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56.明かされた過去(1)

 フェールは、城外から帰ってきた兵たちからすべての報告を受け終え、マナリエナが住む白花館へ向かった。就寝の時間はとうに過ぎていた。明日も朝早くから王位継承式の準備がある。それでも呼び出されている以上、このまま母の部屋へ行かずに眠ることはできない。

 城の最奥にある白花館は、多種類の白い花が植えられた庭に囲まれていることからそう呼ばれている。二階建ての建物を作っている白っぽい石には何の彫刻も飾りもなく、遠くから見ると巨大な墓所のように見える。


 フェールは白花館へ向かう石畳を歩きながら、うつむかないように気を付けていた。城が開かれ、さまざまな情報が一気に入ってきた。山岳部の敵を殲滅できたのは喜ばしいことだったが、シドが重傷を負ったまま行方不明になっていることを知らされた。シドの隊の生き残り兵の話によると、シドの馬も剣も、まだ見つかっておらず、ゾンデがひとりで付近を捜索している状態だという。


 ──シドは本当に死んだのだろうか? いや、あいつが死ぬわけがない。きっと動けない状態でどこかにかくまわれている。


 自分もゾンデと一緒にシドを探しに行きたかったが、今自分が動くことはできない。

 明日の王位継承式を無事終えたら、父王の骨を墓所へ納め、それから数日で準備を整えてザンガクムを追う戦いへ突き進む。

 シドと過ごした日々を思い出しながら、遠いマナリエナの部屋を目指す。

 もはや王という枷から逃れることは許されない。父も、弟も、シドも、そしてアンジェリンも失った。それでも、常に笑顔で、何事もなかったかのように過ごしていかなければならない。

 思い描いた夢のすべてが崩れ去った苦味と傷の痛みを抱えながら、黙って足を動かす。心のため息は誰にも見せられない。波立つ気持ちを静めるためにぐっとこぶしを握り締める。王になったら、アンジェリンの名誉回復をしてやることができるはずだ。それだけが王になることへの希望。

 侍従や兵が静かに付き従う中、フェールは王妃の部屋に到着した。


 フェールが許可を得て室内に入ると、マナリエナは暖炉の前に座り込んでいた。夫の骨が入った壺を大切そうに膝に抱いている。

 大きな茶色い壺に納められたラングレの骨。王族の遺体は、本来ならばそのまま埋葬されるはずだったが、やむをえずサイニッスラ高原の別荘内で火葬したと聞いた。この壺に父王が入っていると示されても、いまひとつピンとこない。


 マナリエナは湯あみを終えたばかりのようで、すぐに眠れるようなゆったりとした部屋着を羽織っていた。マナリエナの長い髪──フェールよりは若干茶色っぽい──は、少し湿った状態のまま結い上げられずに肩に流れている。室内は人払いされているらしく、他には誰もいなかった。


「母上、お帰りなさいませ。長く城外に居られてお疲れになったことと存じます。こんな時間になってしまい、申し訳ありませんでした」

「フェール、よく来てくれましたね。城内でも裏切り者が出てここも大変だったとか。傷の具合はどうなのです? ここまで歩いてきたのですか?」

「はい。まだ傷の痛みはありますが、ゆっくりでも自力で歩けるようになりましたからご安心ください」

「それはよかったこと。見ての通り、陛下は身罷られました。今更、即位式をやらないとは言わせませんよ」

 フェールは重く頷いた。この身にからみついた王という名の鎖は生涯解けることはないのだろう。

「わかっております」

「ここへ座りなさい」

 マナリエナは、フェールを自分の隣に座らせ、夫の骨壺を抱き直した。マナリエナの顔が暖炉の火に赤く照らされている。

「フェール。わたくしたちはこれから戦わねばなりません」

「体制が整い次第、ザンガクムへ向かって出発するつもりです」

「ザンガクムとは戦わないといけませんが、それよりも……」

「母上?」

「もっと恐ろしい相手が城内にいます」

「それは、シャムアの王子ルヴェンソのことですか? 彼ならまだ幽閉中で問題ないと思いますが。戦争が終わったら彼をすぐに開放してやります」

「いいえ、シャムアのことではなくて、そなたには、どうしても戦いを避けられない敵がいます」


 マナリエナはいったん言葉を切り、大きく息を吸った。

「そなたは明日王位を継いだら、すぐに新人事を組む作業に取り組むことになるでしょうけど、エフネート・ヘロンガルを重役にしてはいけません。特に空席になった宰相に指名するのは危険です。警務総官の地位からも外しなさい」

