91.それぞれの正義
ココルテーゼに連れて行かれたターニャは、城内で倉庫として使っている部屋に案内されていた。
「少しだけここで待っていてください。今、侍女用の御召し物を持ってきます。すでに寝ておられる方もいらっしゃるから、物音を立てずに静かにお願いします。国王陛下の御部屋に出入りできる使用人は、それとわかる服を着た者だけですから、着替えてもらわないといけないんです」
ココルテーゼはターニャにそう言い残すと、ターニャを部屋に置き去りにして出て行った。
ターニャは言われたとおりにその部屋でずっと待ち続けていたが、いつまでたっても先ほどの胸の大きい女性が戻ってこない。ランタンの光で室内を見回す。使っていない花瓶や椅子などが部屋の壁際に積み上げらえるように置かれており、この部屋は倉庫だとわかった。何が入っているのかわからない木箱も多数ある。部屋には他に誰もいない。
あまりにも待ち時間が長く、立っているのに疲れて木箱に腰かけた。窓のない部屋の外からは雨音が聞こえ始めた。
「遅いなあ。あの人、どこまで着替えを取りに行った? もしかして、私のことを忘れてもう寝ちゃったのかなあ。お嬢様の馬車はすでに国王陛下のところへ到着してしまっただろうし、今更着替えても仕方ない気がする」
それからも辛抱強く待ち続けていたものの、ココルテーゼはいつまでも戻って来てくれない。
「いくらなんでも遅すぎ。絶対にこれは忘れられちゃってるね」
ターニャは耳を澄ませたが、あいかわらず、誰かが来てくれる様子はない。
「もう待つのやーめた!」
勝手に部屋から出ようとした。ところが。
「ちょっとぉ……なんで?」
扉が開かない。向こう側に開くはずが、何かがひっかかっていて扉はわずかに動くだけ。
故意に閉じ込められて放置されたのだとやっとわかった。
「会ったばかりの人に嫌がらせされるって……お城ってそういうところ?」
どう見ても初対面の年下の若い女性。うらみを買う覚えはない。さっぱり意味不明。
窓のないここから脱出するには大声で人を呼ぶしかない。
「開けてくださーい」
扉をこぶしでガンガンたたく。近くの部屋には誰もいないようで、建物内はとても静かだった。
◇
ターニャを閉じ込めたココルテーゼは、同じ建物内の別室に潜んでいた。
ターニャが騒いでいる音が聞こえる。
ココルテーゼは、警備兵を警戒してランタンの光を消して、暗い中で一人笑った。
「悪く思わないでよね。私だって必死なんだから。これでアンジェリンを追い払うのは成功したはず。エフネート様は約束を守って陛下にとりなしてくださるし、貴族の仲間入りもできるの」
あとはエフネートからの連絡を待っていればいい。
ココルテーゼにとっては、同期の侍女だったアンジェリンが突然現れて王の婚約者として紹介されたことは衝撃だった。
──あの子がニハウラック家の娘だなんて作り話よ。だって私、あの子の本当の出自を知っているんですもの。ロイエンニ様の妹が話しているのを偶然聞いたことがあるわ。あの子は泥棒の娘。
王妃決定の知らせを聞いたココルテーゼは、夜に会議を終えて出てきたフェールを待ち、大胆にも廊下で呼び止めた。
『陛下、至急、どうしてもお知らせしたいことがございます』
フェールが足を止めると、ココルテーゼは、アンジェリンがニハウラック家の娘ではなく、盗みを働いた下男夫婦の捨て子だと告げ口した。
『至急の話というのはそれだけか?』
『陛下、アンジェリンはいやしい生まれです。そんな人をお妃様に迎えるなんて国民が納得しません。どうかお考え直し下さい』
『そなたもその情報に騙されていたのだな。それは彼女を守るために作られた偽情報だ。彼女の家を滅ぼしたのが誰だったのか、そなたは知らないのか? 過去のうわさを調べてみよ』
フェールはさっさと背中を見せて歩き出そうとする。
ココルテーゼはそれでもあきらめず背中から声をかけた。
