5セーブ目(1)
「だあ……くそ、なんで目が覚めちまうかな……」
日曜日、園香とのデート当日。
月照はまるで誰かに起こされたかの様な不自然な感覚で目を覚ました。
時間は朝の八時前。園香との待ち合わせに丁度いい時間だ。
昨日夜更かしして深夜まで起きていたのに、なぜ寝不足気味でも目が覚めたのか理解できない。
「『寝坊して遅れた作戦』も嘘吐いてまでしたら、後でばれた時に面倒そうだし……」
やむを得ず、月照は起き上がって着替え始めた。音楽室には行かないので私服だ。
(予定とか全然決めてないけど、まあなる様になるだろ。今日は母さんも夕方までパートだし、最悪居間でゲームしとけばいいか)
待ち合わせは九時に学校だ。その後どうするかは園香の気分次第だろう。学校付近には遊べる様な場所はあまりないのでぶらぶら歩く位しか思い付かないが、昼食の時間には駅前辺りで何か食べればいい。
(あ、昼からゲームなら、帰ってきてカップ麺でもいいか。どうせ先輩、なんも食べないだろうし)
ゲームはどんなソフトが好きそうだろうか。
(てか、先輩の生前テレビゲームなんてあったのか? 見ただけで大はしゃぎとかしそうだな――って、さすがにそこまで古くないか)
生まれる前の時代なので詳しくは知らないが、家庭用テレビゲーム機が普及したのは昭和だった気がする。
(その前はなんだっけ? ゲーム時計とかなんかそんな、携帯ゲーム機があったんだよな。ポケットサイズの携帯ゲームが先ってのは結構意外だよな)
厳密にはそれ以前にもテレビゲームはあったのだが、あまり一般には知られていないのでこのゲームの歴史を話した月照の父親も知らなかった。
その父親の話では学校で禁止令がでる位流行って社会問題にもなったらしい。ずっと親指を曲げてプレイするせいで、長時間プレイし過ぎた者はゲーム終了時に親指が曲がったまま固まってしまって、伸ばす時に激痛が走ったとかなんとか……。
(まあ嘘くせえ話だけどな……)
嘘臭いと言えばその時一緒に聞いた、その携帯ゲームの開発元が元は花札を作っていた会社だという話もだ。
(あんな世界の誰もが知ってるデジタルゲーム界の超有名企業が、そんな下町の印刷屋みたいな会社だったわけねえだろ)
父親に担がれた経験の多い月照は、この話を全く信じていなかった。
(先輩ならちょっと位聞いた事あるかもな)
聞いているだけで居た堪れなくなる経済状況だった園香がゲーム機を持っていたはずはないが、大ヒットしたらしいので少しは知っているかも知れない。
その後に開発されたカートリッジ式テレビゲーム機についても聞いてみたい。
(そういや、親父がよく言ってた『冒険の書が消える』って奴。リセットボタンは結局押しながら電源切るのか、押さずに切るのか、どっちなんだよ?)
