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70.王の新恋人

 フェールの私室の客間に通されたバイスラー書記官は、申し訳なさそうに深く頭を下げた。

「遅がけに申し訳ございません。無礼なこととは承知しておりましたが、娘がバルコニーでのことをどうしてもお詫びしたいと、泣きやまないので連れてまいりました」

 バイスラー書記官の後ろにいる娘のティアヌは、目も鼻も真っ赤だった。

「陛下、私っ、本当に申し訳ありませんでした」

 ティアヌは、床に頭が付きそうなほど腰を折って頭を下げた。

 フェールはため息をつきたくなる気持ちをこらえ、できるだけやさしく声をかけた。

「私はそなたに謝ってもらわなければいけないようなことをされた覚えはないが?」

「私がっ……」

 ティアヌはまた泣き出してしまった。

 うんざりしたフェールは、侍従に温かい飲み物を用意するよう命じた。



 飲み物で少し落ち着いたティアヌはようやく涙を止めてくれた。

「本当に、私、何も考えず、心無いことを申し上げて」

「何のことだ」

「あのっ、星のことで……陛下は大切な方を何人も亡くされたばかりでしたのに、私は無神経に、魂が星になって輝いていることがすばらしいなんて言ってしまいました。多くの死者を送った陛下の深い悲しみのことを、少しも考えていなかったのです」

「はっ、なんだ、そのようなことか。気にせずともよい」

「私、陛下が一緒に星空を見あげてくださったことが、うれしくてたまらなかったのです。でも、陛下が突然手を離してしまわれて、お怒りだったのだと気が付いて……すみません、すみません」

 父親の書記官も一緒に頭を下げる。

「娘は無礼にも、陛下の御心を考えない配慮のない物言いをしてしまいました。娘もこのとおり深く反省しております。どうか、お許しください」

 ティアヌは父親の横でぺこぺこと頭を下げながら、軽く震えている。

 その半泣きの顔がアンジェリンの泣き顔と重なった。

「もう泣かなくてもよい。私の方こそ、ダンスを途中でやめるとは、よく考えたら礼に欠いた行為だった。非礼のわびとして、今度、この城の見張り塔の上から星を眺めることを許可しよう。星がきれいな晩に使いを出すから、その時は共に星を眺めようではないか」

 ティアヌは涙だらけの目をパッと大きく開いた。

「陛下! また一緒に星を見てくださるのですか? ありがとうございます!」


 フェールとの約束を取り付けることに成功した親子は、気が済んだようで、気持ちよく引き上げて行った。


 心身ともども疲れたフェールは、寝台にぐったりと沈んだ。

「まったく……バイスラー書記官もなかなかやってくれる」

 こんな時間に娘を連れてくるとは、妃売り込み戦略丸出し。ティアヌ本人からは結婚を望むような欲は全く見えなかったが。

 ──これはティアヌを妃に迎えろという星のお告げなのだろうか?

 ヘロンガル家のヴァリーを王太子にしたくないならば、できるだけ早く自分が妃を迎えて世継ぎを産んでもらうのが一番いい。ヴァリー以外の王太子候補はいないわけでもないが、血縁関係は遠くなり、どうしてヴァリーを選ばないのか、という理由が必要になる。

 ──ヘロンガル家とは関係のないティアヌを妃に……そんな選択もありかもしれないが、まだ今は……。アン、私はどうすべきか? 時が過ぎれば、この想いも色あせていくものなのだろうか。

 燭台の火を消し、真っ暗になった寝室で寝返りを打った。



 それから数日後、星がきれいな晴天の夜に、フェールは約束通りティアヌに連絡を入れ、彼女は許可書を持って王の私室へやってきた。今回は父親の付き添いはいない。

 フェールは自ら先に立って見張り塔の上へ案内した。


 見張り塔は城内で最も高い場所で、登るには長い急階段を上がって行かなければならない。フェールは、半分もいかないうちに、ティアヌが息切れして大汗をかいていることに気が付き、足を止めた。

