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れいしょういっぱい  作者: 叢雲ひつじ
3セーブ目
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3セーブ目(2)

 教室を出ると、瑠璃は当然の様に月照の手を握ろうとしてきた。

 色々慣れてきた月照は、(ひと)()が少ないので手くらいならと好きにさせた。下手に抵抗するとがっちり肩を抱いてくるし、更に抵抗すれば真正面から抱き付いてきて満足するまで離れてくれないのだ。そうなってから通りすがりの誰かに目撃されてはたまったものではない。

 そのまま特に会話もなくしばらく歩く。

 そういえば、瑠璃が黙ったままスキンシップを求めてくるのは珍しい。

 やがて部室に着くと、瑠璃はそのまま扉を開けた。鍵が掛かっていないという事は、やはり部活は放課後すぐに始まっていて、その用事で月照を呼びに来たようだ。

「今日こそ話すべきだと思って、彼を連れて――」

 そこまで言いかけてから、瑠璃は弾かれた様に月照の手を離した。

 あの瑠璃が自分から手を離すなんて、月照には何が起こったのか理解できない事態だ。

 月照が混乱しながら瑠璃の様子を窺っていると、部室にいた加美華が声を掛けてきた。

「あ、あの……こんにちは。灯さんと蛍さんは幸先輩と一緒に先生の所です。他の方は今日はお休みですので、知り合いの方だけですよ」

 その言葉通り、部室には優と加美華しかいなかった。

 優は奥に座ったまま笑顔で()(しやく)しただけだが、加美華はわざわざ立ち上がって月照の前までやってきた。

「なんかあったんですか?」

 挙動不審になっている瑠璃を気にしながらも、月照は加美華に話しかけた。

「あ、ええと……」

 加美華は瑠璃と優の顔を交互に見て、優が頷いたので続けた。

「今度のゴールデンウィークの事で、色々と話が進んでいるんです。皆さん、今日は予定の報告に行ってるんです」

「あ、へぇ……。そうですか……」

 なにやら嫌な予感がする。

 月照は退路を確保しようとドアまでじりじり後退ったが、残念ながらそのドアの外から刺客が飛び込んできた。

「「みっちゃん、いらっしゃい!」」

「うおわっ!?」

 どーん、と遠慮容赦なく背中を突き飛ばされて、月照は吹っ飛ばされた。

「きゃあ!?」

 前に立っていた加美華の所まで。

 (とつ)()に彼女の両肩を掴んで激突は免れたが、至近距離で目が合った瞬間金縛りの様に固まってしまい、二人でそのまま見つめ合う。

 布団事件から吹っ切れたとはいえ、ここまで至近距離で、しかも身体に触れた状態で見つめ合ってしまうと、封じ込んだ当時の記憶が鮮明に蘇ってきてしまう。

 そのまま数秒、キスでもしそうにお互い無言で頬を染めている状況を、双子が黙って見ているはずがなかった。

「みっちゃん!」

「セクハラ!」

 灯と蛍がいつもの様に両サイドに立って、月照の左右の腕を掴んで引き剥がした。

 言葉の剣呑さに一気に青ざめながら、月照は加美華に頭を下げた。

「す、済みません! あほ姉妹に後ろから突き飛ばされたんで」

「「あー、私達のせいにする気!?」」

「両側からうるせえ! 完全にお前等のせいだろうが!」

 気不味さを誤魔化す為にキレたフリをしながら双子の手を振り払う。

「あ、あの! わ、私はぜんぜき、にしてますんので!」

 加美華は頬の赤みを耳や首筋まで広げて、両手をブンブン振りながら豪快に噛んだ。

 多分、「私は全然気にしていませんので」と言いたかったのだろう。

 いや、もしかしたら意表を突いて「気にしてますので」かもしれないし実際かなり気にしているのは(いち)(もく)(りよう)(ぜん)だが、追求する勇気は月照にはない。都合のいいように(かい)(しやく)しておくことにした。

 事実、加美華本人はセクハラなんて全く思ってないので問題無い――どころか、むしろ顔が緩まないよう頑張って頬の筋肉に力を込めているのだが、そんなこと月照は知る(よし)もない。

「君達、私の目の前で私を差し置いてスキンシップをするとは良い度胸だ。全員一列に並んで貰えるかな?」

 瑠璃が背後から蛍の頭を撫でながら言った。

 一度瑠璃に捕まると自力脱出が不可能な蛍は、しゅばっと凄い勢いで灯の陰に隠れた。同じく灯も捕まるとそれまでなので、すぐさま月照を盾にして隠れる。

(こいつらなんも考えてねえけど、これ河内山先輩の望み通り一列に並んだだけじゃねえのか?)