「スーパー」の方は押してはいけない、と言っていた気がするが、興味が無さ過ぎて聞き流していたのを今更思い出した。
まあどうでもいいのでまた忘れる事にしよう。
「そういや、先輩はあの話からしてテレビゲームなんてした事無いよな……」
ゲーム機全般を持っていないだけではなく、友達もいなかったのだ。誰かの家で遊んだとは思えない。
それにもしかしたら、それらゲーム機が世に広く出回る前に他界した可能性もある。
(やっぱ、ちょっとはやってみたいだろうな……じゃあ昼飯は家か)
彼女はこの町の先輩であり霊なので、変に町を練り歩いて小洒落た店に行って時間を潰すよりも、自宅でゲームが一番いい気がしてきた。
「――って、そんな事より飯! 遅れちまう!」
着替え終わってもぼうっとしていた自分に気付いて、月照は慌てて部屋を飛び出して行った。
彼に気付かれることなくその背中を見送っていた者が、気配を殺したまま押し入れから出てきた。
スラッと開けて、ではなく、すうっとすり抜けて。
「…………み、見ちゃった」
真っ赤な顔をした園香だ。
「た、たまたま君が急に脱ぎ始めるから、隙間から凝視しちゃったよ!」
デートが待ちきれず、月照の顔を見に早朝から部屋に忍び込んでいたのだ。夜間安眠の札の効果は、文字通り夜間のみで早朝には効かないらしい。
寝顔をたんまりと堪能した後、待ち合わせ時間に間に合う時刻に月照を揺すって起こし、しかし見付かったら絶対に殴られると気付いて慌てて押し入れに隠れていた。
月照が部屋から出たらすぐ逃げないといけないので、中の様子を確認する為に少しだけ襖を開けて覗いていたら、思わぬ光景に出会して目を皿のようにして見詰めてしまった。
「すっごく引き締まった身体してた……」
頬で茶を沸かせそうな位顔が熱い。思えば霊になってどこでも覗き放題なのに、今までそんな事考えた事もなかった。
……ちょっとしか。
思春期真っ盛りだから興味が無かった訳ではないのだが、死後数十年の間に一度も実行した事がなかった。
理性が邪魔をした、というのもあるかもしれないが、多分霊に生殖能力がない事が一番の理由だろう。元々繁殖できなければ性への関心が薄くなるのも仕方ない。誰でもいいから見たい、という欲求は沸いてこなかった。
それに今まで興味のある男子がいなかった、というのも大きい。
「男子の下着姿なんて、小学校低学年以来数十年ぶり……普通の白いのじゃなくて、紺のちょっと変わったのだったけど……なんて言うのかな?」
その反動からなのか、頭の中は月照のパンツ一丁な姿で一杯だ。引き締まった身体がどうこう言いながら、一番気になったのは結局月照のトップシークレット部分だ。
おかげでそれを秘匿していた布の形状が写真のように鮮明正確に脳裏に焼き付いている。
ちなみに月照はボクサーブリーフ派だ。バスケットボールなどの激しい運動をする時はある程度の締め付けがないと、位置がずれて気になってしまうからだ。
中学時代の男子運動部員には、園香の記憶にある子供用白ブリーフを貫く者も結構いた。
彼等は、体操服の短パンで床に座ると、見えてはいけないものが隙間から見えてしまう事に気付かなかったのだろう。月照は早期に気が付いたので、その対策でボクサータイプに切り替えたのだ。
ちなみに横から見える事を相談した時に「褌が最強」と答えた父親も、ちゃっかりボクサーブリーフだ。
「うわー……なんか血管切れそうな位顔熱い。秘蔵のビデオとか見付けるより気不味いかも――……」
興奮気味に続いていた園香の独り言が急に途切れた。
真っ赤だった顔が、徐々に青く変わっていく。
「――こ、これは、バレたら殺されるかな……?」
コッソリ忍び込んで寝顔だけでなく着替えまで覗いたなんて、完全にアウトだろう。
「たまたま君自分の部屋漁られるすっごく嫌いだし、もしかしたら殴り殺された後で死体を和尚さんに突き出されるかも……」
しかも隠れていたのが、あの見られるのを極端に嫌っていた押し入れの中だ。
「く、くわばらくわばら……」
