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76.すれ違うふたり

 アンジェリンが涙を流しながら出した言葉。それは、フェールにとっては落雷に当たったような衝撃だった。

 フェールは思わずアンジェリンの腕をつかんでいた。

「よく聞こえなかった。もう一度言え」

「ウィレムは、陛下の……お子ではないのです……」

「嘘を言うな!」

「どうか……っ……見逃してくださいませ」

「母が出産に立ち会ったと言っていたぞ。孫ができたと喜んでいたが?」

「……申し訳ありません……っ」

 アンジェリンはその場に泣き崩れた。

 フェールが部屋の奥を見ると、ウィレムを抱いたターニャが、心配そうに様子をうかがっている。まだ言葉も話せぬ幼な子は、何が起こっているのかわからないようで、声を上げて泣く母親を見て自分まで泣きそうな顔になっていた。


「では、その子は誰の子だ」

 フェールは沸騰した感情を精一杯押さえて言った。

 アンジェリンはしゃがみこんで泣きながら首を横に何度も振るだけで、それ以上何も言ってくれない。

「はっきり教えろ! おまえを孕ませた男は誰なのだ。ささやき亭の亭主か? それとも牢にいるうちに誰かに襲われたのか?」

「………っ……お許しください。私のことも、その子のこともお忘れください」

「おまえに触れた男などこの世からひとり残らず消してやる。どんなやつだ。私は絶対にそやつを──」

 フェールは自分が言っていることのひどさに気が付き、途中で口を止めた。アンジェリンは両手で顔を覆い、声をあげて泣き続けている。

 こんな脅すような言い方では失敗だったと気が付き、語気を弱めてやさしく訊いた。

「アン、大声を出して悪かった。時間がないのだ。ささやき亭で私と別れてから何があったのか簡潔に説明してほしい」

「……っ……陛下に説明するようなことは何も……お願いでございます。その子を連れて行かないでください。私の……大切な子です」


 みかねたロイエンニが間に入った。

「陛下、今日は急なお越しで、娘の方もびっくりしているようでございます。今日はお時間もないようですので、お話は後日また、ということでいかがでしょうか。無礼な娘で申し訳ありません。娘のことは後ほどしっかりと叱っておきますから」

 アンジェリンはうずくまって泣き続けている。それを守るようにロイエンニは娘の横に立った。彼の顔は、完全に養父を超えた父親の顔であり、娘を無理に連れて行くことは許さない、とでも言っているように厳しかった。


 フェールはロイエンニに対しても、どう接したらよいのかがわからなくなった。恋い焦がれた恋人との心躍る再会。死んだと思い込まされ、ずっと悲しみを引きずってきた。彼女が生きているとわかり、喜びに満たされ、ロイエンニを父と呼べる日が来ると信じてここへ来た。きちんと妻に迎えるつもりだったのに、花嫁となるアンジェリン本人がこれでは話にならないではないか。

 ロイエンニは一歩も動かない。アンジェリンは泣き続け、ターニャに抱かれた幼子も、異様な雰囲気につられてぐずり始めた。

「もうよい、そなたらの言う通り、今すぐ帰ってやる」

 フェールはアンジェリンたちに踵を返し、急ぎ足で玄関へ向かい、言葉通りすぐに出発した。




 フェールが去った後も、アンジェリンはずっと床にうずくまっていた。ウィレムはやがて大泣きになってしまい、アンジェリンはようやく立ち上がってターニャの腕からウィレムを抱き取った。ターニャもほくろだらけの顔を真っ赤にして泣いている。

「お嬢様ぁ……ウィレム様を抱いてもらえないなんて、あんまりですよ。どう見ても陛下のお子なのに」 

「でも、ターニャ、あの人にこの子を抱かせてしまったら、もっと突き放せなくなってしまうところだったから」

「いくら女官の人に言われたからって、お嬢様がどうしてこんな悲しい思いをしないといけないんですか。陛下だって、ものすごく傷ついておられましたよね? お二人はまだ惹かれあっているってのに……ひどい話ですよ」

