8セーブ目(3)
双六は記憶にあるよりもずっと理不尽なゲームバランスだった。
月照は結構忘れてしまっていたが、ただ単にサイコロ代わりにトランプを使うだけではなく、他にも色々と特殊ルールがあった。
双子がそれらを覚えていたのでプレイに反映したのだが、ジョーカーを引いたら好きなマスに止まる事ができるという一発クリアルールがあったり、「右隣の人の頭にチョップを入れる」等の物理攻撃マスがあったり、「二回分進む」マスでトランプを二枚引いて同じ数字だったら他の二人が出目だけ戻るとか、明らかにその場のノリで後から増えたと思われるルールばかりだった。
それ故にこの双六はとんでもないクソゲーで、素直に楽しむ事なんてできるはずもない。
――の、だが……。
終わってみると、なぜか不思議な事に楽しかった。
何が楽しいのかはさっぱり分からないのだが、それでも妙に盛り上がって笑いながらプレイし、楽しめた事だけは間違い無い。
しかも興が乗ってゲームバランスの調整までしてしまった。
原因はやはりジョーカーだ。
トップの蛍が中盤に差し掛かった辺りで、振り出しに戻ったばかりのダントツ最下位だった月照がジョーカーを引いて逆転ゴール、という結果になった。
まあ月照の大人気ないプレイが原因とも言えるが……。
小学生の頃は月照ももう少し空気を読んでいたらしく、双子は「ぷんぷん」と口に出して怒っていた。ルール違反じゃないとの主張は一応通ったが、欠陥があるから改訂する、という事になった訳だ。
ちなみに双子の改訂案は「ジョーカーはゴール以外の好きなマスに止まる事ができる」という、殆ど無意味な変更だったので、結局月照が「先頭プレイヤーの前後十マス以内でゴールを除く好きなマス」というアイデアを出して、少しだけマシなバランスを取る事になった。
改訂会議の後も双子は一回目の結果の不満を言い続け、もう一度プレイすると言って聞かなかった。月照も自分の改定案がどれ位のバランスか試してみたい気持ちもあったので、素直に受けて立った。
次は灯がジョーカーを引き、選んだマスは「みっちゃんの膝に座る」だった。
「こんなマスあったっけ……? てかこれ、俺が止まったら実行不能で即死じゃねえか」
「子供が作ったゲームなんだから、細かい事気にしたら負けだよ」
名指しなどという非常識で目茶苦茶不平等な内容に月照が不満を漏らすが、灯は全く気にせず月照の膝に飛び込んできた。小柄なので園香よりも収まりが良い。
いや、園香もやや小柄だから物理的にはそんなに大きくは変わらないはずだが、何と言うかこう、一昨日のデート時よりは落ち着いていられるので、不思議と収まりが良い様に感じるのだ。
「そうだ! その時は私がみっちゃんに座ってあげるから大丈夫だよ」
何がどう大丈夫なのか分からないが、灯はにこにこしながら身体を捻ってこちらを見上げてきた。
園香にも似た様な事をされたが、少し頬が熱くなったもののあの時の様に取り乱したりはしなかった。
(よ、よし。大丈夫そうだ)
あの日前屈みの原因になった部分の状態を確認したが、少なくとも今はまだ大人しい。
「あーちゃん! その時はどっちが座るかを勝負してからだよ!」
蛍が慌てた様子で会話に割り込んできた。
「あ、そうだね。じゃあゴールに近い方が座るって事で」
「そ、そうだね。それか、ゴールしてから座るか、どっちかだね」
「……いや、俺の意志は?」
更なるルール追加、しかも月照が一人不利(?)になるものなので、どうせ無駄だとは思いながらも一応抗議の声を上げた。
「「そのマスに止まる方が悪い」」
案の定、二人がかりで斬り捨てられた。
そう言えば、双六制作時にマスの内容やルールを決めた時も、双子が多数決と言い張って勝手にいくつものルールを作っていた気がする。
(なるほど、つまりこのゲームの酷さは全部あほ姉妹のせいだな)
月照は制作者の一員としての責任を放棄した。
「ところであーちゃん、それずっと座るって意味じゃないからそろそろ降りて」
