第1話
慶長五年、六月。
夏の陽射しが容赦なく照りつける堺の街は、むせ返るような熱気と潮の香りに包まれていた。かつて自治都市として栄華を極めたこの街にも、今は得体の知れない緊張感が漂っている。行き交う商人たちの顔には焦りの色が濃く、港に停泊する船の数は日増しに増えていた。荷揚げされるのは米や布だけではない。大量の硝石、鉛、そして鉄。すべては来るべき戦のための物資だ。
天下分け目の大戦が迫っている。その気配は、風に乗って確実にこの堺の街にも届いていた。
俺の工房には、朝から甲高い金属音が響き渡っている。
「ひぃぃっ! 旦那、もう腕がもげそうです!」
見習いの太助が、顔を真っ黒に煤けさせながら悲鳴を上げた。手には火縄銃の機関部、カラクリの部品が握られている。
「まだだ。あと二厘、表面の凹凸を均せ。そのわずかな引っ掛かりが、戦場じゃ命取りになるんだよ」
俺は手元の銃身から目を離さず、短く言い放った。
「二厘って……そんなの、目で見えるわけないじゃないですかぁ!」
「俺には見える。いいから手を動かせ」
俺の目は、ただの職人の目じゃない。
銃身の僅かな歪み、火薬の純度、部品の摩耗。それらをミリ単位で正確に見抜くことができる。それに加えて、俺の頭の中には「未来の知識」があった。
この先、歴史がどう動くか。どんな鉄砲が求められ、どう使われるのか。
それらを知っているからこそ、俺は品質に一切の妥協を許さない。粗悪な武器が出回れば、無駄な命が失われるだけだ。
工房の壁には、一丁の火縄銃が飾られている。
一見すると立派な筒だが、俺の目から見れば銃身が薄く、火薬の量次第では暴発しかねない不良品だ。太助は「なんであんな失敗作を飾ってるんですか」と首を傾げるが、あれには使い道がある。
その下には、木箱に詰められた大量の南蛮鉛が積まれていた。
不純物が多く、弾にすれば弾道がブレる粗悪品だ。これもまた、俺が意図して買い占めたものだった。
「旦那、その鉛、本当に使い道あるんですかい? 重いだけで、溶かしてもカスばっかり出ますぜ」
「お前は心配しなくていい。これも立派な『武器』になる」
俺は前掛けの油汚れを拭いながら、組み上がったばかりの極上の火縄銃を撫でた。冷たい鉄の感触が、手のひらに心地よく馴染む。
「相変わらず、むさ苦しい工房ね」
涼やかな声と共に、入り口の暖簾が揺れた。
上質な絹の着物を身にまとった少女が、帳面と算盤を抱えて立っている。大店の娘であり、俺の工房のスポンサーでもあるお凛だ。
「お嬢様! 助けてくだせえ、旦那が鬼です!」
太助が泣きつくが、お凛はそれを軽くあしらって俺の前に歩み寄った。
「甚兵衛。のんきに鉄砲を磨いている場合じゃないわよ。街の空気がピリピリしてる」
お凛は声を潜め、周囲を気にするように言った。
「東西の対立がいよいよ避けられないところまで来てるわ。上方の西軍も、関東の東軍も、血眼になって鉄砲をかき集めてる。うちの店にも、両方の使いが日替わりで怒鳴り込んでくる始末よ」
「ありったけの鉄砲を寄越せ、ってか」
「ええ。断ればどうなるか分かっているだろうな、って脅し文句付きでね」
慶長五年六月。
関ヶ原の戦いまで、あと三か月。
歴史を知る俺には、その結末が分かっている。だが、ただ傍観するつもりはない。
「お凛。東軍から頼まれていた火縄の束だが、納品を半月遅らせろ」
「はあ? 何言ってるの。あっちの奉行、今すぐ出せって青筋立ててたわよ」
「材料の乾燥が間に合わないとでも言っておけ。どうせ今は梅雨時だ。無理に納めても湿気って使い物にならない」
「……本当にそれだけ? あんたのことだから、何か裏があるんでしょう」
お凛はジト目で俺を睨んだ。
