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57.明かされた過去(2)

 アンジェリンの実の両親は、ヘロンガル家に虐殺された……マナリエナは悲しい目をしながら静かに語った。

「アンジェリンは、ニハウラック家の正統な血を引く唯一の生き残り。本当ならば、この白花館を建てたお金だって、彼女が継ぐはずだった財の一部でした」


 フェールは、肩をこわばらせたまま話を聞いていた。

 母親は淡々と告げる。

「彼女が幼いころ住んでいたサイニッスラの家は、火事の跡地。わたくしがニハウラック家の財の一部を使ってロイエンニに斡旋して格安で買い取らせた場所です。あの場所ならば、誰にも知られずにリーザ・ニハウラックを育てることができ、わたくしもジャネリアの墓参りを口実に、堂々と様子を見に行くことができますから。ロイエンニには無理をさせてしまいました。アンジェリンが学校へ入るまで十年もサイニッスラと城を往復して仕事をこなしてくれて」


 フェールは込み上げる思いを必死で抑え込んだ。自分の膝を強くつかんでいる手の中は汗でぬめっている。

 マナリエナは次々と驚きの真実を打ち明ける。


 少女ターニャおよびアンジェリンの身の安全を考え、火事の生き残りがいた、という事実を秘密にしてきたこと。

 関係者で話し合い、アンジェリンの両親はどろぼうで今も逃走中という設定で話を合わせると決めたこと。

 アンジェリンが十六になった時、王族付きの侍女としての城勤めを斡旋したのはマナリエナだったこと。


「名門ニハウラック家の娘がいつまでも田舎育ちで世間知らずのまま、というわけにはいきませんからね。貴族の娘としてのたしなみを学んでもらうつもりで城勤めを勧めました。悲劇から長い月日が経ち、アンジェリンは美しく成長し、目撃者の少女ターニャも今では三十代に。ターニャはロイエンニに引き取られて以来、ヴェーノ家の侍女として、ずっとアンジェリンに仕えています」

「母上は墓参りのたびに、アンジェリン、というか、リーザ・ニハウラックに会っていたのですか」

「ええ、でも彼女やロイエンニとは儀礼的なあいさつだけで個人的に特別な話はしていません。まさか、そなたが本気であの娘に恋をしてしまうなんて。そなたとアンジェリンが恋仲になったと聞いても、わたくしは、いつ彼女の真実を明かせばよいのかがわかりませんでした」


 マナリエナはうつむき、口を閉じた。

 長い沈黙が流れた。


「アンジェリンは処刑されてしまった。そんな話、今更です」

「そなたがそう思うなら、この話はなかったことにすればよいだけです。そなたがヘロンガル家を放置し、王家の闇を無視したまま生涯を終えるつもりならばそれもよいでしょう」

「聞いた以上、いつかはどうにかしないといけないと理解しましたが……ただ、もっと早く教えていただきたかった。アンジェリンが生きているうちに」

「もしも、もっと早く彼女の出自を明かし、彼女が財を継いでいれば、それは、火事の目撃者がいるとヘロンガル家に知らせることになります。彼女と関係者全員はあっという間にヘロンガル家に消されたことでしょうね。密かに調べさせたところ、ニハウラック家の使用人の家族や友人などが、事件の直後に次々と事故死や自殺で、不自然に世を去っていたことは判明しています。わたくしがヘロンガル家を告発できなかった理由はわかりますね? 相手が強すぎるのです」

「それは、母上も叔父上に殺されると……」

「ええ、そうですよ。ヘロンガル家が本気で裏から手を回せば、わたくしを消すことなど簡単。わたしくしを浮気者、あるいは謀反人ということに決めつけて、証拠まで提出し、陛下に処刑を決断させたでしょうね。陛下本人が悲劇を隠蔽したがっていたのですから」

「そうかもしれない……」

 フェールは汗まみれの手に力を込めた。

 母親は語気を強めた。

「ヘロンガル家は恐ろしい一族。だから、エフネートを重役につけることを絶対にしないでほしいのです。陛下を死に追いやったのもエフネートということを覚えておきなさい。あの男は、自分の私利私欲のためだけにこのようなばかげた戦争ごっこまでしたのですよ。シドが亡くなったのは、運命の神による制裁に決まっています」