「少し休むか。苦しそうだ」

「申し訳ありません」

 ティアヌは、はぁ、はぁ、と肩で息をしている。今日のティアヌは、ドレスを着ていたが、礼装のドレスではなく、ごく普段着とも思える飾りのない茶色く地味なドレスだった。胸元の布は首まで詰まり、女性らしさを強調しているわけでもなく、リボンや花飾りも付いていない。自分を必要以上に美しく見せてフェールを誘おうとする意図は感じられなかった。

 フェールは、ティアヌの息切れも気を惹こうとするための演技ではないと判断し、手を差し伸べてやった。おずおずと手を乗せてきたティアヌの手を引いて、再び階段を先ほどよりもゆっくりと上がった。


 数回休憩し、時間をかけて塔の頂上に着くと、ティアヌは疲れが吹き飛んだかのような歓声をあげた。

「わあぁ! どこを見ても空しかないなんて! 陛下、ありがとうございます」

「喜んでもらえたなら幸い。ここは遊び場ではないから、少しの時間だけしか許可しないが、星空を楽しむがいい」


 その夜は見事な星空が広がっていた。空のどの方向でも黒に白い点が散らばっている。そして下には星々に照らされた人の町があった。

 フェールは苦い気持ちで広大な景色を見回した。眼下に広がる城の黒い影、そして遠目に海。嫌でもよみがえる運命のあの日の記憶。当時、自分は負傷しており自由に動けず、ザースの葬列を見送るために巨漢のピツハナンデに抱きかかえられてこの場所にあがった。

 そして、川中の砦の開戦を告げる赤いのろしが確認され、ほぼ同時に、ザンガクムの船団が港へ押し寄せてきた。さらに、それに合わせるように城内の反乱が。

 あの時の喧騒は今でも耳に残っている。腹の傷跡は今でもうずく時がある。

 ──あれからもうすぐ二年……早いものだ。


 フェールが何も言わないティアヌの顔を横目で見ると、彼女は新しいおもちゃを手にした子供のように目を輝かせて空を見上げていた。フェールが横にいてもいなくても、関係なさそうなほど夢中になって星々に気をとられている。

 ――まだ子供だな。

 フェールは声を出して笑いそうになった。この娘は媚を売る気配どころか、フェールの視線に気が付きもしない。フェールの方から話しかけない限り、この娘はいつまでもこうして星を見ているのかもしれない。この娘を王妃にしようと、必死になっているのは父親だけらしい。


「そなたは星が死者の魂だという話を信じているのだったな」

 フェールが声をかけると、ティアヌは、正気に返ったように瞬きした。

「はい。実は、私は母を幼いころに亡くしていて、母は星になったのだと言い聞かされて育ちました。だから、星は死者の魂だと思いたくて、陛下のお気持ちを逆なでするようなことを言ってしまって……。先日は、本当に申し訳ありませんでした」

 ティアヌはペコリと頭を下げた。

「そうだったか。そなたが、星になった母に見守られていると思うならば、それは否定すまい。そう信じるならばそれでよいのだ。私もそなたの気持ちを考えておらず、そなたを傷つけてしまった」

「いいえ、私は傷ついていないです。大丈夫です」


 ──声はアンと全然違う。髪色も似た色ではない。ティアヌはアンよりももっと暗い色だな。ここだと暗くてよくわからないが、こげ茶か黒か……しかし、どこか似たところを感じるのは気のせいだろうか。アンもよく『大丈夫』と言っていた。アンの真の生家はニハウラック家らしいが、バイスラー家と親戚関係だったかもしれない。いや、もう今それを考えても仕方あるまい。


「そなたのように星を見上げて元気をもらうことは間違ってはいないのだ。ただ、星は悲しい」

「はい? 星が悲しいの……ですか?」

「私も大切に思っていた女性を失った。私は、本気で彼女を妻にと考えていたのだ。彼女に会いたいと今でも思う。何も言ってくれぬ星を見ていると、元気になるどころか、さみしさが込み上げてきてしまう。おかしいか?」

