8セーブ目(10)
「「お、おはよ」」
月照が玄関のドアを開けると、既に門の方から双子がこちらを見ていた。
昨日とは異なり、何やらヒラヒラした可愛らしい服を着ている。
「おう……。なんか、制服以外でスカートって久しぶりな気がするな」
「「へっ? あ、うん……」」
月照が近付きながら声を掛けると、双子は頬を染めて俯きがちに続けた。
「「町、歩くって聞いたから……」」
「ああ、ズボンだとそろそろ蒸れる季節だもんな」
「「うん……うん?」」
「ん?」
顔を上げて首を傾げる双子の表情に、月照も首を傾げた。
しばらくお互いに疑問符を浮かべていると、双子が「はあ」と溜息を吐いた。
「なんだよ?」
「……みっちゃん、中学の時は大体家だったよね?」
灯が外から門を開け、月照が出てくるのを待つ。
「ああ、まあお前等が押しかけて来たからな」
月照は素直に道路に歩み出て、灯が門を閉め直すのを待ってから返事をした。
「家の中でゴロゴロしながら暴れると、スカートだったら捲れちゃうんだよ」
蛍が自分のスカートを少し摘み上げながら言った。
「おっ、あ、ああ……なるほど」
膝が見えるかどうかの高さまでだったのに、その動作だけで月照はドキッとさせられた。おかげでいつもなら「家の中で暴れるな!」と突っ込んでいただろうに、今回は咄嗟に言葉が出なかった。
「で、でも小学校の頃も、何かあんまり穿いてた記憶ねえぞ。あの頃は外だっただろ?」
しかし一瞬の間を置いてから、その動揺を悟られまいと勢いよく反論した。
「確かに外だったけど!」
「外だったからだよ!」
「みっちゃんと遊んでると!」
「とにかく走り回るでしょ!」
「低学年ならともかく!」
「高学年にもなったら!」
「「スカートで走り回ったらどうなるか位分かるよ!」」
その五倍以上の勢いで、双子に論破されてしまった。
「あ、ああ。そういう事か……」
月照は申し訳ない気持ちになったが、謝るのも変なので言葉を濁して誤魔化した。
言われてみれば、双子はずっと月照と一緒に走り回っていた。
いや一緒というか、後ろを必死でハアハア息を切らして付いて来ていた。あの頃の運動が無ければ、二人共体育の成績は万年最低評価確定だっただろう。感謝して欲しいものだ。
「それにみっちゃん、普通に走るだけじゃなくて」
「無意味に塀に登ったり飛び降りたりしてたよね」
二人でジト目を向けてきた。
確かに、あの頃は二人がスカートを穿いているかどうかなんて全く考慮していなかった。
いや、たった今こんな風に言われるまで、相手の服装に気を使って行動するべきだなんて全く意識していなかった。
こんな事ではエスコートなんてできる訳がない。
加美華相手のデートで失敗したのも、そんな自分の無神経さが原因なのかも知れない。
(――って、先輩は高学年どころか高校生にもなって、ヒラヒラの服で全力疾走した気が……)
一昨日のデートの待ち合わせの時、現場を目撃した訳ではないがあの息の切らせ方はほぼ間違い無いだろう。
(……大丈夫だったのか?)
零時のシンデレラの様にスカートの裾を摘んで上品に走っていたなら見えないだろうが、それではあんな状態にはならないと思う。
(……次はやっぱりアパートまで迎えに行った方が良いな)
月照は「気遣い」を覚えた――つもりなのだろうが、やはりどこかずれていた。
加美華としてはそもそもあの失敗を思い出される事が既に辛いので、もう一度普通に仕切り直して欲しいところだろう。
「「むう……」」
月照が他の女性の事を考えているのに気付いたのか、双子は低い声で唸った。
「どうした?」
声を掛けると、二人共しばらく黙っていたが、やがて揃って口を開いた。
「「そういや、田んぼの用水路を飛び越えようとしたみっちゃんが勢い余って田んぼに落ちたの思い出した」」
「やめろ、変な事を蒸し返すな!」
双子の中では、まだ跳んだり跳ねたりの話の続きだった様だ。
あの時は散々だった。泥が顔に跳ねるわ、尻が濡れて気持ち悪いわ、靴が泥にめり込んで抜けなくなるわ、家に帰ってから大目玉を食らうわ……。
記憶から消したい失敗談の一つだ。
「そんな、子供の頃の失敗なんてもう、こう……忘れておけ!」
しどろもどろになりながら言っても、双子には恐らくて効果が無いだろう。
「それより今だ今! 仮にも『デート』って名称の行動するつもりなんだから、今を楽しめ!」
だから誤魔化す為に、よく分からない事を勢いよく言った。
それを聞いた双子は何かに納得したかの様に一度頷いて、お互いの顔を数秒見つめ合った。
そして意を決した様に、しかし言いにくそうに口を開いた。
「……じゃあ、さ」
「服、そんな感想じゃなくて……」
「「もっとデートらしく、褒め……て」」
消えそうな声で、真っ赤になって俯いた。
(うおっ!?)