 マナリエナは再び下を向いて目を閉じてしまった。

 フェールは母親の顔から様々な葛藤を感じ、それ以上何を言うべきかわからなくなった。ためていた息をゆっくり吐いてみる。心が重い。母親はいつもひきこもっていて、どこかおかしいのではないかとずっと思っていたが、そうではなかったということなのか。自分たちは非合法にひとつの一族を滅ぼし、素知らぬ顔でその財を手に入れて笑っていたことになる。この王家は、いつもヘロンガル家に見張られるような状態で生き延びてきたらしい。


「そなた、知っているかもしれませんが、常に監視されていますよ。ココルテーゼという名の侍女を知っていますね? 彼女はヘロンガル家の密偵です」

 フェールはココルテーゼの顔を思い浮かべた。小柄だがいつも大きな胸を突き出すように歩いていて、かわいらしい顔立ちに、ふわふわした髪をした若い侍女。頼みもしないのに積極的に駄洒落を言いに来るずうずうしさは好きにはなれないが、めげることのない強い女性だと認識していた。

「あの子が私の監視役?」

「あの娘の父親ツェドー・ホミジドはヘロンガル家の庶子。エフネートの異母兄です。ツェドーは、この城の事務所に勤めていて、書類偽装などをやっていると思われます」

 フェールは、そのツェドーという男のことは全く知らなかった。エフネートに異母兄がいることも初めて聞いた。

「気を付けるようにします」

 そう言うだけで精いっぱいだった。自分が知らなかったことがあまりにも多すぎた。自分は本当に能無し王子だったのだと、ひしひしと感じる。


「フェール、国王はそなたです。過去は取り戻せませんが、未来なら変えられます。今、ヘロンガル家は代替わりし、一族で最も権力のある男はエフネート。新王として最初に決める重役指名はヘロンガル家一色にしないよう、自分でよく練りなさい」

「しかし、現状としては、ヘロンガル家の関係者全員を役員から排除することは不可能です。数人を要職からはずすことはできるかもしれませんが」

「それならば、せめてエフネートを警務総官からはずしなさい。そうすることで、彼が犯罪の証拠を勝手に作り上げて罪なき人を拘束したり、そなたの不在の時に勝手に処刑する権限はなくなるはずですから」


 また沈黙が訪れた。無言の空間に、暖炉の火がはぜる音だけが、時が動いていることを伝えている。

 やがて、マナリエナはまた口を開いた。

「エフネートはさっさと帰還して、何食わぬ顔で暮らしているようですが、わたくしは、彼が、葬列から離脱して一時的に行方をくらましていたことは密かにつかんでいます。自分の家族だけうまく先に逃がして」

「叔父上がおひとりで帰って来られたことは間違いありませんが……」

「彼はザンガクムと通じていますよ。シャムアともつながっているかもしれません。ザースの遺体をどこかへ持ち去ってしまったのも彼だとわたくしは考えています。あの男は、ザースを殺して、遺体を取引材料にしたに決まっています。最低の男!」

「ザースの遺体は、葬儀の現場が混乱していたから誰かが避難させてくれたのだと思っていました」

「だったら、城が解放されたのに、なぜザースの遺体は戻ってこないのです? 火葬したとしても、骨壺すらありません」

 確かにそうだ。遺体は葬儀の混乱の中で持ち去られたままになっている。忙しすぎたフェールは、弟の遺体が不明になったことは重大事ではないと考えていた。そのうち誰かが運んでくる、ぐらいにしか思っていなかった。

「エフネートは、それだけではなく、城へ戻るなり、城内で拘束されていた反乱軍全員をそなたの許可も裁判もなしで勝手に処刑してしまったそうですね。自分が反乱軍を先導したくせに」

 フェールは叔父のさらなる恐ろしさを知り、身震いした。

「叔父上が死刑を執行したのは、父上が亡くなった上、私が動けなかったから仕方がない処置だったと思っておりました。反乱の先導者も叔父上だとおっしゃるのですか」

「廃貴族の数は多く、元貴族としての誇りが高く扱いにくい存在。ヘロンガル家一色の政治をめざす彼にとっては廃貴族など邪魔者以外の何者でもありません。あの男は、以前から、廃貴族を城内で使うことには強く反対していましたから、今回のことで邪魔者が都合よく減った……冷静に考えれば、これもヘロンガル家が得意とする粛清と考えることができます」

