73.白花舞い散る
「えっ? ティアヌが?」
フェールは、マナリエナの顔を凝視すると、うつむいている母親は暗く疲れた顔をしていた。
「なぜ? どういうことです?」
マナリエナは言いたくなさそうで、その目は遠くへ行っていた。
「母上! きちんと教えてください」
「……」
「ティアヌが亡くなったのですか? いったい何があったというのですか。母上!」
マナリエナはしぶしぶ話し始めた。
「ティアヌは、深夜に何者かによって屋敷から連れ去られたらしいのですが、屋敷から遠く離れた街道沿いに捨てられていたそうですよ。なんでも、目隠しや口覆いをされた上、手足を頑丈に縛られていて、首が折れていたとか」
フェールは自分の頬がひきつるのがわかった。
「首が……折れていた……」
「バイスラー家に身代金を要求する手紙が投げ込まれていたそうですが、犯人が指定してきた身代金を渡す場所には誰も現れなかったということです」
「……誰が彼女を」
「手を下した者は不明ですが、遺体を雑に捨てたことから、お金目的の誘拐とは思えません。遺体を隠しておけば、お金はだまし取れるはずです。そなたに目をかけられた彼女は、王妃候補として最も有力な女性だったということを考えれば、おそらくは暗殺目的の連れ去りでしょう」
フェールはしばらくの間、言葉を失っていた。だれが、ほんとうに、どうして、といういくつもの思いが交錯し、眩暈を覚える。
フェールは拳を自分の太ももに叩きつけた。
「ティアヌは私とかかわったために殺されたのか。これではアンジェリンの時と同じだ。私が気にかけた女性がみんな死ぬのならば、私は妃はいらない。一生誰とも結婚しないと明日にでも公言してもいい」
「冷静になりなさい。声が大きいですよ」
「これで平静でいられるならそれは頭がおかしい人間だ。最愛のアンジェリンは処刑され、ザースも父上も殺された。シドも戦死。その上、少しばかり一緒に星を見ていただけのティアヌまでむごたらしく殺されたと? 私の周りにいる者たちは皆、次々死ぬ。もうたくさんだ! 話は終わりですね? 失礼します」
フェールは立ち上がって戸口へ向かって歩き出した。
「フェール! まだ話があります」
フェールは母親の方を振り返らず、背を向けたまま冷たく返した。
「何の話か知りませんが、どうせ良い話ではないですよね? 私はこれ以上母上のお話は聞きたくありません。ご安心ください。王としての仕事はきちんとやりますが、これからは自分から女性に声をかけることは絶対にしませんよ。誰とも踊りませんし、友達を新しく作ろうとも思いません。それでよろしいでしょう?」
「わたくしはそなたがそういう態度をとることを望んでいるわけではないのです。卑屈になる必要はありません。わたくしはそなたに話さないといけないことがあって──」
フェールはマナリエナの言葉を遮った。
「私は妃を迎えることなく生涯を過ごすことにします。べつに、私に子がなくても、この国は滅びない。王太子はヘロンガル家のヴァリーに決めてしまってもいいですよ。ヘロンガル家はいろいろと問題ありですが、それでも私のために死人が増えない方がいいに決まっている。どうせヘロンガル家には誰も手を出せない。言いなりになっておくほうが利口です。母上だってそうやって生き延びてこられたのでしょう? 今もヘロンガル家を断罪することもなく。私も、王になっても、エフネート叔父上を新職に移動させるだけで精一杯で何もできませんし」
「待って、待ちなさい、フェール。わたくしが言いたいのはヘロンガル家のことではなくて、そなたにとってとてもとても大切な話で」
「母上はよく平気でいられますね。次は母上が殺されるかもしれないのに。私の母だという理由で」
「話を聞きなさい、フェール」
「私は聞きたくないと言いました。要件は侍従にでも伝えてもらえればそれでいいですから。アンジェリンの墓の位置がわかっているなら、地図にしるしをつけて私の元に届けてください。暇を作って墓参りに行きます。母上は墓には同行しなくて結構です」
フェールは、退室を止めようとするマナリエナの声を無視し、さっさと白花館を出た。
フェールが出ていき、部屋に残されたマナリエナは険しい顔でため息をついた。
「せっかくアンジェリンと子どものことを話そうと思ったのに」
マナリエナが、フェールの新しい恋のうわさを聞いたのは、戦後処理がようやく落ち着き、そろそろアンジェリンの生存情報を告げようと思っていたころだった。フェールが書記官の娘を妃にするなら、アンジェリンのことは黙っていた方がいいと思ってしまったのは間違いだったのかもしれない。
「アンジェリンへの想いがあんなに強かったなんて……ジャネリアの魂が怒ったのかしら。二人を引き裂くなと」
マナリエナは再びため息をついた。
アンジェリン親子のことは、跡継ぎ問題も絡むため、王家にとっては重大事項。侍従を通して書面だけで伝えるような軽い内容ではない。
「ああ、困りましたわ。アンジェリンのことがまた先延ばしに」
マナリエナは軽く頭を横に振った。
壁際に隠れるように立っていたユヒラマことザース王子が、マナリエナの傍に来て、なぐさめるように彼女の肩にそっと触れた。
