第7話 作戦会議は朝食と共に
「意外と呆気なかったな」
通勤ラッシュの喧騒の中で辰野は息を吐いた。朝も早いが今日一の面倒事を乗り越えたので少し安心したのだろう。どこか朗らかな心地で上を見る。朝日が眩しい。見上げる先には古びたモーテル。
そう、脱走してきたのだ。
ことの経緯は数時間前、昨夜の夜に遡る。あの逃亡劇の後三人は辰野の宿泊するモーテルに辿り着いた。宿泊の途中で客が増えたことを訝しそうに見つめてはいたが、商売になるのなら何だっていいし詮索することも面倒だとでも思われたか二つ返事で承諾された。イドとダズィは「同じ部屋で泊まるなんて嫌だ」とゴネたが、「監視の名目もあるし遅いんだからさっさと寝ろ」と強引に同部屋に突っ込みさっさと寝かせた。
朝になるとそこには仲睦まじそうに寝る兄妹の姿、そこで「なんか今ならこいつらを置いて抜け出せそうじゃないか?」と思ってしまった。一度思って仕舞えば行動は早い。眠りこける二人を起こさないようにこっそりと部屋を抜け出して今に至る。もちろん二人が追いかけて来る可能性も考慮してその対策は済ませてきた。
……まああれだけで足止めできるかは正直怪しいが。少なくとも、幼い頃の辰野はそれで足止め出来た。もし仮にあの誘惑を振り切って追いかけてきたとしても昨夜の感じなら抑え込めるし下手に長く会話をしなければどうにか出来るだろうと辰野は考える。
「にしても眠ぃ。どっかでコーヒー流し込まないと今すぐぶっ倒れそうだ」
状況が状況だったから考えないようにしていたが、昨日はいろんなことが起こりすぎた。
やはり警察が居所を掴むまでの時間が思った以上に早かったことが気になる。わざわざあの建物に一極集中して人員を割くことなんてあるわけがない。それこそ場所がばれているでもない限りは。一体誰がバラした、あの場を監視していた誰かが警察以外にいたのか?
もしかしてあの二人が警察サイドのスパイだとか?
うーん、そうだとしたら。
置いていったのまずかったかもしれないぞ。
……頭痛くなってきた。
とりあえずカフェイン。カフェインを頭に流し込みたい。
話はそれからだ。
「さて。このあたりで人通りが少ない飯屋といえば、」
「それならお向かいの『食堂』とかおすすめだよ、お客さん」
『食堂』か。安直だけれども安くて量がありそうなのを食べられそうだ。7区は観光客では知らない穴場も多いと聞いたこともあるし、うん。いいかもしれない。
「そこまでの道案内お願いした、いん、だが」
思考が一瞬止まる。
……聞き覚えのある声だ。いや、まだわからない。もしかしたら声帯がそっくりなだけの他人かもしれない。
振り返るとそこには置いてきたはずの赤い髪の二人。
「そういうことなら私たちにおまかせ!」
やはりあの兄妹だった。妹の方がやたらと自信満々に話しかけてくる。
……最悪。
こうして辰野の脱走は失敗に終わった。
────────
ルサルカ調査員、辰野
渡津未6区にて地上人の両親のもとに生まれる
平凡ながらも暖かい両親のもとで優秀な姉と共に育ち、卒業後しばらくしてルサルカの調査員となった。
仕事柄様々な脅威、異常を調査してきた彼であるが現在──
「どうしてこうなった」
と頭を抱えてテーブルに肘を乗せていた。テーブルの反対側にはガツガツ飯を食らう未成年。礼儀なんて後だこっちはお腹空いてんだと言わんばかりの食いっぷりである。彼らは昨夜見つけた証人たちで、兄の方がイド、妹の方がダズィと名乗った。
「遠慮しろとかは言わないが、飯は逃げないぞ」
「何言ってんだ、ご飯なんていつでも食えるわけじゃないんだぞ」
「そうそう!食べれなくなる前に食べとくこれ基本!」
いつの時代の話してんだよこいつらは、と考えてしまうほど殺伐としているなと辰野は眉を顰めた。こういう時の顔を近所の野良犬で見たことがある。あれとおんなじだ。
