4セーブ目(11)
着物女の霊障の影響で、勉には彼女の姿が少しぼやける程度でなかなかはっきり見えているらしい。
その状況でこのゾンビっぽいグロテスクな姿を見せられては堪ったものではないだろう。
だから月照は、壁際でチワワの如くぷるぷる震えている彼の姿を見ても情けないなんて全く思っていない。むしろ良く悲鳴も上げずに意識を保っていられるものだと感心している。
「ちくしょう、情けねえ。でも怖いんだよ、キショイんだよ、見たくねえんだよ……」
さっきから本人が壁に向かってぶつぶつ言い続ける独り言に対して、「大丈夫、あれは俺も見たくないから!」と言ってやりたいのだが、第三者がいるせいで声を掛け辛い。
(廊下の女子はまあ、実際に霊障見てるから問題無いけど……迂闊に大谷先生に変な情報吹き込んだら余計混乱しそうだしなぁ)
しゃがみガードしたまま酸欠の金魚の様に口をぱくぱくさせ動かない大谷の立場で、ちょっと状況を整理しよう。
一、大谷は着物女が見えない。
二、女子が必死で廊下に飛び出してきた。
三、女子を助け起こして原因を探したら、月照が一人立っていた。
四、月照に殺気立った目で思いっ切り睨まれた。
五、背後から怒鳴りながら、怖い人代表の勉がやってきた。
六、勉は月照の方を見るなり腰を抜かしてしまった。
七、勉は今、壁際で恐怖心を隠さずに小さくなって震えている。
(…………あれ?)
月照の頬を冷や汗が一筋、つうっと流れていった。
人気のない音楽室で女子に何かして逃げられ、邪魔しに来た教師を殺意丸出しな視線で睨みつけ、ついでに暴力の噂の絶えない不良生徒さえもビビらせ縮こまらせた。
そんな状況な気がする。
(……てか、完全にそんな状況じゃねえか!)
血の気が引いて、全身から冷や汗がどっと溢れ出した。
これはやばい。一発退学&少年院直行級の勘違いが一番合理的に説明できてしまう。
ここで「いや、霊のせいなんです」なんて言い訳、一体誰が信じてくれるのか。
勉はきっと正直に「霊がいた」と証言してくれるだろうが、この怯える姿を見られた後では誰でも「脅されてそう証言した」と思うだろう。
あの廊下の女子もきっとちゃんと証言してくれるだろうが、「怖い思いをした心の傷のせいでおかしな事を言っている」とか勘違いされそうだ。
いやまあ、怖い思いをしたのは勘違いではないし内容がおかしな事なのも確かなのだが、そのせいで余計にややこしく厄介になっている気がする。
(うああああああ!? これ、マジでどうすりゃ良いんだ!?)
月照は頭を抱えて心の中で絶叫した。
「……旦那、心中お察ししやすぜ」
ずっと静かだった生首にしみじみと慰められた。
「(察されたところでなんの解決にもならねえんだよ!)」
大谷に聞こえない様に小声で叫ぶが、当然それも何の解決にも繋がらない行為だ。
「ねえ、一体どうなってるのかしら? あの方、折角来て下さったのに、あんな所で何をなさっているのかしら?」
諸悪の根源、着物女が全く空気を読まずに尋ねてきた。
なにやら急に上品になっているのが腹立たしい。ついでにまだ左目をぶらんぶらんさせているのが余計腹立たしい。
月照は無造作にその左目を鷲掴みにして、元の位置に押し込んだ。
「ひゃおん!?」
(こいつは驚く度に奇声を発する生き物なのか……?)
勿論生きて無い事は重々承知している。
「な、なにするのよ!」
着物女が抗議の声を上げるが、左目はこんな雑なやり方で完全に治っている。
よく見ると、あれだけ流れていた血も止まっている。止まっただけで血の跡は残っているが……。
まあ鼻が拉げ前歯が無くなったままなので無意識の領域には「自分が怪我をしている」と擦り込まれている様だが、痛みだけ忘れる都合の良さには呆れてしまう。
(――いや、あった! 状況打破の方法!)