『陛下、お待ちください。それに、アンジェリンが連れてきたお子は、陛下のお子ではないかもしれません。私、知っているんです。アンジェリンは東の牢に入っていたとき、レクト・セシュマクと牢内で逢引きしていました。私がレクトを手引きしましたのでそれは本当のことです』
フェールは振り返り、凍るような目をしてココルテーゼを睨みつけた。
『そなた、ウィレムの目をしっかり見たか?』
『いいえ』
『ウィレムの目は、片方は緑、片方は琥珀色。アンジェリンと私の両方の色を継いでいる。顔も私に似ている。誰が何と言おうと、あの子は私の子だ。用件を言い終えたならさっさと下がれ。そなたのように、アンジェリンとウィレムを貶めて侮辱する者は、この城には必要ない。二度と私の前に出てくるな』
『そんな、あんまりです、陛下。私は大切なことを申し上げたかっただけで――』
完全に相手にされていなかった。
家に帰ることもできずに侍女部屋にこもっていたココルテーゼの元に、突然エフネートの傍仕えの者がやってきて、エフネートと二人だけで会うことになった。場所はエフネートが私室として使っている城の一室。
エフネートは苦笑していたが、激怒しているようには見えなかった。
『困ったやつだ。陛下を怒らせてしまったそうだな。俺がうまくとりなしてやるから、少々手を貸してほしい』
『ありがとうございます! 何でもします』
『仕事は簡単だ。アンジェリンとその子供を城外に出すだけだ。この仕事に成功したら、おまえの父親ツェドー・ホミジドを正式に俺の兄と認め、ヘロンガル家の血を引く貴族として申請し、家族ごとヘロンガル一族に加えることを約束する』
『えっ! 本当ですか? 貴族として認めていただけるのですか? 廃貴族ではなくて?』
『それが成功報酬だ。我が家の馬車と雑用の男二人を貸してやるからやってみるか? 決行は今夜だ』
ココルテーゼに選択肢はなかった。
仕事を達成した今、闇の中でエフネートからの連絡を待つ。
ココルテーゼが今いる場所は、ザース王子の部屋に近い、侍女待機用の小部屋。この場所を使うようにと指示したのもエフネートだった。今は住む人がいない王子のための建物の四階。建物内の一部は倉庫として使われているため、出入りはできるが、夜間は無人で、巡回の警備兵に気付かれにくい場所だ。
建物の一階にいるターニャが、扉をたたいている音はまだ続いている。
「うるさいわね。今更騒いでも遅いわよ。アンジェリンは城の外。もう戻ってこないんだから」
そのうちに、巡回の兵が物音に気が付いたようで、ターニャは解放されたらしく、やっと静かになった。
「エフネート様、遅いわねえ。うまくいったはずだけど。陛下を怒らせちゃったから王妃様になる夢はたぶん叶わないと思うけど、うちが正式な貴族として認められたならお父様とお母様が喧嘩することはもうなくなる。アンジェリンさえ出ていけば、皆が幸せになれるのよ。私は悪いことはしていないわ。元々あの子は王妃にふさわしくないんだし」
ココルテーゼは安堵の笑みを浮かべていた。
ココルテーゼの両親は昔から夫婦仲が悪く、物が壊れるほどの激しい喧嘩は日常茶飯事だった。兄弟もいないココルテーゼは、喧嘩が始まるといつも自室の寝台に潜り込んで耳をふさいだ。
母はいつも厳しい口調で父をののしっていた。
『だいたい、あなたがしっかりしていないから、いつまでたってもうちはヘロンガル家の一員として認めてもらえないのよ』
『まだその話か。同じことばかり何度も言うな』
『私はあなたがヘロンガル家の血族だって言うから結婚したのに、いまだに廃貴族の扱いじゃない。こんなはずじゃなかったわ。エフネート様と兄弟にもかかわらず、一生普通の廃貴族なんて。本当なら、あなたがヘロンガル家の長のはず』
『おまえはヘロンガル家にこだわりすぎだ。ココルテーゼと普通に暮らしていければそれでいいじゃないか』