「いいえ、おかしくはないです。陛下はその方のことを大切に思っておられたのですね」

「もう終わった話だ。彼女は死んでしまったのだからな」

「その方は、陛下のことを今も星の輝きの中で見守っていらっしゃいますよ。そう信じることで私たちの心は救われるのです」

「そう言ってくれるか。ふっ、私はどうかしているらしい。知り合ったばかりのそなたに彼女の話をしてしまうとは」


 しばらく会話が途絶えた。それでも気まずい感じはしなかった。ティアヌはひたすら空を見上げている。フェールが思いを寄せていた女性の話をしたことも、まったく気にしない様子だった。


「気は済んだか?」

「はい! 最高の気分でございます」

 フェールは、ティアヌがうれしそうに笑ったのがわかった。薄暗い見張り台だが兵士が管理する松明の灯りはある。

 ――もしも、この子がここで駄洒落を出してきたりしたら……。今、この場で空に手を伸ばして【星】が【欲しい】と言ったならば、私は素直に大笑いしてしまうことだろう。


「陛下?」

 フェールは駄洒落を考えながら、なんとなくティアヌの顔を凝視していたことに気が付き、あわてて目を反らした。

「そなた……いや、何でもない。思えば、私はここに立つときはいつも下ばかり見ていて、空を見上げたことがなかった。そなたのおかげで、久しぶりに星をしっかり見ることができた」

「こんなすばらしい場所があるならば、たまには空を見ることも悪くないですよ。いつか、機会があれば、陛下に我が家にある望遠鏡をお貸ししたいです。あの望遠鏡を使えば、星はもっと大きくてきれいに見えるんです」

「そんなものを持っているのか。本格的だな」

「その望遠鏡は祖父の形見で、我が家の家宝でございます。とても古く、作った職人は技術を広めないまま亡くなってしまったらしくて、同じものはどこにも売っていません。あの望遠鏡を使えば、星を見ることがどれほど楽しいか、陛下もきっとご理解いただけると思います」

 ティアヌの明るい声も笑顔にもまったく嘘がなく、フェールは自然に顔をほころばせていた。この娘には男女のかけひきも愛想笑いも必要ないようだ。


「ここへ連れてきてくださり、本当に感謝しています。私、大満足です。今夜はうれしすぎて眠れそうにありません」

「ここがそんなに気に入ったならば、また招待しよう。今度はその望遠鏡とやらを持って来てもらおうか。ただし、この長い階段を登らなければいけないが」

 ティアヌは目を輝かせて笑顔を見せた。

「またお邪魔してもよろしいのですか! ありがとうございます! ご招待いただけるのならば、階段登り、がんばります」



 次の星見物の日は数日後にやってきた。

 ティアヌは約束通り、巨大な望遠鏡を持ってきた。バイスラー家の下男たちが運ぶそれは、ガラスの部分だけでも人の頭よりも大きかった。専用の三脚と共に塔の上まで運び上げられ、設置し終えると、ティアヌはフェールに覗くように勧めた。


 フェールは身をかがめて望遠鏡を覗いた。

「おお! これはすごい。星がとんでもなく大きい」

「お喜びいただけてうれしゅうございます。ご覧いただいている方向に、二つの明るい星が並んでいると思いますが、その斜め右下にも星の固まりがありまして……とてもきれいな光が見えませんか? その望遠鏡でないと見えないのです」

「本当だ、あのような暗い場所にも星がある」

「あの細かい星の固まりは、星の粉、と言われている部分ですが、粉ではなく、ひとつひとつが全部遠い星です。よく見ると、それぞれに色が違っていて名前があります」

「うむ、これはすばらしい眺めだ」


 フェールが星について訊ねると、ティアヌは何でもすらすら答えた。星を指差しては、名前、その星の名の由来やそれについての物語などを熱く語り続ける。フェールはティアヌの豊富な知識に感心しながら、彼女の説明に耳を傾けた。星空についてこれほど語ってくれる先生には今まで出会っていない。新鮮で、楽しいひと時に、フェールは久しぶりに王の冠をとって人と話をしている気がした。こういう勉強会ならば悪くない。