 フェールは素直に驚いた。政治に無関心だった母親が人事に口出しするとは。

 どうやら、戦わないといけない城内の敵はエフネートだと、母親は言いたいようだ。

「理由をお尋ねしてもよいですか?」

「エフネートが罪びとだからです」

 マナリエナは、ぴしゃりと言い放った。


 フェールは、戸惑いながらも、この機会に、エフネートに関する疑惑を母親に話してみようと思った。フェールの心の中でずっと燻り続けていたマニストゥとエフネートのことは、他の誰にも相談できていない。母親がマニストゥのことを知っていようがいまいが、話すなら今がいいだろう。

「もしかして、母上は、マニストゥ・カラングラのことで、エフネート叔父上に責任があるとお考えなのですか? マニストゥは、メタフ村でアンジェリンを暴行したうえ、私にも暴言の数々を吐いた男です。もとはヘロンガル家のやとわれ人です」

 マニストゥの名を出しても、マナリエナは、そんな名前は知らない、とは言わなかった。むしろ、当たり前、という表情だった。

「そなたは、エフネートがマニストゥを使ってザンガクムと通じていたことは、わかっているのですね?」

 いきなりの核心に、フェールはまたしても驚かされた。何にでも無気力に見えた母親の言葉とは思えない。

「叔父上を疑いたくはなかったのですが……やっぱりそうなのですか?」

 マナリエナは平然と頷いた。

「ええ、エフネートはここへクレイア王女を招き入れて、ザースと陛下を暗殺し、セヴォローンを内側から壊そうとしました。恐ろしいことに、彼の罪はそれだけではありません。放火、殺人、遺体損壊、文書偽造。数え上げたらきりがないほど多くの罪を彼は犯しています。ザースの転落死の件においても、エフネートは嘘を作り上げました。ザースが毒蜘蛛を用意したという偽の証言者を用意して」


 フェールは眉を寄せた。

 エフネートのことについては、マニストゥがらみで他国との密通については疑っていたが、父王の死にざまについては今日詳しく聞いたばかりで、その裏まで考えを巡らせるところまでいっていなかった。

「母上は、叔父上が父上の暗殺を計画したとお思いなのですか? でもそうだとしたら、なぜ? 父上は叔父上を信用していた」

「陛下はヘロンガル家の悪行を知っている数少ない者ですから、エフネートにとっては、ずっと消したい存在だったに違いありません。うまくザンガクムを使って暗殺したのですよ」

「それは母上の思い込みでは?」

 マナリエナは、ふっ、と悲しそうに笑った。

「わたくしの思い込みだけならどれほどよかったことでしょう。フェール、今からわたくしが話すことは、この国の王になる者としてどうしても知っておかねばならない大切なこと。この王家の黒い部分であり、人前では絶対に口にしてはならない秘密です」

 マナリエナの強いまなざしを受けたフェールは心を引き締めた。


「そなたは、サイニッスラ高原での火事に関するヘロンガル家と王家の罪を知らねばなりません」

 サイニッスラ……王家の別荘がある高原は、王妃が近日まで駐留していた場所。フェールも王家の別荘には行ったことがあり、遠くても身近に感じる場所だった。

 マナリエナは小さな声で続ける。

「二十年近く昔のことなのですが、サイニッスラ高原内でとても悲しい事件がありました。そなたが三歳で、ザースがまだ一歳になったばかりだったころの話です」

 フェールは計算してみた。自分が三歳ということは、正確には十七年ほど前ということになる。

「結構昔ですね」

「ええ、そんな昔の話なのですが、当時、財務長官を勤めていたカルシェロ・ニハウラックが所有していたサイニッスラの別荘で、火災が発生し、ニハウラック一族全員と使用人を含む百人以上が亡くなりました。その日は、ニハウラック一族の長老の誕生日を祝うために、別荘には運悪く、一族全員がそろっていたらしくて」

 フェールは、サイニッスラの一部は知っていても、その火事があった場所のことは知らなかった。そこは、王家の別荘とはかなり離れた場所にあり、他の別荘とは完全に深い谷で隔てられた広大な一等地だったという。そこにつながっている道は独自につけられた一本だけで、付近に民家もない。火事になった別荘は、そういう極めて独立性の高い空間に存在していたらしい。


