7セーブ目(5)
街中を全力疾走するとかなり目立ってしまう。
ましてや休日、更に駅に向かう人々を追い越しながら、それも電車の時間と無関係に、となると尚更だ。
しかもそのまま駆け寄って女子と会話を始めたりしようものなら、それはもう「これからデートします」と書いた幟を掲げている様なものだ。一部の人に爆発させられかねないし、そんな見世物行為は加美華にも申し訳が立たない。
それに何より、お出かけデート初体験の月照に耐えられる訳がない。
だから月照は目立たない様に小走り程度のペースで走っていた。
これでは確実に間に合わないが、遅刻は二、三分程度で済むだろう。
もう少し速く走ってもそれ程目立たない気もしてきたが、それでもどうせ遅刻は確定だし、これ以上ペースを上げたら着いた頃には汗だくになってしまいそうだ。
そんな状態でデートを開始するよりは、数分の遅刻を相手の善意に甘えさせて貰う方が良さそうな気がする。
そう心の中で言い訳し、結局月照は今のペースを選択したのだった。
目算通りの時間遅刻しながら最後の角を曲がって、駅前全体を一望できる場所に出た。
(ええと、先輩は――)
あの加美華が遅刻するとは考えにくいので、一旦足を止めてその姿を探す。
(あれ、か? やっぱ待たせたか……)
目立たない日陰に加美華らしき女子の姿を見つけた。
(――先輩、だよな?)
ただし確証は得られなかった。
その女子が、肩幅大に両足を開いて膝に両手を着いた、腰を折った姿勢で地面を見詰めていたからだ。
ショートカットの眼鏡女子で身長もおそらく同じ位、遠目と言うほどの距離ではないので顔さえ見えればはっきりするのだが、普段の加美華がしそうもない姿勢なので自信が無い。
(他にそれらしい人もいないし、な……)
待ち合わせ場所は駅前という広い範囲だったのでもう一度周囲を見回してみたが、それらしい人物は見当たらなかった。
月照は少し迷ったが、結局その女子の元へと早歩きで近寄っていった。
(さすがにかみかみ先輩はこの程度の遅刻で怒ったりはしないと思うけど、『早く来過ぎて足が疲れた』とかだったら申し訳ないな……)
足音に気付いた彼女がこちらに顔を向け、やはり加美華で合っていたと安心する。万が一人違いだったら、このまま通り過ぎて上手く誤魔化せるかと悩み始めたところだった。
「済みません……ふう……待ちましたか? はあ……ふう」
彼女の前で立ち止まって声を掛けた。
最後に歩いたとはいえ、それまでにそこそこの距離を走っていたのでまだ少し息が切れている。
「……」
しかし加美華からの返事は無かった。
彼女は膝に手を着いたまま、一度上げた顔をまた地面に向け背中を上下させている。
よく見ると、彼女の着ているワンピースはびっしょり濡れて肌に張り付いていた。
「えと、先輩……?」
「ぜー、ぜー、ぜぇぇぇ、ひゅぅぅ、ぜー…………」
「せ、先輩!?」
心配になる位荒い呼吸音をしばらくさせてから、加美華は再び顔を上げた。
「あ、い、い、ふう、えあ、おっふう……」
何か言おうとした様だが、どうやら人語では無いらしく理解できなかった。
「…………」
しかしここまで来れば、言葉は理解できなくとも何があったのかは月照でも理解できる。
「ふう、はあ、ふう。い、いい――ごほ、ごほっ! かは! は、はあ、はあ、ふう、はあ……」
「先輩……ゆっくりで良いですから……」
「い、いい、はあ……いい、え……ふう、はあ、はあ……今、来たとこ、はあ、とこ、で……す! 本当、です!」
加美華は滴る汗をそのままに、息も絶え絶えになんとかそれだけを絞り出した。
「……あ、はい。信じます」
彼女が全力疾走でついさっき到着しただろう事は、火を見るよりも明らかだった。
◇◆◇◆◇
「あ、お帰りなさい、加美華ちゃん」
夕焼けの赤に染まった部屋の中から、玄関口に立つ加美華の姿を見付けた桐子がいつもの様に笑顔で出迎えた。
「へ? あ……た、ただいま?」
迎えられた加美華は、なぜか驚いた表情になった。
「どうしたの?」
可愛らしくおかっぱの髪を揺らして微かに首を傾げる桐子に、加美華はその倍位首を傾げて口を開いた。
「あれ? 私、何してたっけ?」
「……加美華ちゃん?」
桐子は彼女が何を言っているのか、全く理解できなかった。
彼女は今し方、自分でこの部屋の鍵を開けてドアを開き、玄関まで入って来た。「何してたっけ」と言われても、これから靴を脱いで部屋に上がる以外にする事なんて無いはずだ。
「あ、そうだ! デート! デートはっ!?」
しかし彼女は靴を脱ごうともせず、なぜかそんな事を聞いてきた。
「か、加美華ちゃん!? 今、その逢い引きから帰ってきたんだよ!?」
さすがに心配になって、桐子の声の調子が強張った。