「さあな。ただ、最高の状態で使ってもらいたいだけさ」
俺は飄々とかわした。
関ヶ原の当日は雨が降る。その直前に、雨天でも使える特殊な火縄を届ける。それが俺の描いた筋書きだ。
「あんたねえ……。もし両軍から力ずくで工房を制圧されたら、どうするつもり? 相手は何万という軍勢を動かす大名よ。私たちみたいな商人が逆らえる相手じゃないわ」
お凛の瞳には、確かな恐れが浮かんでいた。
自分が集めた情報や交渉のミスで、この工房が焼き討ちに遭うことを恐れているのだろう。
俺は手元の鉄砲を置き、お凛の目を真っ直ぐに見返した。
「どちらが勝つかは、俺が売る鉄砲の数とタイミングで決まる」
「……え?」
「東軍に最新鋭の筒を少しだけ流して前線を膠着させる。西軍には納品を遅らせて進軍を足止めする。俺たちは戦わない。だが、物資の供給ラインを握ることで、何万もの大軍の動きをコントロールできる」
俺はニヤリと笑った。
「どちらに何丁売るかは、こちらで決めさせてもらう。権力者の言いなりになって、粗悪な武器で無駄な血が流れるのは御免だ」
お凛は呆れたようにため息をついたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「本当に、あんたって男は……。分かったわ。交渉と時間稼ぎは私がやる。あんたは最高の鉄砲を作りなさい」
◆ーーーー◆
「威勢が良いのは結構だが、身の程を知らん若造は早死にするぞ」
突然、野太い声が工房に響いた。
入り口に立っていたのは、派手な着物を着崩し、指にいくつもの高価な指輪をはめた初老の男だった。
堺の商人組合で大きな顔をしている悪徳商人、善兵衛だ。
「これは善兵衛様。うちのようなむさ苦しい工房に、何かご用で?」
俺は商人らしい笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。
「ふん。新参者の分際で、最近ずいぶんと目立っているようだな。東西の使いが、お前のところに直接出向いていると聞いたぞ」
善兵衛は工房の中を値踏みするように見回し、壁に飾られた不良品の鉄砲を鼻で笑った。
「あんな薄っぺらい筒を飾って、何が職人だ。いいか、甚兵衛。堺には堺の掟がある。鉄砲の商いは、すべてわしを通せ。わしが値段を決め、わしが納め先を決める。お前はただ、言われた通りに筒を作っていればいいのだ」
善兵衛の背後には、屈強な用心棒が数人控えている。
暗に、逆らえばどうなるか分かっているだろうという脅しだ。
お凛が息を呑み、太助が作業台の下に隠れる気配がした。
「ありがたいお話ですが、お断りします」
俺は表情を変えず、淡々と答えた。
「なんだと?」
「俺の作った鉄砲は、俺の目利きで価値を決める。誰に、いつ、どれだけ売るかも、俺が決めます。組合の掟とやらがどうであれ、俺のやり方を変えるつもりはありません」
善兵衛の顔が、怒りで赤黒く染まった。
「貴様……! 自分がどれほど恐ろしい真似をしているか、分かっているのか! 大名の怒りを買えば、お前など一捻りだぞ!」
「ええ、分かっていますよ。だからこそ、俺が手綱を握るんです」
善兵衛はギリッと歯を鳴らし、俺をねめつけた。
「……後悔するぞ、若造。堺の商いを舐めるな。お前のその生意気な鼻っ柱、へし折ってやる」
捨て台詞を吐き、善兵衛は用心棒たちを引き連れて去っていった。
工房に重い沈黙が降りる。
「旦那……あんなこと言って、大丈夫なんですか……?」
太助が震える声で尋ねた。
お凛もまた、不安げに眉を寄せている。
善兵衛はただの脅しで終わる男ではない。
堺の物流を握る彼が、具体的にどんな妨害工作を仕掛けてくるのか。
戦火の影が迫る中、俺の戦いはすでに始まっていた。