「別荘での火事は、表では調理場からの失火とされていますが、本当は放火。政治的にニハウラック家と対立していたヘロンガル家が計画した卑劣な粛清劇だったのですよ」

「その大昔の火事に、エフネート叔父上がかかわっていたのですか?」

「そうです。エフネートは首謀者ではありませんが、事件にかかわっていたことは間違いありません。二十年近く前のことですからね、エフネートもまだ若かったのです。事件を主導したのは、故人ですが、彼の父親、当時の軍総司令だったベリオン・ヘロンガル」

 フェールはやんわりと母親に突っ込みを入れた。

「たまたま火事になって、そこにいた人々が一族ごと全滅してしまったのではないのですか? 煙にまかれれば大勢が逃げ場を失う、という場合もあると思います」

「当時の目撃者によると、火事は複数個所でほぼ同時に起こり、建物の中からあわてて外へ飛び出した人々は、屋外で待ち構えていた仮面の武装集団にことごとく殺害され、遺体は火に投げ込まれたというのです。ニハウラック家に嫁いでいたわたくしの親友のジャネリアも、その時に亡くなりました。女性や子供まで皆殺し。全員が偶然の火災で亡くなったという報告は嘘だったのです」

「そんなひどいことが……信じがたい……」

「信じられないでしょうけど、真実ですよ。その場にいた被害者たちの唯一の生き残り……まだ当時十代半ばだった少女が、現場でエフネートの顔を見たと証言しているのですから」

「それはヘロンガル家を陥れようとする偽情報かもしれない」

「いいえ、絶対に偽の情報ではありませんよ」

 マナリエナは軽く溜息をもらした。

「エフネートは、火事の当日、ニハウラック家の者の抵抗に遭い、頭に怪我を負ってやむなく仮面をはずした姿を少女に目撃されていました。今は髪の下に隠されていますが、彼の頭にその時の傷痕があるはずです」

「叔父上が、当時、偶然怪我をしていた、ということではないのですか?」

「そんな偶然はありませんよ。当時は、エフネートが頭に怪我を負っていても、それが遠く離れたサイニッスラの火災にかかわっていた証拠だとは誰も思いませんでしたけどね。報告書に書かれた犠牲者の死因はすべて焼死。ヘロンガル家の人脈をもってすれば、報告書を改ざんすることなど容易なこと」

 フェールはサイニッスラの情景を思い浮かべた。確かに、隣家も見えないほど広大な別荘の敷地の中で大虐殺が行われたとしても、生き延びた者がいない限り、真実があばかれることはないかもしれない。

 しかし、母親の話には全く現実味がない。エフネートに疑惑はあるとしても、すべてが作り話に思えてしまう。今、そんな昔の話を出す意味が分からない。エフネートを重役からはずさないといけないという事情はわからなくもないが、そこまで昔の話を出す必要があるのだろうか。エフネートは多くの人脈を持つ重要人物であり、彼を重役から外すとその代わりを誰が、という問題も出てくる。


 フェールは慎重に質問を投げた。

「火事の証言者の少女とはいったい何者ですか?」

「当時は十五歳の平民です」

「平民? ならば、その情報は信用できませんね。その少女が誰かから金品を受け取って嘘を言ったのでは? 彼女は平民なのに、どのように母上に情報が入ってきたのです?」

 マナリエナは、フェールの丸出しの不信感を無視し、話を続けた。

「少女がわたくしに直接の面会を求めて城にやってきたのは、火事の悲劇から半年ほど経ったころでした。彼女は見覚えがある刺繍が入った毛布をこの城の伺い所に提出し、わたくしに直接会って毛布のことで話がしたいと申し出たのです」

「それで母上はその少女に会ってみたくなった、と」

「ええ、普通ならばそんな見知らぬ平民の少女に面会の許可など出しませんが、その毛布はわたくしがジャネリアに出産祝いとして贈った物で、わたくしの名が入っていましたから。わたくしは、その少女がジャネリアの最期の様子を知っているかもしれないと思い、会ってみることにしました」


 マナリエナは、その毛布を贈った経緯について語った。

「ジャネリアはわたくしがザースを出産した時も見舞いに来てくれました。もちろん、そなたの出産の時にも。彼女は学舎に所属する前からの友人で、わたくしが心を許せる数少ない女性でした。わたくしたちは、若いころは、どちらも王太子妃候補で、ラングレの妃に選ばれるのはどちらか、なんて話をよくしたものです。ジャネリアは陽気でよく笑い、一緒にいるとほっとするようなすばらしい女性で……彼女があんな形で命を終えるなんて」