 加美華が加われば完成だ。

(つぅか、この人を差し置いてなんで俺だけセクハラ呼ばわりされるんだよ)

 理不尽さに双子への新たな怒りが湧いてきた。

「えとえと、副部長さんはそれくらいにしといてあげてくださいです」

 と、ここまで存在感がいまいちだった優がやっと声を出した。

「双子さん達、お姉ちゃんがいないけどだけども、伝令とかじゃないのかな?」

 優に言われて、双子は「あ、そうだった!」と声を(そろ)えて言ってから、いつもの様に灯から連携トークを始めた。

「合宿の計画するのは構わないが、部員の半数近くが不参加なのに」

「部外者入れて、俺の責任でなんて面倒臭くて行けるか」

「そんなにばらばらで好き勝手するなら」

「部活じゃなく自分らで勝手に行け」

「そうすりゃ俺の監督責任無くなるしな」

「って言って先生が頑として動かなくなったので」

「「どうするべきか、部長に聞いてこいと言われました」」

「──ってちょっと待てえ!」

 双子の報告に不穏な内容が含まれていたので、月照は慌てて話に割り込んだ。

「今、合宿に部外者連れて行くって言ったな? 部外者って誰だ!?」

「「みっちゃん」」

 即答だった。

「勝手に数に入れんじゃねえ!」

 双子を睨むが当人達は全く怯まない。

「私達が決めたんじゃ無いよ」

「むしろ、私達は元々行く気なかったし」

「え? そうなのか?」

 それはちょっと、怒鳴ってしまった事を反省しなければならない。

「「みっちゃんが行くなら行く、って言ったら採用された」」

「お前等のせいじゃねえか!」

 むしろ殴ってもいい気がする。

 というか、加美華は確かゴールデンウィークの事とか言っていた。

 もう今週末から始まるのに、そこで行う合宿に突然付いて来いと言われても行ける訳が……無い事もないくらい予定がすっからかんでさっきまで落ち込んでいたが、しかし勝手に予定を埋められるのは腹が立つ。

「まあ落ち着け」

 (ふん)(がい)する月照に瑠璃が話し掛けてきた。肩に伸ばしてきた手はとりあえず(かわ)しておく。

「元々、新人歓迎イベントと平行で計画を進めていた……というか、あのイベントが本来合宿とワンセットだったんだ」

「はあ……」

「元々はゴールデンウィークに学校で合宿して、そこで深夜に新人歓迎イベントを行おうとしていたんだが、他に校内合宿をするつもりの部活が二つあったんだ。だから校内全体を夜中に移動するイベントは不許可になった」

「はい……」

 大人しく聞いているが、それでどうして月照まで合宿に参加させられるのかは全く分からない。

「結果、新人歓迎イベントを別途先に行い、ゴールデンウィークは校外の心霊スポットに行ってみようという事になった。さすがに旅先であんなイベントをするのは無理だからな」

 瑠璃はめげずに、今度は月照の手を狙ってきた。

「さて、そのイベントなんだが、君も知っての通り色々と混乱があってな。スタート地点が(きゆう)(きよ)変更になったり、最後の最後に勝手に旧校舎に鍵を掛けて騒ぎを起こした人物がいたんだ」

 うぐ、と月照は言葉に詰まり、為す術なく瑠璃に右手を握られた。

 確かに、あの全く無意味で人騒がせな()(じよう)は全面的に月照が悪い。

(でもあの時は俺だって必死だったし、仕方ないだろ……)

 心の中で言い訳するが、反論はできない。

「その後、とある事件の調査をしたりと、計画が随分と遅れたんだよ」

「……いや、それはそっちが勝手に――」

「ああ、そういえばイベント中に生徒が暴走した件で、顧問の先生は職員会議で色々言われたらしい。あの時、他にも助っ人で頑張ってくれていた先生が数人いたから隠す事もできなかったそうだ」