月照はここに来た目的を思い出した。
こいつをぶちのめすのは確かに当初の目的通りなのだが、今日は勉に頼まれてやって来たのだ。
彼がこの場でこいつに対する恐怖を克服すれば、大谷の目にも「チワワ化するほど月照を怖がっている訳ではない」と映るに違いない。というか映って貰わないと困る。
これだけでは「女子に何かした」の部分は消せないが、凶悪さの印象は大分変わるはずだ。
他に手が思い浮かばない以上これで押し切るしかない。
「おい、俺は実はお前を殴ってない。軽く突き飛ばしただけだ」
大谷に聞こえるかも知れないが、ひそひそ話をしている姿を見られる方がなんとなくリスクが高い気がして、普段とそう変わらない程度の声量で話しかけた。
「え……?」
着物女が驚きの声を漏らした瞬間、顔の怪我が治った。
やはりこの単純さには腹が立つ。
だがこのままでは我が身が危ない。ここは辛抱するしかない。
「そして俺は、あの先輩をお前に紹介する為にここに来た」
「ええっ!?」
再び驚きの声を上げるが、今度は喜色満面だ。
「ま、まま、待って! どうしていきなり来るのよ!? こっちにも心の準備とか、おめかしの時間とか必要なんだから!」
「……お前さっき、先輩来るの邪魔したって理由であの女子脅かしてたよな?」
実際はもっととんでもない言い掛かりが理由だった気がするが、頭に血が上っていたのであまりはっきりとは覚えていない。いずれにしても、どこがいきなりなのやらと呆れてしまう。
……というか、おめかしなんて一体どうするのか無性に気になる。
「ちょっと! あの方の前で変な事言わないで!」
あの顔面を見せて当人の度肝を抜いておきながら今更何を言っているのかと思うが、悪霊なんて大体こんなもんなので気にしない事にした。
「あんた、私がおめかしする時間を稼いで! 三時間で良いから!」
「特殊メイク張りに時間掛けてんじゃねえ!」
多分、モンスターとか宇宙人に変装できる程度の時間だ。
「文句ばっかり言ってないで早くしなさい! 何の為にあんたがいるのよ!」
(殴りてえ……てかまた『あんた』になったのかよ!)
また顔が壊れたらきっと勉は再起不能なので、拳を力一杯握り締めて我慢し、本題を進める事にした。
「さっきも言ったが、俺が来たのはお前をあの先輩に紹介する為だ」
「ほら、ごちゃごちゃ言ってないでって……え? 何?」
真剣な表情で伝えると、着物女は話を聞く態勢になった。
「だけど先輩は短気で気まぐれだ。いつ気が変わるか分からないから、どうしてもおめかしが必要だってんならとっととしろ。二分半位なら待ってやる」
「わ、分かったわ! ――ってできる訳無いでしょ! そんな短時間じゃジャガイモの皮も剥けないわよ!」
「お前はジャガイモの皮で着飾るつもりだったのか!?」
「そんな訳無いでしょ! 時間不足の比喩よ!」
「分かり難すぎるだろ! それに二分半あれば包丁でも一個は剥けそうだし、ピーラーなら二、三個いけるだろ」
マッシュドポテト程度なら月照も母親の手伝いで作った事がある。計った事は無いが、ピーラーなら体感時間で一個一分どころか数十秒だ。
包丁は使い慣れてないので時間がかかるが、昔の日本人女性である着物女なら、若くても包丁捌きは月照と比べるのが失礼なレベルだろう。
「ぴいらあ? 何それ、アマゾン川の肉食魚? どうやってあれに皮を剥かせるのよ?」
「全然違う……」
強く「それはピラニアだ!」と突っ込まなかったのは、ピーラーと違いすぎて自信が無かったからだ。
(このままじゃ話が脱線してこいつの準備が進まねえ……。よし、丁度いいから『あれ』を試してみるか)
おめかしとやらを見たい気持ちは強いが、三時間も大谷がしゃがみガードしたままだとは思えない。要はコンプレックス箇所を隠しさえすればいいので、少し強硬手段に出る事にした。
小首を傾げて太い眉根を寄せている着物女に近付いて、顔を両手でバシッと勢いよく挟んだ。
「痛い! 何するのよ!?」
着物女の抗議を無視して、その手で顔をぐにぐにとこね回しながら小さく呟く。
「実は俺は、霊の整形が得意なんだ。だからお前の顔もわざわざ化粧なんてしなくて良い美人に、これからちょちょいと修正してやる。どんな風になりたいか自分で思い描いてみろ」
さっきの暗示ダメージの応用だ。
ただ、ダメージは以前に他の霊でアイデアの元となった事故があったが、整形は初めてだ。上手くいく可能性がないとは言い切れないので試したが、正直駄目で元々の軽いノリ程度だ。
とはいえさっきの派手な暗示の掛かり方を見ていると、もしかしたら勝手に自力で成功するのではないかとも思えてくる。
何かそれっぽい事を言っておけば、少しは可能性が上がるだろう。
「ええ!? ま、まさかそんな事……本当に、できるんですか?」
(なんで急に敬語……?)
