3セーブ目(4)
合宿改め旅行が決まった翌日、祝日だったが月照は午前中から制服姿で鞄を担いで学校に来ていた。
部活をしていない事を知っている誰かに見られたら平日と間違えて登校したと勘違いされそうで少し恥ずかしい。だから一応、「昨日できなかった分を含めた自主トレをしに来た」と言い訳まで考え、アリバイ工作の為に鞄の中に体育着とスポーツドリンク、ついでに右手の湿布の換えまで詰め込んである。
わざわざアリバイを作る――つまり本当の理由は、人に言えないところにある。
今回の旅行は月照にとって、学校行事を除けば初めての父不在の旅行だ。
(こっちの霊しか知らないからな……)
地元のこの町からあまり出ない月照は、他の町にいる霊の危険性がよく分からない。
修学旅行や林間学校はどこに行くのか何ヶ月も前に分かるので、それに合わせて父親が「良く効くぞ」とお守りやお札を用意してくれていた。今までは邪魔と思いながらも持って行ったが、実際に危険な目に遭わなかったのだから本当に効果があったのかもしれない。
だから今まで霊の危険性なんて、全く気にもしていなかった。
しかし先日の包丁女の件で、月照の霊に対する価値観は大きく変わった。
面倒で鬱陶しい奴等、というだけでは済まない事態がある事を強く認識させられた。
それに旧校舎の住職の話では、この町は霊が成仏しにくくて溢れかえっているらしい。
言い換えれば、普段見かける霊は未練が原因でうろついている訳ではなく、なかなか成仏できないだけの普通の人々や動物の霊なのだ。それは月照にも痛いほど心当たりがあった。
しかしそれなら、逆に成仏し易い地域に居座っている霊はどうなのだろうか。
昨夜布団の中でそう思い至り、遅ればせながらに恐怖を感じた。
気軽に格安旅行気分で引き受けてしまったが、場合によっては世界一周豪華クルージングよりずっと高くつくかもしれない。
かといって月照の参加で別の参加者が増え、その人数で予約を入れてしまった以上、今更やっぱりやめると簡単には言い出せない。
だから誰かに相談しようと思ったが、そんな事を相談できる相手なんて月照には三人しか心当たりがない。
いやまあ、三人もいれば「仲の良いクラスメイト」よりも多いのだが、今は人数の問題ではない。ちゃんと必要な答えが返ってくるかどうかが問題なのだ。
三人の内一人、母親は、相談しても結論は出ないし心配を掛けるだけだ。それは避けたい。
もう一人、父親は、どこかの山奥にしばらく滞在するとの連絡を最後に現在連絡が取れない。仮に連絡がついても、多分「そんなもん、怖いなら行くな。自分で行くと言ったのなら自分で何とかしろ」で片付けられてしまいかねない。
というか、あの父親は本当に何をしているのだろう。
先月は確か、どこかの洞窟でしばらく長居するとかいうよく分からない事を言っていた。
息子の中学卒業式に直撃する日程で洞窟に旅立つ父親なんて、日本中探しても……というか世界中探してもなかなかいないだろう。そもそもなぜ洞窟なのか……。伝説の武具でも探し歩いているのだろうか。
まあ生活費はちゃんと振り込まれているらしいので、稼ぎには特に問題は無いようだが……。
それはともかく、その二人が駄目となると最後の一人しか相談できない。
しかし、彼とはあまり顔を合わせたくない。
(――なんて、命懸けになるかも知れないのに贅沢言ってられないから来たんだけどな)
月照は深く息を吐いて、旧校舎に向かって歩き出した。
「坊さん、文句言うだろうな……」
相手の望み、それも数十年に及ぶ強い願望を保留したまま、自分勝手な旅行の相談をするのだ。しかもその内容が「霊が怖いから」だなんて、住職が「ならとっととこの町の霊成仏させろ!」と激高してもおかしくない。
「はぁ……」
すぐに辿り着いた旧校舎の前で、憂鬱な気持ちをそのまま溜息で吐き出す。