蛍が何やらちょっとムッとした様子で灯の手を引いた。
「え~、もうちょっと」
「む~……それじゃあ双六次に進めないから駄目だよ」
「ここでも進める事位できるよ」
「みっちゃんができないの!」
蛍相手には珍しい灯の我が儘を切っ掛けに、双子が言い争いを始めた。
ここまで付き合いが長いと、この仲良しな双子が取っ組み合いの喧嘩をするのも何度か見た事がある。だからこの程度はそんなに珍しくない。
普段はよく同時に同じ事を喋ったりしているが、別々に物事を考える別人格なのだから当たり前だ。
ただ、膝に乗った状態で引っ張り合いをし、もぞもぞと動かれると……。
「……鬱陶しいからそろそろ降りろ」
さっき状態を確認した時から意識を「そこ」に集中し過ぎていたせいで、段々とその部分に血が集まっている様な気がしてきた。このままでは灯に気付かれるかも知れない。
大体いくら見た目が目茶苦茶可愛い女子だと言っても、この双子相手にそんな状態になる訳にはいかない。
いやなぜ駄目なのか理由は自分でも分からないが、罪悪感に近い妙な感情が湧いてくるのだ。
「う~……じゃあ仕方ない」
月照に不機嫌そうに言われた灯は名残惜しそうに膝から退いて、右隣の身体が触れそうな位置に座り直した。
元の位置よりもかなり近いが、ここに居座るつもりらしい。
「じゃ、じゃあ、次は私だね」
蛍もなぜか元の位置には戻らず、反対隣に引っ付く様に座った。
そこから一歩も動かないと言わんばかりにいそいそとトランプの山札とさっきのジョーカーを手に取り、不器用な手つきで丁寧に繰り始めた。それが終わると山札として床に置いて、一番上のカードを引き、出目に従って駒を進めた。「一回休み」のマスだった。
しかしその作業中が終わった後も、蛍の視線はなぜか自分のではなく灯の駒に釘付けだった。
いや、正確にはその駒のあるマスに釘付けで、そこまでのマス数を小声で数えてその数字を繰り返し呪文の様に言い始めた。
「次は俺か……しかし毎回トランプ繰り直すの面倒だな」
月照がカードを引きながら呟くと、蛍が呪文を止めた。
「そうだ、ジョーカー入れて十四枚だけにしない?」
名案だと言わんばかりに左手を挙げながら言ってきた。
「エースからキングまでの十三枚プラスジョーカーって事か? さすがにジョーカー出過ぎるだろ。却下」
「えー……」
駒を進めながら答えた月照に、蛍は挙げていた手を降ろして口を尖らせた。
「いや、有りかも知れないよ……」
灯が蛍に同調した。彼女の視線も今自分が止まっているマスに釘付けだ。
やばい、このままでは又、民主主義と名乗る数の暴力で押し切られてしまう。
「無しだ無し! そんなにジョーカーで好きなマスにワープされたら、細かくマスを用意してる意味が無くなるだろ。どうしてもそうするなら、ジョーカーは十五マス進むとかに弱体化しないと駄目だ」
「「ぶ~」」
二人揃ってブーイングしてきたが、どうやら説得には成功したらしい。それ以上何も言ってこなかった。
その後もマスの命令で蛍にチョップをされたり、スタートに戻された灯がまた月照の膝に座るマスに止まったりと、双六だけで結構な時間遊ぶ事ができた気がする。
二回目の勝者は蛍だったが、なぜか最下位の灯の事を恨めしそうに睨んでいた。
しばらく双子の睨み合い続いた後、月照の提案で現時点でのゲームバランスを互いの意見を交えて考量し、ルールを変更したり追加して少し調整した。
月照は机に移動して、メモ用紙とシャープペンシルを取り出した。
「えっと、まずは変更無しのから、と」
呟いて、忘れない様にルールを全て書き始めた。
今回はたまたま双子がルールをまだ覚えていたので、これを作った頃と同じ様にバランスの悪さそのものを楽しめたが、ルールが分からなければただひたすら理不尽なマスの命令に振り回されるだけのゲームだ。
折角調整を入れたので、万が一双子がルールを忘れても楽しめる様に、今回追加分や変更分も含めて全て記録しておく事にしたのだ。
「みっちゃん、何してるの?」