園香は月照に見付からないよう、来た時以上に慎重に立ち去ったのだった。
月照が食事をしている間に学校に帰った園香は、校門の前でぼんやり空を眺めていた。
部活の生徒達が次々と校内に入っていくが、彼女に気付く者は一人もいない。
「急いで帰ってきたけど……待つのはやっぱり楽しくないよ」
小学校の頃友達と読んだ少女漫画では、デートで相手を待つ時間もドキドキと楽しげに描かれていた。
「たまたま君、あんまり乗り気じゃなかったし遅れてくる気かな……?」
月照にばれないようにと小走りで帰ってきたが、おかげで待ち合わせまでまだ結構時間がある。
「うーん……何もせずにずっと待ってるのも退屈だし、やっぱりちょっとびっくりさせる準備しとこう」
いつもの様に独り言をだだ漏れさせながら、旧校舎の方をちらりと見た。
頭の中には様々な悪戯が思い浮かぶが、その中で月照の機嫌を損なわないものを選別していく。
「後ろから『だーれだ!』とかは基本だよね。でもそれだけだとあんまり面白みがないし、捻りを加えて『振り向いたら和尚さんだった!』、とかはどうだろう……?」
多分腰を抜かすほど驚くだろうが、後で本気で怒られるだろう。
それに頼めば住職も手伝ってくれると思うが、どうやって旧校舎まで呼び寄せるのかという難題がある。ついでに言えば、最近解体業者が来ないので仕様もない事で住職に借りを作っても返すのが大変そうだ。
「うーん……。あ、そっか。誰か分からない位いつもと雰囲気を変えればいいんだ。それなら一人でもできるから」
これなら怒られないで月照に悪戯できる。
いかにもデートらしい演出で彼を驚かせられると思うと、勝手に頬が緩んできてしまう。
「でも具体的にどうしよっか?」
ぱっと思い付くのは髪型を弄くる、眼鏡等の小道具に頼る、位だろう。
しかし髪型だけなら何とでもなるが、小道具は実体化しないと装備できない。
「眼鏡くらいなら、服と同じ要領で変身しなくても準備できそうだけど……」
霊障を磨いていた頃、実体化して服を着替えてから実体化を解くと、霊体になっても着替え後の服になっている事があると後から気付いた。勿論本物の服はすり抜けて地面に落ちているのだが、霊体は裸になる訳では無かった。
その場合、制服姿に戻るのは着替えをイメージするだけというお手軽なものだった。
更にそこから着替え直すのも、制服程簡単ではないが、服と着替えの動作をしっかりとイメージすれば大丈夫だった。だから眼鏡も、現物さえあれば何とか成りそうな予感はある。
「眼鏡、どっかに落ちてたりしないよね?」
軽く周囲を見回しても、当然ながらそんな物落ちている訳がない。
「うーん……使った事無かったっけ……? なんかしっかりとした感触が沸かないんだよね……」
こめかみに人差し指を当てて何とかイメージするが、まるで靄が掛かった様なぼんやりとした感触で、どうしてもピンと来ない。
「私の遺影って、眼鏡付けてた気がするんだけどなあ……」
無理に思い出そうとするが、何故だかぞわぞわとした嫌悪感に苛まれてどうしても詳細が思い出せない。ただ、生前はおそらく眼鏡をかけていたはずだ。
「どうして眼鏡しなくなったんだっけ……?」
腕を組んで空を仰ぎ考えるが、胸に嫌なモヤモヤが沸いてくるばかりだ。
そういえば月照にはその原因となった出来事を話した気がするが、それが何だったのか思い出せない。
「……理由はともかく、思い出せないならやっぱり現物が必要だよね」
――幸せな「今」を壊したくない。
心が記憶を取り戻す事を拒否しているのだとなんとなく気付いて、当時の眼鏡姿を思い出すのは諦めた。
だが月照を驚かすのは諦めない。要は当時と違う眼鏡にすれば良いのだ。
「眼鏡めがねメガネ……あ!」
呟きながら校門の前を行ったり来たりしていると、眼鏡が神妙な面持ちでやってきた。
「あの子……なんでここに?」
加美華だ。
小洒落た私服姿――確か肝試しの時も着ていた、ご近所を散歩と言うにはちょっと気合いの入り過ぎた服装だ。