『そういう考え方がなさけないのよ。ココルテーゼの嫁ぎ先だって、ヘロンガル家の娘かどうかで天と地ほどの差が出てくるのに、そんなこともわからないの?』
『俺はヘロンガル家に入れてもらいたいとは思っていない』
『ヘロンガル家の長子が廃貴族なんて言われ続けているのに、どうして平気なわけ? 王城勤めと言えば世間的にはいいのかもしれないけど、いつまでもさえない事務員を一生やっているなんて、あきれるわよ』
『うるさい! この生活が気に入らないなら全部捨てて出て行け。今すぐにだ!』
投げられた物が割れる音が聞こえる。母親や使用人の悲鳴。父の怒鳴り声。
喧嘩する声なんか、もう二度と聞きたくない。
ココルテーゼの父親を産んだ廃貴族の女性は、当時まだ若かったベリオン・ヘロンガルと恋仲になり身ごもった。ベリオンは子ができたとわかった時点で彼女と結婚しようとしたが、二人は引き離され、女性はヘロンガル家に監禁された中で子を産み落とした。その後女性は子供とともに解放され実家に戻されたが、生まれた子供──ココルテーゼの父親――のことをヘロンガル家は認めようとしなかった。その上、女性は出産の肥立ちが悪く、生まれて間もない子を残して世を去ってしまった。そして、失意に包まれたベリオンには貴族の女性が紹介され、一年後、ベリオンはその女性と正式に結婚。その正妻との間に生まれた子がエフネートである。やがて歳を重ねたベリオンは、サイニッスラ事件の首謀者となった後、心を病み、自らの手で命を絶った。ヘロンガル家の血を引きながら捨て置かれたココルテーゼの父親ツェドーは、廃貴族の娘が生んだ私生児として育ち、ヘロンガル家とは無関係の立場として今に至る。
バタン、と音がして、ココルテーゼが潜んでいた部屋の扉が開かれた。暗い部屋が複数のランタンで照らされた。
エフネート様? と言いそうになったココルテーゼは腰かけた状態のまま息を飲んだ。警備兵の制服を着た男ばかり。ココルテーゼを見る目は冷たく、エフネートの使者ではないと一目でわかった。
「いたぞ! ココルテーゼ・ホミジドだ。捕まえろ!」
ピィー、という笛の音が闇を走る。
「どうして私を捕まえるんですか? 私はここで人を待っていただけ」
入ってきた警備兵たちの中には顔見知りはいなかった。
「陛下の婚約者の誘拐に手を貸した罪で身柄を確保する」
「誘拐って、それは違います。下品な女を城外に追い払っただけです」
「自分が正しいと思うならば、どうしてこんなところで灯りもつけずに隠れている。申し開きは後でやれ」
「じゃあ、エフネート・ヘロンガル様を呼んでください」
「ヘロンガル復興大臣にも逮捕命令が出ている」
「そんな!」
ココルテーゼは両手を後ろ手に縛られて、東の牢に連れて行かれた。
それは皮肉にも、アンジェリンが入っていた寒く汚い平民専用の石牢だった。
◇
一方、アンジェリンのいる『現場』では、倒れたアンジェリンの周囲にエフネート側と白花隊側の双方が集まり、どちらも譲らない状態が続いていた。倒れたアンジェリンを囲んで数人が押し問答している。
「母子の身柄を渡せないと仰せならば、我々白花隊も同行します」
「我々警務官はきちんと任務をまっとうする。罪人の処置はまかせてもらいたい。邪魔をするなら全員を捕まえてやる」
白花隊の案内で、フェールは必死で馬を操って現場へ向かっていた。暗い雨の道。馬の頭や鼻先にランタンを吊るしているものの、慣れない暗い夜道を全力で走ることは難しい。それでもできるだけ急ぐしかない。王を守る近衛隊がそれに続く。
フェールは、道端から聞こえた子どもの泣き声で馬を止めた。
道から少し離れた場所にある低木の下に、雨具に身を包んだ者が二人確認でき、そのうちの一人が泣き叫んでいる子供をあやしていた。
「そこにいるのはウィレムか!?」
「あ、陛下、我々は白花隊です。お子は保護できましたが、それよりもお急ぎください。この先すぐのところで──」