「…………」

「うちはこんな部だからな。顧問の先生にはかなり無理を言ってやって貰っているんだ。あまり機嫌を損ねる訳にはいかない。場合によっては廃部に直結するからな」

 まずい、瑠璃は反論を封じに掛かっている。

 あの時マスターキーを持って遅れてやってきた教師達は警察に連絡を入れようとしていたらしい。かなり迷惑と心配をかけてしまったのは事実だ。

 こんな言い方をされては何も言い返せない。

「合宿内容変更が急だったせいで観光地付近の心霊スポットは予約が取れなかった。マイナーな所は何とか確保できそうだったのだが、イベントのアフターサービスが原因で一部計画が遅れてしまい、色々忙しくなってな。気が付けばもうゴールデンウィークが目前まで迫っていた」

 瑠璃は月照の様子を表情と握った手で確認し、満足げに続ける。

「それが理由でマイナーな候補地さえも宿が無くなってしまってな。唯一、やっと見付けた宿はかなり危ない心霊スポットらしく、誰も宿泊したがらないから空いていた所なんだ」

 月照は、ここでなんとなく全容が分かった気がした。

 何が何でもゴールデンウィークの合宿はやりたい。

 しかし雰囲気だけで実害のない心霊スポットはもう宿泊施設の予約が埋まっていて、残されたのは噂ではない確実に心霊現象が起こる場所だけ。そこは怖すぎてあまり行きたくないのだ。

 双子は怖いから行かない、という事では無く単に面倒だったか興味が無くて行きたく無かったのだろう。だから駄目で元々と先程の条件を言いだしたのだ。

 それを聞いた瑠璃や優はきっと、これ幸いと月照を巻き込んで護衛にしようとしたのだろう。

 しかし部外者で、しかも以前この部室を不良()りの(どう)(かつ)で恐怖のどん底に(おとしい)れた月照を真っ向から巻き込むのは気が引けたので、なかなか言い出せないうちに今日になったのだろう。

(だからってこんな(きよう)(かつ)(まが)いな真似……)

 やり方が卑劣で気に入らないが、残念ながら効果的だ。

「そこの危険性を(ゆう)(りよ)している最中に、夜野姉妹からこの交換条件が出てな。君が来てくれて参加者も増えるのなら、一石二鳥だ」

 今考えると、あの包丁女の調査結果は恩を売る為だったのかも知れない。もしかしたらあの時にはもう双子から合宿の参加条件を聞いていた可能性がある。

 時系列は矛盾するが、瑠璃が全て真実を話しているとは限らないのだ。

 今更なのでそこを確認する気は無いが、しかしだからといってこのまま一方的に言いなりになるのは我慢ならない。

「そ、それで部外者を問答無用で連れて行くって目茶苦茶でしょう! しかも次の日曜からなんて、『ちょっと友達の家に泊まり込む』ってのとは訳が違うんですよ!」

 月照が軽く(けん)(せい)を入れると、瑠璃は「ふむ」と小さく呟いて空いている手を自分の腰に当てた。

「君と会話した翌週に、参加予定だった男子部員一名が不参加に変更したんだ。君、彼に何かしただろう?」

「え? ここの男子部員なんて誰も知らないんだから、何かなんて――……」

 …………している。イベントの時に音楽室で思いっ切り、凄くナチュラルに怖がらせた。

(ベートーベン、お前かぁぁ!)

 あの時、肝試しのセットか何かだと思ってぶら下がっていた霊について気軽に聞いてしまった事が、まさかこんな事態を招くとは……。

「彼が一番この合宿を楽しみにしていたんだが、あれ以来暗闇恐怖症になってしまったらしい。この部を辞めるかどうか、本気で悩んでいるそうだ」

 そんなに怖がりなら最初からこの部に入るなよと文句を言いたい。

 だが確かに、暗闇の中でずっと霊と一緒に居たなんて普通の人ならかなり怖いだろう。

 もしかしたら彼は、真っ暗な音楽室で一人待つ間、何か違和感や変な気配を感じていたのかもしれない。或いは霊障で姿を見てしまったが、見て見ぬ振りをして自分を誤魔化していただけかも知れない。