どうしてか、月照まで頬が熱くなった。
いつもの「顔だけは可愛い」双子とは何かが違う。
昨日もかなり二人を女子として意識してしまい戸惑ったが、今はどこからどう見ても女子にしか見えないというか、女子以外の要素が見当たらない。
何故双子がそう変化したのかが分からないが、朝っぱらから調子が狂う。
(待て待て待て! こいつらはこいつらだぞ!? なんでこんな、こう……。だって昨日は、トイレで『特大の奴』とかの話をしてた様な奴等だぞ!?)
月照が混乱して黙っていると、双子は何か不安になったのか、心細そうに上目遣いで見上げてきた。
「――っ!?」
全く声が出ず、月照はしばらくそのまま固まってしまった。
「「み、みっちゃん……?」」
双子は先程と同じ姿勢のまま、少し震える声を掛けてきた。
しかし表情は先程とは打って変わって、苦しそうな、今にも泣きそうなものになっていた。
(あ……)
それに気付いた月照は、さっきまでの混乱が嘘の様に、頭の中が透き通った様な気がした。
だから自然と口が動いた。
「ああ、お前等元々何着ても大体似合うから似合ってるな。でも服が可愛いとお前等もかぅっ――!?」
そこまで口にしたところで、月照は我に返った。
(待て待て待て! 今俺、何言おうとした!?)
どうやら頭の中は透き通っていたのではなく、空っぽになっていただけの様だ。
危うく双子に面と向かって「可愛い」と褒める所だった。
そんな事を伝えてしまったら大変な事になっていたに違いない。
(あっぶねぇ……)
心の中でギリギリ最悪な事態を回避できたと安堵しながらも、念の為に双子の様子を確認すると――。
「「………………」」
二人揃って、目と口を開いたまま固まっていた。
(……もしかしてこれ、回避できてない?)
心配になって少し二人に顔を近付けて見ると、
「「……みっちゃん、『もかっ』って何?」」
二人同時に首を傾げた。
「いやこっちが聞きてえよ! なんだ『もかっ』って!?」
さっきまでが嘘の様に、いつもの双子に戻っていた。
「みっちゃんが言ったんだよ?」
灯がずい、っと背伸びして顔の距離を近付けてきた。
「服が可愛いと、私達が『もかっ』だって」
蛍も同じ姿勢を取った。
「いや、んな事言ってねえよ!」
その二人から顔を遠ざけながら反射的に否定した。
(なんで急に訳分からん事……――あ……)
しかし月照は気付いた。「お前等も可愛い」を途中で無理に止めたから、双子には「お前等、もかっ」と聞こえたのだろう。
(どんな聞き間違えだよ!)