 泣きながら怒るターニャをなだめ、アンジェリンはようやく涙を収めた。

「ねえ、お父様、私、間違っていないわよね? これで陛下は私のことなんか忘れて、王妃にふさわしい方と結婚なさって、たくさんの人に守られて幸せに生きていってくださるでしょう?」

 ロイエンニは無言でやさしくアンジェリンの肩に触れた。『王の新恋人のティアヌ』が殺害されたことは、都会から離れたこの家では、まだ誰も知らなかった。


「私……泣かない別れなんて、そんなの最初から無理だった」

 アンジェリンはぐずるウィレムの頬と、自分の頬を合わせ、ぎゅっと抱きしめた。

「おまえはよくがんばった」

 父にねぎらわれると、アンジェリンは止めかけていた涙がまたあふれてきた。つい先ほどのことは呪いのように頭の中に染み付いてしまった。


『……陛下の御子ではありません』

 ときめく心を抑え込んで必死で吐き出した言葉で、想像通りフェールの顔はゆがんだ。

 どれほど彼を傷つけてしまったのか。自分の言葉が剣になり、彼の心を切り裂いてしまった。

 自分が泣くことなどなかった。泣いて見せてはいけなかった。いやしい自分が彼の横に立つことは無理だと、恋人になった時からすでにわかっていたこと。それだけでなく、女装したザース王子から言われたことは当たり前のこと。『王を守るための後ろ盾』は必要。自分は絶対に王妃にならないのだから、王を冷たく追い返すだけでよかった。

 ――なのに。

 フェールの顔を見たら、涙が止まらず、部屋を出られなくなってしまった。彼の顔を見たとたん、心臓がつかまれてしまった感じがした、。

 ――私はやっぱりあの人が好き。あの人が大好き。こんなところまで来てくれたあの人のひたむきさが好き。でも、傷つけたのは私。

 王妃になるならないに関係なく、ただ子どもの父親として、ディンにこの子を抱いてもらいたい気持ちはあった。彼の方だってきっと、自分の子を抱きたいと思っていたに違いないのに。

 彼はきっと怒りと絶望を抱えて帰って行ったことだろう。ここへ来ることは二度とない。

 今度こそ、本当にさようなら。

 ウィレムの顔を見ると、心が癒されるどころか、余計に泣けてくる。大人の都合で、この子から父親を奪ってしまった。

 この子が本当の父親に抱かれることはおそらく一生ないだろう。


「ウィレム、許して。私ではあの人を守れない。あの人はとても危ういことばかりやってしまう人なのよ。今日だって、こんな山奥までやって来て……。だから、私なんかよりもあの人を守れる力を持つ家のお嬢様があの人の奥様にならないといけない。そうでないとあの人はいつか命を失ってしまう」

 フェールは子と触れ合うことなく帰ってしまった。ウィレムは王室とは関係ない子。それでよかったに決まっている。フェールの命はひとつしかないのだから。

 ――それでも私はあの人が好きだった。会えてうれしかった。もう会えない。会ってはいけない。

 



 フェールは暗い気持ちで帰路についた。泣き続けていたアンジェリンは見送りに出てくることすらなかった。

 ──まさか、アンが裏切ったとは。いや、そうではないのか。きっと無理やり誰かに……なんてことだ。やはり、ひとりきりであの宿に置いていっていけなかった。もう取り返しがつかない。アンは知らない誰かの子を。

 こみ上げる怒りと悲しみが波のように交互に襲ってくる。想像するだけで拳が震える。いったい誰が彼女を。どんな男だ、宝に手を出したやつは。ささやき亭の亭主か。あるいは行きずりの誰かに襲われたか。