 後者なら彼が置かれていた状況はかなり怖い。

 暗い部屋で見知らぬ女性が天井から逆さまにぶら下がってじっと自分を見つめていたのだ。そんな状況、霊かどうかに関わらず月照でも怖いしびっくりする。

 ……いや、あの時はびっくりしなかったが、しかし自宅の部屋の電気を付けたらそこにいた、とかなら絶対にびっくりする。

 そんな霊が、気のせいではなく本当に背後にずっといたと知らされれば、ベートーベン先輩でなくともトラウマになるのは仕方ない。

「各務君が別人のように霊を怖がらなくなった様に、君がサポートすれば彼も恐怖を乗り越えられるかもしれないと私は考えている」

 瑠璃は掴んだ手から月照が動揺し責任を感じている事を正確に読み取っていた。

 それに今までのスキンシップで、月照は責任感が強い事を既に()(あく)済みだ。

「君が来れば、彼以外にも今回の合宿先を聞いて取り止めた男女一人ずつも参加するだろう。もう一人の女子部員は元から不参加だったが……。とにかく君が来なければ彼らは誰も来ないし、君の幼馴染み達も……」

「「参加しないよ」」

 まるで打ち合わせしていたかの様に双子が瑠璃に続いた。

「い、いや……。でも、それはなんと言うか、合宿の予定の立て方に大きな問題があったのであって、俺の責任ではないんじゃないかな~、なんて思うんですけど……」

 月照は何とか食い下がろうとするが、聞き取れないくらい小声になっている。

 頭では「そんな事知るか」で全て無視しても全く問題無い事くらい分かっている。

 ベートーベン先輩の件は、まあ不幸な事故で月照にも少しは責任があるかも知れない。

 だが他の参加者が減ったのは全て宿の手配をした人間のせいだ。そして宿泊先が危険な心霊スポットになったのは、誰が何と言おうとも月照に責任はない。

 ついでに双子の気まぐれなんて、双子の性格の問題であって月照はむしろ常に最大の被害者だ。

 だが、それでも見捨てられないのが月照なのだ。

 だからどれだけ面倒に思っても斬り捨てる事ができない。

 全くメリットが無いただの厄介事と分かっていても、なかなか断れない。むしろ何かしらのメリットがあると断る理由が無くなってしまうくらい、勝手に自分を追い込んでしまっている。

(いや……いやいや、ちょっと待て! ついこの間、命に関わるやばい霊に会ったとこだろ! ここで安易に引き受けるより、顧問の言う通り合宿なんて中止にしてしまった方が絶対に良い!)

 月照はぎりぎりの所でそう気付いて――。

「ああ、それから夜野君達から聞いているぞ。野球部の自主練の件。一人では限界もあるだろうし、私で良ければキャッチボールの相手くらいはするが、どうだろう? これでもリトルリーグでエースをしていた事がある」

「……え?」

「それに合宿先は海だ。季節外れで浜辺はガラガラ、思う存分走り込む事ができるだろう。遠投も可能だろうな」

「えっ!?」

「旅費に関しては、ゲスト扱いでこちらで半額負担させて貰うつもりだ」

「なっ!?」

「更に、宿は私達が予約した段階では他に予約はなかったので、温泉ではないが大浴場は貸し切り状態だ。特に男子は最大でも四人、先生が来なければ三人だ。声を掛ければ独り占めも可能だ」