相変わらず気分次第で態度の変化が激しいが、まあそんな事はどうでもいい。
どうやら乗り気な様子なので、このままとっとと暗示を畳み掛けるのみだ。
大谷がいつ復活するのか分からないのだ。時間を掛け過ぎて復活されると、あの女子を連れてとっとと逃げてしまうだろう。
それはもう、破滅と同義だ。
もし後を追いかけようものなら、悲鳴を上げながら逃げ回った挙げ句に泣きながら謝られるのは間違い無い。そんな騒ぎになったら、本人に真実を受け入れて貰えても目撃者にあらぬ噂を振り撒かれてしまう。
さりとて追いかけなければ、勝手に状況証拠からとんでもない奴に仕立て上げられてしまう。
だからもう、ここを攻めきって大谷復活前に何とかするしかない。
「できる!」
月照は断言した。
「思い出してみろ。お前の飛び出した目玉や折れた歯はもう完全に治って痛みがないだろ? さっき顔を触った時に元通りにしたんだ。俺を信じて自分の理想を思い描け!」
勉にこいつを可愛いと思わせなければならない。
(見た目可愛けりゃ、怖いとか気持ち悪いとか思わないだろ。男ってのはそういうもんだし)
※月照個人の意見です。
(だからこいつが自分で可愛く変身できればそれに越した事は無い――って、よくよく考えたら、別にこいつが本当に可愛く変身する必要ないかも……)
そもそも勉が彼女への恐怖心を克服する為に自分でここまできたのだから、見た目が不気味で無くなった今なら自力で頑張ってくれるはずだ。
後は着物女の心の準備さえ済ませてしまえばいい。
「ほら、お前はもうあれこれ考えている。自分の理想とする自分の姿を! ああなるほど、こうか。こうなりたいんだな!」
何やらそれっぽい事を適当に言って、着物女をどんどんその気にさせていく。失敗してもいいと思うと気が楽になって、より流暢に舌が回るようになった。
「あ……は、はい。わたつぃ、ふぁたすぃ……!」
強く両頬を押さえられて不格好に唇を尖らせながら、着物女は感極まった声を漏らした。
グニグニされているのでくぐもって鼻に抜けた発音になっているが。
「――そう、私はこうなりたかったのよ!」
その力強い声に応じて月照が両手を離すと――。
(…………全然変わってねえ)
少し色白になった気がするが、それ以外は全く変化が分からない。やはり思い込みだけで生来の自分の姿を変えるなんて無理なのだろうか。
「ああ……本当に、本当に色白になってる!」
自らの両手を見ながら、もう一度感極まった声を上げた。
(マジで色白だけかよ!)
なぜ顔をグニグニするだけで身体が色白になる暗示が掛かったのか……。
「これなら、こんな不細工な私でもきっと、彼の心の片隅に少し位居場所が作れるわ! ねえ、そうよね!?」
「不細工の方を治せっつったんだよ!」
しかも不細工を自覚しておきながら美白だけを求めていたらしい。これでは暗示での整形が可能か不可能かの判定ができない。
「ば、馬鹿な事言わないで!」
突然本気で叱られた。
まあ人体実験ならぬ霊体実験を試みていたので、本当に不謹慎で馬鹿な事を言っていた自覚はあるが。
「あ、あなた、親から貰った身体がちょっと気に入らないだけで形を変えるなんて、そんな酷い事簡単に言わないで! この身体は母がお腹を痛めて産んでくれたのよ!」
「あ、はい……」
剣幕に押されたのではなく、彼女の言葉の重さに逆らえなくて同意してしまった。
母親を敬愛する月照にとって、この言葉はもの凄く重い。あのまん丸体型な幸の体重よりも何倍も重い。
それに月照は少し古い考え方の人間なので、こういった文化的思想は好きだし大切にしたいとも思う。
しかし――。
「でもお前、身体無いだろ……」
それでもこれは言わずにはいられなかった。
「……それもそうよね!」
しかも本人は軽かった。
胸の前でグッと握りこぶしを作って目を輝かせている。一言で親の教えより自分の欲望を優先させる自制心の無さは、さすが悪霊だ。
しかしまあ、やはり見た目のコンプレックスは相当なものだったのだろう。
着物女は早くしろと言わんばかりに月照に向かって顎を突き出し、両目を閉じた。どうやらしゃくれているのが一番のコンプレックスらしいが、なぜこんなキスしろと言わんばかりの体勢を取ったのやら……。
面食いな月照は露骨に表情を変えた。
(きもい……ってまあそれはともかく、死んだ後位は好きに整形してもいいだろ)
別に顔が気持ち悪いのではなくこの体勢が気持ち悪いのだが、いくら何でも酷い感想だったと自戒して、人の道へと思考を軌道修正した。
色々と腹の立つ悪霊ではあるが、どうしても憎みきれないのはきっとあほの子だからというだけではない。
バチン!
