第78話
ごきげんよう。
クロエ・カサブランカでございます。
本日は光の月19日。
いよいよ卒業試験の日がやってまいりました。
卒業試験は、本日から5日間行われますの。
試験要項は昨年の学年末試験とほとんど変わりませんけれど。
わたくしは本日、魔法薬学と店舗経営学を受験いたします。
どちらも制作物やレポートを提出する科目ですが、単純に提出して終わりというわけではございません。
魔法薬学は制作物に関するレポートも合わせて提出し、さらにはその説明もしなければなりませんの。
店舗経営学も同様に、レポート内容に関する質疑応答がございますわ。
どちらも個室で、担当教師と1対1で行いますので、多少気が楽ではございますけれど。
さて、魔法薬学室に到着いたしましたわ。
卒業すれば、もうこの温室に出入りできなくなってしまいますのね……お気に入りの場所なだけに、寂しく感じてしまいますわ……。
まぁ、卒業できるよう、今から頑張らなければなりませんが。ほほほ。
「先生。ごきげんよう。」
「カサブランカ君。ごきげんよう。」
わたくしは講義室の中に入ると、教壇に立っていらした魔法薬学の担当教師、サンダルウッド先生にご挨拶をし、席に着いて時間が来るのを待ちます。
本日も先生はお馴染みの魔法使いスタイルに、真っ白で長いお髭がキマっています。
優しい笑顔で出迎えていただき、緊張が少しほぐれましたわ。
席に着く前に講義室内を見渡しましたら10名程の生徒がおり、皆、緊張の面持ちで時間が来るのを待っていました。
リーン…リーン……リーン…リーン……
始業のベルが鳴り、先生が講義室の扉の施錠をし、試験の概要を説明されました。
「試験は隣の準備室で行うぞぃ。
呼ばれたら速やかに準備室へ入り、制作物の提出とその説明をお願いするぞぃ。
終わったら速やかに退室し、この部屋で時間まで待つようにのぅ。
では、早速始めるぞぃ。
まずはハイドレインジャ君からじゃ。」
「はい!」
お名前を呼ばれたハイドレインジャ様は、緊張しながらもしっかりとした足取りで、準備室へと入っていかれました。
10分程経った後、ハイドレインジャ様とサンダルウッド先生がご一緒に準備室から出ていらっしゃいました。
ハイドレインジャ様はそのまま元の席へ戻り、安堵の表情で腰を下ろされました。
「では次、バーベナ君。」
「はいっ!」
先生がバーベナ様を呼ばれ、お2人は準備室へと入っていかれました。
その後も、皆様が順に呼ばれては準備室へ入っていかれましたわ。
そして、ついに。
「次で最後じゃな。カサブランカ君。」
「はい。先生。」
わたくしの名前が呼ばれました。
席を立ち、先生とご一緒に準備室へ入ります。
中に入ると、部屋の真ん中に大きなテーブルが置いてあり、奥には先生の執務机が見えました。
壁は全面本棚になっており、貴重な専門書が整然と収められていて、壮観ですわ。
「それではカサブランカ君、卒業制作を披露してくれんかのぅ?」
中央のテーブルの傍らに立った先生が、優しい笑顔で課題の提出を促してくださいました。
「はい、先生。」
わたくしは頷き、亜空間収納より提出物を取り出してテーブルの上に置きました。
「……これは?」
わたくしが置いた直径5センチ程のマットな白い陶器製の丸い容器をまじまじとご覧になりながら、先生が問いかけてこられました。
「わたくしが卒業制作として提出しますのは、こちらのハンドクリームですわ。」
「……はんど…くりーむ…かのう?
初めて聞くわい……。」
わたくしの返事を受け、先生が目を丸くして驚いていらっしゃいます。
それもそのはず。
この国では、洗浄魔法を使用出来る方は魔法で済ませ、使用できない方は沸かしたお湯をたらいに張り、それに浸して水気を絞った布で身体を拭くのが一般的ですの。
お風呂に入る文化自体が浸透していないため、シャンプーやリンス、ボディソープなどの基本的なお風呂セットも存在していませんし、スキンケアという概念すらありませんの。
もちろん、ハンドクリームも。
そのため、魔力を持たない大多数の平民や下位貴族の方々は、手荒れはもちろん、肌トラブルで悩んでいらっしゃることが多いそうですわ。
「えぇ、そうですわ。
このハンドクリームは、水仕事や寒さ、乾燥などによる手荒れを改善する効果を持たせましたの。
先生、よろしければこちらの部分に軽く触れてみてくださいまし。」
「こう……かのぅ……?」
わたくしは、容器の頂点にあしらった直径1センチ程の大きさのお花の形をした魔石を指しながら促しました。
それを受け、先生がおっかなびっくりといった様子でその魔石に軽く触れると、カチリと小気味良い音を立てて蓋が開き、中に詰まっている乳白色のクリームが顔を覗かせました。
同時に、グリーン系の爽やかで瑞々しい香りが室内に広がります。
これは、名もなき湖の湖畔で自生しているホワイトツリーのお花から抽出したアロマオイルを、香り付けに1滴だけ加えているからですの。
「ほう……これは実に芳しい香りじゃ……。」
「香りをお気に召していただけて嬉しいですわ。
先生、中のクリームを指ですくい、両手に塗り広げてみてくださいまし。」
「こう…かのう……?」
先生は中のクリームをひと掬いし、手に塗り広げてくださいましたわ。
「ふむ……これは……実に良いのう。」
「それはようございました。
それでは、先程のお花の部分にもう一度、手をかざしていただけますこと?」
先生が言われた通りに手をかざすと、自動で蓋が閉じました。
「ほう!容器を汚すことなく、しっかりと蓋を閉じることが出来たわぃ!
