にお目にかかれない。

「わあー、いい眺め」

 そんな場所でも、ティナは大喜びではしゃぐ声を上げた。

 王宮は高台にあるので、バルコニーの向こうには、広々とした王宮の庭と、その向こうの王都の様子が一望できる。

「あんなにたくさん建物がある。やっぱり王都は違うわね」

 万が一誰かに見られてもいいように、ティナは分厚いコートを着込み、頭にフードを被っている。フードの中からダークブロンドの髪が一房飛び出して、風になびいて揺れていた。

 口から吐き出される呼気が、真っ白な靄となって空中に拡散される。

「寒くないか」

「そりゃあ寒いけど、気持ちがいいよ。やっぱり部屋の中にじっとしているのは性に合わないわ。連れ出してくれてありがとう、ロイド」

「……ランス隊長の命令だからな」

 結局、こうしてティナをバルコニーにまで連れてくる羽目になっているこの状況に、内心で悪態をつきながら返事をする。隊長に言われて仕方なく、というところがせめてもの反抗だ。

「王宮では、だーれも外に出ようとしないのね。それもあたしみたいに、外に出たらいけない理由があるわけじゃなくて、自分の意志で出ないのね。あんまり部屋の中が暖かすぎるから、ちょっと窓を開けてみない? って言ったら、正気か、って顔をされちゃった」

「王宮の人間は、外に出る必要がほとんどないからな」

「うん、そうだね。でも、それってさ」

 ティナがバルコニーの手すりの向こうへと目を向ける。


「──外がどれだけ寒いのか、忘れちゃいそうだよね?」


 俺は思わず顔を動かして、ティナを見た。

 しかし、いつもと変わりないその横顔からは、言葉通りの意味としてそう言っているのか、それとももっと深い意味を滲ませているのか、よく判らなかった。

「……あの部屋の中は、息苦しいか?」

 そう問いかけると、ティナは前を向いたまま、あははと笑った。

「うん、まあね。でも、無理はないと思うんだよ。あそこにいる王女さま付きの侍女の人たちってさ、みんないいところのお嬢さんばかりなんでしょ? それに引きかえ、あたしはただの田舎の娘だもん。その田舎娘がこんな高価なドレスを着て、美味しいものたらふく食べて、ソファにふんぞり返って座ってたら、いい気持ちはしないよね」

「…………」

 ネリーの苛立ちと、他の侍女たちの軽侮の目を、ティナはちゃんと理解しているんだな、と俺は思った。

「しんどいか」

「こんなの、なんともない。世の中には、もっとしんどいことはいっぱいある」

 あっさり返されて、俺は妙に恥ずかしい気持ちになった。ティナが言う「いいところ」のお坊っちゃん育ちである俺も、きっと彼女の半分も、世の中のしんどいことを知らない。

 訓練で身体を傷めつけるのと、労働でくたくたになるまで肉体を酷使するのとは違う。


 俺は本当の寒さも、本当の貧しさも、頭の中でしか知らない。


「あたしにとって、これは仕事だよ。引き受けた以上は、最後までちゃんとやる。文句は言うけどね。エディを助けられるだけのお金がもらえるのなら、他の人に何を言われたって構わない」

 ティナの強さは、生きていくことの厳しさを知っていることからもたらされる、芯の実感が伴う強さだ。

 ネリーや侍女がいくら束になったところで、敵うわけがない。


 まっすぐな目、すらりと通った鼻筋、柔らかな顎の線。

 王女とそっくりな顔なのに、この二人はまったく似ていない。


「……弟のことが本当に大事なんだな」

 そう言うと、ティナがこちらを向いてにっこりした。

「そりゃあね。あたしの唯一の宝物だもん。大人しくて、優しくて、性格が良くて、すっごく可愛いの」

 王太子とよく似た顔立ちの子供が、大人しくて優しくて性格が良くて可愛いのか。そちらも大分違うな。

「ロイドには、兄弟はいないの?」

「弟がいる」

 そう返すと、ティナは目を輝かせた。だったら判るでしょ、弟って可愛くて可愛くてしょうがないよね! と今にも同意を求められそうだったので、苦笑しながら先んじて口を開いた。

「母親が違うがな」

 ティナの笑いが中途半端なところで止まる。

「三歳の時に俺の母親が死んで、一年後に新しい母が家に来た。その母が生んだのが俺の弟。五つ違いだから、今、二十歳か」

 他人事のように言いながら、気がついた。


 そうか、弟と、王女と逃げた近衛隊員とは、同じ齢だったか。

 まるで意識したことがなかった。弟とあいつとは、性格もタイプもまったく違ったし。

 ……いや、でも、実のところ、どうだったのかな。

 俺は無意識のうちに、あの後輩を、弟のように思っていたんじゃないか。ちっとも噛み合わない本物の弟の代わりに、あいつを可愛がっていたんじゃないだろうか。

 こんな風に楽しく一緒に飲んで、笑い合えたらいいのに、と心のどこかで思っていたのか──


「……あんまり、仲が良くないの?」

 俺の口調があまりにも素っ気なかったからか、ティナがどこか心配そうに訊ねてきた。この娘は、やっぱり単純だ。

「別に、悪いわけじゃない」

 そう、喧嘩だってしたことがない。口論すら、出来なかった。俺が弟に近寄ることを新しい母は過剰に嫌悪したし、弟はいつもその母の顔色を窺い、俺に話しかけてくることもなかった。

「ただ、まあ、兄弟として仲良くなるのは難しかった」

 家督問題がこじれたのは、おもに大人側の事情によるものだ。父親の思惑、後妻の思惑、親類たちの思惑などが絡み合い、争いになって揉めたのは、俺にも弟にも責任のないことだった。

 だけど、その大人側の事情に巻き込まれた俺と弟は、当人たちの意志とは関係なく、対立することを余儀なくされた。

 醜い争乱に嫌気が差したのは俺のほうが先だった。俺は家督を弟に譲ることを宣言し、自らは王宮の近衛隊の一員となった。逃げたんだろう、と言われたらそうかもしれない。でも俺にはもう、あの家にいることは耐えられなかった。

 ここで新しい自分の居場所を見つけようと──そう、思っていたこともあった。

 だけど王宮というところは、俺が考えていたほど、綺麗な場所ではなかった。


 頭上には、濃い鉛色の空。

 身を切り裂くような寒風が、粉雪を空中に舞い散らす。

 俺の胸の中でも、いつもこういう風が吹き荒れている。


「そっか……」

 ティナがしゅんとしたように俯く。俺は今になって、口を滑らせたことを後悔した。

「余計なことを言ったな、気にしないでくれ」

「ううん、あたしこそ、余計なことを言ってごめんね。人には人の事情があるよね」

「…………」

 一旦話しはじめたら止まらないお喋り娘が、申し訳なさそうに口を噤んでいる。

 それを見たら、俺の裡を強い衝動が突き上げてきた。

 その衝動を抑え込むために、息を吸って、拳を握った。さっきのランス隊長とまったく同じだ。


 ……ああ、くそ、だからこんな役目は、イヤなんだ。


「もう、部屋に戻るか」

 そう言うと、ティナが「うん」と頷く。

 そして、差し出された俺の手を見て、きょとんとした。

「下が凍ってる。滑って転ぶといけないからな。──よろしければ、お手をどうぞ、王女殿下」

 冗談めいて言うと、ティナが笑って、俺の掌に自分の手を乗せた。

 すっかり冷たくなってしまったその手を、俺はぐっと握った。






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