「それも叔父上の計算……」

「そう思っておいた方がよいでしょう。陛下をこんな姿にしたのはエフネート。彼はザースも自分の手を汚さずに殺しました。そして、邪魔な廃貴族たちを勝手に処刑。他の者から見たら、わたくしがヘロンガル家を陥れるために、新国王に余計なことを吹き込んでいるようにみえることでしょう。でもそなたに忠言できるのは、今はわたくしだけだから、わたくしの話をよく吟味してほしいのです」


 マナリエナの話は終わった。

 フェールはゆっくりと立ち上がった。まだ頭が混乱している。信じがたいことが裏で行われているようだ。

 ヘロンガル家が滅ぼしたアンジェリンの一族の話。

 そしてエフネートにかかる王殺しと城内反乱の先導疑惑。

 さらにザンガクムとの密通。

 ザースの遺体消失の謎。

 自分はココルテーゼに監視されているらしい。

 これらの話が本当ならば、この王国はヘロンガル家のいいように動かされ、根本から腐っているということになる。頭を冷やして考える必要があるが、即位式は明日。その後、新王として今後の方針を示し、数日以内に重要役職を正式に指名する作業が待っている。ザンガクムへの報復出兵の準備もあり、母親の話の真偽を検証する暇はない。しかし、母親の話がすべて嘘だとはどうしても思えない。


 マナリエナは、部屋を出ようと歩きだしたフェールに、ひと言付け加えた。

「それから、もうひとつ言っておきたいことがあります。すべてが落ち着くその日まで、アンジェリンのことは絶対に口にしてはいけませんよ。ココルテーゼがいない場所でも名を出すことは危険です。胸にしまっておきなさい。彼女の遺品や墓の場所を探させるような命令を出したりすることはもってのほか。彼女をよく知っていた兵たちと思い出話をしてもいけません」

 足を止めたフェールは苦い顔で笑った。

「母上のご心配にはおよびません。自分で彼女の墓を探そうにも、アンジェリンについての情報は完全に消去されていました。秘密裁判の記録すら見当たらず、彼女がいつどこで処刑され、どこに葬られ、最期に何を言ったのかすらわからなくしてありました。ロイエンニも城を追われた今、彼女について語れる者はいないのでご安心を」

「それでよいのです。今、彼女のことを誰かに話せば、必ずつけこまれます。これから国内でも国外でも戦うべき時に、弱味をさらけ出してはいけません」

 マナリエナは少し唇を曲げていじわるそうに笑った。「たとえば……もしも、アンジェリンがまだ生きているから会わせてやる、と誰かがそなたに連絡してきたとしたらどうでしょう。そなたはきっとがまんできずに付いて行ってしまいますよね? その先に暗殺者が待っているかもしれなくても」

 フェールは視線を落とした。母親の言うようなことは実際にありそうだ。罠だとわかっていても、彼女が生きているとの情報がもたらされたならば、すぐにでも会いに行ってみたいと思ってしまう。うめくような声でつぶやいた。

「王はつまらない。だからなりたくなかった」

「それが生まれ持った運命。特に、城内外とも敵だらけの今は耐えるとき。心が折れていても、決して愚痴はこぼさず、王として堂々と顔をあげていなさい」

 マナリエナは熱のこもった視線を息子に送った。フェールも見つめ返す。

「母上……わかりました。心しておきます」

「あっ、そうそう、うっかり忘れてしまうところでした。今日は渡したいものがあったのです」

 マナリエナは立ち上がって、棚の上に置いてあった首飾りをフェールに渡した。「これを返しておきます。そなたがシャムアから帰還した時に付けていた物です」

「これはっ!」

 フェールは無意識に唇を震わせていた。見覚えがある首飾り。鉄くずが入ったガラス玉の首飾りが手のひらの中で光る。これを身に着けて頬をほんのり染めて幸せそうに笑ってくれたアンジェリンの姿がよみがえった。