……して、カサブランカ君。
君はこのはんどくりーむとやらをどのようにして思いついたのかのぅ?
長年、薬草や薬学を研究してきたが、こういったものは初めてお目にかかるわい。」
さすがはサンダルウッド先生…鋭いですわ……。
でも、わたくしにはきちんとした動機と理由がございますのよ。
「きっかけは、長年わたくしに仕えてくれた侍女の手が荒れていたことですわ。
彼女は幼い頃からご実家の家事を一手に引き受けていたため、ひどい手荒れが蓄積してしまっていましたの。」
「ふむ……。」
「彼女は現在、隣国に嫁いで家事から解放され、幸せに暮らしていますが……一度深く刻まれてしまった手荒れの跡は、そう簡単には消えませんわ。
ですから、これまでの苦労を労うための贈り物として研究を始め、今回のタイミングで納得のいくものが完成いたしましたの。
深い傷であれば傷回復薬で癒せますが、低級であっても決して安価ではございませんし、手荒れのために日常的に使用するものではございませんでしょう?
この国では、多くの方がかつての彼女のように、日々水仕事をこなしていらっしゃいます。
だからこそ、誰もが日常的に使えて、心までリラックスできる……1日の終わりにゆっくりと手を労る時間と、ケア用品が必要だと考えましたの。」
「なるほどのぅ……。
回復薬のような一時的な『治癒』ではなく、日常に寄り添う『労り』……ということか。
技術の高さもさることながら、その根底にあるカサブランカ君の優しい心が、この至高のクリームを生み出したのじゃな。
素晴らしい……勉強になるのぅ……。」
先生は、ご自身の手の甲で塗り広げたクリームを何度も確かめながら、感嘆の声を漏らしていらっしゃいました。
長年、魔法薬学の研究をなさっている偉大な先生ですのに、最後の一言に先生の謙虚なお心を垣間見たような気がして、わたくしもそうありたいと強く思いましたわ。
「して、材料は何を使っているのじゃ?」
「はい。
ベースに、修復草の抽出液を使用いたしました。
お肌に潤いを与えるため、アクアロータスのエキスと、水分を肌に留めるための油分として、フォレストシアバターを加えましたの。」
「ほぅ……! 水の薬草と油脂とな!
……しかし、水と油は本来反発し合い、混ざり合わぬものであろう?
それをどのようにして、この滑らかな白い絹のような状態に仕上げたのじゃ?」
先生が瞳を輝かせながら身を乗り出してこられました。
わたくしは初めて目にする先生の姿に内心驚きつつ、あくまで穏やかな微笑みを保ちながら説明を続けます。
「先生の仰る通り、水と油は決して混ざり合うことはございませんわ。
そこでわたくしは、こちらの魔化蜜蝋を媒介にいたしましたの。
油分であるフォレストシアバターと魔化蜜蝋を同じビーカーに入れて温め、別のビーカーに水分であるアクアロータスと修復草の抽出液を同じ温度になるまで温めます。
そして、水分を油分のビーカーに注ぎつつ、わたくし自身の魔力も均一に注ぎながら素早くかき混ぜましたわ。
すると、水分と油分の境界線が魔力によって結びつき、分離することなく一体化しましたの。
わたくしはこれを、乳化と呼んでおりますわ。」
本当のことを申しますと、魔法薬学の知識半分、前世とインターネットの知識半分ではございますが、この事実は口が裂けても言えませんわ……ほほほ。
まぁ、インターネットで調べはしましたが、この世界にある材料で作れるよう試作を重ねて調整したのは本当ですので、どうかご容赦くださいませ。
「乳化……!!
水と油を魔力で完全に融合させ、新たな性質のクリームへと昇華させたと……!
これは回復薬調合の概念を覆す新しい技術じゃ!!
カサブランカ君!!
君の優しい心が、この至高のクリームに新たな命を吹き込んだのじゃな!
素晴らしい!実に素晴らしいぞぃ!!」
サンダルウッド先生は、満足そうに何度も長いお髭を撫でながら、一緒に提出したレポートに力強くペンを走らせ、最高評価のサインをしてくださいました。
……乳化は完全に前世の先人の恩恵ですが、良いのでしょうか?
まぁ、先生が嬉しそうですから、良しとしましょう。
リーン…リーン……リーン…リーン……
丁度、わたくしと先生が準備室を出たタイミングでベルが鳴ったため、そのまま試験は終了しました。
その後、昼食を挟み、店舗経営学のレポート提出もなんとか終え、わたくしは帰路につきました。