どれだけ溜息を吐いても出て行くのは軽い軽い空気だけ、心の重さは増すばかりだが、さりとて行かない訳にもいかない。この問題は今後の人生にずっと付き纏ってくるのだ。今楽な方に逃げても、後で必ず高利率のツケを払う事になる。
月照は意を決してドアノブを掴んだ。
だが、回そうとしてもガチリと硬い手応えが返ってきただけでドアは開かなかった。
「げ……もしかして、ここって普段完全に閉まってんのか?」
思わず声に出してしまったが、よくよく考えれば当たり前だ。こんないつ倒壊してもおかしく無い建物を、生徒が自由に出入りできる様にしておく訳がない。何かあれば学校側の責任問題だ。
「しまったな……どっか開いてないか?」
教師に言って鍵を借りる訳にもいかないだろう。理由が理由なので正直に説明する訳にもいかないし、何より月照には肝試しの時の前科がある。
住職に会うだけなら壁を蹴破れば勝手に現れるだろうが、相談どころの話ではなくなってしまう愚行だ。そもそもあの豪傑を敵に回しては、包丁女の比ではない命の危険に晒される。というか確実に死ぬ。
月照は自分の無計画さに呆れながら、入れる所を探して旧校舎の周囲を歩き始めた。
T字になっている校舎の窓は結構多い。
虱潰しにするしかないので、まずはイベント時に駆け抜けた直進路の廊下、その窓を一通りチェックしてみたが全滅だった。
突き当たりの扉――肝試しの時に開かなかった扉は締め切りなのだが、念の為にノブを握ってみると、外側は鍵以前に錆び付いていてびくともしなかった。
「ん?」
諦めずに折り返して教室側に回ると、どうにも中から人の気配らしきものを感じた。
(誰か鍵開けて……いやさっき誰も廊下通らなかったから今じゃないな。俺が来る前に入ってたのか? わざわざ鍵閉め直して、ずっと中で何してるんだ?)
こっそり中の様子を窺おうと壁の陰から一番端の窓の更に隅っこを左手で軽く拭いて、その手の汚れ具合に表情を歪める。
中を覗くならもっと広い面積をちゃんと拭かないと髪の毛が煤けそうだが、中に本当に人が居てそれが教師だったらばれると不味い。以前ここで騒ぎを起こした人間が、休日にわざわざ何十分も掛けてやって来て、こっそり現場に入ろうとしているなんて知られる訳にはいかない。
壁際に隠れながら少し悩んでいると、中から話し声が聞こえてきた。高い声と低い声、どうやら男女二人のようだ。
内容は聞き取れないが声はそんなに遠くない。窓に張り付いて覗き込むまでもなく、普通に姿が確認できそうだ。
(そういや、この部屋って坊さんが出た隠し扉の部屋か……。誰か知らんが、変な事してあの人の機嫌損ねんなよ?)
身勝手な相談をするだけでも気が引けるのに、その相手が不機嫌では相談どころではなくなってしまう。きちんと鍵を借りられる立場の人間が不用意な事はしないと思うが、正体が分からないままでは安心できない。
(ちっ、仕方ないか)
とにかくこのままでは埒が明かない。相手に見られる心配よりも、相手が住職を怒らせる心配をするべきだ。
月照は意を決して堂々と中を見て、
「なっ!? えっ!?」
そこにあった光景につい声を漏らしてしまった。
中には二人の人物がいた。
一人は長い真っ直ぐな黒髪の女生徒で、こちらに背中を向けている。
そしてもう一人、その女生徒の話し相手は――。
「――……おやおや、そんな所で君、一体何をしているのかな?」
見紛うはずもない、あの豪腕住職だった。
住職は以前と変わらぬ穏やかな口調で、戸惑い立ち尽くしている月照のいる窓までやってきた。覗いていた事を怒っている様子は全く無い。
「あ、の……ええと……」
意外すぎる形で目的の人物と出会ってしまい、月照は言葉が出ない。
「ああっ! たま、た、た……たまたま君!」
そして住職の様子に窓を振り返って大きな声を出した女生徒を見て、月照は更に驚かされた。
(確かにたまたま出会ったけども!)