 フェールは、ジャネリアのことに変わってしまった母親の話を元に戻した。

「それで、突然城に来た平民の少女が、サイニッスラの火事はヘロンガル家の手による放火殺人だと母上に訴えた、ということですね」

「そう、わたくしだって最初は半信半疑でしたよ。そんな恐ろしい話が隠蔽されているなんて思いたくありませんでしたから。でも、わたくしが、陛下に少女が持ち込んだ話のことを言ってみたら……陛下は……一族全員が殺されるとは思っていなかった、と言い訳なさった」

 マナリエナの骨壺を持つ手に力が入った。


 フェールは冷静に頭を整理した。

「父上は悲劇が放火殺人だったと認識しておられたのか……」

 マナリエナはこくんと首を縦に振った。

「事件から半年以上も過ぎてからですよ」

「父上はなぜそのような」

「当時、陛下は即位してわずか三年。もともと争いを好まない性格の陛下は、貴族たちをまとめ上げる力に欠けていて、ヘロンガル家とニハウラック家の対立を治められず、頭を痛めていたのです。予算編成が進まないと毎日嘆かれて」

 マナリエナは当時の状況を説明した。


 当時、軍備の増強を主張するベリオン・ヘロンガル軍総司令──シドの祖父でエフネートの父親である男──と、軍の縮小を唱えるカルシェロ・ニハウラック財務長官の主張はいつまでも平行線をたどり、なかなか妥協点に達しなかった。ヘロンガル家は当時から軍内のいくつもの要職を占めており、軍資金を増やそうとしていたが、財務関係を締めてきたニハウラック家はそれを認めず、新年度の予算はいつまでも決まらないままだったという。


 マナリエナは骨壺をひと撫でした。

「この人は人殺しを放置しました。これは王家の罪。この罪は決して消えはしません。いつまでも進まない予算会議をすみやかに終わらせた、それがヘロンガル側の言い分かもしれませんが、大量殺人をやってのけた者たちに正義などありません」

「父上は何とも思わなかったのでしょうか」 

「さあ」

 暖炉の炎がぱちんとはぜた。

 フェールは母親の横顔を見つめた。いつになく険しい顔をしている。母親は何年もこの秘密を胸に秘めてきたのだろうか。


 マナリエナは低い声で続けた。

「そして、ニハウラック家は滅び、持ち主がいなくなった莫大な財のほとんどは王家の物になりました。結果的に王家は、ヘロンガル家の残虐行為を黙認したおかげで、自分の手を汚さずして得をしたということ。だから、王家も共犯者なのですよ」

「ヘロンガル家が暴走したのではなくて、父上自身がヘロンガル家に、財務長官暗殺を依頼していたということでは?」 

 マナリエナは、ふんっ、と鼻で笑った。

「貴族の顔色ばかり窺っていて自分を押し通すことが苦手で本当は気が弱いこの人が、暗殺依頼ですって? 誰に対してもよい顔ばかり見せて、全員を立てようとするお人よしのこの人に、人殺しの命令なんて無理ですよ。この人が、ヘロンガル軍総司令からニハウラック財務長官の罷免を毎日のように求められて苦しんでいたことは、わたくしだって知っています。しびれを切らしたヘロンガル家が勝手に動いてしまったに決まっています」


 フェールは母親の話に強い違和感を覚えていた。父は本当に腰の弱い人だったのだろうか。自分に対しては厳しい顔しか見せなかった。現に、クレイア王女との結婚をあんなにも強く迫ったではないか。いつもザースと比べては、出来の悪いフェールばかりを叱っていた嫌な父親。

 フェールはつい言葉をきつくぶつけた。

「父上は本当に気弱だったのですか? 私には厳しい顔しか見せてくれなかったじゃないですか。父上が財務長官殺しの命令を出したのでは?」

 マナリエナは息子の怒りにも表情一つ変えなかった。

「誰の命令にしろ、サイニッスラの地でヘロンガル家の者の手によって大虐殺があり、陛下がその真相を知っていながら放置していたことは事実です。少女の証言から悲劇の真実を知ったわたくしは、陛下を厳しく攻めました。信じられないことに、陛下は『妹が嫁いだヘロンガル家が残ったのだからそれでよい』とおっしゃった」

「では、父上が命じたかどうかは不明でも、虐殺を黙認したことは間違いないのか……」

「あきれるでしょう? 罪なき人が多数、無残に殺されたというのに、ヘロンガル家が残ったからいいなどと、よくもそのようなことが言えたものですよ。この人は、ジャネリアの死を知らされて泣いていたわたくしを、その時は、やさしく抱きしめてくれたのです。自分が殺したようなものなのに、知らぬふりをして」