 書記官の娘ティアヌ・バイスラーが、夜に時々国王と二人で会っているとの情報が広まるのは早かった。人々は、王妃はティアヌ嬢にほぼ決まりで、近い未来に発表されるであろう婚約式の日程などをうわさし合った。



 その日もティアヌはフェールからの連絡を受け、城へやってきた。

 その日の王の部屋までの案内人は、ココルテーゼだった。

 ココルテーゼはティアヌを近くで見るなり、顔をしかめたくなった。

 ──色気のないドレスね。茶色一色なんて田舎臭くって華やかさの欠片もないじゃないの。髪の毛もただ後ろで結んだだけ? 王様に会うのにこの恰好って。遠くから見たときは、もう少しましかと思ったけど、これはひどいわ。こんなぱっとしない子が王妃さまですって? 冗談じゃないわよ。フェール様の隣に立つのは私の方がふさわしいわ。私の方が胸は大きいし、顔だってかわいいんだから。

 案内しながら、さりげなくさぐりを入れる。

「ティアヌ様は、陛下とご結婚なさるのですか?」

「父がそんなふうに言いふらしているみたいだけれど、私はまだそんな」

「では、陛下とのご結婚は考えておられないのですか?」

「ん……結婚と言われても、自分でもあまりそんな気がしなくて。私は陛下が星を見て喜んでくださればそれでいいと思っているから」

「そうですわよね。陛下とはお友達関係の方がよろしいかと思いますわ。王妃さまなんて大変ですし、なによりも、陛下にはお心に決めた方がいらっしゃいますから、王妃の座を射止めることは難しいかと存じます」

「陛下に忘れられない女性がいることは、陛下ご本人から聞いたので知っています。その女性はもう亡くなられたって」

「ティアヌ様。ここだけのお話。陛下が思いを寄せる女性……アンジェリン・ヴェーノって名で以前王族付きの侍女をしていた女性ですけど、本当は生きているんですよ。陛下は亡くなったと信じておられるみたいですけどね。今のお話は陛下には内緒です」

 ココルテーゼはティアヌの顔をじっと観察したが、彼女はこの話にはまったく関心がなさそうで、ぽかんとしているだけだった。ココルテーゼは心の中で笑いをかみころした。

 ──なにこの子。アンジェリンの生存情報に反応なし? この子と陛下がお二人で夜に密会なんて誰かが言うから、もっと深い仲になっているのかと思ったけどそうではなさそうね。陛下がこんな地味で鈍感な子どもをお妃に選ぶわけがないわ。これなら問題なし。陛下にアンジェリンを思い出させるだけで、ティアヌとの結婚は余裕で阻止できそう。それで陛下がアンジェリンを妃にと言い出したら、アンジェリンのいやしい出生情報を出せばいいだけ。どろぼうの娘が王妃さまなんて、誰も認めないわよ。


 ココルテーゼは、王の部屋へ入るティアヌを見送ると、侍女部屋に戻って鏡に自分の顔を映した。アンジェリンの髪色とよく似た色の髪をふわりと跳ね上げ、かわいく見える笑顔を作ってみる。

「絶対に私の方が王妃さまっぽいわ。陛下が私を見てくださるようにがんばらなきゃ。脱廃貴族!」


 ◇


 エンテグア近郊の民家。

 クレイア王女はマニストゥの報告に目を細めた。

「フェールに新しい恋人ができた? その報告を待っていましたのよ。やっとこれで復讐してやれる。マニストゥ、その女をさらってここへ連れてきなさい。どうやって痛めつけてやろうかしら。あの男の顔が苦痛にゆがむのが楽しみですわ」

 クレイアは明るい笑顔で、ふふん、と笑った。


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