「痛ひっ!」
でも腹が立つのは間違いないので、さっきと同じく思いっきり両頬をひっぱたきながら挟み込んだ。
「いいか、次が最後だ。考えられる限り最高の、理想の美女を目指せ」
「ふぁい!」
頬の筋肉が使えず間抜けな声の返事をしているが、着物女の瞳は真剣そのものだ。
「できたか?」
「んあい!」
返事らしきものを確認して、月照はゆっくりと両手を離し――。
「顎だけじゃねえか!」
腫れぼったい一重瞼でこちらを見つめ大きな鼻を更に膨らまして興奮している着物女にチョップを食らわせた。
「あごぅ!?」
殴られ慣れていないらしく妙な悲鳴を上げ、頭を押さえて蹲った。
「てめえ、今時の女の人舐めてんのか!」
顔を上げた着物女の、団子鼻と言われても仕方ない鼻をビシッと指差した。
「いいか! 今時の女性が美容整形する時は、何百万円っていう大金つぎ込んで目元を零コンマ何ミリいじってくださいとか、眉間の小皺を一本消してくださいとか、そこまで気を遣ってんだ! 美を突き詰めるってのはそういう事なんだよ!」
※あくまで月照個人の意見です。
「す、すうひゃくまんえん!?」
着物女が目を剥いた。もしかしたら瞼の筋トレだけで二重整形は不要かもしれない位、ぱっちりかわいいお目々だ。
「嘘でしょ!? そ、そんな軍事予算みたいな大金、身体を売っても手に入れられないわ!」
(なんでこいつ、毎度人身売買って発想になるんだよ……ってか軍事予算って大げさ――あっ!)
そういえば、この霊は桐子程で無くても相当昔の霊だ。ずっとここに籠もっていたなら、昔の物価しか知らない可能性がある。
「さ、酸素魚雷がいっぱい買えるわよ……」
「なんで換算基準にそれ選んだ!?」
大日本帝国海軍の秘密兵器だと聞いた気がする。
「お芋! ううん、お米も卵も死ぬほど食べられるわ!」
美白された自らの両手を見ながらぷるぷると震え始めた。
(それは現在でも死ぬほど食べられるが……)
全額使ってそれだけを食べていたら成人病で本当に死にそうだ。
このまま色々とカルチャーショックを与えて反応を楽しみたい衝動に駆られるが、残念ながら今はそんな余裕はない。
急がなければ、後ろの大谷が逃げ出してしまう。
「………………あ」
今更ながらに現状を思い出した月照は、ゆっくりと後ろを振り返り――。
「「「………………」」」
いつの間にか霊相手に大声を出していた事に、三人の視線で気付かされた。
というか、我に返った大谷の「あ、これ見たら駄目な奴だ」と物語る視線で自分が更に追い込まれた事に気付いた。
「ち、違う! 違いますよ先生! 俺は大声で独り言を言ってた訳じゃなくて――!」
「…………」
今度は「ごめんなさい、誰にも言わないから許して」という視線の逸らされ方をした。
(………………『目は口ほどに物を言う』って言うけど――)
月照は二、三歩大谷に近付いたが、彼女は不自然に首を捻って視線を合わそうとしない。
(口で言って貰った方が、まだ救いがあった…………)
言い訳さえ拒否され、月照は両膝だけで無く両手も床に付けて項垂れた。