「よろしくお願いします!」

 反撃どころか(いつ)()()(せい)に連打を叩き込まれ、月照はコロッとやられてしまった。

 月照が単純でチョロ過ぎるのもあるが、反論の意図に先んじて言葉を封じた瑠璃の特殊能力の成果と言えるだろう。

「決定したみたいだからお姉ちゃんの援護行ってくるきます! 最悪、付き添い無しですだけども」

 優が元気よく立ち上がって出て行った。どうやら顧問の引率の有無に関係無く、もう合宿は決定事項らしい。

「良かった。詳細は部長達が戻ってきてからだな」

 瑠璃はにっこりと、珍しく幼い笑みを浮かべた。いつもの凛々しい雰囲気が無いのは、純粋に皆で行く旅を子供の様に楽しみにしているからだろう。

「あ、あの……そろそろ、手……」

 話が終わっても手を離そうとしない瑠璃に、月照はそう言って握られたままの手を引っ張った。

「ん? ああ、済まない。抱き付く方が良かったか?」

「放して下さい!」

 その手を振り解くべくブンブン左右に振り回すが、瑠璃がその程度で放す訳がない。

 振り幅は次第に大きくなり、すぐに大縄飛びの様に二人で手をグルングルンと回し出した。

「……あの、先輩。そろそろ――」

「うあっ、はいっ!」

 しかし加美華が静かにそう声を掛けると、瑠璃は弾かれた様に手を放した。突然支点を失った月照の手が遠心力に負けて大きく横に開き、机にガンと強く当たった。

「ふぐぬっ!?」

 よく分からない声を漏らしながら、月照は手を押さえて(もだ)え始めた。

「あ……うわっ!?」

 瑠璃は最初呆然としていたが、すぐに青ざめおろおろし始めた。

「みっちゃん……」

「ついてないね……」

「「お化けなら一杯憑いてそうなのに」」

 あきれ顔で心配もしない双子に「うるさい」と言い返したくても、小指の付け根の関節部分が机の角にクリーンヒットしたので我慢するだけで精一杯だ。ぶつけて痛いのは足の小指だけではない事を思い知らされた。

(――くそっ……。それにしても、河内山先輩なんで急に? かみかみ先輩に言われた瞬間とか、今までそんな素直に放した事ないのに……)

 どうにも、月照の知らない間にこの部内で色々な人間関係ができ始めている様だ。

(……べ、別に寂しくなんてないぞ!)

 目尻に浮かんだ涙は手の痛みのせいだ。

「大丈夫ですか?」

 加美華が痛がる月照に手を伸ばし、触れる直前でその手を止めた。

「あ、はい……。運動してたらこれくらいの事はしょっちゅうですから」

 やせ我慢をして、最後に二、三度右手を振って平気なフリをした。ぶつけた所が青くなっているので内出血したようだ。

「と、取り敢えず冷やしましょう」

 ()れ始めた右手を見て、加美華はハンカチを取り出しながら部室を出て行った。その常識的な対応に(いや)されながら、月照は双子を睨んだ。

「お前等……マジで覚えてろ」

「「別にみっちゃんが怪我したのは私達のせいじゃないし」」

 そんな事は分かっている。というか、双子の何が許せないのかがむしろ分かっていない。

 しかし細かい事を気にして遠慮なんてしたら双子の思う壺だ。

 もう理屈じゃなくただの感情だけで双子を睨んでいたが、直接怪我の原因を作った瑠璃には非常に居心地が悪かったらしい。

「本当に申し訳ない! 向こうではこの肩が壊れるまで、きっちりと君のトレーニングに付き合わせて貰う!」

 腰を九十度曲げて謝った。

 その誠意を通り越して必死とも思える様子に月照は怯んだ。先輩にそこまでされては、これ以上よく分からない感情に任せた言い掛かりを続ける訳にもいかない。

 月照は気持ちを切り替える為に長い息を吐いた。

「ではキャッチボールだけじゃなくて、是非リトルリーグでの経験を生かした指導もお願いします」

「あ、ああ。それは勿論そうさせて貰うが、君はピッチャー志願だと聞いている。その君の右手に、私はなんて事を……」

 月照は「ああ、なるほど」と心で呟き納得した。

 瑠璃は投手の利き手を怪我させたと思って、さっきから大袈裟に慌てていたのだ。

「いえ、志願ではなく指名……というか、指令ですね。ですからそこまで気にしなくてもいいですよ。俺自身、利き腕だからってそんなに大事にしてませんし」

「しかし!」

「それに、痛いのは確かですけど骨がどうこうって怪我じゃないですから、気にしないで下さい」

 言いながら、月照は右手を瑠璃の前で握ったり開いたりして見せた。小指の付け根が()れてきているが、指の動きは(なめ)らかだ。

 瑠璃は最初その手の動きを見ていたが、腫れて青黒くなっている打撲部にまたもおろおろし始めた。

 瑠璃の両手は月照の右手を包む様に構えているが、触れる事をずっと(ため)()っていて、変なパワーを注入している様なポーズで固まっている。

 触りたくても遠慮して触れない、という瑠璃はとてもレアだ。それにどうして良いのか分からず左右キョロキョロしている姿も、今までの凛々しいイメージとは掛け離れていてどこか可愛らしい。

