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74.もたらされた情報

 ティアヌが亡くなって以来、フェールは言葉どおり身近に誰かを呼び寄せることはしなくなった。特に女性に対してはあからさまな拒絶反応を示し、王の部屋に出入りできるのは男性のみに限定された。侍女長のマリラや、ココルテーゼなどの王族専属の侍女たちすら王の私室に入ることを禁止された。


 ティアヌが亡くなってから二十日ほど経ったころ、フェールに個別の面会の申し込みがあった。フェールはよほどの案件以外は個別の面会はすべて断ってきたが、相手が元警備兵のレクト・セシュマクと知ると、王の私室での面会を特別に許可した。

 フェールがアンジェリンとシャムアに行っていたとき、レクト宛ての手紙にラングレ王への手紙を包んで送った。あれから二年の年月が流れているにもかかわらず、フェールはレクトと一度も話をしていない。フェールはこの機会にあのときの手紙はどうなったのかを訊こうと思った。


 王の部屋への入室を許されたレクトは、硬い表情で挨拶をすると、フェールに勧められるまま来賓接客用のテーブルについた。

 レクトは元警備兵だけあって、その体はフェールよりも大きい。テーブル越しでもわかるようなどっしりした体つき。茶色い髪をきちんと整えた姿は、警備兵の帽子をかぶって扉を守っていた時代とは違った印象だった。


 レクトに向かい合い、テーブルをはさんで座るフェールは、記憶を手繰り寄せた。

 ──この男……感じは少し変わったようだが、確かに私はよく知っている。昔、ときどき警備に立っていて……アンと中庭で親しくしていたのはこの者だ。だからアンはこの男を手紙の受取人に指定したのだったな。他に親しい者がいないということで。だが私は、この男に手紙を託すのは本当は嫌だった。

 フェールの中で、久しぶりに苦い嫉妬心が首をもたげた。レクトはそんなフェールの心には気が付かない様子で丁寧に礼の言葉を並べている。

「陛下には、警備兵時代も大変お世話になっただけでなく、我が屋敷の修繕費の件で便宜を図っていただき、感謝しております。おかげさまで、先日、屋敷の修復はようやく終了いたしました」

「住める状態になったのならばよかった。そなたが継いだ屋敷はザンガクムの敗残兵に襲われて大変なことになっていたと聞いた」

「ご記憶いただきありがとうございます。それでその屋敷に住んでいた親戚一家がほぼ全滅し、廃貴族だった自分が爵位と屋敷を継ぐことになった次第です。爵位継承の承認もしていただきありがとうございました」

 レクトは軽く頭を下げ、上目使いでフェールと目を合わせた。

「陛下。恐れ入りますが、少々言いにくい話がございます。人はらいをお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ」

 フェールもそのつもりだった。ラングレ王への手紙をレクトに送ったことはあまり人に知られたくない情報だ。


 控えていた侍従や兵士が出ていき、二人きりになると、レクトは急に態度を変え、今までの社交的な笑みを消し、フェールをつかむような目つきでじろりと見据えたまま何も言わなくなった。フェールが待っていても、レクトはいつまでも話そうとしない。仕方なくフェールの方から話を開いた。

「そなた、私に言いたことがあるのだろう? 遠慮はいらない。黙っていないで思うことを言ってみよ」

 レクトは覚悟を決めた様子でついに口を開いた。出てきた言葉は、フェールが想像もしないものだった。


「では、遠慮なく申し上げます。陛下、彼女をどうして捨てたのです?」


 フェールは眉を寄せた。今なぜティアヌの話をこの男が持ち出してくるのか。この男とティアヌは何らかの関係があったのだろうか。話が見えない。とりあえず、普通に返答してみる。

「ティアヌ・バイスラーを捨てたのは私ではない。彼女は連れ去られ、誰かに殺害されて遺棄されたのだ。残念ながら、実行犯はまだ捕まっていない」

「とぼけないでください。俺が……いや、失礼しました。自分が言っている『捨てた彼女』とはバイスラー書記官の令嬢のことではなくて、アンジェリン・ヴェーノのことですよ。陛下が手を出して、はらませて捨て置いている女性のことを言っているのです」

「なんだとっ!」

 大きく目を開いたフェールに、レクトは敵意たっぷりの視線を向け、一気に言葉を浴びせてきた。

「彼女のことは終わったことだとお考えなのですか? あなた様が彼女にした仕打ちはあまりにもひどい」

 フェールは必死で動揺を抑え、冷たい表情を作った。

 ──この男、アンが生きていて私の子を産んだ、と言いたいのか? そんなはずはないのだ。彼女は父上が処刑したのだから。


 フェールは心で大汗をかきつつ、正面からレクトとしっかりと視線を合わせた。

 これはレクトが仕掛けようとしているわなかもしれない。誰も信用してはならない。こういう情報ほど用心しなければいけないのだ。アンジェリンのことを持ち出せば、フェールがおかしくなることを知っている人物が、ここにレクトを差し向けた可能性がある。