デートの話はむしろ桐子の方が聞きたい位だ。小柄で幼く見えても、桐子だってそういう男女関係に興味の出る年頃の女子だ。
「……え?」
しかし加美華は桐子の言葉が余程意外だったのか、ぽかんとなって止まってしまった。
「だ、大丈夫?」
見かねた桐子が駆け寄ると、加美華は頬に一筋の冷や汗を流しながら小さく呟いた。
「…………記憶が無い」
「加美華ちゃん!?」
一体何があったのか、加美華は狐につままれた様な表情のまま小さく震え始めた。
「私どうしてたっけ? 桐子ちゃんと朝会った気がするけど……」
「会ったけど……覚えてないの?」
会った時からとなると、桐子の知る限り起きてすぐから今までの、今日一日分の記憶が丸々全部失われている事になる。かなり深刻な状況だ。
「な、なんかこう、頭の中が真っ白に……あれ、真っ黒? どっちだろ……?」
加美華は両手で自分の頭を押さえた。
「だ、大丈夫? とりあえず、中に入って落ち着こう?」
「あ、う、うん……」
桐子に促されるがまま、加美華は靴を脱いで部屋の中央へと移動した。
敷かれたままの布団に一瞬眉を寄せていたが、それは慣れたもので三つに折って部屋の隅に動かした。
「ええと……」
しっかり者の桐子は、水や冷たいお茶を出してあげようと流し台や冷蔵庫の方を見るが、しかし触れないのでどうしようもない。仕方が無いので、頭を捻って加美華に掛けるべき言葉を探す。
「…………」
だがそんな言葉がすぐに出てくるはずがない。大人でも困惑する状況だ。百年以上をこの世で過ごしたとはいえ、孤独な子供の霊だった桐子には経験が圧倒的に足りない。
「わ、私、自分でちゃんと準備して出掛けたんだよね……?」
「え? あ、うん!」
「…………」
「…………」
返事を返した後の沈黙が息苦しくて、桐子はどう声を掛けようか思案し始めた。
加美華も勿論落ち着かない様子で、呆然としたまま周囲を見回している。
その目が、部屋の片隅に置かれた鏡台を見付けた。
子供のおもちゃと間違えそうな、化粧道具も乗せきれない小さな物だ。高さも無いので、座っても背中を丸めないと顔を映せない。だから化粧をする時はいつもちゃぶ台の上に乗せて使っている。
だがそのちゃぶ台は今、鏡台の横に折り畳まれて立て掛けられている。
加美華は何かに取り憑かれたかの様にゆらりと立ち上がり、その鏡台までフラフラとした足取りで近付いて、それの前で力が抜けた様にペタンと座り込んだ。
そして――。
「(ひいっ!?)」
そこに映る自分の姿に息を呑んだ。
「きゃあああああああ!」
「加美華ちゃん!?」
加美華は悲鳴を上げながら勢いよく立ち上がり、逃げる様に鏡台から離れた。
桐子も驚いて思わず大きな声を出してしまったが、加美華はそんな桐子を気にする余裕もないらしい。
角度と距離の関係で床しか映っていない鏡台を見詰めたまま、小さく唇を震えさせている。
「ど、どうしたの!? 何があったの!?」
一体そこに何が映っていたのか。
桐子は湧き上がる恐怖を必死で押さえ、加美華の為に彼女と鏡台の間に割り込んで話しかけた。
こんな時、彼女に触れられない自分がもどかしい。
「あ……ああ……わ、私……お、お……」
加美華の取り乱し方は尋常ではない。
桐子から見た彼女の姿はいつも通りだが、しかし桐子は自分が普通の人間や霊を見る事ができないと知っている。
だからきっと加美華は、自分には見えない「何か」を見て恐怖――或いは絶望しているのだ。
「私、お化粧してない! えっ!? コンタクトはっ!?」
「………………え?」
「い、今、すっぴんで眼鏡の私が鏡に映ってたの! で、でも、今日はデートだったんだよ!? え? なんで!? この格好で――ううん、服は買った奴だけど、でもこの顔で月照君とデートしたって事!?」
「………………」
やっとこちらに顔を向けてくれた加美華の言葉で、桐子は言葉を失った。
「いやぁぁぁぁ!」
「……加美華ちゃん、ご近所迷惑だから……」
いつまでも取り乱している加美華に、桐子は呆れているのを全く隠さずにそう伝えたのだった。
「私、今朝桐子ちゃんに会ったよね?」
しばらくしてようやく落ち着いた加美華が、ちゃぶ台を挟んで桐子の前で正座になり問い掛けてきた。
ちゃぶ台にはコップに入ったお冷やが二つ置かれている。
「うん」
桐子も同じく正座して、しかし加美華ではなく目の前のコップを見ながら答えた。
桐子が「とりあえず水でも飲んで落ち着いて」と加美華に促したのだが、当然ながら自分のお供えなんて頼んでいない。
最近は間違えて桐子の分を出す事は無くなっていたが、どうやら加美華は気が動転して自分の行動がよく分かっていないらしい。
「朝の私って、私だった……?」
「ごめん加美華ちゃん。質問の意味が分からない……」