ようやく現場に駆け付けたフェールが目にしたのは、暗い中に取り囲まれた状態で倒れている塊だった。それは濡れそぼり、泥だらけになって土の地面に横たわっていた。
それが探していた愛する女性だと認識したフェールは悲鳴を上げた。
「アン! なんてことだ。死んでしまったのか!」
「いえ、息はありますが、大怪我をしておられます」
フェールは倒れているアンジェリンの横にしゃがみこんだ。
アンジェリンはまるで投げ捨てられた死体のように見え、ぐったりと目を閉じている。フェールが頬に触れても目を開くことはなかった。
フェールは自分の雨具を脱いでアンジェリンの体にかけ、抱き起そうとしたが、白花隊の兵士に制止された。
「陛下、むやみに動かしては危険です。警務総官殿が故意に馬で蹴ったのです。おそらく肋骨が複数折れていると考えられます。折れた骨が内蔵に刺さってしまう可能性がありまして」
「なんだと」
「我々白花隊が見ている前での出来事で、申し訳ありませんでした。こんな状態なのに警務総官殿はこの女性を無理やりどこかへ連れて行こうとなさっている。それも城ではなくて、その辺にある小屋へ連れて行くとおっしゃるのです」
フェールは、そこにいた警務総官を、キッ、とにらみつけた。
「貴様、許さぬぞ!」
警務総官は反論した。
「陛下、この女性は我々の追求から逃げようとしました。逃亡する罪人を捕まえるために怪我を負わせてしまいましたが、これはやむをえず、そうなっただけのことでございます。夜ですし、罪人は濡れておりますので、近くにある小屋へいったん入れて、そこで雨をしのぎながら朝を待とうと考えておりました。任務を全うしただけのことです」
「意味が分からぬ。彼女が何の罪を犯したというのだ」
「ティアヌ・バイスラー殺害容疑でございます」
「そのような偽情報を信じたのか」
「目撃証言が得られましたので」
「その目撃者とは誰だ」
「ヘロンガル復興大臣のところの下男だそうです」
──やはり叔父上か。
フェールは唇を噛んだ。ここまで簡単にやられるとは思わなかった。エフネート側がもっと多い人数で来ていたなら、この場でのフェール暗殺も叶ったことだろう。
その間も雨は降り続いている。皆が濡れている。ここで警務総官を攻め続けていても何の実にもならない。
「今言い争っている場合ではないな。誰でもよいから、すぐに馬車を手配せよ。母子を城へ運ぶのだ」
白花隊の者が答えた。
「この道の先にヘロンガル家の馬車が置いてあるそうですので、今、それを取りに行かせたところでございました。城へ馬車を取りに行くよりは早いかと思います」
「それでいい。とにかく雨をしのがないと危険だ」
フェールは、まだそこに立ちつくしている警務総官を指差した。
「おまえは警務総官をやめてもらう。今すぐ解任だ。私の妃をこんな目に遭わせておいて、ただで済むと思うな。罪びとはおまえだ」
警務総官は悔しそうな顔をしたが、部下を連れて馬に乗って走り去った。エフネートたちがいる方向へ。
「逃がすな。捕まえろ!」
フェールの声に、近衛隊から数名が後を追っていった。
フェールは細心の注意を払いながらアンジェリンの体を抱き上げた。
「アン、目を覚ましてくれ。私を置いて逝くな」
返事はなかった。雨に濡れた体はずしりと重く冷たかった。息はわずかにしているようだが。
「私と結婚すると言ってくれたではないか。ウィレムと三人で幸せになる未来を選んだはずだろう? 約束を反故にするつもりか。アン……どうしてこうなるのだ」
雨に涙が混じり、フェールの頬を濡らしていた。
やがて馬車が運ばれてくると、フェールはその中にそっとアンジェリンを座らせた。
馬車の中は狭く、横になった状態では乗せられない。泣いているウィレムも馬車に乗せようとしていたとき、近衛兵が走ってきた。
「陛下、襲撃です! 敵はザンガクム女王親衛隊と名乗っており──」