「だから、大丈夫ですって」

 無意識に頬が緩んでしまってにやけ面で言うと、瑠璃は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに不安顔に戻った。そしておずおずと月照の右手の指先に触れた。

「その……本当に?」

 瑠璃は肩をすぼめて上目遣いに、頼りない表情をしながら弱々しい声を出した。

 月照は驚いて視線を逸らし頬を染めながら、同じくらい弱々しい声で「はい」と答えた。

 なんだろう、このドキドキ感は。

 今までも瑠璃を女子として、少しと言わずそこそこ意識していた。

 胸は真っ平らで全く女性らしさがなくても顔立ちはかなりの美形だし、身体の線はやはり男子よりも細い。どれだけ凛々しく男前に振る舞っていても、女性的なオーラがどこからか滲み出していた。胸がどれだけ残念でも、彼女は月照の知る中で屈指の美人である事は間違い無い。胸はとにかく残念だが。

 だから抱き付かれたり人前で手を握られるのは照れくさくて極力避けてきたのだが、今はもうちょっとだけこのささやかに繋がれた手を大切にしたい様な、でもすぐに離して欲しい様な……。

 少なくとも自分から振り解こうとは思わなかった。

 ズビシッ!

「ぐおあああああっ!?」

 灯の容赦ない患部への攻撃で、月照は瑠璃の手を投げ出し再び(もん)(ぜつ)した。

「みっちゃん、私は情けないよ……」

「大丈夫と言った以上、男ならやせ我慢しなきゃ」

 灯と蛍は無表情で仁王立ちし、しゃがみ込んだ月照を見下ろしていた。

(こ、こいつらぁぁ……!)

 なんだか双子の目が座っているが、怒りのあまりそんな事は気にならない。しかし残念ながらどれだけ文句を言いたくても、今は口を開いたところで呻き声しか出せそうにない。

 男の意地で苦痛に耐えていると、瑠璃が月照を抱き締めた。

「き、君達! いくら親しい仲だと言っても、怪我人に何をするんだ!」

 どうやら趣味の為ではなく、本気で身体を張って月照を(かば)っている様だ。

 双子は口を尖らせて「むー」と(うな)るが、瑠璃は真剣な表情で睨み付ける。

「本人が大丈夫と言っていても、下手をすれば骨折しているかも知れない腫れ方をしているんだ。彼の事を大切に思っているなら、なぜそんな事をするんだ!」

 その強い口調に、双子は余計に反発した。

「べ、別にみっちゃんの事なんて!」

「全然大切じゃないんだから!」

「「勘違いしないでよね!」」

(こ、こいつら……)

 ツンデレ風に言っているが、月照にとっては双子の日頃の行いを改めて言葉にしたにすぎない。

「「そ、それより先輩はみっちゃんがそんなに大切なんですか!?」」

 二人同時に、月照を抱き締める瑠璃をビシッと指差した。

 瑠璃は怯まず、強い口調のまま堂々と言い返す。

「ああ、勿論だ! 私は彼の為ならどんな事でも――」

「――どんな事でもって、何があったんですか?」

 ずっと開いたままだった戸口から、静かな声が掛けられた。

「――っ…………」

 瑠璃は声を失い、ゆっくり戸口の方へと振り返り。

 そこに加美華の姿を認めるや否や、腕の中の月照を突き飛ばした。

「げっむ、うっほうっ!?」

 尻餅をついて反射的に右手で身体を支えようとした月照は、なんとも表現しようが無い悲鳴を上げながら床を転げ回りだした。

「きゃああ!? 月照君、大丈夫ですか!?」

「す、済まない! ちょっと取り乱してしまった!」

「「み、みっちゃん!? さすがにその動きは怖いよ!?」」

 どんどん(ちく)(せき)されていくダメージの激痛に耐えながら月照は思った。

(とりあえず、あほ姉妹だけは許さねえ!)

 ようやく痛みがマシになったのは、優と幸が教室に戻ってきてからの事だった。

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