……まあ気持ちはわからなくもないけれど。
辰野はコーヒーを喉に流し込むように飲んだ。もはやそこに香りや味を楽しむような余裕もない。ただ体に注入する。
「それでどうやって見つけたんだよ」
「どうやって、って。普通に追いかけてきただけだよ」
パチリと目を瞬きさせ当然のような顔で答える。「部屋の外に出ていくから何事かなって思って」とダズィが続けるとイドは隣で頷く。
「足止めは効かなかったか、いけると思ったが」
「あんな子供騙し通じるわけないだろ、あんまり舐めんなよ」
とイドは呆れ顔で答えた。
「そこは謝ろう、俺は君たちを甘く見ていたようだし」
それと同時に本日5杯目のコーヒーを飲み干しテーブルに音を立てる。だんだんと増えていく空のカップにうわぁと声を立てるダズィを無視する。気にしてなどいられない。飲まないとやってられないのだから。お酒ではないし、そんな目で見るのはやめてほしい。
「それで」と話を切り出すと二人はまっすぐとこちらをみてくる。
「一応聞いておきたいんだが、君たち親や家族は?」
「いたらあんたについてきてねえよ」
「あそこの店主との関係は?」
「雇用主と従業員ってところだ」
「何の仕事を?」
「質屋さんのお手伝いかな?基本言われたことをやっていただけだから詳しいことはあんまりわかんない」
詮索するような喋り口だと彼自身でも理解していた。けれどこれは大事なこと。
「さっきからなんなんだよ、さっさと本題を話せ」
「どうしても調査に同行するつもりなのか?一度片足を突っ込めば普通の生活には戻れない、命の危険もある。君たちにとって申渡という人がそれほどまでに大切なのか?」
と両者に問いかけた。
「関係ないだろ、あんたには」
無理矢理に口角を上げていたような表情が削ぎ落とされて本来の表情が現れる。怒りと悲しみがこもり鋭くなった表情だ。
「ただ、やられたことに対してきちんと落とし前をつけてもらうだけだ。申渡さんを殺したやつを見つけ出す!いまはそれだけだ」
「……そうか。ダズィはどうだい」
「私もついていく、あんな狭いところで大人しくすることなんてできない!」
呆れるほど真剣な眼差しに辰野は深くため息をついた。この二人ではまずスパイなんて無理だ。この手のバカは調査員にも多いし、何よりこいつらは何が何でもついてくる。そう確信する。
知り合いにそっくりだ、と辰野は小さくつぶやいた。
「……そこまでいうのならもう何も言わん。ついてくるなら勝手にしろ。ただし足引っ張るなよ」
「それで一旦、お話は終わりかしら?」
湿った空気を振り払うように話しかけるのは制服を着た少女。
『食堂』の店員だろうか。テーブル横でむすっとした顔をしている。
最も、幼さが残る故か威圧感のようなものは感じられない。
ダズィと同い年、もしくは少し年上だろう。
両手には二人分の飲み物と料理の乗ったプレート。
三人はお互いに見合わせて、困惑した顔をした。
「あの、頼んでないんだが」
「サービスよ、見てられなかったから。ハイっ!そっちの二人は食べるのもいいけど水飲んで、お兄サンは固形物も少しはお腹に入れなさい!」
有無を言わさない態度でテーブルの上に置くとやれやれとでも言いたげな顔をしてぱぱっとカップを回収していった。
何だったんだ今のは。
と、その場にいる三人全員が同じことを感じたのはまた別の話である。
「それで、肝心な話なんだけど。調査って具体的にどんなことをするんだ?」
話を切り出したのはイドだった。自分たちでついていくと決めたが、よく考えれば辰野のこともルサルカのこともよく知らない。辰野のことはどうでもいいけれど、ルサルカという組織には少し興味があったのだろう。
