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92.伝えるべきこと

 突然の敵出現の報告に、フェールは眉を寄せていた。

「ザンガクム女王親衛隊? そのような集団の存在は聞いたこともないが、要するに、我々は警務総官の手引きでクレイア王女が待ち伏せしている場所に案内されてしまったということか」

「それはわかりませんが、先ほど逃げた警務総官殿たちが、現場に先に行っていた白花隊の者と共に攻撃を受けて負傷しました」

「無差別に攻撃してきたということは、敵は、警務総官や王女とも全く関係のない夜盗の可能性が高いか。ザンガクムの国名をわざと出したことの説明はつかないが、そもそも、このようなところにクレイア王女がいるのは不自然だ」


 気絶していたアンジェリンは、動かされた痛みで意識が少しだけ戻ってきていた。まだ目を開く力はない。

 ──ウィレムが泣いているわ。すぐ近くで……。 

 よく知っている低い声が、早口で誰かと話している。

 ──あのディンの声がする。あの人がそこに。来てくれた……。


 アンジェリンは聞こえる会話に口を挟もうとした。

 ──私が状況を説明しないと……。

 痛みで意識はまだぼんやりしている。口も目もうまく開けない。


 フェールはアンジェリンの意識が薄く戻っていることに気が付かず、馬車の扉の外でウィレムをあやしながら、兵と話し続けていた。

「謎の敵の数は」

「暗くて確認できておりません」

「相手の数も目的も不明ではやっかいだな」


 ──謎の敵って、それはたぶんクレイア様の守護隊です。少し離れた場所でクレイア様が戻るのを待っていたと思うんです。


「うむ。相手が何者でも、何名いたとしても、我らを無差別に狙う以上、今ここでたたきつぶしてやる。白花隊はこの馬車を守り、アンジェリンとウィレムを王太后のところへ送り届けてくれ。近衛隊は私と共に戦おう」


 ──待って、まだ行かないでください。私は大切なことを伝えていない。ザース様が生きておられて、私をかばってお怪我をなさったの。


 アンジェリンは必死で目を開いて声を上げた。

「……陛下…」

 体に力が入らず、小さな声しか出ない。

「気が付いたか! アン、私がわかるか? ウィレムはここにいるぞ」

 アンジェリンが見上げると、夢にまで見た愛しい男が、馬車に半身を突っ込むような姿勢で顔を覗き込んでいた。彼は雨とも涙ともわからない水を滴らせつつウィレムを抱いていた。

「あ……」

 ──泣いていらっしゃったの?

 申し訳なさで、自分まで涙が出てきた。

「ごめんなさい……私、またあなたをわずわせてしまって」

「そんなことはどうでもよい。手足はきちんと動くか? 背骨が折れていないといいのだが。痛いところはどこだ」

「私のことよりも、救助を必要としている人が何人もいらっしゃいます。あの方が……生きておられて今にも死にそうなんです」

「誰のことだ」

「ユヒラマ様が……白花隊の。それに、そこにクレイア様がいらして、マニストゥさんを殺して、エフネート様も」

 痛みで混乱する頭で名前を並べるだけでは、フェールはさっぱり理解できていないようだった。

「アンは怪我のせいで混乱しているようだな。早く城で手当てをしたほうがよい」

「混乱していません! そこにクレイア様が確かに来ておられて、それでユヒラマ様の剣がクレイア様を貫いて、二人とも倒れて……マニストゥはサラヤと呼ばれていた女の子に殺されて、エフネート様もその子にやられて重体で……あ、サラヤはエフネート様の剣が背中に刺さって、たぶん、お亡くなりになっています。全く動かなくなっていましたから。ですから、たぶん近くにクレイア様の守護隊がいるかも」

 アンジェリンはフェールの顔を見上げた。こんな下手な説明で状況がわかってもらえるだろうか。フェールは泣いているウィレムをあやしながら、険しい顔でアンジェリンの話を聞いていた。