 彼女は穢れた。ディンとアンと呼び合ったあのころには二度と戻れない。

 ――いや、しかし、あの子の目は緑と琥珀だった。

 アンジェリンとフェール、両方の目の色と同じ。子の顔立ちもどことなく自分に似ていると思った。

 ──あの子が誰か他の男の子供だと思い込んでしまうのは愚かではないのか。それとも、アンジェリン本人にも誰の子かわからない、ということなのだろうか。複数の男に襲われるようなひどい目に遭ってしまったのだとしたら、それは間違いなく置き去りにした私のせいだ。

 考えれば考えるほど結論に至ることはなく、心が迷宮の奥深くに入り込んでいく。自分の子だと思うならば、彼女がどう言おうと、広い心でアンジェリンの間違いを許してでも迎えるべきだろう。そもそも、彼女をひとりにして宿に置き去りにしておいたくせに、彼女を攻めることはおかしい。彼女を愛しているならば、どんな彼女でも受け入れて……とそこまで考えて、はっと気がついた。

 ――ちょっと待て。よく考えるのだ。彼女は本当に穢れたのか? もしかして何か事情があるのでは?


 フェールは城に戻るなり、母親の部屋を訊ねた。

「母上! 母上はおられるか」

 マナリエナは白花館の正面玄関の花の手入れをしていたが、息子のあまりの剣幕に、驚いて顔を上げた。

「いったい何ごとですか。騒々しいこと」

 フェールは人目もはばからず、怒りをぶつけた。

「母上は私に嘘をついたのですね。アンジェリンの子は私の子ではないらしい」

「えっ!?」

 マナリエナは数回瞬きしたが、すぐにいつもの無表情な王太后に戻った。

「その話は中で、わたくしの部屋でしましょう」

 フェールの背後には侍従や兵が何人も付いている。フェールも人のいるところでうっかりアンジェリンの名を出してしまった自分の対応のまずさに気が付き、すぐに口を閉ざした。


 白花館の中に入り人払いを済ませると、フェールとマナリエナは、応接室のテーブルに付き、向い合って腰かけた。

 フェールは今朝アンジェリンに会いに行った時の様子を簡単に話した。


「アンジェリンがそなたにはそう言ったのですか? 彼女は出産直後に、わたくしにはフェールの子だと言いましたよ」

「だが、アンジェリンが違うと。今朝一番で会いに行ったのに、私は子を抱くことも許されないまま追い払われた。このような仕打ちを受けるなら、無理をしてまで会いに行かなければよかった」

 マナリエナは呆れた顔になった。

「それで、すごすごと引き下がって帰ってきたというわけですか。昨夜はあれほど舞い上がっていたのに、一日でこのありさまとは……なさけない。彼女にいったい何を言ったのです?」

「子をきちんと迎えたいと言っただけで……ああ、どうにも納得できない」

「言ったのはそれだけですか? 他には」

「他のことを話している時間もなく、彼女が泣いて部屋にこもってしまった。この私が、あのような扱いをされるとは」


 マナリエナは少し考えていた。

「わたくしにも、彼女がどうしてそういうことを言ったのかわかりませんけれど、もしかすると、彼女には今、結婚を考えているお相手がいるのかもしれませんね。そのお相手の子どもとしてウィレムを育てるつもりなら、こちらがどうがんばっても母子を連れてくることは無理でしょう。アンジェリンのことはあきらめなさい」

「彼女が誰かと結婚……。そうか、彼女は私よりもレクト・セシュマクを選んだのかもしれない。そもそも彼女の生存情報を持ってきたのはレクトだ。やつはアンジェリンを妻にすると私に堂々と宣言した」

「アンジェリンが心変わりしたのならば、また新しい女性を探せばよいだけです。王の妻になるなら、彼女よりも、後ろ盾になる人物が複数いる女性の方が好ましいに決まっています」

 フェールはキッと顔をあげた。

「その話はもう聞き飽きました。私の気持ちは最初からひとつ。後ろ盾がないアンジェリンを王妃にしたことで、私が王位を追われてしまう日が来たとしても、後悔はしない。母上がもっと早く彼女の生存情報を知らせてくれていたらこのような残念なことにはならなかった」