「情報収集、異常現象の解明、本部に報告って流れだな。必要であれば調査員がその場で異常現象の処理も行う」
「それはつまり殺すってことか?」
イドの目が鋭くなる。相変わらず少し短慮で、先を突っ走りすぎな所が見受けられた。付き合いの長い申渡が死んだためか、あるいは一睡もしていないことによる寝不足故か。
「……人を、というよりは異常現象そのものをだな。だがあくまで緊急性のあるものだけだ。基本的にそういう荒仕事は上からの承認の上で解決課が行うことになっている。」
それを辰野は何事もないようにいなす。けれど言葉は選ぶ。
『食堂』はそれほど広いわけではないが客は大勢いる。人の集まるところに食べ物も情報も集まる。ここで下手を打てばきっと後の行動に支障が出てしまうだろう。だから辰野はマニュアル的に差し障りのないことだけを伝えた。
その考えは功を奏した様でイドの興味が別のことに移った。
「それでその、解決課って?」
「ルサルカ《うち》の課の一つだ。危ない仕事は大体ここが担当している。機密事項が多いからこれ以上は内緒な」
「精鋭、機密事項。秘密組織みたい」
「秘密じゃねえよ、組織柄隠し事は多いけど」
秘密(の多い)組織なのだからある意味正解だけどな、と辰野は心の中でつぶやく。
世の中、大体の組織は秘密を抱えているもんだ。クリーンな会社を掲げていても内情は真っ暗だったりする。ルサルカは、上手くやってる方だと信じたいものだと、ぐだぐだと頭によぎる。
「それでタツノは今ジョー報収集してるってことでいいんだよね?」
「ああ。今はできるだけ情報が欲しい。相手が人なのか、それ以外のナニカか。どちらにしろあんな芸当ができるやつカタギじゃないのは確かだ」
「カタギじゃないって、もう目星ついてるのかよ」
「憶測の域は出ないけどな、ここで言ってもいいことないし。君らには内緒な」
「内緒のことばっかりね」
ダズィは怒るでもなく、ただ辰野を見上げる。
「大人は内緒事が多いんだよ、悪いか?」
「そんなことないよ、申渡さんだって隠し事多いもん」
「……そうか。それでまあ『申渡さん』と似たような事例が7区でのみ発生しているところまでは調べがついていることは話したな。」
「全員が溺死、溺れ死んでるんだよね」
それも物理的にありえない場所で。顔だけを水に沈めれば溺死も可能となるのだが、どの遺体も全身が湿っている。乳幼児や小さな子供であれば3センチ程度の水深で死んでしまうこともあるが大人ならばそれは起こりえない。つまりは、海や川で溺れたそれと同じ状況だと言えるだろう。
「何度聞いても意味のわからない状況だな、自分の目で見たから信じられるけど」
「それでも実際に起こっているんだから、苦労するんだよなぁ」
ため息をついて、もらったパンをかじる。状況も奇妙で、証言してくれた人たちは記憶を消されている。現在わかっているのはそれだけだ。
「異常に対処するとか言っておきながら八方塞がりじゃないかよ。そんなんじゃ申渡さんを殺したのがどんなやつかわからないじゃないか」
「そうは言ってもな、ここで情報収集するのは一苦労なんだよ。7区に長く住んでるなら分かるだろ?この土地の人柄みたいなの」
「まーね?」
ダズィがちらりと後ろを振り向くと、慌てて目を逸らすものが数人。それは余所者への好奇の目か、あるいは監視のためのものか。どちらにしろ、彼がここにいることをよく思っていないのがよくわかる。その様子を見たことで「あいつら」と一瞬目つきが悪くなる。そこをすかさずイドがダズィのおでこを軽く叩いた。
不意打ちを喰らったためかダズィはおでこを抑えてイドを見上げる。
「目つき悪いぞダズィ」
「お兄ちゃんだってしてんじゃん、私だけダメな理由ないじゃん」
「お前はまだ顔が柔らかいんだから、あんまり怖い顔してると俺みたいな顔になるぞ」