 フェールは目を細めて眺めた。間違いなくアンジェリンのもの。しかし、自分が帰還時にこれを身に着けていた記憶はない。

「私がアンジェリンに買ってやったものだ。どうせ、父上がアンジェリンを処刑する前に彼女の首から奪い取ったに違いない」

「いいえ、確かにそなたが帰還したときに身に着けていました。わたくしが、眠るそなたの首からはずしたのです。この首飾り、アンジェリンの裁判で話題になっていたから、そなたが短剣と一緒に彼女に買ってあげた物だとすぐにわかりました。おそらく、彼女がそなたの首につけかえたのでしょうね」

 フェールは、こみ上げるものを押し殺し、ガラス球の首飾りを自分の首から下げた。


「母上、ありがとうございました。これを心の守りにして戦います。明日、堂々と王位を受けつぎ、隣国や国内の問題に全力で取り組み、アンジェリンのことは忘れたふりをする。それでよろしいでしょう? すべてが片付いたら、その時は彼女の名誉を回復し、ヘロンガル家の問題も明らかにし、私と共にニハウラック家の墓に参って詫びると約束してください。とりあえず、今すぐでなくてよいので、アンジェリンが眠る墓の正確な場所を密かに調べておいていただけますか」

 マナリエナは頷き、まっすぐにフェールを見た。

「フェール……今もアンジェリンのことを愛していますか?」

「はい。忘れられるとは思っておりません。簡単に気持ちを捨てられるような安っぽく軽い想いではありませんでした。彼女は私の生涯の妻です」

 フェールは強く肯定した。アンジェリンを思い出すといつでも胸が熱くなり、涙がこぼれそうになる。我ながら女々しいと思っても、一度思い出してしまうと、気持ちがなかなか静まらない。

 マナリエナは、口元をわずかに緩めて、やわらかく微笑んだ。

「ならば、その気持ち、大事にしなさい。わたくしのように、連れ合いを愛する気持ちが持てなくなってしまったら、二度と修復できません」

 フェールは首に下げたガラス玉を握りしめながら母親の部屋を後にした。



 フェールが出て行くと、マナリエナは骨壺を再び膝にあげた。

「あなた……フェールはやっと心から大人になって、真の王太子になってくれました。あの子にとって命をかけた恋は無駄ではなかったのです。きっと立派に国王を勤めてくれることでしょう」

 マナリエナは暖炉の炎をぼんやりと眺めた。

「ねえ、あなた……あなたにも人としてのやさしい心があったと思ってよいのですよね? アンジェリンを助けてくださってありがとうございました。あなたは、あの娘が火事の生き残りだとわかっていたのですか? それとも、彼女のことを何も知らずに、フェールが手出しした侍女を哀れに思って、彼女を助けただけですか? 死刑を回避しておいて、そのあとは、彼女をどうするおつもりだったのです?」

 骨壺は何も言わない。


 マナリエナは、アンジェリンの命を助けてやろうと思い、秘密裁判が終わってすぐに、死刑執行の書類に手を加えて処刑の回避を試みようとしたが、処刑命令はすでに王命で取り消されていた。ラングレ王は最初からアンジェリンを処刑するつもりはなかったらしい。あの場ではエフネートの顔を立てて言いなりになったふりをしただけで。その後、城内の借りの牢獄にアンジェリンを留め置いていたことも、密かに城から出す機会をさぐっていたと考えることができる。

 マナリエナは、実は、アンジェリンの裁判記録と処刑停止の書類を密かに持ち出して自分の部屋で保管していた。やはり、フェールは、傷が癒えてある程度自由に動けるようになると、すぐにアンジェリンについての情報を求めていたらしい。書類を隠しておいて正解だった。


「あの娘が今も生存していることは、フェールには当分の間伏せておきましょう。今のあの子に恋をしている暇はありません。戦争が終わり、すべてが落ち着いたら、その時はわたくしが――ねえ、あなた、それでよろしいでしょう? エフネートが警務総官から外れたら、わたくしの署名だけでもアンジェリンを密かに解放してやれるはず」


 マナリエナは、物言わぬ夫の骨壺に頬を寄せ、深いためいきをついた。

「あなた……最期まで卑怯な人。黙ったまま逝くなんて。わたくしはずっとあなたに寄り添って、楽しく暮らしたかった。火事の真相を知るまでは、わたくしは本当に幸せでしたのに」

 骨壺に涙の雫がいくつも落ちた。


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