あまりの衝撃に声が出ず、心の中でしか突っ込めなかった程だ。
彼女の顔には見覚えがあった。印象的な美少女なので見間違いようもない。
「あ、ははは、はぁ~……ごめん、ちょっとど忘れしちゃった。君、誰だったっけ? あ、顔は覚えてるよ。でも名前が、ね」
女生徒は少し照れた様子で、二人の間にあった窓を開けて月照に聞いた。
「咜魔寺月照、です……けど、部室とかで何度か会ってますが俺はガチで先輩の名前知りませんよ?」
そう、彼女はオカルト研究部員だ。
月照が心の中で「着ぐるみ先輩」と呼んでいる、肝試しの時に「がおー」と可愛く吼えながら走り去っていった女生徒だ。瑠璃達に部室まで連れて行かれた時にも何度か顔を合わしている。
しかし月照が驚かされたのは、こそこそ怪しい行動をしている時に知り合いに見付かったからではない。
彼女は今確かに、霊である住職と会話をしていた。
それは月照を混乱させるには充分な出来事だった。今も質問したい事が山ほどある気がするのに、何を聞きたいのか分からなくて減らず口程度の言葉しか出てこなかった。
「そうだったね。なかなか名乗るタイミング無かったし。私は花押園香、今は二年生やってるよ」
以前聞いた時にも印象的だった可愛らしい声で、園香は簡単な自己紹介をした。
目の前で起こった事実をなんとかぎりぎり飲み込んでいる月照は、彼女の自己紹介が終わっても口を開く事ができなかった。
「いやでも噂には聞いてたけど、君本当に見えるんだ。あ、そういえば、つとむんが――……。つと、つっ……、ぷっ……お、おかしくて、ぷふっ……もう、私、あ、あの晩ずっとツボってた、の……」
園香はその時の事を思い出したらしく、向こうを向いて吹き出し、しばらくそのまま一人でケラケラクスクス笑っていた。
おかげで月照も少し頭を整理する時間ができた。
ようやく笑いを噛み殺して園香が振り返ったが、この表情を見るにすぐにでもまた吹き出しそうだ。
「あ、そだごめん。つとむんって言うのは、肝試しで音楽室にいた、ぶっ、ふぅ……」
案の定途中で堪えきれずにまた向こうを向いて吹き出した。しかし彼女が何を言いたかったのかは月照にも分かった。
(ベートーベン先輩、渾名『つとむん』なのか……しかしそれにしても人の不幸をメッチャ笑うな、この人……)
「あはは……。ごめんね、この話無し! く、くわし、く……くくっ……、ふう……」
園香はもう一度笑い出しそうになったのを両手で口を押さえて無理矢理封じ込め、深呼吸してから続けた。
「まあ君ならもう気付いていると思うし、これ以上私の事とか詳しい事は蛇足だよね?」
にこり、と笑顔で締めくくった。
作り笑いや愛想笑いではなく、自然と出た笑顔だ。
(この人、やっぱ凄え可愛いな……)
小柄で童顔の双子とは違った、女子高校生らしい少し大人びた雰囲気の混じった可愛さだ。スタイルでは少々負けていても顔なら負けてない。
(性格とか人間性はまだよく分からないけど……でも、そんな事よりも――)
霊と会話出来る人間が他にもいた。
月照の中の驚愕を、徐々に興奮が塗りつぶしていく。
自分と同じ人間が、父親以外にも現れたのだ。
これは共通の話題や価値観を持てるかも知れない。
「で、こんな辺鄙なとこで何やってたの?」
何か話し掛けねばと思いつつ言葉がでないままの月照に、園香の方から話し掛けてきた。
「辺鄙て……。いや、まあ、その……その坊さんと話をしたくて……」
慌ててしまい上手い言い訳ができず、つい本当の事を言ってしまった。
さっきから動揺しっぱなしの月照に心の準備なんてあるはずもなく、しまったと口に出しそうなくらい露骨に顔を歪めて目を逸らした。
ただでさえ言い出しにくい内容なのに、この精神状態で上手く話す事はできそうもない。
「ほうほう、拙僧に何か相談事かね?」
だが住職は以前と同じように、穏やかな声と表情で話しかけてくれた。月照の予想に反して、御神体の話題には触れるつもりがないらしい。
きっと月照自身が決意するのを待ってくれているのだろう。
生臭に見えても僧侶は僧侶、月照の知る誰よりも人として成熟している。
……あの説法の理不尽さ以外は。
いずれにしても、この状況ではもう覚悟を決めて相談してしまうしかない。
「あ~……その、ですね……」
相手に甘えっぱなしで気が引けるが、月照はたどたどしく話し始めた。