「要するに、そなたは、私がアンジェリンに世話になったのに彼女を放置している、と言いたいのだな?」

「そうです。自分は一年ほど前にアンジェリンに会いました。その時、彼女は妊娠していました。その後会っていないので、子が無事に生まれたかどうか知りませんが」

 フェールは青ざめる自分の顔色を悟られないよう、無駄に唇に笑みを作った。

「アンジェリンは処刑された、と私には知らされている。私にとってはそれが真実だ。処刑された者が子を産むはずがなかろう」

「彼女に死刑の判決は確かにおりましたよ。自分は警備兵として戸口に立っていたので、その時の秘密裁判のすべてを見ていましたから」

「私は秘密裁判に関する記録書を探したが、見つからなかった。彼女は処刑されたと前王の口からきかされただけでそれ以上の情報は持っていない」

「そうですか……」レクトは少しだけ声の勢いを落とした。「何もご存じなかった、とおおせなのですね。王太后様が彼女に恩赦を出して彼女を牢獄から救ったのですが、それもご存じないのですか?」

「知らぬ」

 フェールは冷たくそう言ったものの、戸惑い、すっかり混乱していた。

 ──アンジェリンが生きている? 身ごもっていた? それをレクトは知っているのにどうして私が知らないのか。いや、母上は実はずっと知っていて隠していたのか。だめだ、こんな話を信じてはいけない。彼女が生きて子を産んだのならば、なんらかの連絡があってもいいはずだ。この男は嘘をついている。騙されてはいけない。


「知らぬものは知らぬとしか言いようがない」

「信じていただけなくても結構ですよ。でも本当に彼女は生きていますし、何事もなければ子も産まれているはずです。死んだと聞いたから放置しておいていい、ということでもないと思いますけどね」

「アンジェリンのことについては、私にも落ち度があったことは認めよう。自分の怪我や王位継承や戦争などで、彼女のことを自分で調べることも墓参りすることもできないまま日が過ぎていた。彼女を思い出すと取り乱してしまうため、彼女のことをできるだけ思い出さないように生きてきた」

「陛下の事情はそうだったのかもしれませんが、牢獄に彼女がいたとき、どんな状態だったか、想像したことがありましたか?」

 レクトの方は責めるような厳しい表情を崩さず続けた。

「あなた様が秘密のシャムア行きから帰還なさってからずっと、彼女は牢獄にいました。それも貴族用の牢ではなくて、よりにもよって東の牢ですよ。汚くて寒くて、毛布も一枚しかないような場所で、彼女はすっかり弱っていて、寝台から出ることもおっくうな様子でした。怪我もしていたようでしたし」

「東の牢だと!」

 フェールはとうとう動揺を隠すことができなくなってしまった。

 フェール自身もほんのひと時だけ入った牢屋。反乱軍から身を隠すためあの場所を選んだが。

 ──まさか、あの時、あの牢獄のどこかの部屋にアンがいた? 今、レクトは怪我と言った。彼女があのころ怪我をしていたことを知っている。この情報は信じていいのか? 彼女は生きているのか?

 

 フェールは少し身を乗り出して質問した。

「そなたが今言ったことは本当なのか?」

「真実ですよ。どうして私はわざわざ陛下に嘘を言いにくる必要があるのですか」

「疑ってすまぬ。その時のアンジェリンの怪我の状態はどうだったか」

「自分は実際の怪我は見ておりませんのでわかりませんけど、彼女、牢獄にいたときは本当にやつれていて震えていたんです。熱もあったようでしたので、自分が毛布と医術師を手配しました」

「彼女が生きている……私は本当に知らなかったのだ。男として最低だとそなたが言うならば、その通りだ。言い訳はすまい。彼女が生きていたと知っていたならば、私はとっくに彼女を妃に迎えていた。彼女が生きているのならば、今からでも遅くはない。すぐにでも彼女を妃に迎える準備をしよう」

 レクトはあきれたような笑い顔を作って両手を軽く開いて見せた。完全に人を馬鹿にしている態度で、それは臣下としてのふるまいを大きく逸脱する行為だった。

「陛下、正気でいらっしゃいますか? アンジェが生きていると知ったから妃にって……よくもそのようなことが言えるものですね。あんな牢獄に彼女が入ることになったのも、あなた様のせいじゃないですか。しかも、あなた様は戦争が終わったらティアヌ・バイスラーに手を出して、アンジェの消息を確かめることすらしなかった。そんなあなた様に彼女を渡すなんてできませんよ。アンジェを妻にするのは俺です」