「ならば、そこにいる謎の敵は、ザンガクムの旧勢力に間違いないだろう。ユヒラマという白花隊の者がクレイア王女を殺してくれたのだな?」

「王女様が亡くなったかどうかはわからないんですが、かなりの深手で、今も息があるかどうか。それで、あのっ、ユヒラマ様は……」

 どう話せばいいのだろう。彼は弟王子は死んだと今も信じている。王子は危険な状態にあり、助からないかもしれない。ならば会わせてあげたい。

「とにかく、この先に大勢が倒れているんです。早く、現場へ行ってくださいませ。どうか、ユヒラマ様の元へ。ユヒラマ様は――」

 女装したザース様です。

 ウィレムはまだ激しい泣き声を上げており、アンジェリンの力のない小さな声はかき消された。


 フェールはアンジェリンの足元にウィレムを下ろした。子どもは母親を認め、馬車の椅子に崩れそうな形で座っているアンジェリンの膝に上がろうと小さな手を伸ばした。

「アン、この子を抱けるか? 無理なら誰かに頼んで一緒に馬車に乗ってもらうが」

 フェールは恐る恐るウィレムをアンジェリンの膝の上にあげた。幼子はようやく母の胸にたどり着き、顔を埋めてしがみついた。

 アンジェリンは取り戻した息子をやさしく抱いてやった。

「ウィレム、よかった……連れて行かれたかと……」

「敵がクレイア王女ならば、やつらの目的は私だ。私さえ姿を見せれば、敵は追いかけてこないと思う。私が敵のおとりになる。その間におまえたちはここから全力で去れ。白花隊が警護を務めてくれる。では行ってくる」

 さっさと戦いに行こうとするフェール。

「お待ちください。まだお伝えすべきことが」

「ん?」

 フェールが振り返ると、アンジェリンは力をふりしぼって声を出した。

「陛下、ユヒラマ様と名乗っている方はザース殿下です。ひどいお怪我ですから戦うよりも先に助けに行ってください。この先の左手の藪の中です」

「ザース?」

「ザース様は生きておられ、私たちを命がけで守ってくださいました。でも、今は複数の傷を負っておられて、救助を待っておられます。すでにエフネート様の手下に殺されてしまったかもしれません。ザース様はエフネート様の手下に成りすましてまぎれておられたので」

「なにっ」

「ザース様は生きておられるんですよ!」


 フェールはアンジェリンの顔をじっと見つめた。

「私は正気です! 本当なんです。私はザース様に助けていただいたんです」

「そうか……信じがたいがなんとなくわかった。ただ、敵の動きがつかめず、救助どころではないかもしれぬ。おまえが今言ったことは頭に入れておく。城でまた会おう」

 フェールはアンジェリンに軽く口づけすると、馬車の扉を閉めて、雨の中を雨具もなしで走って行った。

 ─また無理をなさる気?

「敵を引き付けるって……そんな危ないことはおやめください。他の作戦を──」

 アンジェリンの声はフェールには聞こえなかった。



 フェールは道の途中で足を止め、雨の闇に目を凝らした。報告によれば、この先にエフネートが用意していたと思われる小屋があると言う。そこに死傷者を運び込んでいる最中だったらしいが、突然謎の敵が現れたということだった。

 ランタンの光は辺りには見えず、敵がどこに潜んでいるのかわからない。近衛隊がフェールの周囲を守るように囲んでくれているが、闇から矢を放たれる危険は大いにあり、こちらもランタンを消した。これでは倒された味方もどこにいるのか把握できない。

 フェールは闇に向かって呼びかけた。

「聞こえるか、勇敢なるザンガクムの兵士たちよ。私はセヴォローン王フェール。そなたたちが忠誠を誓うクレイア王女は、侍女サラヤと共にすでに死者の国に旅立った。そなたたちが命をかけてまで守るべきものはもうない。このまま抵抗せずに投降してくれるならば、私はそなたたちの今後の処遇を悲惨なものにしないよう、シューカイル殿と貴族連合の幹部たちに交渉することを約束する」

 クレイア王女の生死はこの時点ではまだはっきりしていなかったが、フェールはアンジェリンの話から王女の死を確信し、堂々と宣言した。

「クレイア王女はもういないのだ。そなたたちが敵だと信じていた私に従っても、それは恥ではない。戦争は終わった。間もなくエンテグア城から私の援軍がここへやってくる。そなたたちが私に戦いを挑むならば、そなたたちは全員死ぬしかない。たとえ私を今ここで殺すことに成功しても、私の兵たちはそなたたちを最後のひとりまで殺しつくすだろう」

 雨の森の中、潜んでいる者たちが動く気配がする。

 フェールは声を大きくした。

「そこに潜んでいる者たちよ、武器を捨て、両手を挙げて出て来い。これからも生きるために姿を見せよ」




 一方、アンジェリンとウィレムを乗せた馬車は、フェールが馬車から離れると、すぐに動き出した。

「ウィレム、ごめんね、怖かったでしょう?」

 アンジェリンは少しでも温まろうとウィレムをしっかり抱いた。濡れた服がすぐに乾くわけでもなく、寒さで歯がカチカチ鳴るほど体が震える。二人とも体はすっかり冷え切っている。

「寒いけど少しがまんしなさいね」

 馬車が揺れるたび、アンジェリンはうめき声をあげそうになった。座っているだけでもどこが痛いのかわからない痛みが断続的に続いている。ずっと息苦しく、自分で体の向きを変えることはつらかった。

 抱いていたウィレムが少し足を動かし、アンジェリンの脇腹を蹴った時、激痛が走り、アンジェリンの意識は再び薄れていった。


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