「兄上はティアヌのことを知ったばかりですし、もう少しそっとしておいたらいかがでしょうか。兄上だって、先ほどみたいに激怒していても、王国の安定には王妃が必要だとわかっているはずですから、妃探しはまた新しく始まるでしょう」
「では、アンジェリンのことはどうしましょうか」
「王妃になる人物にはできれば後ろ盾が欲しいです。もう少し日が過ぎるのを待ちましょう。それでも兄上がかたくなに誰も選ばないならば、アンジェリン親子に会わせればいいだけです」
「かわいいさかりの息子がいることも知らないなんて、フェールが不憫で……」
「それは仕方がありませんよ。息子がいると知らない方がかえって幸せかもしれません。ウィレムには、数年以内に宰相家の養子になってもらおうかと私は考えています。そうすればウィレムはエンテグアで暮らすようになりますから、母上はもう少し頻繁に会うことができるようになりますよね」
「でも、それではアンジェリンがかわいそう」
「アンジェリンはちゃんとわかっています。喜んでウィレムを養子に差し出すことでしょう」
一方、自分の寝室に戻ったフェールは、うつぶせになって枕の隅を握りしめた。
ティアヌを愛していた、とは思わない。恋とは違う感情だった。少なくとも、アンジェリンに対して抱いていた激流のような熱い思いはなかった。
強い敗北感が頭痛をさそう。口の中が急激に乾いて吐きそうな感覚に身を起こし、寝台に腰掛けた。
「信じられない」
アンジェリンの死を知ったときのように涙は出ないが、もやもやした感情が胸から出て行かない。屋敷から連れ去られ、縛られて首が折れていた遺体……いったいどんな目に遭ったというのか。
「叔父上のしわざか……それとも……」
フェールはゆっくりと顔をあげた。こうしてあれこれ考えていても何も変わらない。
「とにかく、今はティアヌを送るときだ」
今夜、おそらくバイスラー宅では葬送の準備がなされていると思われる。交流があったからといって、国王が、臣下の娘の葬儀、それも親戚でも学友でもなく婚約もしていない異性の葬儀に出ることは常識はずれの行為だと自覚している。臣下の身内が亡くなったぐらいで王が城を出て弔問に行くことは、普通はない。
「誰かおらぬか」
ココルテーゼが現れると、フェールは白い花束と葬儀用の礼服をすぐに用意するよう命じた。
「今からバイスラー宅に弔問に出向かれるのですか?」
ココルテーゼの口から出たバイスラーの名に、フェールは、城内にティアヌ死亡の情報がすでに流れていることを知った。
「いや、弔問はしない。それは立場上できぬ。だから今から城の塔の上からティアヌを見送る」
黒い礼服を持ってきたココルテーゼの顔はどこか笑っているように見えた。フェールは不快感を隠し、礼服に手を通した。
──この女がティアヌを殺したのかもしれぬ。証拠が出たらすぐに処刑してやるのに。だがこの女は叔父上とつながっている。慎重に事を運ばないと自分が危なくなる。
「陛下」
着替えを手伝うココルテーゼの手が止まった。
「なんだ」
「私でよろしければ、いつでも陛下のお相手になります。ティアヌ様の身代わりでかまいませんから好きにしてください」
ココルテーゼは自信満々で大きな胸を突き出し、愛想笑いを浮かべた。
「いらぬ。そなたに星語りが務まるわけがない」
ぴしゃり、と言い放つと、ココルテーゼは泣きそうな顔をしたが、フェールは気にしないふりをした。
ほどなく黒一色に着替えたフェールは、急きょ用意された花束が届くと、不満そうなココルテーゼを下がらせ、警備兵数名を連れて見張り塔へ向かった。
らせん階段を静かに登っていく。少し息が切れてきて、足を止めた。
それでも、今日はティアヌの手を引いていないから、登るのは楽だ。――と思った途端、急にさみしさがこみ上げ、王らしく顔を上げていることがつらくなってきた。ティアヌは殺された。星空のことを教えてくれた師は、突然星になってしまった。何が問題だったのだろうか。こうして星を見るためだけに会っていただけだったのに。
唇をかんで一段一段登って行く。
――みな、私を置いて逝ってしまう。
今日は曇っており、星は数個しか確認できなかった。見張り塔の上にいた数名の兵たちは、事情を知っているらしく、礼服姿のフェールを見ても驚いた顔はせず、静かに深く頭を下げた。
「皆、ここへ並び、たいまつを掲げよ。すでに知っている者もいると思うが、ティアヌ・バイスラーが殺された。ここは彼女が大好きな場所だった。我々は立場上葬儀に行くことはできぬから、ここにいる皆で彼女を見送るのだ」
兵たちが持つたいまつが、普段の数よりもたくさん灯され、狭い見張り塔の上は明るく照らされた。
フェールは花束を頭上に掲げた。
「星語りの師であり、そしてよき友であったティアヌ・バイスラーにこの花を捧ぐ。我々は、そなたと共にここで過ごした有意義な時間を決して忘れはしない。感謝のしるしだ。ティアヌよ、受け取るがよい」
兵たちが見守る中、フェールの手で花束は空へ向かって投げられ、そして、白く細かい花びらを散らせながら塔の下へ落ちて行った。
「さらばだ、ティアヌ」
フェールは、一瞬だけ空を見上げたあと、すぐに階段を降り始めた。ここに長くいても空しいだけだ。彼女がいつも持ってくる巨大な望遠鏡も今日はない。
――もう誰も愛さない。友人も恋人も、家族もいらない。星空など二度と見上げはしない。