「「ううん、言った!」」
まあ実際には別に間違えている訳でもない。だから双子は確信を持っているので、誤魔化すのは難しそうだ。
「それは、だな……」
何も言わないと双子に更に糾弾されるので、仕方なく説明する事にした。
「『お前等、もかっ』じゃなくって、『お前等も迂闊』って言ったんだ」
まあ難易度がどうだろうが誤魔化すのだが。
「「……はえ?」」
「迂闊だったな! 俺が今日走ったり飛んだりしない保証なんてどこにもないんだよ!」
「「なにぃ!? みっちゃんの人でなし!」」
文句を言いながら二人掛かりで掴みかかってこようとしたので、月照は素早く避けて駆けだした。
「「こらぁ! みっちゃん!」」
「ははは、お前等如きに捕まるか! 追いかけて来い!」
「「この外道ぉ!」」
しかし双子は月照の挑発には乗らず、小走りでしか追いかけてこない。
このまま本当に引き離して走り去ると、今日は一体何の為に待ち合わせたのか分からなくなるので、月照は走るのを止めて歩き出した。
その両腕に、いつも通りに左右に分かれた灯と蛍が抱き付いて来た。
「「捕まえた! もう簡単に逃げられると思うなよ~!」」
しっかりと絡められた腕には、そんな言葉とは裏腹に力なんて入ってない。
いつも通り、じゃれつく程度の力加減だった。
(……やっぱこの程度なら大丈夫だな)
二人の感触が伝わった瞬間は少し緊張したが、昨日の様に露骨に意識はせずに済みそうだ。
「はいはい、逃げねえからそろそろ出発するぞ」
安心したら余裕ができた。
月照はそのままいつも通り、歩きにくいのを我慢しながら歩いて双子が自然に離れるのを待つ事にした。
「「あ、うん。でもこのまま――……」」
「ん? なんだ?」
「「ううん、何でもない!」」
双子は嬉しそうに笑って、腕の力を強めた。
「「(むふふふ~。離れなくても怒られないなんて、今日は雨が降るかもね!)」」
嬉しさのあまりテレパシーが少し口から漏れたが、幸い月照に聞こえた様子はない。
ちなみに天気予報はテレビとインターネットで念入りに確認してきた。どちらも降水確率は十パーセントだった。
「おい、歩きにくいからぶら下がってくんな」
「「別にぶら下がったりはしてないよ!」」
月照が注意しても双子に強めに言い返された。二人共頬は緩みきっているのに腕の力は緩めてくれない。
(――ったく、俺が昨夜どんだけ……)
双子との密着を変に意識してしまった上に母親に変な事まで言われたせいで、夜中に悶々としてしまったのだ。
と言ってもぐっすりと充分な睡眠を取ったので、今日は体調が良いのだが。
(こいつら、なんでこんな悩み無いんだろうな……? 大体何が『もかっ』だ。なんで『もかっ』の意味が唯一の悩みなんだよ)
双子には双子の、月照には言えない悩みがあるのだが、月照は恐らく言われないと気付かないのだろう。
(そういや、さっきの――)
『もかっ』で終わらず、最後まで伝えていたらどうなっていたのだろうか。
双子の見た目は可愛い。
内心ではそう感じているが、口に出して伝えた事は一度もない。
それは伝えたら大変な事になると思っているからだ。
しかし一体何がどう大変なのか。
冷静に考えてみると何も思い付かなかった。
(もしあのまま正直に言ってたら、どうなったんだろうな……)
案外大した事は起こらないのかもしれない。しかし何かが大きく変わっていただろう、とも思う。
つまり大事にはならなくても、「大変な事になる」というのは、字面に限定すれば多分間違えてない。
ただその変化は、果たして良い変化なのか悪い変化なのか。
「……歩きにくいから離れろ」
そこまで考えた時、月照は立ち止まって思わずそう言っていた。
昨日の様に女子として二人の身体を意識した訳では無いので、理由は分からない。
「「む~……」」
双子は名残惜しそうにしていたが、特に駄々をこねる事なく意外とすんなり離れた。
「ここで駄弁ってるだけじゃ意味ないし、そろそろ行くぞ」
月照は付き纏うムズムズともどかしい感覚を振り払う様にそう告げて、さっさと歩き出した。
「「あ、うん!」」
双子は元気良く返事をしながら、その後ろに付いていった。
その後ろ姿を見詰める者が二人――。
「あの子達、本当に小学生から成長してないんじゃないの?」
一人は夜野の家の中、窓越しに見つめていた双子の母親。
「全く……折角可愛くしててもいつも通りに暴れてちゃ、いつまで経っても色っぽい話になんてなる訳無いでしょ……」
会話内容までは分からなかったが、娘がいつも通り勢い任せで行動しているのは見て取れた。
だから彼女は呆れたというより諦めたといった様子で三人を見送り、窓辺を離れた。
そしてもう一人は、月照の母親の美月。
「…………はあ」
玄関のドアの隙間から様子を窺っていたが、我が子の態度に溜息しか出なかった。
(なんであの子はあんなに……折角言い掛けたんだからそのまま勢いで言ってしまえば良いのに、本当にもう!)
月照からは、今日向かいの娘さんと遊ぶなんて聞いていなかった。いや、昨日の事も聞かされてなかった。
中学の頃は何が何でも一緒にいるのを嫌がっていた我が子が、高校に入っていつの間にか親に内緒で遊ぶ様になったのだ。
見事な進展にかなり期待していたのだが、『もかっ』でがっかりさせられた。月照が何を言おうとしたのか分かっていたので余計に残念だった。
だから美月は、このまま何の進展もなく月照が帰ってきたらちょっと説教してやろうと決心したのだった。




