第二話 水の大精霊ネレイス
朝の支度がある程度落ち着いた頃、レヴェリアはルーカスが作った朝ごはんを食べていた。
だが、手はあまり進んでいない。
「やっぱり胸が重いわ」
「今日はいつもより魔力が揺れています。お気をつけください」
レヴェリアの後ろに控えていたルーカスが柔らかい笑みを浮かべながら答えたが、レヴェリアは彼とは対照的に冷たい表情をしている。
レヴェリアは『水の大精霊ネレイス』の器だ。
水の大精霊ネレイスは大精霊の中では最も魔力が少ないが、繊細で人に馴染みにくい性質をしているので、まだ幼いレヴェリアには十分な負担だった。
それ故、代償が大きく、少し外に出ただけでも酷い頭痛に襲われる。
病弱なのも大精霊の魔力によるものだ。
病弱なだけなら、まだ良かった。
◇◆◇
彼女は名門エーヴェルヴァイン家の令嬢だ。
彼女が水の大精霊ネレイスの器だと分かったのは、彼女がまだ三歳の頃だった。
彼女の両親や使用人たちは水の大精霊の器であるレヴェリアを大層恐れ、彼女を別邸に移した。
そうしてレヴェリアは両親に捨てられた。
別邸には使用人は数人しかおらず、彼らもレヴェリアを恐れ、必要以上に近づこうとしなかった。
レヴェリアの六歳になった日、とある組織が彼女を連れ去った。
組織の名はーークロノス。
その組織はほとんど解明されていない大精霊について調べている組織で、レヴェリアを実験体として扱った。
実験台に体を縛り付け、たくさんの機材を取り付け、魔力を無理矢理抜き取った。身体に負荷を長時間与え続け、感情を操作し、身体中を傷つけ、気に入らないことがあれば容赦なく殴りつけた。まともな食事もなく、声を上げることすら許されなかった。死にかけたことだって一度や二度ではない。
そんなレヴェリアを救い出したのがアルセーヌだ。
悪魔にとって大精霊の魔力は、自身を大幅に強化できる至高の糧だ。
だが、アルセーヌは彼女を殺さなかった。
それどころか、レヴェリアを守り仕えている。
ルーカスとルクもそうだ。
だが、なぜ彼らがレヴェリアを殺さないのか、それをレヴェリアは知らない。知ろうとも思っていない。
レヴェリアにとっては興味のないことだったからだ。
◇◆◇
「お嬢様、呼吸が浅くなっております。大丈夫ですか」
気づいたらレヴェリアのそばにいたアルセーヌが声をかける。
「ええ、大丈夫」
「…そうですか」
レヴェリアは滅多に感情を出さない。嬉しくても辛くても悲しくても、自分から口に出すことは滅多にない。
だからこそ、いつレヴェリアが壊れてしまうか分からない。
それが怖くてたまらない。
「お嬢様、魔力の揺れがだんだん大きくなっております。あとで、魔力を調律しましょうね」
ルーカスがいつもより少しだけ真剣な顔で言う。
朝食を食べ終えたレヴェリアは寝台の縁に腰掛け、寝台に寝転がっているルクを撫でていた。
アルセーヌとルーカスは部屋にいない。
そんな中、ルクがレヴェリアに声をかける。
「……レヴェリア」
「ん?どうしたの?」
「無理してないか?」
「うん。大丈夫よ。私にはあなたたちがいるから」
「……そうか」
ルクは本来は威厳ある孤高の存在とされている。人間に声をかけることもない。
だが、なぜかレヴェリアの前ではすべてが崩れる。
本能がレヴェリアに従おうとする。
それは彼女が大精霊の器だからか、それとも別の何かか。
ルクの中では答えは出ていない。
だが、これだけは分かる気がする。いや、もうすでに自身に誓った。
(レヴェリア、お前は必ず俺が守る)
ドアの開く音がする。ルーカスの規則正しい足音がこちらに向かってくる。
「お嬢様、魔力の調律をしましょう。」
「ええ、お願い」
「失礼します」
そう言って、ルーカスはレヴェリアの目の前に跪き、そっと手を取る。反対の手でレヴェリアの手を撫でるように覆い、レヴェリアの魔力の流れを正確に把握した。
「今から魔力を流します。少し痛むかもしれませんが耐えてください」
そう言ってルーカスはレヴェリアに慎重に魔力を流し始めた。揺れを収めるように、決して揺れに刺激を与えないように。
魔力の調律は高度な魔力操作技術と魔力感知能力を要する。穏やかな魔力を保有するルーカスだからこそできる技だ。
攻撃的な魔力を持つアルセーヌとルクには真似できない。
「終わりましたよ。……すみません、痛かったですね」
ルーカスは僅かに揺れたレヴェリアの表情から全てを察する。
(またやってしまいました。お嬢様が痛い思いをしないように調律したいのですが、私ではまだ力不足のようです)
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう」
その時に、紅茶を持ったアルセーヌが扉から入ってくる。
「流石ルーカスですね。お嬢様の魔力が落ち着いていらっしゃる」
「いえいえ。私はまだまだです。お嬢様に痛みを与えてしまいました」
ルーカスの表情が少し暗くなる。
そんなルーカスを見たレヴェリアはアルセーヌから紅茶を受け取りながら口を開く。
「ルーカス、あなたが自分のことを責めることはないわ。私はいつもあなたに助けられて本当に感謝しているの」
「ありがとうございます、お嬢様」
ルーカスの表情がいつもの穏やかな微笑みに戻る。
「良かったな、ルーカス」
ルクが静かに囁く。
ルーカスとルクを見てレヴェリアがほんの少し微笑んだ。
アルセーヌは三人に冷ややかな視線を向けた。