行動どころか自分すら分からなくなっている様だ……。
加美華は頭を抱えて、「違う、そんな哲学的な事じゃにゃくって!」と小さな声で噛んでいる。
「加美華ちゃん……水は入れただけじゃ意味ないから、飲んだ方がいいと思うよ」
一先ず彼女を落ち着かせる為に、桐子は彼女の前に置かれている方のコップを指差した。
加美華は素直にそれを一気飲みして、「ぷはぁ」と息継ぎをしてからもう一度姿勢を正した。
「……朝、何があったか教えてくれる?」
ちょっとは落ち着いた様だ。
「時間が無くて、そのまま出て行っただけだよ?」
桐子もようやく安心して受け答えを始めた。
まあ簡潔過ぎて、加美華の求める答えにはなっていないのだが。
「あ、えと……そうだとは思うけど、もう少し詳しく教えてくれる?」
「え、うん。でも本当に何も無いよ?」
桐子は頬に人差し指を当てて小首を傾げ、視線を天井に向けた。
その可愛らしい仕草に、加美華の強張っていた表情が少し緩んだ。
「うーんと……私が来た時に加美華ちゃんまだ寝てて、それで声を掛けて起こして……。そしたら加美華ちゃん、『遅刻しちゃう』って寝間着のまま外に飛び出そうとして、私が『今日の為に服買ったから着替えて』って言って、そしたら加美華ちゃん、服だけ着替えて荷物も持たずに飛び出して行ったんだよ」
「………………」
しかし緩んだ表情のまま固まった。呼吸も含めて完璧に。
「………………うぁぁぁぁぁ~~……」
十秒程動かなかった加美華は、へろへろとちゃぶ台に突っ伏した。ちょっと思い出してきた様だ。
「(……ああ、そうだったぁ~。寝たんだったぁ~……)」
ちゃぶ台に向かって小さく呟いた。
今朝、ちょっと早過ぎる時間に目が覚めた後。
瑠璃の助言に従い、無理矢理二度寝した。
――眠れてしまった。
いや、それはまだ良い。
そこまでは良いが、早起きした時に目覚まし設定を切ってしまい、挙げ句に寝直した時には設定し忘れていた。
だからそのまま寝坊して、桐子に起こして貰った時には既にぎりぎりの時間だった。
彼を待たせてはいけないと思って大急ぎで飛び出したのだが、その辺りからもう既に頭の中は真っ白だったようだ。
「……お財布も忘れて、どうやって遊園地行ったんだろう」
ポケットの中にはこの部屋の鍵だけが入っていた。
これは着替え同様、出掛ける直前に桐子に声を掛けられて気が付いた……のだと思う。
桐子は財布の事もちゃんと教えてくれていた様な気がするが、それを確認しても詮無い事だ。仮に教えて貰って無かったとしても、桐子を責めるのはお門違いも甚だしいからだ。
しかしぼんやりとした靄――では無くかなり酷い濃霧が掛かった記憶の中で、遊園地で遊んだ様な気がする。
いや、確かに行った。乗り物にも乗った気がする。駄目と言われていた観覧車も含めて、回れるだけ回った様な気がする。
「……でも、お金持って無かったのに?」
加美華はちゃぶ台から顔を上げた。
「加美華ちゃん?」
心配そうに見詰める桐子の前に置かれたもう一杯の水を、出し間違いに気付いた加美華はついでとばかりに一気に飲み干した。
(私はお金も何も持ってなかった。でも電車で移動して、遊園地に入って、乗り物に乗った。そして怒られなかった。それだけの乗り物とか全部バレずにタダ乗りなんてできないから、つまり無賃乗車や不正入場はしてない。……さて、月照君と一緒だった私は、無一文でどうやって好き放題お金の掛かる事をしたのでしょうか?)
クイズ形式で自問自答してみる。
答えは一つだ。
「うわぁぁぁぁ…………ぁぁあ……。あ、あはは、あはははははは!」
加美華は頭を抱えて唸りだしたかと思えば、なぜか突然笑い出した。
「加美華ちゃんっ!?」
びっくりしたと言うより恐怖して、桐子が悲鳴のように彼女の名前を叫ぶ。
「あはは、寝癖がまだ残ってる! ジェットコースターとかにも乗ったのに凄いね! 人体の神秘だね!」
破滅的な笑みを浮かべ死んだ魚の目をしながらひたすら笑う加美華に、桐子は触れられない事も忘れて身の危険を感じ、慌てて立ち上がった。
「加美華ちゃん!? 加美華ちゃん!」
悪霊に取り憑かれた様な彼女に、正気に戻って貰いたい一心で必死にその名を呼び続ける。
しかし勿論、加美華はそんな深刻な状況では無い。
いやまあ、彼女的にはかなり深刻な状況なのだが……。
(これじゃあ私、今時デート費用を全額男の子に負担させるイタイ女決定だよぉぉぉ……)
記憶はまだ曖昧だが、状況的には「初デートでいきなり男子を問答無用で財布扱いした」高慢ちきな女子だ。
「あ、ははは……はぅっ」
バタン。
「加美華ちゃーん!!?」
気を失った加美華に、桐子はただ彼女の名前を呼び続ける以外何もできなかった。