 不満を口にしたフェールに、マナリエナはきつい言葉を並べたてた。

「彼女のことをずっと黙っていたわたくしが間違っている、と言うのならば、謝罪しましょう。ですが、そなたが今朝やったことはもっと残念なことです。こういう行動をとるからそなたには何でもすぐに言えないのですよ。彼女の一言だけで逃げ帰って来るなんて」

「だから、それは追い払われてどうしようもなく」

 マナリエナはピシャリと言い放った。

「言い訳はやめなさい。対応が愚かすぎます。王ならばもう少し考えなさい。今回のそなたの急なサイニッスラ訪問は、母子の存在を世間に知らせて危険にさらしただけということがわからないのですか? わたくしは彼女に会いに行けば後にはひけなくなると忠告したはずですよ。どうせ警護も何もつけずに放置してきたのでしょう?」

「親子関係を否定されて何もできなかった。警護を置いてくる理由がない」

「正当な理由がないから、警護も付けないと言うのですか。それでは彼女を守ることはできません」

 フェールはうつむいて低いうなり声を上げた。

「どうすべきだったのだ。どうしようもない」

「自分が招いたことですよ。命を懸けて守るとか言っておきながら、何をやっているのですか」


 そのとき、廊下側の扉が叩かれ、フェールの秘書官が、扉越しに会議開始の時間が過ぎていることを告げた。

「わかった、今いく」

 室内から返事をしたフェールは、浮かない顔のまま白花館を出て行った。




 フェールの足音が遠ざかると、マナリエナはカーテンの影に声をかけた。

「出てきなさい、ユヒラマ。ずっとそこで聞いていましたね?」

 カーテンの影から女官ユヒラマことザース王子が姿を現した。もともと男性としては小柄なザースは、女装していても全く違和感がない。

「アンジェリンに何か吹き込んだのはそなたですね?」

 不快そうなマナリエナに臆することなく、ザースは涼しい顔で応えた。

「私は先手を打ったまでです。アンジェリンには兄上の安全のために子の父親のことを偽るようにと、忠言しておきました」

「わたくしがそなたに依頼したのは彼女たちの安全対策だけで、フェールの恋の妨害をするようにとは命じていません。そなたはフェールがアンジェリンを迎えることには、最初から反対でしたね。勝手に二人の結婚を妨害するとは、余計なことをしてくれたものです」

「王の妻には後ろ盾が必要だと、母上も先ほどおっしゃったではありませんか。私はその考えに同意しております」

「でもあれではフェールが壊れてしまいます。ティアヌが殺されてしまった今、フェールがアンジェリンを妃にすると言うならば、それでよいではありませんか」

「しかし兄上は孤立している。後ろ盾になってくれる貴族が親戚になった方が絶対にいい」

「そうではあるけれど、フェールには傍にいて心を支える者が必要です。このままフェールを放っておいてよいとは思えません。アンジェリンのことを本気であきらめさせたいのならば、代わりにザースは生きていると明かすべきでしょう。今夜にでも」

「そうしたいところですが、私が生きていると分かれば、兄上の『王を辞めたい病』が復活する気がする」

「ああ……そうかも」

「兄上は王になられても内面は全くお変わりない。目的のためなら矢のように即行動に移してしまわれる。どうしてあれほど直線的なのか。我が兄ながら歯がゆいお方だ」

「あの性格は生涯変わらないでしょうね。だから、亡き陛下もフェールを見るといつもイライラしておられて……」

 マナリエナはうつむき、長いため息をついた。


「とにかく、そなたがフェールとアンジェリンの関係を好ましく思わないことは理解できますが、わたくしたちが今やらなければならないのは、敵の排除であって、フェールの心を壊すことではありません。それだけは憶えておきなさい」

「はいはい、わかりましたよ、母上」

 ザースは苦笑いして退室していった。


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