「なんで……今日の事、聞いていたのにぃぃぃ……」
目的地がここだと気付いた園香の表情が、ついさっきまでからは想像もできない不自然な無表情に変わった。掴みかかりはしなかったものの、完全にブラック化している。
彼女は園香が今日、ここで、これから、月照とデートの待ち合わせがある事を知っているはずだ。
こんな見計らったような時間に、デートに着ていく様な服を着て来て、一体どういうつもりなのだろうか。
「邪魔ぁぁぁ、するつもりじゃあぁぁ、ないよねぇぇぇ!?」
加美華を見る目は、敵意と言うより殺意に満ちた危険なものになっていた。
そんな園香が見えない加美華は、彼女のすぐ横で立ち止まって周囲をキョロキョロと見回し呟いた。
「まだ月照君は来てない、のかな?」
小声でも至近距離にいた園香にははっきりと聞こえた。
「やっぱりぃぃぃ、邪魔しに来たのぉぉぉ!!」
園香の両手が、ゆっくりと加美華の首へと伸びていく。
「か、花押さん! い、いますか!?」
しかし、加美華に突然名前を呼ばれて園香の手が止まった。
「は、い? え……?」
驚きのあまりブラック化が解けている。つい無意識に返事をしてしまった。
「え? なんで? 見えてるの?」
しかし真正面、手を伸ばせば届く距離から話しかけているのに、加美華は少し恥ずかしそうにキョロキョロするだけだ。見えているとは考えにくい。
(なんで? 声も聞こえてないみたいだし、霊感がある訳じゃない……よね?)
園香は恐怖に似た感情を覚え、数歩後退った。
しかし加美華の様子は変わらない。
「あの、いるんですよね? 出てきて下さい」
周囲をあれだけ見回していたのだから、今ここには誰もいないと分かっているはずだ。
それでも声を掛けてくるという事は、園香がここにいると確信しているとしか思えない。
しかしそれでは、園香が見えない存在だと分かっている事になる。
(ち、違う! 『隠れてる』だ! そう、私がたまたま君を驚かす為に、この近くに隠れてると思って声を掛けたんだ!)
加美華もそろそろ園香の悪戯好きを把握しているはずだ。だからそれを見越して声を掛けたに違いない。
園香は全身から血の気が引く感覚に怯えながらも自分にそう言い聞かせ、慌てて校門の向こう側の死角へと駆け込んだ。
周囲に人の目がないかを念入りに確認し、実体化の準備をする。
別に実体化の瞬間を見られても相手は霊障で記憶が曖昧になるのだが、今は見られる事が致命的な気がしてならない。
(どうして……やっと、ようやく友達と楽しく過ごす時間を手に入れたのに!)
そこまで考えてから、「違う!」と強くその思考を否定した。
(あの子は私の正体に気付いてない! だから素知らぬ顔をして『邪魔しないで!』って強く言えばいいだけ!)
心臓が激しく鼓動している気がする。息苦しい。
(あ、慌てず……実体化の前にまずちゃんと、服装をたまたま君とのデート用に着替えておかないと……)
実体化してからだと、イメージだけで着替えるのは無理だ。服も実体化されているせいだろう。
とにかく休日に学校の中から、部活もないのに制服姿で出てくるのはあまりにも不自然だ。こういう時ほど焦らず丁寧に、慎重に対応しなければならない。
園香は目を閉じて集中し、服のイメージに合わせて着替えを始めた。
その間にも、何度か加美華が声を掛けてくる。
(よ、よし! 実体化も無事成功!)
加美華の呼びかけ回数が二桁に届こうかという頃、園香は無事に着替えと実体化を終えた。
加美華の目的が分からない以上、早く行かなければ自分にどんな不利益があるのか分からない。
もし正体がバレていて、周囲にそれ言いふらされたら……。
(私もう、生きていけない!)
心臓が締め上げられるような感覚が続いていて、全く生きた心地がしない。
しかし逃げる訳にはいかない。もし本当に弱みを握られていたとしても、デートの邪魔をされているのは自分なのだ。強気に出ても許されるはずだ。
「もう! どうして君がいるのかな!」
精一杯の虚勢を張って、園香は加美華の前に姿を見せた。