 マナリエナは話しているうちに怒りが高まってきたようで、鋭い目をして骨壺をにらみつけていた。

「サイニッスラの真実を知ってからは、わたくしはニハウラック家の財の一部を使ってこの白花館を建て、死者の魂を慰める為に白い花を植え、静かに祈りの日々を過ごしてきました。悲劇の真相を知ってしまった後は、陛下と夫婦として笑い触れ合うことなど無理でしたから、あれからずっと、わたくしは王妃の部屋へ行かずにここに住んでいるのです」


 フェールは、無意識に息を詰めていた。すべては母親の妄想と思いたい。だが、妄想として片づけられない引っ掛かりがある。両親の不仲の原因は、口に出せぬ大量殺人だったというのか。それにヘロンガル家が絡んでいたと。

 マナリエナは、抱いていた骨壺を、横に下した。

「この人を許せるわけがないでしょう。目撃者撲滅のため、御者などの付き添いの使用人まで全員殺害されたらしいのに、それを黙認して罪人たちを放置し、重役からはずすこともせず、ニハウラック家の莫大な財を手にして。いくらなんでも人としてありえません。こんなに早く死ぬなんて、きっと罪びとを放置した天罰が下ったのですよ」

 激しい感情を吐き出したマナリエナは、しばらくの間口を閉じ、背中を丸めたまま動かなかった。


 フェールは母親に何を言うべきかわからなくなり、暖炉の火が揺れ動くさまをぼんやりと見つめていた。母親とは違う別人と話している気がしてくる。自分が知っている母親は、育児にも政治にも消極的な女性だった。社交的でもなく、行事以外は姿を見せず。


 マナリエナはやがて沈黙を破った。

「エフネートに心を許してはいけません。わたくしはこの白花館に秘密の諜報機関を作り、さまざまな情報を集めています。ここには得体の知れない者は誰一人出入りできません。わたくしは、いつか、ヘロンガル家の悪行をあばく体制が整う日がくることを願って密かに準備を進めています。これからは、重要な決め事があるなら、必ずわたくしに相談しなさい。無気力の仮面をかぶっていても、わたくしは生涯そなたの味方です」


 顔を上げたマナリエナの瞳は、少し潤んでいるように見えた。

「フェール。この機会にもう一つだけ大切なことを話しておきましょうか。落ち着いて聞きなさい。そなたが愛したアンジェリン・ヴェーノは……」

 マナリエナは言いかけでためらうように言葉を止めた。

 もったいぶられたフェールは、不快感をぶつけた。

「アンジェリンのことで何か? 言いたくないならその名前を出さないでいただきたい。私は彼女の死をまだ受け入れられない」

「ごめんなさい。そなたにどう伝えるべきなのかを考えていました。いろいろ思うことはあるでしょうけど、アンジェリンのこともそなたがどうしても知るべき情報。他の誰からも聞くことはできない話ですから聞いてほしいのです。わたくしもいつ殺されるかわかりませんから。彼女のためにもエフネートを重役からはずし、ヘロンガル家の勢力をそがなければなりません」

「だからアンジェリンが何です? さっさと教えてください」


「アンジェリンの実の母親は、サイニッスラの火事の時に、建物から飛び出した矢先、エフネートに切り殺されました。失血死だったそうです」

「アンジェリンの母親が叔父上に殺された……? その場に彼女の母親が? 彼女の母親はニハウラック家の関係者だったのか。それは初めて聞きました」

「一緒にいた彼女の父親も、数人に囲まれて殴られて、倒れた体に火を放たれ、むごい最期を遂げたらしいですよ」

 フェールは自分の頬がひきつるのがわかった。

「それは本当に叔父上が?」やっと言葉を出したが、母親は問いには答えず、さらに驚くことを告げた。


「アンジェリンの真の名はリーザ・ニハウラック。彼女は捨て子ではなくて、私の親友だったジャネリアのひとり娘です。当時十五歳で使用人になったばかりだった少女ターニャが、火事の現場から命がけで抱いて連れて逃げて、生き延びた赤ちゃんがアンジェリンなのですよ。わたくしが贈った毛布に包まれて。事情を知ったわたくしは、ロイエンニ・ヴェーノに、赤子と少女ターニャの世話をお願いしました。アンジェリンは出自を知らされずに育てられたのです」


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