「何のメモ?」
そんな月照の行動を不思議そうに見ていた双子が、我慢しきれず寄ってきて内容を覗き込んだ。
書くのに邪魔だったので、月照は一旦手を休めた。
「ルール。俺全部忘れてたし、次いつするか分かんねえからな。お前等まで忘れたら、もうこれで遊べなくなるだろ」
「「あ、うん……ほえ?」」
双子が気の抜けた声を出し、月照の顔へと視線を移して動きを止めた。
月照は何か変な事を言ってしまったのかとちょっと気になったが、とりあえずメモの邪魔では無くなったのでこの隙に全部書き終えてしまう事にした。
黙々と作業の続きを始めると、双子は大人しく少し離れた所へと移動して、何やらひそひそと二人で話し始めた。
気になるが耳を澄ましても内容は聞き取れそうもない。
(余計な事考えてルールど忘れしたら馬鹿みたいだし、とっととこんな面倒な事終わらせちまおう)
どうせ聞こえないなら気にしても仕方がないので、月照は一先ず作業に集中した。
その背中を眺めていた双子達は――。
「(みっちゃん、これからもあれ使うつもりって事だよね?)」
「(そうだと思う)」
「(でも、あれって余所に持ち出して遊ぶ様なものじゃないよね?)」
「(うん。私達はともかく、みっちゃんはあれを見られるの恥ずかしがると思うよ)」
「(って事は……)」
「(うん、そうだね)」
「「(またこれからも、この部屋で一緒に遊んでくれるって事だね!)」」
さっき「膝に座る」で睨み合っていた事も忘れ、二人仲良く手を取り合って喜んでいた。
月照が念の為もう一度双六をするかと尋ねると、双子は揃って首を横に振った。
とりあえず満足した、という半端な表情ではなく、何かもっと大きな事を成し遂げた、と言わんばかりの晴れやかな充足した表情だった。
意味が分からない月照はちょっと不気味に思いながらも、双六をルールのメモと一緒に押し入れの元の場所へと仕舞い込んだ。
「次は何するの?」
「今のトランプ使ってカードゲームとか?」
双子が月照の背後から押し入れの中を覗き込んだ。
「そう言えば、他のボードゲームもあったよね?」
「あ、その野球の奴とか久しぶり!」
「そっちの変身ベルトはまだ動くの?」
「奥にあるのって、野球のバットとグローブ?」
「サッカーボールもここだったんだ。空気抜けてちょっと凹んでる?」
「バスケットボールは持ってないんだ?」
「そっちの奥の一番下ってまだおじさんの麻雀セット置いてあるの?」
「おばさんのお人形セットも入れっぱなしかな?」
「「それから……」」
「やかましい!」
次第に身を乗り出して引っ付いて来た双子を振り解きながら、月照は大声を出した。
「お前等、さっきもそうだけど俺の家の俺の部屋で我が物顔過ぎるだろ!」
「「勝手知ったるなんとやら、だよ」」
「お前等のは『勝手知ったる』じゃねえ! 『勝手に知って』んだよ! 大体押し入れの中の配置どころか箱の中身までとか、知り過ぎにも程があるだろ!」
昔から勝手放題された結果だった。
「それはみっちゃんの部屋の押し入れが」
「小学生の頃から進歩していないからだよ」
「むしろ逆に聞くけど」
「中学になってから増えた物って」
「「何かこの中に仕舞ってるの?」」
「……」
当時の制服や教科書類が少々と、新たに高校の夏服位なものだった。
ぐうの音も出ない月照を押し退けて、双子が押し入れに潜り込んだ。
「あ、おい!」
「どうせなら色んなゲームを一杯やっていこうよ」
「折角懐かしい物も残ってるんだし」
「「使わないと、勿体ないし可哀相だよ」」
言いながら出てきた双子は、手にオセロと将棋と麻雀セット、それから月照のアルバムを持っていた。
「お前等、後でちゃんと元の場所に戻せよ……」
オセロはともかく、将棋は双子相手には挟み将棋位しかやった事が無い。
麻雀に至っては一度もやった事が無いし、そもそも月照だってルールを知らない。最初に牌をどう積むのか位は知っているが、その後はさっぱりだ。