「それでもいいもん」
拗ねた顔をして水を飲むダズィを見つつ、イドは辰野の方に向き直る。
「ここまでであんたが情報を集めるのにすごく苦労していることはわかった」
「ざっくりとそう理解してくれれば十分だよ」
「それはきっと、あんたが余所者だからだよな。実際俺たちだって警戒したし」
では自分には何ができるだろうか?とイドは考える。
足手纏いになると判断した場合この男は今すぐにでも自分たちの同行をやめさせてしまう。それだけは絶対にダメだ。どうにかしてこの男に得になるものを渡さなくてはいけない。
「……みんなに警戒されないようにすればいいんだよな」
「考えがあるのか?」
「あんたには観光客に扮してもらう」
「どーして観光客?」
「昨日みたいに急に『異類問題解決局』です、とか『ルサルカ』ですとか名乗っても正直言って信用性がないからあんまり意味がないだろ?でも、『観光客』ですって名乗った方が情報は引き出しやすい」
「確かにその通りだが、その手は一応試してあまりうまくいかなかった」
「そりゃあその格好で路地裏を一人でうろうろしてたら十分怪しいだろ」
イドは全身を見つめながら言う。黒い髪で黒い目の瞳孔。さらにスーツ姿で路地裏をうろうろして尋ねごとをしていると言うだけで十分怪しいのだ。
むしろなぜそれで観光客だと誤魔化せると思ったのか。方便で誤魔化すのならばもっと説得力のある格好をしてほしい。とはいえ浮かれた格好されても目立ちすぎるだけだ。蛍光色の服を着た辰野を見たら多分大爆笑してしまい何もできなくなってしまいそうだ。
「まっ、服のことはどうでもいいや。いくらでも誤魔化しが効くし」
「それで?俺は観光客のふりをする。君たちはどうするんだ?」
「俺たちはあんたのガイドになる」
「ガイドってどうして?」
「俺たち申渡さんとこでの仕事以外にガイドの手伝いもしてんだろ、それならこいつと彷徨いててもそんなに問題がないはずだ」
「そっか、お兄ちゃん頭いい!」
「そうすりゃ周りに警戒されずに7区を歩くことができると思うぜ、おっさん」
どこか楽観的に目をキラキラさせる二人をよそに辰野はもう一杯のコーヒーを飲んだ。
うん、コーヒーが体に染みる。今ならきっと頭から花を咲かせられそうだ。
サムイ冗談はさておき、どちらにしろ7区での調査を続けるためには調査に同行する現地人が必要だった。理想とは違ったが、この出会いも何かの縁だとそう思いたい。
「じゃあそんな感じでやっていこう!私たちいいコンビになれると思う!」
「コンビって、それ二人の言い方だろ?」
「私とお兄ちゃんで一人、タツノで一人。これで二人でしょ?」
ダズィは何かおかしなことあるとでも言いたげな顔で答え、イドはそれに肯定するようにうなづいた。二人で一人前という認識なのだろう。
こうしてイド、ダズィ、辰野の三人は正式に協力関係となった。お互いが互いの目的のために利用し、利用されあうこととなる。
三人の気持ちも一つになった所で、
「あ、お客さん。お勘定置いときますねー」
と先ほどのお節介焼きの少女が伝票を手渡して去っていった。何というかタイミングがすごく言い。少女は客席ほぼ全ての様子を観察して必要な時に必要なことを相手に合わせてこなしていた。これはいわゆる看板娘というやつだろうか。
辰野は伝票の金額を見つめる。サービスとは言っていたが辰野に出した料理代はきっちりと追加料金として乗っかっている。どうやら商売も上手いときた、これは将来とんでもないことになりそうだ。
「じゃあここは俺が払っておくからっ……しまった」
「どうした?」
辰野は冷や汗を垂らしながらイドダズィに苦笑いをした。
「財布擦られてたの忘れてた」
「「はぁ!?」」
今日一大きい声が出た。