 フェールの中でがまんの糸がぷつんと切れた。理性も立場もかなぐり捨てた。アンジェリンの生存情報が嘘かもしれないという考えもどこかへ行ってしまった。

 つい、声が大きくなった。

「黙れ! ティアヌとのことは恋愛でもなんでない。私が今も愛しているのはアンジェリン・ヴェーノただひとりだけだ。アンジェリンは私の物だ」

「いまさらですよ。アンジェはひとりで子を産んで育てていくつもりみたいですけどね、俺は彼女と結婚するつもりです。彼女が産んだ子は、自分が引き取ってセシュマク家の跡継ぎとして立派に育てます。もちろん、お子の父親が誰であるかは一生誰にも言いませんよ。俺はアンジェと結婚してお子の父親になります。今日面会を望んだのは、それを言うためでした」


 フェールは反論しようとしたが、すぐにできなかった。驚きと喜びと、苦い後悔が入り混じる。目の前で自分をにらみつけているレクトには感謝の言葉を言うべきだったが、それもできなかった。激しく心臓が打つ。急にかいた汗で、首や背中が冷たい。


「……どこに彼女はいるのだ」

「サイニッスラ高原の家、彼女が育った地です。今もそこにいるかどうかは知りませんけどね。一年前、自分はその家で彼女に会って求婚しましたけど、そのときにはまだ彼女の心にはあなた様がいて、断られましたよ。でも自分はあきらめません。貴族特権を使えば、女性の同意なしでも好みの女性を妻にすることができますから」

「……そんなことは……許さぬ……」

 レクトは一歩も譲らないと言いたそうな顔で、見下ろすようにフェールを凝視している。

「どうしてですか? あなた様は彼女を放置したんだ。だから俺が彼女を幸せにする。そのどこに問題があります?」

「それは……彼女の気持ちを確かめてからに……強引な結婚は認めない」

「彼女がいいなら問題ないですよね? 俺は陛下より絶対に彼女を幸せにできます。話はそれだけです。本日はお時間を頂き、ありがとうございました」

 レクトは自分から話を打ち切ると、打ちのめされているフェールにさっさと背を向け、部屋から出て行ってしまった。




 王の部屋を後にしたレクトは、深いため息をついた。

「これでたぶん……損な役だ」

 思わず口から不満が漏れる。

 フェールには少しだけ嘘を言った。アンジェリンが男の子を産んだことは、レクトから送った手紙の返信から知っていた。屋敷に迎えようと思ったが、子を産んだ今も、彼女の心は変わりない。

 ──アンジェ、これでよかったかな。俺はやっぱり君が好きだ。君のために陛下をあおってみたよ。君が王妃になるのは嫌だけれど、いつまでも陛下を思い続ける君を放ってはおけない。これでも陛下が動かないなら、そのときは俺が君を迎えに行くから。


 レクトはアンジェリンと会った頃のことを思い出していた。

 アンジェリンとは城勤めの同期として知り合った。十数人いた同期の中では、目立つココルテーゼが男性たちの間で話題になっており、レクトもアンジェリンの存在など頭になかったが。

 ある日、ボソッと彼女がつぶやいていたくだらない駄洒落に思わず足を止めた。

『庭の【木】が【病気】にならないか【気】になるわ』

 物陰から聞こえた声に、他に誰かいたのかと思っても、その場にはアンジェリンだけしかいなかった。

『今の駄洒落? 君が?』

 確かめようとレクトが声をかけると、真っ赤になってうつむいたアンジェリン。正直、かわいいと心から思った。それ以来、顔を見ると駄洒落を言い合う仲になり、気が付けばそれ以上を望む自分がいた。


「それにしても……」

 レクトは声を出さないよう口を押えながら笑った。

 ──陛下、怖い顔してたなあ。あの人もやっぱりアンジェのことが好きなんだ。ちょっぴりおもしろかったけどさ……俺は王子が生まれたって言いたくなかった。それはそのうちにわかるだろうし。

 必死で平静を保とうとしていたフェールの顔を思い出しながら、レクトは城を去った。




 一方、残されたフェールの方は、レクトが出ていった扉の方をぼんやりと見つめ、しばらく放心状態に陥っていた。彼に託したラングレ王の手紙の話をし忘れたことを思い出したが、今はもうそれはどうでもよいことになった。

 ──アンは生きているのか? 子を宿していたのか? だとしたら、子は産まれたのか?


「もやもやと考えていても何も始まらぬ。母上に確かめればすっきりするではないか」

 フェールは小走りで部屋を出た。

「陛下、どちらへ?」

 警備兵が追い縋って訊ねる。

「白花館だ。王太后に訊くべきことがある」

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