いや、サイコロを振って始めるのも知っているが、その後何処の牌から引いていくのかは知らないし、そもそもそのサイコロはさっきの双六を作った頃には紛失済みだ。
それらを取りだして来て、一体何を懐かしむのだろうか……。
「「よし、じゃあまずはアルバムからだね」」
それは懐かしいかも知れないが、ゲームではない……。
「お前等も殆ど同じもん持ってるだろうが……」
同い年の幼馴染み故に写真を撮る機会はほぼ同じだ。別々に行った家族旅行の写真は当然別々の内容になるが、それは相手の思い出なので自分は共感できない。
だから月照には、人のアルバムを見る事の何が面白いのかがさっぱり分からない。
「でも、アルバムってなかなか見ないから」
「こういう時ぐらい見ても良いと思うよ」
「……お前等は駄目な時でも見ると決めたら見るだろうが」
止める間もなくアルバムを床に置いて開いた双子に、月照ももうそれ以上何を言っても無駄だと諦めて溜息を吐いた。
「うわ、この頃のみっちゃんは可愛い!」
「でも目付きは既に悪いね」
「おじさん最近見ないから顔忘れてたけど、こんな顔だったんだね」
「やっぱりこうしてみると、みっちゃんのお父さんだね」
双子は月照を完全に置いてけぼりにして自分達だけ楽しんでいる。
「あれ? おばさんあんまり写ってないね?」
「そう言えば、私達っておばさんと一緒に遠出した記憶無いかも?」
「そう言えばそうだね。おじさんは全部一緒だった気がするけど」
「霊感の関係かな?」
「そうかも? 昔のみっちゃん、今よりももっと霊とお話ししてたし」
「ウチのお母さん、結構恐がりだもんね……」
(そういや、こいつらと一緒の旅行で母さんが一緒だった事無いんじゃないか?)
咜魔寺家だけの家族旅行なら勿論母親も一緒に出掛けていたが、夜野家と一緒の外出の時は宿泊するしないに関わらず、常に父親が同伴して母親が留守番をしていた気がする。
(……まあウチは母さんが規則正しい仕事してて、親父は本当に仕事してるのかどうかも怪しいからな……)
咜魔寺家は母親よりも父親の方が時間の自由が利くので、恐らく夜野家側の都合に合わせる為にどうしてもそうなってしまうのも原因の一つだろう。
「あれ、この美月さん写ってる写真は最近かな? 今と全然変わってないし」
「でもみっちゃんまだ小さいよ?」
「あ、ほんとだ……」
「え? これ何年前?」
「みっちゃんのこの感じだと、小学校一年生の五月頃?」
「うん、間違い無いよ」
(いやなんでそこまで断定できるんだよ!?)
後ろからちらりと二人の見ている写真を確認したが、確かに小学校入学してからしばらく経った頃に京都、大阪、奈良の旅行をした時の写真だった。
階段の下から上に向かって撮影したもので、背後には神社の物と思しき立派な朱色の門が写っているが自然物は殆ど写っていない。だから時期は服装から判断するしかないのだが、厚着も薄着もしていないので、それが春なのか秋なのかは分からない。
それを二人共殆ど迷わず一瞬で断定したのだ。
「九年経っても全く同じ姿って……」
「ちょっと怖いね……」
(お前等の俺に対する記憶力程じゃねえよ!)
月照は無言で双子から離れた。
「あ、ほーちゃん。こっちみっちゃんと一緒に写ってるよ」
「あ~! あーちゃん、私を『あほーちゃん』って言った!」
「言ってないよ!?」
「言ったよ! じゃあもう一回さっきの言葉言ってみて」
「あ、ほーちゃん。こっち――」
「ほら言った!」
「違うよ! 『あ』と『ほーちゃん』は別々で、たまたま繋がってただけだよ!」
「え~? みっちゃんはどう聞こえた?」
「……聞いてなかったけど、どっちも阿呆ちゃんなのは間違い無い」
「「こらー!」」
そう二人で声を揃えてむくれた直後。
「「ぷっ、あはははは」」
二人揃って大きな声で笑い出した。
(本当の事を言っただけのつもりだったんだが……)
などと酷い事を考えながらも、屈託無く笑う双子を見ている内に、月照の口元はいつの間にか緩んでいた。




